第16話 恋に気がつく瞬間

「もう、だいぶよくなったけど、今日は一日様子をみましょうね」


 母親の気遣わしげな言葉が頭まで布団に潜り込んでいる彩にかけられる。

 返事はない。

 母親は小さくため息をつくと部屋を後にした。

 扉の閉まる音を聞いて、彩は布団から顔をだした。

 カレンダーを見る。

 二日続けて学校を休んでしまった。

 スイミングクラブには一ヶ月もいっていない。

 本格的に飛び込みの練習を始めようとした矢先だった。

 彩は軽くため息をついた。


(調子がいいと思ったのに)


 再び頭から布団を被り丸くなってジッとする。


(どうして私はこんなに体が弱いのだろう)


 小さい時から慣れていた。

 いつもこの時期は休みがちだった。

 仕方ないと何度も言い聞かすが、今回はどうしても心が晴れなかった。


 ――リンリン

  ――リンリン


(……目覚まし)


 私は布団から手だけを出しそれを止めようとした。

 しかしいくら叩いても音は止まってくれない。


(あれ?)


 それからようやくガバリと起き上がる。


「電話だ!」


 まだぼうっとする目をこすりながら机の上に置きっぱなしの携帯を取りに行く。


「もしもし」


 そして私は次の瞬間、一気に目が覚めたのだった。


 電話が切れた後も、私はしばらく呆然としていた。

 電話は知美からだった。

 彼女は私が人生で初めてであった親友とも呼べる友達。

 その彼女が今からうちにお見舞いに来るという。

 彼女が来るのは別になんの問題もない。


(でも! でも! なぜ?)


 彼女は木下君も一緒だといって電話を切った。


(どうして、木下君が!)


 頭が混乱する。


「彩、起きてる? 入るわよ」


 丁度その時お母さんがお盆におかゆと薬を持って部屋に入ってきた。


「おかあさん今から、知美がお見舞いに来るって」


 私は混乱しながらも、母親に知美が来ることを伝えねばならないと思ったらしく、そう口を動かしていた。


「あらよかったじゃない」

「それと……」


 いいかけてハッと我にかえった。

 そして慌てて自分を姿を見る。


(パジャマだ!)


「着替えないと!」

「あら、病人なんだからいいわよ」


 母親は知美だけしかこないと思っているからそんなことがいえるのだ。

 しかし。

 彩はクローゼットに伸ばした手を途中で止める。

 確かに母親の言うことも一理ある。


(病人なのにおめかしして待ってるのはやっぱ変だよね)


 じゃあせめて……


 結局私はご飯を猛スピードでたいらげると、びっくりしている母親を部屋から追い出し、簡単に部屋を片付け一番お気に入りのパジャマに着替え、髪をきれいにとかした。

 熱は寝て起きた時には平熱ほどに下がっていたが、別の意味であがりそうだった。

 しかしそんなことを気にしている余裕などなかった。

 そんなことを考えていると扉がノックされた。


「いきなり来てごめんね」


 知美はそういって小さく笑った。

 知美が会いに来てくれるのは素直にうれしい、真夜中だろうが来てくれるのならいつでも歓迎だ。


 でも今日は……


(やっぱ着替えるべきだったかな)


 いまさらながらパジャマ姿が恥ずかしい。だいたい男の子が部屋に来たのも初めてなのに。

 私はチラリと知美と共にやってきた木下君を盗み見た。

 彼は入ってきた姿勢のまま床に正座していた。

 ジッと、床をみている。

 ゴミでも落ちてる?

 知美と会話しながら、そんなことばかりが気になった。

 その時突然、知美が立ち上がった。


「じゃあ、私はこれで、帰るね」

「えぇ、もういっちゃうの」

「じゃあ、俺も……」


 私は残念に思いながらでも少しだけホッとした。

 しかし、そんな私たちに向かって知美はとんでもない事を言い放った。


「せっかく色々買ってきたんだから、二人で食べてよ」


 一瞬意味がわからずきょとんと知美を見詰める。

 それからようやくことの重大さに気がついた。


(それはつまり……)


 木下君と二人っきり。

 私は声にならない悲鳴を上げた。

 それから何か言おうと口を開きかけたが、それより早く知美が「じゃあ」と、軽く手を上げる涼しい顔で部屋を出て行ってしまったのだった。

 扉の向こうから、母の「あら、プリン食べていかないの」という残念そうな母親の声が聞こえてきた。


 お母さん、知美を止めて!


 私の心の叫びはしかし二人には届かなかった。

 恐る恐る視線をもどす。

 しかしまともに彼を見ることは出来なかった。

 見なくても、一気に緊張した空気が部屋に充満していた。


(きっと、木下君も困っているよね)


 プリンの味は全くといって記憶に残らなかった。そして紅茶を飲んでいた時、急に彼の声が聞こえた。


「大丈夫か?」


 少し熱っぽかった、しかしそれはたぶん病気のせいではないと思う。


「うん」


 だから私は軽く頷いた。

 それから彼を気遣うように見た。

 彼はどういうつもりでここにきたのだろう?

 強引な知美に無理やり連れてこられたのだろうか?

 ごめんね。

 心の中で謝罪しながら彼を見る。

 目が合った。


(うわ!)


 顔が一気に赤くなる。

 それをごまかすように私はわけもなく笑った。

 すると彼も微笑みを返した。

 部屋の空気がやわらかくなる。

 すると今度は幸せで、本当の笑みがこぼれた。彼も微笑んだ。

 それからお互い気が緩んだのか、どちらからともなく話し出した。


「じゃあ俺もういくよ」

「もう帰っちゃうの」

「うつったら困るしな」

「そうだね」


 冗談だと解っていたが少し悲しかったのが顔にでたのだろう、彼は慌てたようにそういった。


「冗談だよ」


 私は彼の慌てぶりに思わず笑みがこぼれる。


「じゃあね」

「あぁ、また学校で」


 彼が部屋を出て行ったのを見て、私は小さく息をついた。

 私は今はっきりと確信した。

 どうして今回の休みがこんなに辛いのか。

 それは彼に会えないからだ。

 私は木下君に恋をしてる。

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