第9話 転生女神と露天商の風来坊

「ますか……聞こえますか……」

「あ、あんたは……?」

「私は安定収入の女神です」

「安定収入の女神」


 女神値がカンストするほどのポージングを決めながら、私は真っ白な世界に現れた。


 目の前には、例の風来坊が片膝を立てて座っている。

 正面から見ても年の頃ははっきり分からない。30代にも見えるし、50代にも見える。

 黒い髪に黒い瞳、今まで見てきた異世界人の中では、一番日本人に近い見た目だった。


 体型も少々がっちりめの中年といった風情で、取り立てて特徴はない。

 肩にひっかけた茶色のコートにシャツとズボン、目深にかぶったハンチング。

 衣服は庶民が着るものにしては仕立てが良さそうだが、それが逆に胡散臭さを引き立てている。


「あなたの軽妙な語り口……非常に素晴らしい。女神感激です」

「はぁ。そりゃどうも」

「その人を惹きつける言葉選びはもはや特殊技能です。それを世のため人のため、ひいては人類のさらなる発展のために使わない手はありません。そこでいかがでしょう? 私の目的に協力しませんか?」

「……あいにくですけど。あっしはそういう高い志やらなんやらとは無縁な風来坊。やりたいことをやって、やりたくないことはやらない。そういう性分なんでさぁ。誰かに言われて何かやるってのは、どうも性に合わなくてね」


 肩を竦める風来坊。


 乗ってこないのは想定内だ。というかここまで誰もあっさり私の話に乗って来たためしがない。

 女神、どれだけ信仰がないのだろう。

 胡散臭いのは承知の上だが、この胡散臭さの権化のような風来坊にもそう思われたらしいことはいささか不満である。


 へらへらした様子を崩さずにこちらを見る風来坊に、私は次の矢を放つ。


「あなた……奥様に逃げられていますね」

「……何故それを」

「女神は何でもお見通しです。女神ですから」

「あぁ、そうかい」


 飄々とした様子だった風来坊の雰囲気が、ぶっきらぼうなものに変わった。

 ここが付け入る隙だと見定め、私は畳みかける。


 一拍置いて、高らかに宣言した。


「ショートコント、『我が子』!」

「ショートコント!?」


 女神が目の前に現れた時よりも驚いたような声を上げた風来坊を無視し、一礼してから、ドアを開けるようなアクションをしてショートコントを開始する。


「『ただいまー』『あら、ヒューゴ。お帰りなさい』」


 ぴくりと風来坊の眉が動いた。どうやら私の意図に気づいたらしい。

 このショートコントの登場人物は二人。

 母親と、「ヒューゴ」という名前の少年だ。


「『ねぇ、母さん』『なぁに?』『何でうち、お父さんいないの?』」


 声色を使い分けて、左右に身体を振りながら一人二役をこなす。

 女神の間で練習してから挑んだので、台詞はばっちり頭に入っていた。


「『ヒューゴ……あなた、学校で何か言われたの?』『……』『……あなたのお父さんはね』」


 風来坊は、黙って私の様子を見ている。私はたっぷり間をあけて、オチの台詞を口にした。


「『もう、倒産とうさんしたの』」

「………………」


 ドン滑りした。

 いや、いいんだよ。最初っからウケるつもりはなかったし。

 でもわざととはいえ、この空気は何というか非常に、いたたまれない。私に漫才師適性はないらしかった。


「あんた、ほんとに女神?」


 滑るだけには飽き足らず、終いには身分を怪しまれた。

 もうショートコントは二度とやらない。絶対にだ。今決めた。


「女神でなければ、あなたの息子さんの名前なんて知る由もないと思いますけれど」

「それか単なるあっしの夢か、ってとこだろうよ」

「だとしたら、あなたは夢に見るくらい心残りに思っている、ということですね」


 私の言葉に、風来坊は押し黙る。

 図星を突かれて黙るとは、あの丁々発止を繰り広げていた男と同一人物とは思えない。ずいぶんとお可愛らしいことだ。


「私が持ってきたお話は、何もタダで協力しろというものではありません。何故なら私は安定収入の女神ですから。あなたに安定した収入をお約束する代わりに、その力を貸してほしいのです。いわば取引です。女神と対等の取引が出来る機会なんて、そうそうありませんよ」

「安定した収入ったって、どうやって」

「印税です」

「い、いんぜい?」


 この世界には「印税」の概念はあまり普及していない。

 本だってやっと庶民の手に届くようになったばかりだ、整備が進んでいなくても無理はない。


「私の提示する曲に、詞を作っていただきたいのです。そうすれば、最初にお支払いする作詞料とは別に、その曲を入れたこの魔法CDが売れるごとに、あなたに使用料をお支払いします。それが『印税』です」


 袂から取り出した魔法CDを見せ、魔力を流して曲を再生する。


 出来立てほやほや、私とセイラたん――と飲んだくれ――の血と汗の結晶、セイラたんのデビュー曲「Say,らーぶ?」だ。改めて聞いても良い曲だ。

 苦労の日々が走馬灯のように脳裏を過ぎり、明るい曲調なのにうっかり泣きそうになってしまう。


 CDの生産に関わった者以外では、この男が一番初めにセイラたんのデビュー曲を耳にしたことになる。

 歴史的瞬間に立ち会えたことに感謝して咽び泣いてもらってもいいんですよ。


「毎月売り上げに応じた印税があなたに入るでしょう。商人ギルドにピンはねされることもなく……未来永劫……あなただけに」

「未来、永劫……」

「安定した収入があれば、仕送りが出来ますね。あなたは大手を振ってご家族に会いに行けるようになりますよ」


 女神然とした所作でゆっくりと両手を広げて見せた私を、風来坊がじっと見つめていた。

 そしてくつくつと笑ったかと思うと、つまらないものを見るような視線を私に向けた。


「なるほどなぁ。そうやって、人間を唆してきたわけだ」


 私は女神らしく澄ました顔でその言葉を受け流す。

 図星を突かれた程度で狼狽えるような、お可愛らしい精神はしていなかった。


「おあいにく様。人間が皆、自分の子どもがかわいいと思ったら大間違いですぜ。あっしはそう言うしがらみとはきれいさっぱり縁を切って、この身ひとつで生きていくと決めてるんです。帰るところのいらない根無し草なんでさぁ」


 風来坊はわざとらしくやれやれとため息をついて、首を振る。そしてふんと鼻で笑った。

 見る者をイラつかせるのに十分な、馬鹿にしたような仕草だった。

 人心掌握を得意とするこの男が、それをわざとやっていないはずがない。


「それっぽっちの情に絆されるようじゃ、やっていけません」

「そうですか。それは残念です」


 本当に残念だ。

 こちらは女神である。そのぐらいのことすら……家族を盾に揺すった程度で彼が靡かないことすら、想定していないと思われたなんて。

 ちょっと舐め過ぎじゃないだろうか。女神ぞ? 我、女神ぞ?


 彼の記録を漁っていて、とんでもないひねくれ者であることは調査済みだ。

 本人すらも知らないことまで、微に入り細を穿ち調べつくして、ここに挑んでいる。


 想定しているに決まっている。次の手を準備しているに、決まっているのだ。


「あまりに予想通りの答えですね。これには女神もがっかりです」

「何?」


 風来坊が顔からにやにや笑いを消し去った。

 睨むような視線を受け止めて、私は腕を組んで片手を顎に当て、悩むようなポーズを取って見せる。


「あなたならよもやと思ったのですが。期待外れでした。結局人の身では神を出し抜くことなど出来ないということでしょうか」


 ゆるゆると首を振る。そして、ふんと鼻を鳴らして見せた。先ほどの風来坊の仕草の、焼き直しのように。

 いかにも「あなたを馬鹿にしていますよ」というポーズだ。


「あなたの『その身ひとつ』の知識と技術とやらでは、私を驚かせることは出来ないようです」


 肩を竦めて、ため息をつく。

 自分がやったことをやり返されると、イライラも倍増することだろう。自分がされて嫌なことは、他人にもしてはいけない。常識だ。


「悲しいことです。どれほど鍛えられた技を持ってしても、どれほど人の興味を引くことが得意な人間でも、どれほど相手の裏をかくことに長けた人間でも……結局神にとってみれば皆同じ。普遍的で、取り立てて変わったところのない、杓子定規で紋切り型の有象無象。退屈で欠伸が出ちゃいますね」

「そんな安い挑発に、あっしが乗るとでも?」

「いいえ?」


 不敵に笑って見せる風来坊の言葉を、私はあっさりと否定する。

 彼が目を見開いた。


「乗らないんでしょう? 私の予想通り」

「……あ――――」


 私はアルカイックスマイルではなく、にっこりと満面の笑顔で応じた。

 上がっていた彼の口角が、ひくりと引き攣った。


「なるほど、なるほど」


 自分に言い聞かせるように繰り返した後、彼はどこか感心したように言う。


「あんた、めちゃくちゃ腹立つな」

「それも予想通りです」

「ああ、そうかい」


 がしがしと頭を掻いていた風来坊が、再び顔を上げた。

 そして両手を軽く上げて、「降参」のポーズを取る。


「じゃ、仕事で度肝を抜いてやるとしますかね」


 悔しそうな色を滲ませながらも、にやりと口角を上げて、不敵に言う。前任の女神を思い出した。

 そういえば、彼女も負けず嫌いで……食えない性格をしていた。


「楽しみにしていますよ。女神は娯楽に飢えていますから」

「言ってな。吠え面かいても知らねぇぞ」


 その言葉に、私もにやりと笑った。

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