第4話 そもそも肉体労働向きじゃない

 バララト本国の大都会で生まれ育ち、ここエンデラに赴任してまだ半年余りというソリオには、なにしろ慣れない畑仕事が続く。連日炎天下で作業を続けて、陽が沈む頃にはもうくたくただ。ソリオとマッカーナにはナラの家屋の離れが個室としてあてがわれているが、シャワーを浴びて夕飯を平らげた後は、ベッドで泥のように寝込む毎日である。

 その日も一日の仕事を終えた夕暮れ時、庭先のベンチでぐったり横になっていたソリオは、頭上にエムデバの呆れ顔があることに気がついた。

「どんな様子かと見に来たら、ナラから聞く以上にだらしねえ野郎だな。これぐらいで伸びて、情けねえ」

「そもそも俺は肉体労働向きじゃないんでね」

 身体を起こすのもひと苦労のソリオが、それでも減らず口を叩く様に、エムデバは嘲笑いながら彼の横に腰を下ろした。

「抜かしてんじゃねえよ。そんなこったからお前は、せっかくナラに迫られても、みすみすチャンスを逃すんだ」

 エムデバはいったい何を言い出すのか。ソリオには彼の言うことに思い当たる節がない。

「ナラが? 俺に? 怒鳴られた記憶しかないぜ」

「そりゃそうだろう。お前の寝室に夜這ってみたが、叩いてもつねってもちっとも起きやしないって嘆いてたからな」

 エムデバの言葉は、疲れ切っていたソリオに加えられた、さらなる一撃であった。

 ――この俺が女から迫られて、気づくこともなく爆睡し切っていたとは!――

 ナラは垢抜けてこそいないが、小麦色の肌に労働で鍛えられた引き締まった肢体と、魅力的な笑顔の持ち主だ。これまで数々の女性遍歴を重ねてきた彼であれば、据え膳をみすみす逃すことなど有り得ない相手なのである。

 だがこの農場で農作業に追われる日々では、ナラを口説くどころか注意を払う余裕すら持てなかった。まさか性欲よりも睡眠欲を優先させてしまうとは、ソリオにとっては一生の不覚としか言いようがない。

「この俺としたことが、なんてこった……」

「お前みたいにちょっとばかり面が良くても、農場ではものの役に立たねえって、ナラもよくわかっただろう」

 懐から取り出したベープ管を手にして、エムデバが愉悦たっぷりに笑う。ソリオには屈辱的なことこの上ない。

「お前に比べればあの赤鼻、あいつはちゃんと戦力になってる。さすが農家の出というのは伊達じゃねえ」

 エムデバの評価に、ソリオはぐうの音も出ない。

 実際、龍爪草タツメグサ畑に出たマッカーナは、ぶつぶつ文句を言いながらも着実に作業をこなしている。その手際の良さはナラも口を挟む必要がないほどで、必然的に彼女の小言はソリオばかりに向けられていた。

 このままではソリオは、マッカーナの良い引き立て役にしかなれそうにない。

「忘れてねえだろうな。ゲンプシーにはお前たちの働きぶりを伝えることになってるんだぜ。今のままならどっちが上か、言うまでもねえな」

 忘れるどころか、それこそがソリオには目下最大の関心事である。エムデバからの報告を受けてゲンプシーがどんな判断を下すかまでは不明だが、最悪の場合は一生農園で下働きという可能性も否定出来ない。

 不吉な予想を頭から追い出すように、ソリオは激しく顔を振り――気がつくと目の前にはゲンプシーの太い腕が差し出されていた。腕の先ではやはり太い親指と人差し指で、輪っかの形を作っている。

「……なんの真似だよ、爺さん」

「惚けんなよ。魚心あれば水心っていうだろう」

 報告内容を金銭で買えという、下品なジェスチャーだ。下心の間違いだろうという台詞を呑み込んで、ソリオはエムデバの顔に正面から向き直った。

「俺は借金を返し損ねて、ここに飛ばされてきたんだ。あんたに袖の下を渡す余裕はねえよ」

 ソリオの言葉に軽く舌打ちして、エムデバが腕を引っ込める。そしてベープ管を咥えた巨漢に向かって、ソリオはここぞとばかりに身を乗り出した。

「だがその代わり、おつむを働かせることにかけては、少しばかり自信があるんだ」

「おつむだあ?」

 自慢げにこめかみを叩くソリオを、エムデバは不信感たっぷりの目で見返した。

「ろくに畑仕事も出来ねえ野郎のおつむなんぞ、お呼びじゃねえな」

「そう言わずに聞いてくれよ」

 農作業そのものでは、とてもマッカーナにかなわない。ソリオとしてはここはなんとしても、それ以外の面でエムデバに認めさせる必要がある。

「ナラから聞いたぜ。ゲンプシーが龍爪草タツメグサの取引を縮小するせいで、ここの農家はカエンムギへの作物転換を強いられてるって」

 ナラはそのせいで農場を畳まざるを得ない。彼女ほどではないにしても、ほかの農家も多かれ少なかれ苦労していることだろう。

 案の定、エムデバも苦々しげな顔を浮かべている。

「だからなんだってんだよ。お前には関係ねえだろう」

「大ありさ。俺はこう見えても、この星の管理官なんだぜ。エンデラのあらゆる出来事、もちろん農園の行く末だって気にかけなきゃいけない」

 管理官という仕事の内容について、ソリオは嘘はついてない。ただし当人にやる気があるかどうかは、また別の話だ。そして今回は真に不本意ながら、本来乏しいやる気を捻り出す必要がある。

「その管理官様が、借金を返せず農場の下働きに出されたのか。世も末だな」

「まあ、そこは置いといて」

 まったくその通りなのだが、そこを突っ込まれると話が進まない。ソリオは無理矢理に話を戻す。

「実際のところどうなんだよ。龍爪草タツメグサからカエンムギに切り替えるってのは、そんなに簡単にいくもんなのか?」

「いくわけねえだろう」

 ソリオの質問に、エムデバは怒り混じりに答えた。

「ここらの農園は皆、龍爪草タツメグサ中心にやってきた。カエンムギを手がけてるのは、あれは土地を整える輪作用に手頃だからってだけだ。カエンムギ一本でやろうなんて奴はいねえ」

「やっぱりそうか」

 ナラはエムデバほどの大農場ならばと言っていたが、実態はさほど変わらないのだろう。エンデラの農家は大なり小なり、龍爪草タツメグサ栽培を軸に成り立っている。農業に疎いソリオでも想像がつく通り、農園全体が苦境に立たされているのだ。

 ということはこの苦境を乗り越えるアイデアを提供出来れば、ソリオにもマッカーナを逆転する目があるということだ。

「ゲンプシーの野郎もあっさり掌返しやがって。あの野郎がローベンダールとの密貿易で儲けられたのは、俺たちの龍爪草タツメグサがあってのことじゃねえか」

 ローベンダールはエンデラの本国バララトとは急速に関係悪化中の、独立惑星国家だ。バララトの植民惑星であったエンデラも、ローベンダールとの勝手な取引は禁じられてきた。そういう相手だからこそゲンプシーは密貿易の相手に選び、思惑通り儲けを積み上げてきたのである――半年前、トビーがその手段を徹底的に叩き壊すまでは。

「あのクソッタレな龍追い人ドラゴン・チェイサーが余計なことしてくれたお陰で、俺たちゃ大迷惑だ」

 トビーを憎々しげにこき下ろすエムデバには、その方法を教唆したのがソリオであるとは、口が裂けても言えない。間違って口を滑らせる前に話を逸らすべく、ソリオはとりあえずの思いつきを口にしてみる。

「カエンムギってのは量を確保出来ないとあんまり意味がないんだっけ。もっと農場を広げたりして、本格的に切り替えるつもりはないのか?」

「俺たちがこの星に入植して何年経つか、わかって言ってんのか。ここら辺りで使えそうな土地は、この三十年であらかた開拓し尽くしてるんだよ」

 エムデバの言うことはもっともである。ソリオに言われるまでもなく、さらに農場を広げられるものならとっくに広げているだろう。何より――

「第一、広げようにも金も人手も足りねえ」

 一番の理由はそれだろう。

「そうは言ってもこのままじゃ袋小路だろう。事情が事情なんだから、ゲンプシーに言えば金も人手も貸してくれるんじゃないか」

「借金でカタに嵌められた奴が言っても、説得力ゼロだな」

 馬鹿にしきった目のエムデバにそう言い放たれて、ソリオは完全に反論を封じられてしまった。ほかに手がないかと赤毛頭を掻くソリオが、再び口を開くまで待つことなく、エムデバの巨躯が立ち上がる。

「自慢のおつむも当てにならねえとわかったか。無駄に足掻く暇があったら、赤鼻の爪の垢でも煎じて飲んでろ」

 がははと耳障りな笑い声と共に、エムデバの大きな背中が立ち去っていく。

 だがこの程度で悄然とするほど、ソリオは殊勝な男ではなかった。マッカーナの爪の垢を恵んでもらうつもりも、途方に暮れるつもりも毛頭ない。疲労と筋肉痛に悩まされ続ける日々は、如何せん性に合わない。

 なんとしてでもこの農園から脱出する――野良仕事で汗に塗れながら、ソリオがその方法を模索する日々に転機が訪れたのは、それから数日後のことである。

「まさかと思ったが、ざまあねえなあ、ソリオ」

 摘み取った葉の選別作業に取りかかっていたソリオの、頭の上から聞き慣れた声がする。

 もしやと思って顔を上げるとそこには思った通り、龍追い人ドラゴン・チェイサーことトビーの極悪な人相があった。

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