第8話 男は度胸、女も度胸。明日やろうは馬鹿野郎。

 半信半疑といった顔で魔法使いの工房を訪れて「『女神のお告げを聞いた』んだけど……」というおかみさんと、これまた半信半疑といった顔でそれを迎えた無精ひげの目が見る見るうちに丸くなっていったのは、何とも愉快だった。


 一応来客があるはずだと伝えていたからか、無精ひげは無精ひげを剃っていた。

 自らアイデンティティを失ってどうする。何と呼べばよいのか分からなくなるじゃないか。


 便宜上、変わらず無精ひげと呼ぶことにする。

 よれよれの白衣や猫背は変わらないので、精神には無精ひげが生えていることだろう。本質は変わっていない。


 一日の生産数や原料のコストカット、不良品の比率など商売人ならではの視点で話を始めたおかみさんに、無精ひげはたじたじといった様子だった。

 ついでに部屋が汚いことを叱られ、次いで不摂生な生活も叱られていた。


 だが仕事は十分おかみさんのお眼鏡に適ったらしく、無事に原材料の供給と完成したCDの販売を取り付けることが出来た。

 セイラたんと無精ひげ、飲んだくれ3人分の給料さえ確保できれば細かいことに口出しするつもりもなかったので、こちらはおかみさんに任せておけば問題ないだろう。


 セイラたんの歌は飲んだくれの指導の下、素晴らしい成長を遂げていた。

 もともと運動神経がよかったのか、ダンスもばっちりだ。


 飲んだくれは作曲とボイトレを楽しんでいるらしく、以前のように飲んだくれている様子を見ることはなくなった。

 飲んだくれた状態でセイラたんのレッスンを担当されると情操教育に良くない気がするのでありがたいけれど、何と呼んだらよいのか分からなくなるので特徴を無くすのはやめてもらいたい。


 まぁ、便宜上飲んだくれと呼び続けよう。もともとだいぶ自己陶酔しているので、常に酔っているようなものだろう。


 曲とダンスが出来た。CDも出来た。販路も確保した。

 あと必要なのは、曲に乗せる歌詞だ。


 セイラたん本人に作詞をさせてみたが、非常に難航した。

 それまでやったことのないことを急にやれというのだから、当たり前である。

 私は彼女の夢に日参し、彼女と一緒に必死で歌詞を考えた。


 決して職権濫用ではない。

 セイラたんの健やかな生活を守るため、そしてデビュー曲をよりよいものにするため、必要に駆られて行っているだけで、そこに私情は挟んでいない。

 ええ、挟んでいませんとも。


「こんばんは、あなたの女神です」

「女神様! お待ちしてました!」


 両手を組んで祈るようなポーズで私を待っていたセイラたんが、にっこり笑って私を迎えてくれた。

 それだけで疲労がすべて雲散霧消する。やはり推しは健康に良い。

 今はまだ癌には効かないがいずれ効くようになる。


 毎晩現れるうち、セイラたんは眠る前に両手を組んで祈りをささげるようなポーズを取るようになっていた。

 そして「今日もよろしくお願いします、女神様」とか呟いて眠りに落ちるのだ。


 えぇ……なにこのいじらしさ……天然記念物じゃん……こちらが拝みたいくらいなんだけど……今日も推しが神々しい。

 女神よりも。


「やっとCメロまで辿り着きましたね!」

「そうですね、あと一息です」

「ええと、ここのメロディは……」


 セイラたんがおたまじゃくしの読めない私のために、飲んだくれの書いた曲を鼻歌で歌ってくれる。


 さやさやと花びらを纏った春風のような声だ。

 新緑の季節を駆ける透き通った清流のせせらぎのような声だ。

 聞くだけで血液がさらさらになって血圧が正常になるような、そんな声だ。


「てぇてぇ……」

「え? 何ですか?」

「いいえ、何でも」


 思わず感嘆の声が漏れたところ、セイラたんにも聞こえてしまったらしい。

 だがさすがはアイドル勇者、都合のよいときに耳が遠くなるスキルをすでに修得しているようだった。


 2人で膝を突き合わせて作詞をするのは私にとってはご褒美以外の何物でもないのだが、やはりセイラたんには負担だろう。

 昼間も眠そうに欠伸をしている様子を見かけるようになった。


 身体は眠っていても精神は覚醒状態にあって、しかも頭を捻ってうんうん考え事をしているのだ。

 疲労が溜まって当然である。


 やっとCメロまで辿り着いたが、ここまでの進捗も亀の歩みだった。

 新曲を作るたびにこんなことを続けていたら、セイラたんが参ってしまう。


 飲んだくれは筆が乗りに乗っているらしくガンガン新曲を送りつけてくるし――しかもどれもメロディラインがこちらの性癖にドンピシャなので非常に悔しい。才能というのはこういうものをいうのだ――さっさと作詞家を見つけてこなければ。


 ボイトレをするセイラたんと2窓で街の風景を流しながら、異世界住基ネットを調べていく。


 吟遊詩人の書く歌詞は、アイドルソングには叙情的過ぎる。

 飲んだくれの吟遊詩人が売れていない理由はその辺りにもあるのだろう。

 曲調と歌詞がミスマッチ過ぎるのだ。


 文学としての詩に明るい者もいくらか当たってみたが、やはり歌詞となると少々勝手が異なるようでピンと来ない。

 いろいろと見比べた限りでは、オペラの歌詞が一番マシに思えるが……こちらはこちらで物語性が強い。


 恋の歌はだいたい悲恋だし、喜劇とあっても正直私のように学のないものには理解しがたい面白みだ。

 一般ウケと曲調を鑑みると、いきなりそちらに舵を切るのはややリスキーに思える。


 外注したいのに、どこから当たれば適任を見つけられるのか、これ以上私には策がなかった。

 手詰まりである。


 打つ手を考えながら、セイラたんのボイトレの様子をぼんやり眺める。

 今日も今日とて推しが世界で一番可愛い。ボイトレの声もオオルリのさえずりのようだ。

 聞いているだけで悩み事など吹き飛んでしまう。吹き飛んじゃまずいものまで吹き飛んでしまう。


 もっとよく聞きたくなってスピーカーを操作したところ、2窓していた街の音量が上がってしまった。

 ざわめきと共に、男の声が聞こえて来る。


「さァさ、寄ってらっしゃい見てらっしゃい! 嬢ちゃん兄ちゃんおっかさんにおとっつぁん。見ていかないと損するよ! たかが露店と侮ってんじゃ、てんでダメダメ減点だ。大店だってこれが原点、扱ってんのは一級品! 老若男女、猫も杓子もこれ見りゃ嫌でもワンダフルってなもんよ!」


 軽妙な語り口に、自然と視線が向いた。

 街行く人も足を止めてその男に見入っている。


 声の主は露天商のようだった。地面に広げた布の上に品物を並べて座り込んでいる。

 帽子を目深にかぶっているので人相はよく分からないが、小柄だががっしりした体つきの、年齢不詳の男だ。


 服装は何というか、我々日本人に馴染み深い言葉で言うなら、風来坊と言った容貌だ。

 妙によく通る声とテンポよく流れ出る宣伝文句に、胡散臭いと思いながらも不思議と聞き入ってしまう。


「さて今日あっしが持ってきたのはコレ、高貴な方々にも人気の香油! 香りが良いのは当たり前、それより何より、ご婦人方にお勧めしたいのは美肌効果。朝飯前に使っただけでお肌がつやつや、ぴっかぴか。こいつを使った娘さんたらもう、ぱっとお肌が明るくなっちゃって! お肌が明るくなるとどうなるかってぇとぱっとお顔も明るくなっちゃうんだな。そんでもって性格まで明るくなっちゃって、あれよあれよと言ってる間に、お貴族様に見初められちゃったってんだから大したもんだ。玉のお肌で玉の輿、って、出来過ぎだけどね、これほんとの話よ」


 いつの間にか出来ていた人だかりから、くすくすと笑い声が聞こえた。

 胡散臭さを逆手にとって笑いを取りながら、警戒している人の心を解いていく。


 そして聴衆から一人の女性を呼び出すと、その女性の手の甲に香油を垂らして見せてその効果を語っている。

 新たなウィンドウを立ち上げて、異世界住基ネットを当たる。

 なるほど、あの女性はサクラだな。仕込みは上々というわけだ。


 男が値段を言った途端にどよめきが起こる。

 非常にお手頃価格だった。偽物でもいいか、と思う程度の絶妙な価格設定。

 へらへらしているがかなりの手腕だ。


「びっくりするよな値段だが、あっしも男。いっぺん言ったからには二言はない! さぁさぁ皆さん、四の五の言わずに買っちゃいな! これで売れなきゃあっしは文無しロクデナシ。ほらほら見て下さいよこのお肌。ななんと、ハッとするよな効果でしょう? 苦しいけれども十分お勉強させてもらいましたとも! さぁさぁ並んだ並んだ! 早い者勝ちだよ!」


 群がる人々の頭越しに男を眺めながら、私はふむと顎に手を当てた。

 あの風来坊の情報と、その胡散臭い笑顔を見比べる。


 少々手札が弱い気もするが……男は度胸、女も度胸。明日やろうは馬鹿野郎。

 元々失敗したからと言って失う物もないのだ。

 頭の中で情報を組み合わせながら、私は次のターゲットを風来坊に定めた。

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