第5話 星降る樹
「リディ!こっちだ」
シムは大きく手を振りながら、声を張り上げた。朝から鬱陶しいくらい元気だ。リディはやる気なく片手を上げて応えた。シムの近くには人間が乗るための馬車が一台と荷運び用の馬車が三台あり、何人かの男たちが出発の準備をしていた。シムは男たちに指示を与えている。一日早く発つことになったからだろうか、少し慌ただしかった。
「悪いな。出発を早めてもらって」
「いや、一日くらい大したことじゃない。それより、森を通れることの方がこっちとしてはありがたい」
「坊ちゃん、本当に大丈夫なんですかい?」
男の一人が心配そうに言う。男の心配が正しいだろう。どこから来たかも分からない小娘が、どうにかできると信じる方がおかしいのだ。
「大丈夫だろう。少しでも異変を感じたら、森を出たらいい」
「しかし……」
「心配すんな。私が最初に一人で様子を見に行ってから、森を通れるか判断する」
リディが言うと、シムは驚いた顔でリディの方を見た。
「一人で?女の子にそんな危険なことさせられない。行くなら俺も」
リディは笑った。久しぶりにかなりおもしろいジョークを聞けたと思った。シムは何がおかしいと言いたげな顔をした。
「大丈夫だよ」
シムは何かを言いかけたが、部下の男の一人が出発の準備が整ったことをシムに知らせたため、シムは部下たちに出発の指示を出した。シムはリディを馬車に乗せてから、自分も同じ馬車に乗り込んだ。リディたちが乗った馬車が出発すると、その後ろに荷運び用の馬車が続いた。
「さっきの話だけど、やっぱり君一人で森へ入るのは危険だ」
育ちの良いお坊ちゃんは、昨日会ったばかりの人間の心配までしたいらしい。リディとしては、足手まといになりそうなシムを連れて行くのは避けたかった。
「大丈夫だって。いざとなったら魔法を使う」
「魔法?魔女なのか?」
「資格は持ってないけどな」
「どういうことだ?魔法使いってのは、魔法学校へ通って、卒業したら資格が貰えるんだろう?」
「私は学校へ通ってない。田舎の無資格の魔女に教わった」
「無資格の魔女なんているのか?」
「田舎には大勢いるよ。そもそも魔法が資格制になったのは、最近のことだ。ジジババの時代には、魔力があれば魔法は誰でも使えるもんだったんだよ」
「へえ。魔法が使えるなら、移動魔法で王都まで行けばいいじゃないか」
「だから、今は資格がない奴が魔法を使うと捕まるんだよ。田舎だとバレないが、王都周辺は危ない。だから、できれば魔法は使いたくない」
「なら、何かあっても魔法は使えないんじゃないか」
「森に入ると気分が悪くなる原因は、大体特定できてる。考えている通りなら、魔法を使わなくても、魔法薬でなんとかなるんだよ。外れてた場合は、仕方ないから魔法を使うが、防衛のためなら無資格で魔法を使っても大して問題じゃない」
リディはそう言いながら、苦笑いをした。もっと大きな違反がバレたせいで、王都へ行く羽目になったとは到底言えない。
「なるほどな。それなら俺にも薬をくれよ」
「嫌だよ。足手まといだ」
「俺が知ってる限りでは、魔法使いってのは、魔法以外使えない。あの森は比較的安全とは言っても、野生動物も棲んでる。普通の野生動物相手に魔法なんて使ったらダメだろ」
リディはシムの頭から爪先までを見た。腕っぷしは分からないが、俊敏そうではある。リディはため息をついた。それに、それなりに魔力もあるようだ。魔法耐性もあるだろう。
「分かった。ただし、指示には従えよ」
「はいはい。足手まといにはならないよ」
話し込んでいるうちに、森に着いていた。リディとシムは馬車を降りた。部下の男たちは不安そうに見ていたが、リディは無視して、準備に取り掛かる。鞄から小さな瓶を二本取り出すと、一本をシムに渡し、もう一本は自分で中に入っていた液
体を飲み干した。
「すごい色だな」
シムは嫌そうに液体を見ていた。リディは慣れてしまってなんとも思わなかったが、よくよく見てみると、確かに口にしたい色ではない。
「味はもっと酷いぞ」
「うげー」
シムは鼻をつまむと、液体を一気に飲み込んだ。
「うん、まずいな」
シムはそう言いながら空になった小瓶をリディに返した。
「よし、行くか」
リディはシムを連れて森へ入った。森の道は整備されているにも関わらず、誰もいなかった。リディは深呼吸をした。体調に変化はない。やはり思った通りだ。
「気分が悪くならないな。前に入った時は、すぐに吐き気と頭痛があったのに」
「薬が効いてるんだ。さて、原因を潰しに行くか」
リディは早足で、魔力の気配を辿って歩いた。整備された道から外れることになるため、帰り道を覚えておかないといけない。
しばらく歩き、リディは原因となる植物を発見した。それまでの間に見た野生動物といえば、ウサギやリスくらいで、シムの出番は全くなかった。
リディは原因となる樹から少し距離を置いて、それに向かい合った。大きな樹で、甘い香りを漂わせていた。今は明るいため、なんの変哲もない樹に見える。
「原因ってこれか?」
シムは不思議そうに言った。シムの反応も無理はない。この樹は、暗闇でしか目に見える特徴を現さないのだ。
「そう。星降る樹って聞いたことないか?」
「ないな」
「だろうな。この辺りで目にすることはないし、魔法使いでも知らない奴の方が多いだろう」
「とても魔法植物には見えないけど」
「今はな。夜になると、それらしく見える。実が星のように輝き、熟した実は地面へ落ちる。それが星が降っているように見えるから星降る樹と呼ばれてる。それはそれは素晴らしい光景らしい」
「へえ。それは見てみたいな」
リディは笑った。
「やめておいた方がいい。見たら最期、美しさに魅了され、目を離せなくなり、最終的にこの樹の養分となる」
リディは樹に近づき、その根元を見た。
「ほら。知り合いか?」
リディは根元を指差した。シムも近づいてきて、リディが指差す場所を不思議そうに見る。そして、シムは驚きと恐怖に顔を歪めた。
「デズモンド……」
樹の根元には、何体かの死体が倒れていて、そこから樹の幹が伸びていた。シムは一体の死体のそばに膝をつき、その死体に手を伸ばす。シムが死体に触れると、触れられた部分はぼろぼろと崩れ落ちた。シムは知り合いの変わり果てた姿に唖然としている。
「明るいうちは、花粉で気分が悪くなるだけだが、夜はこの甘い香りに誘われて、この樹に捕らえられるってわけだ」
「そうか……」
死体のそばに膝をついたまま落ち込むシムを放置して、リディは樹の周りを囲むようにぐるりと薬を撒くと、当たりを見渡した。近くに落ちていた大きめの枝を何本か手にすると、鞄からマッチを取り出す。拾った枝を束にし、それにマッチで火をつけた。
「何をするんだ?」
「燃やすんだよ」
シムは顔を顰める。
「やめろ!こいつらも燃やす気か!?」
シムは叫び、火を持つリディの手を掴んだ。掴まれた腕が痛く、リディはシムを睨んだ。
「今は花粉を無効化する薬でどうにかなってるが、夜は正しい対処法を知ってる魔法使いでないと太刀打ちできない。燃やさないと、森を通れないままだぞ。それに、この樹は危険植物に指定されてる。見つけ次第燃やさないといけない」
「けど、こいつらは埋葬してやりたい」
リディの気迫に、シムの勢いは無くなった。
「馬鹿か。さっき見ただろ。触れるとすぐに崩れる。もう、埋葬できる死体ですらないんだ」
シムはデズモンドと呼んだ死体の方をしばらく見つめた後、リディの手を離した。リディは樹に火をつけた。小さな火はだんだんと大きくなり、あっという間に大木を包んだ。樹は悲鳴のような音を上げ、やがて燃え尽きた。リディが撒いた薬のおかげで他の植物に火が移ることはなかった。
シムは少し泣いているようだったが、リディは気づかないふりをしてやった。
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