第三話  〜覚悟〜


「私は記憶を取り戻す事を諦めない」


凛と二人の目を見て告げる。

シャルはほんの少し目を見開いて彼女を見ていた。

レンは、ただ黙ってリナの次の言葉を待っている。


「勿論、旅も続ける。村に戻る気はさらさら無い」


発した言葉に、シャルは顔を歪める。

それはそうだろう、この選択は村へ連れ戻したいシャルにとって一番望まない物だろうから。


「…どうして」


細やかに絞り出された頼りない疑問。

シャルからしてみれば認めたくないリナの決断、それが良く込められた『どうして』だった。


「どうして、そんな茨の道に進もうとするの…?リナ、君が思うより外の世界は危険で満ち溢れてる。魔物も強く太刀打ち出来ない存在がこの世には沢山いる。魔物だけじゃない、人間だって危険な奴が存在する…!現に君は弱い者を苛め、その者から至福を得ようとする下衆野郎を見たばかりだろ…!」


落ち着いたさっきまでの雰囲気を一変させ、シャルは語尾を荒げ、しかし苦しそうにリナを説得させようとする。

そんなシャルにリナが何か発しようとした時、レンが手で制す。

リナを、シャルを、両方を。


「リナ、その道を進む覚悟が、お前にはあるんだろ?…なら、まずそれを聞かせてくれ。シャルもそれで良いよな」


問いかけではなく命令のようにも感じる声色でレンはシャルに言った。

実際にシャルはその言葉に従うように、口を引き結び、目を閉じ己を落ち着かせようとする。

次に、目を向けられるのはリナ。

それこそ《覚悟》を聞くためだろう。

彼女もシャルと同じ様に一度目を閉じた。自分の考えをまとめる為に、リナ自身の《覚悟》を知ってもらう為に。


「…私はさっき、小さい男の子を助ける為に柄の悪い輩に突っかかった。自分の心配なんてして無かった。二人はそんな私を咎めた、危ないからと。他にも手はあった筈だろうと」


二人は訝しげにリナの話を聞く。

突然ぶり返される先程の会話に疑問を感じたのだろう、しかし二人共止めることなく続きを聞くため黙る。リナはそんな二人を見て、微笑む。


「その心配に私は普通に嬉しく思ったよ、見ず知らずの人間にここまで心配してもらえてるのか…と、しかし、それはあくまで《私》だけの気持ちだ。…そこには《リナ》の気持ちもあるべき筈なのに、いやむしろ君等の前にいるはずなのは本来リナなんだろう」


目を伏せ告げるリナの姿が二人にはどう映るのか。

寂しそうに見えるのか、悲しんでいるように見えるのか。


「二人に出会ってから、私の中に《リナ》がいるんだと強く実感させられた。記憶が無くても心が、君等二人を覚えているから、十年…会えなかった幼馴染に、久し振りに会えたことに心が喜んでいるんだ」


胸元に手を置き、己の心に問いかける。


「そして…さっきの話の小さな男の子の話に戻るが、確かに二人のようにもっと安全な策も考えればあったんだろう。しかしあの時の私は、殆ど衝動的に助けないと、と思ったんだ。確かに見過ごせなかったという私自身の正義感もあるが、一瞬、私の頭の中に何かが過ぎったんだ」


大の大人の男達に囲まれた男の子を見て、ぼんやりと過ぎった《何か》

その既視感のような《何か》を彼女は思い出せない。だけど確かにあの時、あの瞬間リナが彼女の中で叫んだのだろう。

記憶が無くとも、心が覚えてるから。

思い出さなくても、取り戻さなくても何不自由なく暮らせる。むしろこの先記憶にこだわることでリナに何かしらの問題が直面するかもしれない。

再び記憶を失い、今の《自分》も無くなるかもしれない。デメリットだらけの行動。


ーーーしかし。


「寂しくないか?」


色々考えて、考えて、考えて。

思ったのはそんな単純で複雑で面倒な感情。

リナの脈絡も無いその言葉にレンもシャルも首を傾げ困惑した表情を浮かべてる。


ーーー見なくても分かってしまう。

肌で感じるその空気。

出会ったばかりの二人の事。

リナの心が、知らない《何か》が騒いでいる感覚。

唯一蚊帳の外なのは他でもないリナ自身。

当事者な筈なのに、蚊帳の外。

今、彼女が感じてるこの感情はーーー怒りだ。


「私自身のことなんだ。他の何者でもない私自身の。なのに、その私が何も分からない、何も知らない、置いてけぼりなまま。」


俯いていた顔を上げ目に映る二人を見つめる。


「記憶が無いのが不思議と思って何が可笑しい、知らない何かを知ろうとするのは悪い事なのか、その先にある苦しみや悲しみを味わうのは他でもない私自身なのに。ーーーこの場にいる誰よりも私が《私》を知らない、それが酷く苦しくて、寂しい」


目の前が少しぼやける。

目頭が微かに熱くなる。

目尻から雫が溢れてる。

気が付くとリナはそうなっていた。

これは、《私》の感情だ。

リナ自身が寂しくて、苦しくて、怒ってるんだ。

手の甲でその雫を拭う。

次に彼等の前にいる彼女はどう映るのか、そんなの彼等にしか分からない。

…が、リナとしては凛とした、強く格好いい風に映れたらと思う。

彼等の記憶の中にある《リナ》よりも綺麗に映れたらと、彼等の記憶により強く残る事が出来たらと。

そんな下らない事を思ってしまうくらい、今のリナはぐちゃぐちゃで上手く考えをまとめようにもまとめきれず、彼女はこの二人に出会ってたから微かに感じていた疑問をついに述べる。


「君等の目に《私》は映っているか?」


レンも、シャルも、固まった。

リナの問いの意味が分からない…という訳でも無いだろう。リナが分かっているのだから、きっと彼等も薄々感じていた筈だ。


「お前達が私を《リナ》として見ている限り私は記憶を求め続けるよ。私の中の《リナ》を探し出して見つけてみせる。たとえその先にどんな絶望が待ってても、絶対に記憶を取り戻して、そして、《私》は君達と笑って沢山思い出話でもして離れていた十年を埋めて行きたい。これが私の覚悟だ。…これでもまだ止めようとするなら、お前達二人は金輪際、私を《リナ》として扱わないでくれ。楽しかったのかもしれない過去の思い出も何もかも断ち切って、ただのリナ・アルフィリアとして私に接してくれ。我儘だろうが何だろうが、関係無い」


ジッと二人を見つめ、返答を待つ。

どう返してくるのかなんてさっぱり分からない。

酷な事を言ったのだろうか、記憶あるものに対して忘れろ無かったことにしろと言うのは。

だが、中途半端に蚊帳の外にされるくらいなら、極端だと言われてもこの方がリナにもこの二人にも良いだろう。

変わらないとシャルはリナに言った、それはつまり昔からのリナの信念は恐らく大きく違わない。

なら《リナ》が彼女と逆の立場でも、こう言ったのだろうか。

なんて、考えても分からない答えを求めてどうすると言うんだ。

彼女が待つのは、目の前の二人の答えだけ。


「はぁ…」


先に口を開いたのはレンの方だった。

諦めたように呆れたように全身から力を抜かし、レンは笑った。


「お前の気持ちは分かった、分かりきれてはいないけどな。でも、お前の中では俺等がどう言ったって変わらないんだろ?…なら、良い。俺等はお前を《リナ》として見てるし、忘れてほしいと言われたって、今更難しい位、大切な思い出だ。…思ったら俺等は《お前》の事を見てなかったな、一番どうしようもなく途方に暮れてるのは他でもない《お前》なのに」


申し訳無さそうに、そう言うレン。

シャルはレンの話を聞いて、リナを見て、レンとよく似た笑みを浮かべる。

レンとは少し違う、複雑そうな、そんな顔。


「………そうだね。そうか…《君》を見てない…か。僕は、リナが心配で、少しでも危険の無い所で幸せに過ごして欲しいと思ってたけど…。そうだよね、君はもう僕達と過ごしていた幼い頃の《リナ》じゃ無いんだ、単純な事なのに…馬鹿だね僕等」


ふぅ…と一息ついたシャルは、天井の証明をジッと映して、《リナ》を見た。


「記憶探しでも何でもしてみたら良いよ、君の人生なんだ、後悔しない道を進んでくれるなら、僕は何だっていい。だけど、君の事は心配だから旅には僕もついてくよ、でも、記憶を下手に刺激する可能性があるから昔話もあまりしない、ようにする。そして、本当に君が記憶を取り戻せたら、ゆっくり思い出話をしよう。…三人で」


リナ達は互いに目を見合わせる。

そして、笑いあった。


「…二人共」

「何だ?」

「どうしたの?」


二人は、しっかり彼女を見てくれている。

他の誰でもない《リナ》を、ようやく映してくれている。そんな真面目で優しい彼等のためにも、自分の為にも、《リナ》の為にも。

リナは記憶探しを続け、広い世界を見て、沢山の思い出を作っていく。知っていく。

過酷になるかもしれない、光も闇も見えない旅。


「ーーー私の我儘な旅に、力を貸して下さい」


テーブルのすれすれまで頭を下げる。

こんな事をしなくても、彼等は彼女についてきてくれる。だが、これはリナがお願いするべき事だ。

無謀で無茶な危険だらけの旅に、リナ一人では何かしらと壁にぶつかる事は分かりきってる。 

だったら頼れる者には頼るしかない。無償の優しさに甘えるなんて、して言い訳が無い。

だから目に見え、分かりやすい誠意の形を示す。


「ちょっ…リナ…っ」


シャルの焦った声が何かに遮られたかのように途切れる。きっと遮ったのはレンだろう。何が起きたかリナには分からないが、この二人は、言葉にせずとも伝わる何かを持っている。


「リナ、顔を上げろ」


言われるがまま、リナは顔を上げ、背筋を伸ばし、二人を見る。

真剣な目と目がぶつかる。

そしてーーー。


「当たり前だろ、さっきも言ったけど、危なっかしいお前から目なんて離せるかよ。幼馴染としても、ただ一人の人間としても、放っておけない。例えお前に嫌だ…なんて言われてもな。俺の中では一族とかそんなの関係なく、お前を命懸けで護る」

「今までの流れで来るなって言われたほうが少し傷つくな。言われても仕方ないかもしれないけど、こっちとしても納得なんて出来ないからね。ついてくるなって言われても、君に譲れないものがあるのと同じで、それは僕等にもある。…護らせて、君の事を最後まで」


優しく強い笑みでリナにそう言う二人。


「何もそこまでしなくても…」

「気にすんな、これは俺等が勝手に決めてることだ」

「…そうそう、昔からそれは変わってないよ。…何も」


レンを一瞥してから微笑んで語るシャル。

その態度に少し違和感を感じたのと同時に。


ーーー一瞬、何かが過る。


『ーーー』


《自分》達がよく口にしていただろう言葉。


「………約束」

「え」

「…!」


頭を抑え、気がつけばその呟いていた。

ツキン…と頭が痛む。これは、この痛みは…。


「私達が、子供の頃の私達が良く、口にしていた、気がする……」


『ーーー約束だ!』

『…うん、約束』

『破ったら駄目だかんな!』

『当たり前だ、私達の約束は絶対なんだから!』


幼い頃の自分達は小指を絡ませ、そう良く約束を交わし合っていた。

状況も何も思い出せないが、それだけは今、思い出せたような。

私達の揺るぎない絶対的なものを。

ーーーしかしそれ以外は本当に思い出せない。

リナは頭を押さえ、記憶の糸を手繰り寄せようと必死になるが上手くいかず靄がかかったまま。

ハァハァと呼吸が始めたリナの肩をそっとシャルが触れた。


「リナ、無理しないで」

「…シャル」

「言ったでしょ、君が強くのぞんでいるのと同時に拒絶もしてるんだ。無理に思い出そうとなんてしたら、更に悲惨な状態になるかもしれない。だから、今はそれだけで…」


その言葉で、ツキンツキンとしていた頭の痛みが少しずつ引いていく。まるで《リナ》もそうするべきだと言うように。


「…約束、か…。懐かしいな」

「確かに…。」


懐かしむ二人、しかしその表情には微かな寂しさが存在しているのがリナには分かった。

…だから、リナはそんな二人に提案する。


「またしよう、約束」


まん丸と開かれる四つの目。


「…君がそう言うなら、僕は良いよ」

「するのは…まぁ、良いけど…何を約束するんだ?」

「えっ…と、それは」

「見切り発車かよ…」


(バレてる…)


咄嗟に思いついた事だったから、何に対しての約束なのかなんて、考えてなかった。

だが、改めて考える必要も無い、すぐに思いついた。


「…私の記憶が戻ったら、思い出話をしよう」


何回か話に出ていた、いつかの話。いつになるか分からない未来の話。


「良いな、それ」

「うん」

「…絶対だからな二人共」


昔の様に、リナは二人の前に小指を差し出した。

あの頃よりも大きくなった手を見つめ、再び交じり合ってくれるのか不安だったが…。


「俺達の約束は絶対、だろ?」

「ふふ、こうして小指を交わすのも久し振りだね。…有り得ないけど、破ったらどうするの?」

「どうする…?」

「そう、小さい頃はおやつとかを破った人は二人に分けるとかだったけど。…まぁ、誰も破った事は無かったから三人共平和におやつを食べれたけどね」

「…おやつ……可愛らしいな」

「ま、子供だしな」


子供の頃はおやつを罰に出来たが、その頃よりも大きくなった彼等に対しての罰は、何がいいのか。

約束はすぐに思いついたのに…こればっかりはどんなに考えてもいいのが浮かばない。


「…破った時に考えよう。それに、破った事が無いのなら、必要ないものかも知れないしな」


浮かばないならその時考えればいい、というのを浮かんだので、そのまま伝えた。

二人は苦笑しながらも頷く。


「それじゃあ…」


絡み合った三人の小指に力を入れ。


「「「約束だ!」」」


必然と声が重なる。動きが合わさる。互いに目を合わせ合い、三人は笑いあった。

ーーーここからリナ達の行きあたりばったりな、先の見えない旅が始まったんだ。


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