第8話 改竄された戸籍
自室のソファにぐったりと横たわり、ギルバートはため息をついた。ギルバートの金糸のような髪の毛がさらさらと下へ流れていく。
「戸籍の改竄だと?」
「ええ」
テオドアはいつものように微笑んで言う。
「やめろ。普通に話せ」
ギルバートには、幼い頃から兄弟のように育ったテオドアが畏って話すのが、本当に我慢ならない。テオドアが丁寧に話せば話すほど、馬鹿にされている気がするからだ。
「王太子殿下にそんな無礼な真似はできません」
「やめろと言っているだろう」
ギルバートはうんざりとして言った。テオドアはその様子を見ていたずらっ子のように笑う。仮面を着けたような表情から、一気に年相応の青年の表情になった。
「ごめん、ごめん。そんなに怒るなよ」
「もうたくさんだ。アレクシス兄様はまだ見つからないのか?」
「ああ。一体どこに隠れてるのやら。外国へ行ってしまったのかな」
「マティアス兄様もマティアス兄様だ。早く結婚して子どもを作ればいいのに。あの方はいつまで縁談を突っぱね続ける気だ」
二人の兄に対する文句はいくらでも出てくる。ギルバートも、できるものならアレクシスのように王位継承権を放棄したいのだ。しかし、周りがそうさせてくれはしない。アレクシスが逃亡するとすぐに、ギルバートは元から厳しかった監視更に厳しいものとなった。ギルバートが流れに身を任せて生きていることを全員知っている。そんな人間が、監視され、王太子になれと言われれば、それに抵抗することなどないと考えられているのだろう。
「母上も、もう一人子どもを産んでくれていればよかったんだ。使命感に溢れた立派な弟を」
「そんなことを言い出したらキリがない。そんなに嫌なら、アレクシス様のように逃げ出せばいい」
ギルバートは目を瞑り、ため息をついた。
「面倒くさい」
一通り文句を言い終えたギルバートは、起き上がった。
「で、戸籍の改竄もリディの仕業か」
「違うと思うけど」
テオドアは、手のひらを上に向けた。すると、その手の中に分厚い本が現れる。
「戸籍の原本だ」
テオドアに差し出された分厚い本をギルバートは受け取って開き、フォレ家の戸籍を確認した。そこには、確かにリディ・イヴおよびエマ・ルイーズ・フォレの名前があり、父母の名前も記載されている。これだけ見ると、不審な点はない。そう思ったのも束の間、ギルバートは違和感を覚えた。
「なんで妹から書かれてるんだ。普通は姉、妹の順だろう」
「おー、よく気づいたね。だけど、それくらいじゃ怪しむ材料としては少し弱い。男ならともかく、女の子の双子の上下なんてあまり気にされないから、記入担当者が間違えた可能性もある。だけど」
テオドアは意味ありげにニヤリと笑う。
「調べてみたら、エマの名前は後から書き足されたものだった」
テオドアはフォレ家の戸籍に手を翳した。すると、エマの名前が戸籍から消えた。戸籍の時間を数年分、巻き戻したらしい。
「原本が改竄されているのか?」
通常ではあり得ないことだ。厳重に保管されている戸籍原本に触れることすら、誰にでもできることではないのだ。ここで点と点が繋がった気がした。
「そう。そして原本の改竄ができるような人間は」
「ドグナー判事か」
「正解。おそらくドグナー氏は二人の叔父だ」
「待て、叔父だと?ドグナーが?と言うことは」
ドグナー氏は独身で、結婚歴もない。姉が一人いて、姉はある貴族の家へ嫁いだ。
「二人はセルヴェ伯爵家の令嬢だろう」
「エマはともかく、リディが貴族の娘とは信じがたいな」
「そりゃそうだろうな」
テオドアは再び、手のひらを上に向け、新たな分厚い本を取り寄せると、ギルバートに差し出した。
「セルヴェ家の戸籍だ」
ギルバートはそれを手に取って開く。現セルヴェ伯爵には子どもが二人。どちらも男だ。その二人の息子の下に一人、娘がいたようだが、数年前に亡くなっている。亡くなった娘の生年月日はフォレ家の戸籍に載っていたエマやリディのものと同じだった。
「名前が違うが、おそらくこの娘はエマだ。調べたところ、行方不明の末、死亡扱いになっていた」
「これがエマだとしたら、リディは?」
「一番あり得そうな考えでは、何らかの理由でリディはフォレ家へ引き取られた。そしてその事実を隠すために、フォレ家の実子として登録された」
「何故そんな面倒なことをする必要がある?」
「知らないよ。でも、エマがセルヴェ家の消えた娘っていうのは、多分あってる。エマの名前がフォレ家の戸籍に書き加えられたのは数年前、セルヴェ伯爵家の娘が行方不明になった時期と重なるし、実は僕、エマとは学院で同級生だったんだ。エマは飛び級して先に卒業しちゃったけどね」
さらっと新情報を混ぜ込んできたテオドアに、ギルバートは顔を顰めた。
「なぜそれを最初に言わなかった」
「いや、最初は見たことある気がするなくらいだったんだよ。関わりもなかったし。エマは有名だったから、なんとなく知ってただけで、向こうは僕のこと知らないと思うよ。戸籍を調べるときに、セルヴェ嬢が卒業後行方不明になったって噂があったのを思い出した」
「で、エマは何故フォレ家の人間に?」
「さあ。エマがリディを探してどうのこうのって感じじゃないかなあ」
テオドアの推測は正しそうに聞こえた。セルヴェ家の関係者に姿を見られることを恐れて、王都へは来れないと言ったのだろうか。しかし、それならば、姿を見られて困るのは、行方不明の末死亡したことになっているエマの方ではないだろうか。ギルバートは考えるのをやめた。考えても分からないものは分からないのだ。
「まだ不思議なことが」
頭を働かせるのをやめたギルバートは、もうこれ以上、何も聞きたくはなかったが、テオドアは構わず話し続けた。
「フォレ家のリディの父親はリディが生まれる三十年以上前に亡くなっている」
テオドアは、リディの父親にあたる人間の没年を指さした。確かに、テオドアの言う通りだ。そして、ギルバートはそれ以上におかしいことに気づいて、閉じかけていた目を見開いた。
「待て、母親の生年月日がおかしい。これが正しければもう百は超えてる。リディが生まれた年にはもう九十を過ぎてるじゃないか」
ギルバートの反応に満足したのか、テオドアは二冊の戸籍を閉じると、消してしまった。戸籍はあるべき場所へ返されたのだろう。
「さて、これ以上は考えても無駄そうだ。明日二人に事情を聞こう。エマが言っていた、リディが王都にいられない理由は、これが関係してるだろうし」
「そうだな」
「それと二人の会話を少し盗み聞きしてたんだけど、リディがエマに面白いことを言ってたよ」
「面白いこと?」
「ああ。星降る樹って知ってるか?学名はなんだったっけ?エトレ……」
「エトレニシウス」
「それそれ」
「知ってるも何も、栽培許可を出しているのは俺だ」
「ああ、そうだった」
「エトレニシウスがなんだ」
「違法に栽培されていたらしい」
「なんだと」
ギルバートは起き上がり、テオドアの方を見た。
「ゴルトバの森だ。リディが燃やしてきたらしいが、犠牲者が何人か出ていたそうだ」
ギルバートはため息をついた。
「犠牲者も出ていたとなると、気付かぬふりもできないな。リディの初仕事は決まりだ」
ギルバートと向かい合ってだらしなく座っていたテオドアは、素早く立ち上がり、ギルバートのそばに恭しく控えた。すぐに扉がノックされる。
「なんだ」
「失礼いたします」
扉が開き、タラスが入ってくる。
「まだ起きておいででしたか。あまり夜更かしはなさらぬよう常々」
タラスの長々と続くであろう小言を聞き続けられるほどの元気はもうない。ギルバートはタラスの言葉を遮った。
「分かっている。もう寝るところだ。下がれ。お前も下がれ」
タラスは頭を下げ、部屋を出ていく。
「では、ごゆっくりお休みください」
いつものように微笑みを貼り付けた顔でそう言って、テオドアも部屋を出ていく。ギルバートはうんざりした顔でそれを見届けると、着替えてベッドに入った。
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