第二話  〜記憶〜


リナの旅のもう一つの理由。

記憶を取り戻す切っ掛けを握るかも知れない二人。

教えられる事が何か無いかというリナの懇願も虚しく、バッサリと拒絶される。

そんな二人に、恐る恐るリナは問う。


「………教えられる事が、何もない…と言うのは…原因が分からないから、教えられない…という事か…?それとも………」

リナの問いに、ん二人は横に首を振る。

その動作が意味するのは…。


「………何故…?」


喉から絞り出せたのは明らかな困惑を乗せた、か細い情けない声。

先にリナの言葉に反応したのはシャルだった。


「リナからしたら訳が分からないよね、責められても僕達は何も言えない。でも、少しだけ聞いて欲しい」


シャルは諭すように、優しく、言葉を紡ぐ。


「…僕が、君の記憶喪失を知ったのは、三年前、村へ戻った時に聞いただけ。正直半信半疑ではあったよ。そして今日、君を前にしてそれが事実と言うことを目の当たりにした。それでも、すんなり受け入れられる位には…何が原因なんだ…と問われたら、思い当たる節は、ある」


でも、とシャルは続ける。


「その原因と思われる《何か》を、僕は君に説明したくない。もっと言うなら…君に、思い出して欲しくないんだ」


告げられた台詞に、リナは唖然とするしか無かった。

苦味を潰したように、苦しそうに顔を歪ませて言うシャルに、彼女は何も言えない。


「………俺は」


呟くように、ぽつりと放たれた声の方をぎこち無く向く。

レンが、険しい顔をして、リナと目を合わせることも無く、話し始める。


「俺は、お前が自由に世界を見て回って旅をしたい…って言うのには賛成だ。でも、記憶を取り戻したいってのに、積極的に協力は…出来ないかもしれない…俺もこいつと同じ、お前にはあまり思い出して欲しくない記憶だから」


レンの赤い瞳には何が映ってるのか。

視線はぼんやりとテーブルの上に向けられてはいるが、テーブルの上の物を一切映していない瞳。

ーーーリナの知らない、忘れ去られた情景が、この二人の中では見えているのだろうか。

何故か、喉の奥が締まり、苦しくなった。

…いや、何故か…では無いのだろう。


(…これは、他でもない《リナ・アルフィリア》の感情なんだろう)


この二人の態度に、心が苦しくなる。

なのに、思い出してくれない、何とも我儘な《自分》

自分を落ち着かせようと、静かに深呼吸をする。


「リナ」


名を呼ばれ、俯きがちになっていた顔を上げ、目線も呼んだ本人…レンに向けた。

レンの目はしっかりとリナを捉えていた。

今度は何を告げられるのだろう。

そう思っていると。


「お前はその記憶を絶対に取り戻すべきだと思うか?」

「……え」


告げられたのはそんな質問。

その問いにリナは言葉を失う。

問われた意味も意図も分からなかった。


「…どうして、そんな事を聞くんだ?」


質問を質問で返す。

場面によっては良くない返しだろう…が、それくらい問いの意図が読めないのだ。

レンは、リナから目を逸らさないまま、口を開く。


「…例え記憶が無くても、お前は今の今までこうやって生きてこれた。それはつまり、記憶がなくても普通に生活出来る、無理に思い出す必要も特に無いわけだ」


目を見開く。

つまり、レンが言いたいのは…。


「………記憶が無くても、何不自由なく暮らせるのだから、記憶を取り戻すのを諦めるべきだと…そう私に言いたいのか?」

「…そうだな」


逸らすことなく、肯定される。

ガツンと頭を殴られたかのような衝撃がリナを襲う。

彼女自身の旅の目的を一つ否定されたように感じたからだろうか、それとも…これも《リナ》にとって、親しい人物による言動に傷ついたからだろうか。


「…違うな」


グルグルと正解なんて見出だせない思考に捕われたリナの耳に届いたのは、その思考へと落としたレン本人の否定の言葉。

再びレンへと目線を向ければガシガシと片手で髪を乱すレンが映し出された。


「いや、完全に違うってわけでもねぇんだけど…あー!…その、何ていうか」


出会ってから初めて見るレンだった。

眉を顰め、あーでもないこーでもないと悩み口籠るレン。

そんなレンを、何処か懐かしく感じるのは……。


ふと、シャル見れば、シャルもそんなレンを少し驚いた様に見ていた。

そして目を少し細め微笑む。

納得したように………懐かしげに。

見ていたのが分かったのだろう、シャルは話す。


「…レンは昔から考えたり、説明するのが苦手だったからね」


リナを見ながら、そう言うシャル。


「そ、うなのか」

「うん、十年振りに出会ってガラッと雰囲気が変わっているから、驚いてたけど…」


懐かしそうにレンを見る目は今までとは違う優しさが含まれていた。

…いや、この目を知ってる、リナは向けられた事がある。


『君らしい、ね』


それはリナが小さな男の子を助ける為に柄の悪い輩に立ち向かった事を話した時に見せた…困った様に笑われたあの時の目と…同じだった。


「…あー…とにかくだ、俺が言いたいのはだな…!」


リナ達がそんなやり取りをしていると、レンの中で整理がついたのか、少し声を張り、悩んでいたレンが切り出す。

リナとシャルは黙ってレンを見つめた。


「…俺としては確かに、思い出して欲しくない、だけど…お前の中で思い出したい《何か》があるなら、記憶を取り戻す旅っていうのも、頷ける。俺やシャルからはこうだって言うことは無いけど、それでも記憶探しをしたいなら、止めることもしない…」

「………」

「…記憶が無いのを不思議だ、と感じるだけなら、取り戻すのはあまりオススメしない、諦めた方が良い。それに、ただ自由を求めるだけの旅でも良いんじゃないかって、俺は思う。…世界を見て、知って、沢山の人と出会って……そんな綺麗な旅。…それに、だ、世界ってのは危険な物が多い。だから、そんな旅でも、ここで会えたからには…俺が、お前を護る。旅に付いてく。ただでさえお前はこれからも村の奴らに追われたり、それこそ厄介事に巻き込まれるかもしれないしな。…勿論お前が迷惑じゃなきゃ、だけど…」


真っ直ぐ伝えられるレンの思い。

世界を見て回る理想的な《自由》な旅。

さっきみたいな輩も魔物もいる世界は確かに危険が付きものだろう。

何も知らないリナを護る為に旅に同行すると最後は不安そうに言うレン。

そして、レンはまだ言葉を紡ぎ出す。

きっとレンが一番聞きたいのであろう彼女への問い。


「俺は…お前が、どんな覚悟を持って、記憶を取り戻したいのか、お前に聞きたい」


考えるのが苦手な彼が一生懸命伝えた話をリナは噛み砕きながら、考える。


「覚悟…」


それは今まで考えた事も無かったもの。

何で幼い頃の記憶が無いのか、ただただ純粋に疑問だった。

だから、取り戻したかった。

単純な理由だ。

ーーーしかし…。


『記憶が無くても、お前は今の今までこうやって生きてこれた』


確かにそうだ。

十年、こうして何不自由なく生きてこれた。

手足があり、物を視て、触って、嗅いで、味わって、感じることが、今のリナには出来る、出来ている。

唯一の不満はこれからの人生をあの村だけに縛られ生きること、だから逃げた。

レンはそんな我儘な彼女に付いてきてくれると言ってくれている。

もし、レンの言う…世界を見て回るだけの旅も『綺麗な旅』も一人より二人のほうが断然楽しいものになるかもしれない。


(……私は)


目を伏せ、考えていると…。


「リナ」


と、レンとは少し違う、柔らかい声が掛けられ、その声に反応し、そちらを見遣る。

あったのは真剣な色を宿した青。

シャルがこちらを見て、口を開いた。 


「記憶を失うっていうのは、身体的衝撃でも起きる事はある。でも、大体は精神的なもので、本人が自己防衛の為に思い出したくないと…心が壊れないようにと、脳に発信して記憶を封じ込めようとしてる…とも言われてる。実際そういう人がいるのを見たことがあるしね。…それを考えると、僕は…君自身が自分を守るために記憶を封じた、と考えるのが妥当だと思ってる」


言葉を選びながら伝えられたそれに、言葉を失う。


「十年もの間…思い出さないほどの…思い出したくないと願う君のしらない強い意志が、君の記憶を封じ込めてるんだとしたら、例え僕らが言葉で何かを説明したとしても、文面で説明したとしても、完全に思い出せるかは…断定できない。むしろ下手に刺激をしてしまったら、君は記憶をまた失ってしまう可能性もある。それこそ、今日、僕等と会ったことすら、いや…今度は更に酷く…まともに生活できなくなるくらい記憶が無くなるかもしれない」


つらつらと並び立てられる説明。

分かったのは…このまま記憶を求め続ける事のあまりにも大きいデメリット。

生活が出来なくなる程の記憶を失う…。

もっと言うなら記憶だけじゃなく、言葉の発し方、意味、物の使い方すら忘れてしまうかもしれない。


《覚悟》とレンは言った。

多分そのデメリットも含めたリナへの問い。

シャルもリナに分かりやすいように、求め続ける事の覚悟を丁寧に《説明》をしてくれた。

どちらにも、そこにはリナに対しての強い《優しさ》が含まれている。


そんな彼らがリナに求める答えは…。


『分かった、ならこのまま記憶の事を気にせず、世界をのんびり回る旅をする』


レンならこれが理想だろうか。

シャルならきっと…。


『…分かった、大人しく村へ帰ってこれからを生きる』


が良いのだろう。

リナを心配して気遣ってくれるシャルなら前のような、いつも見張られ、気を使われる縛られた環境を無くしてくれる様に掛け合ってくれるかもしれない。


リナの言葉を待つ二人。

…彼女自身も己に問うている。

ここが、自分の分岐点だと。

これからの人生をどう生きるか、どう過ごすかを決める分岐点。

目を閉じて、考える。

リナが出すべき答えを、リナ自身が後悔しない選択を。


記憶を諦め、自由を求めるか。

記憶は勿論自由も諦め、安定の毎日を送るか。

二人のどちらかの望みを叶えられるかもしれない二つの選択。

二つに一つか。


ーーーなんて、彼女の中ではもう答えなんて考えるまでも無く、決まっている。

誰が何と言おうと揺るぐ事のないリナ自身の道。

ゆっくりと目を開き、リナの目は二人を映す。

己の覚悟を、決断を説明し、真剣に二人に伝えるべく。

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