第10話 第五薬草園

 王立研究所は、王宮のすぐ裏にあった。王宮の敷地のすぐ裏ではあるが、広い庭に囲まれている城は、かなり遠くに見える。


「このあたりへ着くのがよろしいかと」


 衛兵と会話していたテオドアはエマとリディの方へ戻ってくると言った。


「この玄関へ向かう道は、邪魔になるでしょうし、少し向こうにしましょうか」


 テオドアは大きな木の影で立ち止まる。


「ここでどうですか?」

「問題ない」


 リディは空中で指を滑らせた。リディの指からは光る煙のようなものが発生し、空中に線を描く。リディはぶつぶつと呪文を唱えながら、魔法陣を描くと、それを地面に焼き付けた。そして、その上に立ち、家を思い浮かべながら、また呪文を唱える。景色が渦巻き、いつの間にか治まっていた頭痛がぶり返した。


 瞬きをしている間に、リディは自分の家に戻っていた。こんなに早く戻れるとは思っていなかったが、良い結果とも言い難い。


「まあ、エマにとっては良かっただろう」


 リディは自分に言い聞かせるように呟いた。それより、悠長にしている場合ではない。リディは先ほどと同じように、呪文を唱えながら魔法陣を描くとリビングの床にそれを焼き付けた。


「頭痛えな」


 リディは文句を言いながらも、魔法陣の上に立つと、呪文を唱える。再び景色が渦巻き、心配そうなエマと、にこやかなテオドアが目の前に現れた。


「お見事です」

「疲れた」

「そうでしょうね。本日はもうお帰りいただいて構いませんよ。明日の朝、お会いしーー」

「エマ!」


 エマの胸元から聞こえた叫び声は、テオドアの言葉を遮った。エマはペンダントを取り出す。


「その声はアーロンかしら。どうしたの?」

「時間あるかい?出来れば、第五薬草園まですぐ来てほしいんだけど」

「無理だ」


 すぐに帰ってベッドへ倒れ込みたいリディは即答した。先に帰れるのならそうしたいところだが、リディがいなければ、エマは帰ることができない。あとで迎えに来るという選択肢もなくはないが、リディが帰る時間までに起きれる自信がない。


「お願いよ、リディ。少しだけ」


 エマは顔の前で両手を合わせた。リディは無理だともう一度言おうとしたが、その前にテオドアに腕を掴まれた。


「言い争うより、行ってしまった方が早いでしょう」


 テオドアはエマとリディを連れて、移動魔法を使う。次の瞬間には、第三薬草園とほとんど変わりない場所に到着した。栽培されている植物の種類が違うのだろうが、何が違うかなんて、リディにはよく分からない。


「アーロン、来たわよ」


 薬草園の中へ向かってエマが言うと、すぐに眼鏡をかけた若い男が出てきた。


「ありがとう、エマ」


 アーロンはエマにそう言うと、すぐにリディの方に視線を移した。


「ああ、君が口の悪いエマだね。レネーに聞いたよ。本当にそっくりだ。それに、テオドア様までどうされました?」

「偶々お二人と一緒にいたものですから。それより、何があったのですか?」

「そうそう、大変なんだよ。こっちだ」


 アーロンに連れられていった先には、葉の所々が黒ずんでしまっている植物があった。


「まあ、凍傷かしら。温度設定は間違っていない?」

「ああ。いつも通りだよ」

「水は?冷たすぎない?」

「水温もいつも通り」

「どうしたのかしら……」


 顎に手を当て、考え込むエマの向こう側を見て、リディはため息をついた。


「またか」


 エマとアーロンがリディを見た。テオドアはどうせ気付いているのだろう。


「またって、これも幻覚なの?」


 エマは黒ずんだ葉を指差して言う。リディはゆっくり首を横に振った。


「そこに生えてた植物はなんだ?」


 リディはエマの向こう側、黒ずんだ葉の横の区画を指差して言う。


「これかい?ベネレディウスだよ」


 アーロンは言った。学名で言われても分からない。


「うちでも育ててたわ。青い美しい花を咲かせるの。花はこれくらいで」


 エマは手で大きさを示した。リディはなんとなく、どの植物か理解する。


「あれか。花が凍るやつ」

「そうよ」


 リディはベネレディウスの区画の上で右から左へ手を動かした。すると、先ほどまでそこにあった花が無くなった。


「幻覚……」


 エマは呟くように言う。


「ということは、まさか」


 ベネレディウスは冷水を吸わせることで、花が凍り、成長が止まる。成長を止めた花は、氷の花と呼ばれる。氷の花は栽培が難しく、成長を止めるタイミングも難しいことから、高価で取引される。エマの温室でも育てていたため、リディもそこそこの知識を持っていた。


「この区画に撒かれた冷水が、そっちにも流れ込んだんだろうな。その証拠に、この区画に近いほど凍傷がひどい」


 エマはポケットから手帳を取り出すと、そこにペンを滑らせ、一枚ちぎった。


「この薬を呪文を唱えながら与えてみて。呪文は、なんだったかしら?」


 エマはちぎった紙をアーロンに渡しながら、リディに尋ねた。リディは指を空中で滑らせ、呪文を書いた。空中に浮かび上がった呪文はエマがアーロンに手渡した紙の方へ飛んで行き、紙に焼きついた。


「ありがとう。ここで凍傷なんかになることはないから、助かるよ。それより、だれがこんな」


 アーロンは根こそぎ持っていかれた氷の花の前に膝をついた。


「せっかくあそこまで育てたのに」

「持っていかれたものは仕方ないですね。また頑張って育ててください」


 落ち込むアーロンにテオドアは言う。エマは近くの区画に被害が及んでいないか確認しに歩き回っていた。


「もういいだろう。へとへとだ。帰ろう」


 リディが言うと、エマがゆっくり戻ってきた。


「他は大丈夫そうね」

「ああ。またベネレディウスについては手を貸してもらいたい」

「もちろんよ」

「リディもありがとう。助かった」


 アーロンはリディに手を差し伸べた。握手だろう。普段はそういうことをしないリディだが、早く帰りたいという気持ちが強く、適当に握手をした。テオドアは二人を連れて、先ほどリディが描いた魔法陣の場所まで移動し、リディはやっとエマを連れて家に帰ることができた。

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