第14話 ファーストライブ 現地参戦

 扉をくぐった私は、国立競技場のある街に降り立っていた。


 雑踏の中で、息を吸って、吐く。

 この街にセイラたんがいるというだけで、空気すら美味しい。


 ずっとディスプレイ越しに眺めていただけだった街に自分がいるというのは何だか不思議な気分だ。


 歩いていると、おかみさんの商会が経営する店の前を通りかかった。

 店先に並ぶセイラたんのCDとライブグッズを目にして、不覚にも目頭が熱くなる。


 ついに、ついにここまで。

 ここまで来たのだ。

 ライブが始まる前にすでに感極まりながら、グッズを一通り購入した。


 身に付けたものはこちらに持ってこられたので、軍資金は潤沢だ。チケットもちゃんと持っている。

 お金とチケットさえあれば大体何とかなる。最悪お金も何とかなる。

 チケットだけは何ともならない。チケットは女神の間を出る前に五億回くらい確認した。


 ローブを脱いで、シャツの上からTシャツを羽織る。

 フリーサイズなので少々大きいが、これぞライブT、という感じだ。


 タオルを首から掛けて、リストバンドで留める。

 髪を束ねて紐でまとめると、だんだんライブへの実感が湧いてきて、胸が高鳴った。

 あとはペットボトルのミネラルウォーターと、チケットとお金とコインロッカーの鍵だけ入れたサコッシュなんかがあると、いよいよ完全武装なのだけれど。


 装備も整えたところで、いよいよ会場に向かう。

 国立競技場に近づくにつれ、だんだんと人が多くなってきた。道に屋台も出ていたりしてちょっとしたお祭り騒ぎだ。


 いかにもライブという雰囲気に、わくわくが高まっていく。

 張り出されたセイラたんのポスターやのぼりも目に付いた。ああ、スマホがあったら絶対にのぼりの前で写真を撮ったのに。


 違うのは、会場付近にダフ屋がいないところだろうか。

 目を光らせまくっていたおかげで、とりあえず今回のところはチケットが転売されるという事態には陥らずに済んだようだ。

 これからも転売ヤーの撲滅には死力を尽くそうと誓う。


 私は戦う。欲しい人が欲しいチケットを、正規の値段で手に入れられる世の中にするために。


 時間は少し早かったが、入場待ちの列に並ぶことにした。

 見渡すと、予想より多くの人がTシャツだったり、タオルだったりのグッズを身に付けていた。

 おかみさんから思ったより売れていると聞いていたが、やっぱりこうして目の当たりにすると「作ってよかったなぁ」と思う。


 周囲の声に耳を澄ましてみると、当たり前だが皆セイラたんの話をしていた。

 新曲を褒める声、ライブへの興奮を語る声、セトリを予想する声、どれだけ古参か自慢してマウントを取る声。

 皆がセイラたんについて話しているのが、誇らしくもあり、くすぐったくもあり。

 いや、でも最後のは余分かな。どこにでも似たような奴がいるものだ。


 ふと、聞き覚えのある声が耳に飛び込んできた。

 人だかりに紛れて見えないが、この胡散臭くも景気の良い声は、風来坊に違いない。


 会場内でライブグッズを売るという作戦は大当たりだったようで、Tシャツやタオルを抱えた人がどんどん人だかりから出て来る。

 そうしてライブグッズを身に付けた人が増えれば、それを見て「自分も買っておこうかな」と思う人も増える。さすが、抜け目がない。


 すでにフル装備の私は追加でグッズを購入する必要はないので、チケットに書かれた番号の席へと向かった。


 私が自分のために用意したのは、2階席の後方だ。


 もちろん自分で用意するのだから、センターゼロズレの最前だって確保できた。

 しかし私は製作総指揮。いわば関係者。最前でペンラをぶん回す関係者なんて見たことがない。

 もしいたりしたらSNSでボロクソに叩かれる。


 あとセイラたんにばれたら何となく気まずい。

 いや、女神の服装ではないし気づかれない可能性もあるが、万が一気づかれたら女神のイメージがガラガラガッシャーンである。

 認知はされたい。ファンサも欲しい。でも推しにハッスルしている姿を見られたくない。この微妙なファン心である。


 この世界の音響や照明がどの程度のものなのか。そしてセイラたんを見守るファンの反応。

 それらを身をもって味わってみたかった。

 ここは後方腕組彼氏面地蔵観戦と洒落こもう。キャパが狭いので、2階席でも肉眼で余裕だ。


 席に座って、ステージを見下ろす。


 ウソ、思ったより近い。やばい。こんなのほぼ最前じゃん。


 ドキドキと耳の奥で鼓動が響く。会場内にはすでにセイラたんの曲が流れていた。

 思わず身体がリズムに乗ってうずうずと動いてしまう。周りの客も音楽に合わせて曲を口ずさんだり、合いの手を入れたりしていた。

 分かる。やるよね。


 見渡す範囲では、何人かが物珍しそうに入り口で配られたペンライトを手に取っていた。

 近くに控えていたスタッフがペンライトを取り出すと、観客が手にしているペンライトが一斉に灯る。

 おおっとあちこちで感嘆の声が上がる。


 歌やコールに、見よう見まねでペンライトを振る人が加わった。

 眼前に広がる光景に、心臓のあたりからざわざわと何かが沸き起こるのを感じた。


 ああ、そうだ。

 これだ。

 私が愛してやまなかった「ライブ」が、そこにあった。


 どうしよう。それだけでまた、泣きそうだ。


 ふっと会場の電気が消える。

 その時、視界一杯に広がったのは……ペンライトの海だった。


 色とりどりのペンライト。

 その輝きがまるで海のように、波のように、私の目の前を満たしていく。


 このペンライトは、ただの光ではない。


 ひとつひとつ、誰かが手に持っている応援の光だ。

 セイラたんを応援する、誰かの気持ちだ。


 言いようのない気持ちが胸に湧き上がる。

 狭い会場だ。

 キャパは2000人くらい。ドームよりも、横浜よりも代々木よりも、はるかに狭い。


 だが、今日この日のために、これだけの人が集まった。

 皆、セイラたんを応援するためにここにいる。

 彼女の歌を聞くために、パフォーマンスを見るために、ここにいる。


 ライブというものに対して抱いていた郷愁が、再び私に襲いかかる。


 私はこれが、この場所が、好きだった。

 自分が一人ではないと、そう思えるこの場所が。


 そして、ペンライトの海の向こう、スポットライトの空の果て。

 輝くステージが、セイラたんを待っている。


 今日はきっと、素晴らしい日になる。セイラたんにとっても……私にとっても。

 絶対にそうだ。私が決めた。今、決めた。


 気づくと、涙が頬を伝っていた。


「あの、大丈夫ですか?」


 隣のオタクが声をかけてくれた。私は涙で歪んだ視界で、答える。


「す、すみません……ずっとセイラたんのこと応援してて……ずっと、ずっとライブに来たくて……それがこんな大きな会場で……そう思ったら、何だかもう……感極まってしまって……」


 嗚咽交じりの私の言葉に、隣のオタクが頷いた。


「いいですよね、セイラてゃ」

「いい……」


 そこに、言葉は不要だった。


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