第5話 無性に跳び上がりたくなるときってあるだろう

 フロート市で保安官を務めるトビーは、詰所も用意されないからという理由で、普段は『龍追い人ドラゴン・チェイサー亭』という店にたむろしている。

 その『龍追い人ドラゴン・チェイサー亭』は、トビーの古馴染みの女店主デミルが様々に調合したベープ・リキッドを取りそろえる、ベープ・バーだ。そんな店を営むぐらいだから、デミルはおか龍爪草タツメグサ農家とも付き合いがある。

 そしてナラの家は、デミルと直接取引している農家のひとつであった。

「やあ、デミル。いらっしゃい」

 ナラに出迎えられて、デミルはくすんだ金髪の上に乗せたつば広の帽子を押さえながら、笑顔で応じた。

「そろそろ一番葉を摘み取り終えた頃だと思ってね。ひとりで大変だったろうけど、大丈夫かい」

「エムデバさんが助っ人を呼んでくれたから、なんとかなったよ」

「助っ人ねえ」

 その言葉を反芻しながら、デミルはナラの後ろに立つソリオとマッカーナを見比べた。デミルは両人とも面識がある。

 長身のソリオと小柄なマッカーナの差はあれど、共に麦藁帽子を被って首の後ろからタオルを引っ掛けて、オーバーオールの作業着に身を包んでいる。事情を知らなければ、ふたりともいっぱしの農家に見えるだろう。

「それっぽい格好してるけど、こいつらが本当に役に立った?」

「マッカーナには凄く助けられてるよ! ソリオの方は、まあいるだけまし・・って程度だけど」

 ナラの言葉を聞いてマッカーナは口角を上げ、勝ち誇ったようにソリオの顔を見上げた。ソリオには聞こえないふりをして惚けるぐらいしか出来ない。

「私はしばらくデミルと話があるから、ふたりとも選別続けといて!」

 ナラとデミルが連れ立って家屋の裏に向かうと、後に残されたのは大量の龍爪草タツメグサの葉の山と、再び作業のために腰を下ろすソリオとマッカーナ。

 そしてそれまで柵に凭れかかって、肩を震わせながらベープを吹かしていたトビーであった。

「タヴァネズから聞いたときは冗談かと思ったが、まさか本当に農場の下働きしていたとはなあ。なかなか似合っているじゃねえか」

 トビーは厳つい顔に、可笑しくて仕方ないといった愉悦を浮かべている。笑いを堪えきれず小刻みに揺れるベープ管を向けられて、ソリオは澄まし顔で隣のマッカーナに視線を投げかけた。

「おいおい、トビー。そんなにマッカーナのことを馬鹿にしてくれるな。彼だってここに飛ばされたのは、海よりも深い事情があるんだ」

「勝手に俺を巻き込むんじゃねえ!」

 突然ソリオから心のこもらない憐憫を差し向けられて、マッカーナが思わず怒鳴り返す。だがその間も作業する手が止まらない様を見て、トビーはベープ管を咥えながら感心してみせた。

「てめえの場合は、どうやら付け焼き刃ってわけじゃなさそうだな」

「偉そうに言うな。廃鉱をめちゃくちゃにしてくれた野郎ときく口はねえよ」

 そう言うとマッカーナは固く口を引き結び、選別作業に専念し始めた。その手捌きは素人の目にも、作業に慣れた者の手つきとわかる。とてもではないがソリオがかなうはずもない。

「それにしても、あんたが農園になんの用だい」

 農作業でマッカーナに勝つことなどとうに諦めたソリオは、のろのろと手を動かしながら、トビーに訪問の目的を尋ねた。

「デミルはいつも、この農園から龍爪草タツメグサの葉を仕入れてる。その量がかさばるから手伝えってな。奴の店を事務所代わりに使う、その駄賃みたいなもんだ」

「あの車でフロート市まで持ってくのか。結構な量を買い込むんだな」

 農場の柵の向こう、駐車スペース代わりの空き地には、荷台付の車が停車しているのが見える。トビーが常用しているカーキ色の年代物とは別だから、今日のために手配したものだろう。船便にはフェリーもあるから、荷を積んだ車ごと乗り込んで、そのままフロート市に運び込むことが出来るのだ。

「ここの龍爪草タツメグサは一枚残らずゲンプシーが買い上げるもんだと思ってたけど、直売することもあるんだな」

「直売以外にも、ゲンプシーが今ほど幅を効かす前は、ほかにも仲買はいたんだぜ。それを全部あいつが追い出して、一手に仕切るようになったのはほんの数年前さ」

 どうやって追い出したのかは聞かぬことにして、だからこそゲンプシーはエンデラの経済を牛耳ることが出来たというわけか。それにしてもほかの卸業者が残っていれば、ここらの農家も卸先をゲンプシーから乗り換えて、一時を凌ぐことも出来ただろうに。

 そもそも唯一の卸業者が密貿易専門とか、危なっかしいことこの上ない。密貿易などいつまで続くか、不安定に決まっている。ゲンプシーが最後に勝ち残ってしまった時点で、龍爪草タツメグサ農家が今の苦境に陥るのは必然なのだ。

「まあ追い出された連中も、ゲンプシーとどっこいの奴らばかりだがな。あいつらエンデラ中のあちこちで抗争が当たり前だったから、それに比べれば今は随分と落ち着いたもんだ」

 ソリオは頭の中で早速前言を撤回した。誰が勝ち残ろうと関係なかった。そもそもエンデラで農業を営もうという時点で、こうなることは目に見えていたということか。

「といっても今じゃエンデラ自体がこの先どうなることやら。いよいよこの星も先が暗いぜ」

「随分と悲観的なこと言うな。あんたらしくもない」

「金策であっちこっちに頭下げて回るタヴァネズを見てたら、そんな気分にもなる」

 自らの口から吐き出されたベープの煙の行方を目で追いながら、トビーの言い草はどことなく投げ遣りであった。

「まったく自治領なんぞになるもんじゃねえな。なんでもてめえで賄えって言われても、この星の連中がそんなこと考えるわけねえだろうに」

 この星の連中とやらに、果たして彼自身は含まれているのだろうか。自嘲とも皮肉ともつかないトビーの台詞は、しかしそれを聞いたソリオをふと考え込ませた。

「……そういえば、この星は自治領に格上げになったんだよな。畑仕事に追われてすっかり忘れてた」

「てめえは今さら、何言ってんだ」

 呆れかえるトビーを無視して、ソリオは黙々と作業中のマッカーナに目を向ける。

「おい。あんたんとこのボスは、まだローベンダール相手の伝手は残ってるのか?」

 唐突に話を振られたマッカーナは、赤鼻に皺を寄せて怪訝な顔を浮かべた。

「なんだ、やぶからぼうに」

「いいから教えろ。残ってるのか、いないのか」

 詰め寄るソリオの迫力に気圧されてマッカーナはたじろぎながらも、眉根を寄せて睨み返す。

「ローベンダールに伝手は残ってるだろうが、ブツを運ぶ手段がねえんだよ。そこのイカれた保安官のせいでな!」

「なんだあ。なんか文句あるのか、赤鼻野郎」

 マッカーナに指を差されて、トビーが額の火傷痕を引き攣らせながらガンを飛ばした。

「だいたい廃鉱がぶっ壊れたのは、元はといえばこいつが――」

「あばばばばば!」

 すかさずソリオは意味不明の声を上げて、ふたりの間に割って入る。睨み合い寸前だったトビーもマッカーナも、その奇矯ぶりに気勢を削がれて、揃って彼を見返した。

「この野郎、ついに暑さで頭がやられたか」

「いやいや、まあ、まあ。ふたりとも落ち着いて」

「落ち着くのはてめえだ」

 こんなところでトビーに余計なことを口にされては、元も子もない。せっかく閃いた妙案がパアになってしまうではないか!

「ちょっとね。無性に跳び上がりたくなるときってあるだろう?」

「あるわけねえだろ。迷惑な野郎だな」

 マッカーナに毒づかれても、ソリオは薄い笑みを返すのみ。その表情にマッカーナは気味悪そうに眉をひそめ、トビーはベープ管を咥えたまま白々とした目を向ける。

 ふたりがソリオを見る目は不審人物に向ける目つきそのものだったが、そんなことを気にかけている場合ではない。ソリオはそのまま腕を組んで、さらに考え込んだ。

「ただ、ここにいたまんまじゃ身動き取れないんだよなあ。なんか良い手は――」

「マッカーナ、ソリオ!」

 ソリオの思考を遮ったのは、家屋の陰から顔を出したナラが呼ぶ声であった。ナラはデミルと立ち並びながら、ふたりを手招きしている。

「デミルの車に一番葉を積み込むの、手伝って。結構量があるんだ」

「はいはい、畏まりましたよ。人使いが荒いな、まったく」

 無言で立ち上がるマッカーナに続き、ソリオがぼやきながら重い腰を上げる。が、その途中で彼の長身はぴたりと動きを止めた。

 腰に手を当てたまま静止してしまったソリオを見て、トビーが不審げな声をかける。

「何やってんだ、ソリオ。ぎっくり腰か」

 だが俯き加減の麦藁帽子の下に隠れたソリオの顔には、これ以上ないほくそ笑みが浮かんでいた。

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