第4話 王子と姉の思惑
書類の山にうんざりとして、ギルバートはため息をついた。たった数日の視察でこんなに仕事が溜まるとは。これだから田舎の視察は嫌なのだ。広大な土地を見て回るのは骨が折れる割りに、大した変化もない。ただ、そのような目立たない土地は、人知れず問題の種を撒くには都合が良いのも事実だ。
ギルバートは何度目かのため息をつきながら、今回は思わぬ収穫があっただけまだましだと自分に言い聞かせ、書類に投げやりにサインをした。そして、次の書類に取り掛かろうと、手を伸ばした時、扉がノックされた。
「ギルバート様、お連れいたしました」
「入ってくれ」
ギルバートは、伸ばした手を引っ込めながら言う。扉が開くと、その向こうには戸惑った様子のエマが立っていた。留置所へ送られるはずが、城の客室へ通された挙句、王子に呼び出されたのだから無理もない。
「そこに座れ」
ギルバートが手を軽く振ると、彼の正面に椅子が一脚現れた。エマはそれに腰掛ける。ギルバートは、エマを連れてきた従者に下がるよう合図した。従者は恭しく頭を下げ、扉を閉めた。
「昨夜はよく眠れたことだろう。馬車での移動も、魔法での移動も慣れぬ者には疲れるからな」
「ええ、素敵なお部屋をご用意いただき、ありがとうございました」
エマは緊張している様子ではあるが、しっかりとした口調で答えた。おっとりしているように見えて、意外と度胸のある娘だ。
「さて、先日の話の続きだが、空間魔法の他に家の各所で様々な術式が仕込まれていた。あと、家の近くにある温室は、君のもので間違いないか?」
「はい、私のものです」
「魔法薬やまじないの材料になる植物のほかに、いくつか魔法薬草も栽培されていたと聞いたが」
「ええ、間違いございません」
ギルバートが背もたれにもたれかかると、椅子が軋んだ。あまりにも淡々としている。大した罪にはならないとたかを括っているのだろうか。しかし、それならなぜ、妹の罪を被るよなマネをしたのか。ギルバートはじっとエマの目を見つめた。エマは視線を逸らす様子もなく、ギルバートを見つめ返している。やはり強力な魔法に護られているようで、エマの考えを読み取ることはできない。
エマは名門校を飛び級で卒業した才女だ。そのよく出来た頭で何かを企んでいるのだろう。その企みを少し見てみたいと考えたギルバートは、エマの茶番に付き合うことにした。
「ここまで思い切った違反は聞いたことがない。弁明があるなら聞こうか」
エマは小さく息を吸った。エメラルドのような目は真っ直ぐにギルバートを見据えていた。
「私の住むダラム地方は、農業を生業とする者が多く生活しております。それと同時に、魔力を持った動植物も多く生息しています。そのため住民たちは、常に魔法による被害を恐れています。慎ましやかな生活を送っている彼らは、被害に遭っても、国家資格を持つ魔法使いに仕事を依頼できません。魔法使いたちは、高額な対価を要求しますから」
エマは嫌味に微笑んだ。王族に対して、国の制度を批判するとは、大したものだ。
「そんな住民たちを相手に、安価に依頼を受けておりました。ほとんど儲けの出ない、経費で赤字になることもままある、慈善事業のようなものです。もちろん、それでは生活ができませんので、魔法薬やまじないの材料となる植物を栽培し、それを商人に卸すことで相応の対価を得ていました。弁明は以上です」
嘘はない。ただ、主語がエマではなくリディなだけだろう。エマはこの話で、恩赦されると考えたのだろう。それならやはり、リディを庇う必要などなかったはずだ。リディがここへ来て、同じ話をすればよかっただけなのに、なぜこんなにややこしいことをするのか。
「なるほど。事情は分かったが、違反は違反だ。君は裁判にかけられる」
「でしたら、グレゴリー・ドグナー氏に連絡をとりたいのですが」
エマは落ち着き払って言う。
「ドグナー?ドグナー判事か?」
ギルバートは、手元にあった適当な紙の上で小さく左手を動かした。紙上にドグナー判事の情報が浮かび上がった。それをざっと読んだが、エマとの接点は見当たらない。
「ええ。ドグナー氏にのみ、エマ・ルイーズが戻ったとお伝えいただきたいのです。決して、ドグナー氏以外には伝わらぬよう」
ドグナー判事は不正を働くような人物ではない。そして、何に対しても公正な判断を下す。そもそも、この件については、どんな判事であっても軽い罰金刑を下すだろう。この娘はドグナーに何を期待しているのか。話の全貌が見えてこず、ギルバートは面倒くさいと思い始めた。
「ドグナー判事と君がどのような関係かは知らないが、裁判になるのであれば彼に伝えよう」
エマは僅かに眉間にシワを寄せた。
「あの、私の聞き間違いでなければ、裁判にかけられると仰ったのは殿下かと」
「ああ。君が何を企んでいるのか気になって、少し茶番に付き合っただけだ。君は魔法取扱法の内容をよく知っているのだろう。魔法の不正使用での量刑は判事の裁量に依るところが大きい。他者に危害を加えたわけでもなく、それどころか人助けをしていたとなれば、大した罪にはならない。君はそう考えた。まあ、ドグナー判事であれば、確実にそうなるだろうな」
ギルバートは新たな書類を手に取ると、内容に目を通し始めた。どれも同じような内容だ。
「だが、君は一つ大切なことを見落としている。王族に対する不敬罪だ」
「失礼ながら、仰っている意味が分かりません」
ギルバートはペン先をインクに浸し、書類にサインをする。そして、ペンを机に置いた。そして、ギルバートはうんざりしたように頬杖をつく。
「私を侮っているのか、エマ・ルイーズ・フォレ。君に魔力がないことは分かりきっている。リディ・イヴ・フォレを庇っているのだろう」
「……」
「結論から言おう。君はリディ・イヴ・フォレをおびき寄せるための人質だ。しばらくは王立研究所に所属してもらう」
落ち着き払っていたエマは目を大きく見開いた。動揺を隠せていない。
「研究所に?」
「魔法研究所には、五つの薬草園と広大な植物園がある。君には、リディ・イヴ・フォレが来るまでそこで働いてもらう。王立学院では、植物学で近年では類を見ないほど優秀な成績を修めたと聞いている。リディ・イヴ・フォレがこちらの要求に応じるようであれば、君の罪も不問としよう」
「妹は、王都には来れません」
どういう意味かは分からないが、問いただそうとも思えなかった。山盛りの書類に、ややこしい話。もうたくさんだ。
「その時はその時だ」
ギルバートが埃を払うように小さく手を振ると、扉が開き、従者がエマを部屋から連れ出した。
「テオドア」
誰もいなくなった部屋で、ギルバートは呟いた。すると、すぐに背の高い男が目の前に現れる。
「お呼びでしょうか」
テオドアは恭しく頭を下げながら言った。
「双子のことを調べてくれ。あの娘には、強力な保護魔法がかけられていた」
「ギルバート様でも破れないとは」
テオドアは驚いたように言った。ギルバートはうんざりとして頭を掻いた。破ろうと思えば破れたかもしれないが、そんなに強力な魔法を使えば、魔力のないエマがどうなっていたことか。ギルバートは何も言う気になれず、頼んだとだけ言うと、テオドアは先ほどよりも深く頭を下げた。そして、すぐに姿を消した。
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