第17話 髪を切った理由
学校の下駄箱の前。
木下君が、私を見て一瞬止まる。
「髪、切ったの……」
「似合わない、かな?」
私は初めて短くした、髪を自分で撫ぜる。
「ううん、かわいいよ、でも、どうして……」
どうして?
強くなりたかった。同時に理恵先生が浮かんだ。木下君が好きだという先生。
一瞬言いかけて止めた、なんだかそれじゃあ、木下君の好みに合わせたみたいで恥ずかしかった。
二人の沈黙を破るように、教育指導の先生の「遅刻になるぞ!」という声が聞こえた。
「行こう」
私はそういって走り出した。
放課後まるで全速力で走ってきたかのように、荒い息をつきながら木下君が教室に現れた。
「ちょっといい?」
いつもと違う彼の真剣な眼差しがあった。
私はドキリと胸が大きくなった。そしてそのままわけもわからないまま屋上へと続く階段を私たちはあがった。
私は一体なにが起こるのだろうと、期待と不安の入り混じった目で彼を見上げた。
そして彼は唐突に切り出した。
「彼氏に振られた?」
「彼氏?」
言っている意味がわからず、まじまじと彼の顔を見る。
なぜ『彼氏』なんて彼はいいだしたのだろう?
告白なら『彼氏いる?』なら解るが、いもしない彼氏に私が振られたようなことを木下君は言っているし……?
さっきまで変な期待を持っていたせいか、あまりに自分の予想していた展開と違う内容に、彩は一瞬頭が真っ白になった。それから至極冷静になれた。
その間にも、彼はまるで迷子の子供の様な不安げな表情をして彩を見ている。
(あぁ、そうか……)
彼の聞きたかったことが少し解った気がした。
同時になんだか無性におかしくなった。
「彼氏なんかいないよ、それに髪を切ったのは気分転換だっていったじゃない」
誤解している彼がおかしくておもわず微笑む、同時に誤解してくれた彼に微かな期待が芽生えた。
(心配してくれてたんだ)
おかしくて、はずかしくて、うれしくて、頬が赤くなる。
「じゃあ……」
「なに?」
「…………なんでもない」
木下君がなにかをいいかけ、飲み込んだ。
沈黙。
その沈黙はすごくくすぐったい感じだった。
「ねぇ、一緒に帰ろう」
私は淡い期待を抱いたまま、そういった。
帰り道。二つの影が並んで歩いていた。
木下君の影が頭一つ分大きい。
初めて会った時のプールサイドの光景を思いだす。
背が伸びたね。
たくましくなったね。
心の中で賛美を送る。
「じゃあ、ここで」
「うん、また明日」
特に会話らしい会話はなかったけど、私の心は温かかった。
木下君もそうであって欲しい。
しばらく見詰め合った。
「あのね……髪切った、本当の理由はね……」
突然なんともいえない衝動に駆られた。
気持ちをぶつけたくなった。
「…………」
「…………」
言おうとした言葉が、声になったとたん違う言葉に変わっていた。
「理恵先生」
木下君が、何をいっているんだという顔をした。
私はかまわず続けた。
「私は……私を変えたい。髪を切ってすぐ変わるわけじゃないけど、少しでも先生みたいな、心も体も強い女性になりたくて……」
本当は、違うことを言いたかった、『私は木下君が好きなの』しかしその言葉はでることなく、私は心と違うところで話し続けた。
それでも彼に気づいて欲しかった、私が髪を切った理由を本当の理由を。
私が言い終えると、彼は少しがっかりしたような顔を一瞬したように見えた、しかし次の瞬間には笑い出していた。
「なんで笑うの」
まあ今の説明を聞いて、理恵先生に憧れてるイコール、木下君に振り向いてもらいたいとわかる人物などいないと思うが。
笑い続ける彼を見ているうちに、私も笑えてきた。
そして私たちはしばらくの間、涙を流しながら笑い続けた。
その日を境に、私たちはよく一緒に帰るようになった。
また毎週末彼は学校の授業ノートを私に渡すようにもなった。
先生の小話まで書かれたそのノートをはじめてみた時、感動のあまり泣き出しそうになったのを必死に私は耐えた。
そして私は思った。
きっと彼も私のことを好きなのかもしれない。
でもそれと同時に沸き起こる不安。
自分だけが彼のことを好きだと思っていたときには考えなかった、考える必要もなかった不安。
私は受け取ったノートを抱きしめながら、神様に祈った。
『神様お願いです。この幸せが少しでも長く続きますように』
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