第7話 第三薬草園
ベッドの上に腰掛け、できるだけ気配を消し、窓の外を見ているエマの出方を待った。
「リディ」
名前を呼ばれたリディは、肩がびくりと跳ね上がった。
「もう、ダメじゃない!」
リディの方を振り向きながらそう言ったエマに、リディは安堵する。怒りレベルはかなり下がったようだ。これくらいなら怖くない。
「相手は王太子殿下なのよ!敬語くらい使えないの?」
「使ってたんだが、気を抜くと、つい」
「もう!リディだと話がややこしくなるから私が来たのに。最初の段階でちゃんと説明しておけばよかった!まあ、ちゃんと説明しても聞いてくださらなかったでしょうけど。あの方、かなり面倒くさがりみたいだから」
リディはテオドアの言葉を思い出した。運命に抗う力が無いと言うのは、そんなに面倒なことができないという意味だろうか。
「それより、来て大丈夫だったの?」
「こんなとこに閉じ込められてたんじゃ、見つからないだろ。けど、王都で働く事になったら話は別だ。何としてでも、あの話は断って、早々にここから出ないと」
「明日は、私が話をするからリディは黙っててね。リディだと話がややこしくなるんだから」
「はいはい。それよりさ、ストゥールから馬車で来たんだけど、ゴルトバの森で何を見たと思う?」
リディはベッドの上に胡座をかいた。話題を変えたかったのもあるが、それ以上に自分が見たものについて早くエマに話したかった。
「ゴルトバの森?あの森には珍しいものなんて無いでしょう?」
「星降る樹」
「まさか」
「本当だよ。燃やしてきた」
「もう犠牲者が?」
「ああ。十体以上は喰ってて、かなりでかかった」
「でもあの辺りには自生しないわ。気候的にありえない」
「あれは栽培もできるだろ」
「不正栽培っていうこと?」
信じられないとでも言いたげなエマに、リディは頷いた。
「樹の周りを少し調べたら、魔法陣があった」
「気温と湿度を下げる魔法が使われていたのね?」
「その通り」
「一体何のためにそんなことを……」
通常、星降る樹は栽培するにしても、実がならないように制御魔法をかけて栽培するものだ。実がなっているものは、人が近寄らないような場所に自生しているものだけ。
「あの実はなんかの薬の材料になるよな」
「え?そうなの?」
エマはきょとんとした顔をする。エマの反応に、リディも拍子抜けする。
「あれ?違ったか?」
「葉は抗幻覚薬の材料になるけど、実の方は使い道なんてあったかしら?」
「……私の思い違いか」
星降る樹の実は何かに使えると何かで読んだ気がしていたが、エマが知らないのであれば、思い違いだろう。植物に関することで、エマが知らないことは無い。それに、実が何かの材料になるのであれば、制御魔法をかけて実がならないようにするのも変な話だ。星降る樹は専用の施設内で栽培されるため、人が犠牲になることはないし、栽培に関わる魔法使いにとっては、実の脅威など大したものではないのだから。
「エマ!」
突然、室内に高い声が響いた。エマは胸元からペンダントを取り出した。声はそこから聞こえているようだ。
「どうしたの?」
エマはペンダントに向かって尋ねる。
「今すぐ第三薬草園に来て!」
「え、ちょっと」
エマはペンダントを軽く指先で叩いたが、もう向こうには聞こえていないらしい。
「急用みたいだから行かないと」
エマは部屋を出ようとしたが、扉は魔法によって閉ざされていた。
「どうしましょう」
エマはリディの方を見る。どうしようと言われても、知らない場所へは魔法を使っても行けない。知っていたとしても、移動魔法を使えるほどの魔力も残ってない。リディは仕方がなく、ドアノブに手をかけた。魔法によって閉ざされていた扉が開いた。そして、同時にテオドアが目の前に現れた。
「どうされました?」
テオドアは少し腰を曲げて、リディに視線を合わせて言った。まるで幼い子どもに話しかけているようでリディは苛ついた。
「エマが呼ばれてる」
「第三薬草園へ呼ばれたのですが」
「そうですか。では、私がお送りしましょう」
テオドアは手を差し出した。エマはその手を取る。
「……なんだよ」
テオドアはもう片方の手をリディに差し出していた。
「何って、一緒に来てもらうのですよ」
「なんでだよ。呼ばれてんのはエマだろう」
「ええ。しかし、私は貴女方お二人を見張るよう言われておりますので、一緒に行動していただきます」
半ば無理やりリディの腕を掴み、自分の方へ引き寄せたテオドアは、リディが文句を言う間も与えずに移動魔法を使った。
第三薬草園は、王宮の裏手に浮かんでいた。下に見える巨大な建物は、魔法研究所だろう。近くには他にもいくつかの巨大な円盤のようなものが浮かんでいる。
「エマ!」
生茂る植物の間から出てきたのは、小さな男の子だった。
「レネー、どうしたの?」
「昨日植え替えたアラルムの株がダメになってる!」
「あら、どうしたのかしら。ルドルフもいる?」
「いるよ」
エマはレネーと呼ばれた男の子について、薬草園の奥へと進んでいった。テオドアは、リディの腕を掴んだまま離さない。
「さて、我々も行きましょうか」
テオドアはにこりと微笑んでリディに言う。
「その前に離せよ」
「ここは魔法が使えない人間にとって、危険な場所です」
「それならエマを守れよ」
「エマにはレネーがついていますから。あの子はああ見えて、優秀な魔法使いです」
「私も自分の身は自分で守れます」
「ギルバート様やその側近の者以外の人間の前で魔法を使われると困るのです。ギルバート様でも揉み消せなくなります。貴女は裁判にかけられると困るはずです」
「……調べたのか」
「ええ。まだギルバート様にはご報告していませんが、貴女の抱える事情については理解しました。そして、いくつかお尋ねしたいことが出てきました。それはさておき、行きましょうか」
テオドアはリディの腕を引き、エマたちを追いかけた。薬草園では多種多様な植物が栽培されている。リディは植物をぼうっと眺めながら、こんな場所で働けたらエマは楽しいだろうと思った。田舎でそこそこ立派な温室を作ったところで、個人で栽培できる植物には限界があり、研究の幅を狭めてしまっているのだ。そもそも、エマほど優秀で、学歴も申し分ない人間が、あんな田舎に住み続ける方が間違っている。エマにはここに残るよう説得するか。
そんなことを考えていると、エマの後ろ姿が見えた。エマの向こうには、困り顔の男がいる。
「見事に全て萎れていますね。アラルムは高価なので、大ダメージです」
困り顔の男はテオドアに気づき、慌てた様子で近づいてきた。
「テオドア様もいらしてたんですね。申し訳ございません。原因が分からず、エマなら何か分かるかと思いまして」
エマはしゃがんで、アラルムを観察していた。リディは植物についてはあまり知識がない。エマの指示に従い、魔力がないと育てられない魔法植物をエマの代わりに育てることもあるが、エマの手足となって動いているだけなので、大した知識は身につかない。それでもリディにははっきりと、これがエマに解決できる問題ではないことが分かった。リディにとって、ここの薬草がどうなろうとどうでもいいことだし、部外者がしゃしゃり出るのも良くないだろうと思った。しかし、口を出さずにはいられなかった。
「エマはともかく、お前らそれでも魔法使いか?」
その場にいる全員がリディの方を向いた。
「エマがもう一人いる」
レネーは素っ頓狂な声をあげた。
「この子は、私の双子の妹のリディ。リディ、こちらは第三薬草園管理責任者のルドルフと第三薬草園管理員のレネーよ。それでリディ、どういうこと?」
全員がリディに注目する。リディは眉間にシワを寄せた。ルドルフとレネーは知らないが、少なくともテオドアはかなり魔力が強い。本当に気付いていないのか、怪しいところである。リディはテオドアに疑いの視線を向けた。
「お前、気付いてんじゃねえの?」
「何のことでしょうか?」
テオドアは微笑んで言う。やはり気付いているようだ。テオドアはシラを切るつもりのようなので、リディはため息をついた。
「それは萎れてなんかない。幻覚魔法だ」
「幻覚魔法?本当か?」
ルドルフは驚いた顔でリディを見る。リディは解除魔法を使おうとしたが、それよりも早く、テオドアが魔法を解除した。やはりリディを試していただけのようだ。
「本当だ!戻った!」
レネーが甲高い声をあげる。
「よくあんなに高度な幻覚を見抜けたな」
ルドルフは感心したように言う。
「高度?ただの幻覚魔法だぞ」
「幻覚魔法には、簡易なものから高度なものまで様々な種類がある。今回のものは、視覚だけでなく、嗅覚、触覚にまで影響を及ぼしていた。もしかしたら、五感全てを騙すものだったかもしれない。視覚以外にまで影響を及ぼすものは、なかなか見抜くことができないよ」
「学校で習うだろ」
ルドルフの丁寧な説明の後に、レネーが畳み掛けるように言った。小生意気なガキだ。
「生憎、学校なんて出てないもんでね」
「じゃあお前、魔力があるだけで魔法使えねえの?」
「魔法くらい」
「はいはい、それくらいにしてくださいね。もうエマに用は無いですね?」
レネーとリディの言い争いをテオドアが止める。
「え!エマもう行っちゃうの?」
「ごめんなさいね。ちょっと用事があるの」
エマにしがみつくレネーの頭を、エマは優しく撫でた。小生意気なくせに甘ったれたガキだ。リディが嫌悪を込めてレネーを見つめていると、レネーはリディの方にこっそりあっかんべをした。イラっとはしたが、エマの逆鱗に触れる勇気もなく、リディはこっそり舌打ちをするにとどめた。
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