第18話 クリスマス イブ

 終業式。

 その日は、クリスマスイブだった。

 何日か前から街のイルミネーションを見ながら、一緒に見ようねということをほのめかしてきたのだが、彼からのデートのお誘いはなかった。

 だから私は勇気を振り絞って、スイミングクラブに行く彼を捕まえることにした。

 本当にそれは昔の私では考えられない、大胆な行動だった。


 待ち合わせの場所にか彼の方が先について待っていた。私は嬉しくて小走りに近づいた、そして私の顔を見て小首を傾げる彼に、ドキドキした。


「かわいい色だね」


 気がついてくれた。その一言でうっすら塗られたピンクのリップ以上に私の心は暖かなピンク色に染まった気がした。

 お化粧なんて七五三以来だった(まあ色つきリップが化粧に入るかは別だが)

 なんだか妙に恥ずかしい。

 しかし、次に続いた言葉にちょっとがっかりした。


「でもこれからプール入ったら取れちゃうよ」


 その言葉は、まさかとはおもっていたけれど、この待ち合わせの意味をまったく理解していないことを痛感させた。


「じゃあ今日は行かないことにしよ」


 私は小さくため息をつくと、せめてもの仕返しにと意地悪く言った。

 さすがにこれで気がつくだろうとおもったら、


「じゃあ、俺はここで」


 彼はさらにあっさりとそれに言い返した。


(確かに無理に休めとはいえないけど、それじゃああんまりじゃない)


 私はショックのあまり、本気で悲しい顔をしてしまった。

 確かに木下君にとっては私など、たまたまスイミングクラブと学校が同じだけの女の子かもしれないけど……


「嘘だよ、一緒に行こう」


 私の落ち込みぶりにびっくりしたのか、急にやさしい声音で木下君が言った。でも私の求めている答えはそんな言葉ではない。


「今日、なんの日か気がついてないの?」


 おもわず、恨めし気な口調になる。


「何の日って、終業式」


 本当に気がついていないのだろうか?それともワザとなのか。

 私はだんだん悲しくなってきた。

 自分だけが舞い上がっていたのだ。

 一瞬でも望みがあると思ったのがいけなかったのだ。

 ついこないだまですごく近くに感じていた彼が、今はすごく遠くに感じる。


 しかし、私の落ち込み様に何かを察したのか、彼がキョロキョロとあたりを見渡し、そしてハッとした顔をした。

 多分気がついたのだろう。


「まだスイミングクラブに行くの?」


 これで断られたら私はたぶん泣いていたかもしれない。


「今日はクリスマス・イブだぜ、行くわけないじゃん」


 彼はいままで言っていた言葉をごまかすように、あえておちゃらけたようにそういって引きつった笑みで笑った。

 私は調子がいいなと笑ったが、それでもようやく少しほっとした。


 冬の夜は早い。

 四時を知らせる鐘が響くころには、空はすっかり暗くなり、そのぶんイルミネーションはとても美しく町を彩る。

 道路に沿って植えられた木々には色とりどりの光が灯り。

 道の横にはディスプレイを凝らした店が軒を連ねている。

 店に用事があるとき意外早足に過ぎていく人達も、今日はゆっくり歩んでいる。

 カップルたちは仲睦まじく腕を組みときに立ち止まりながら、その光の雫を見詰めている。

 私は少しドキドキしながら、私たちも他の人たちには周りと同じようにカップルに見えるのだろうかなど考えながら、隣を歩く木下君をそっと見上げた。

 初めて会った時は、身長も私と同じぐらいでちょっと頼りなさげでな印象だった。それに、誰に対してもやさしく接する彼がうらやましいと同時に少しだけ妬ましくもあった。

 でも今私の隣を歩く彼は、たった数ヶ月しかたっていないというのに、体の成長と共にその背もずっと高くなり、水泳で鍛えた体も見違えるほどがっちりとたくましくなっていた。

 どこか遠くを見詰める眼差しも、子供っぽさがぬけ、一人だけ先に大人になってしまったようなそんな落ち着いた色が見えた。


 私はこの半年でどれだけ、成長できたのかしら・・・・・・?

 いままで軽快に歩いていた足がそう思ったとたん、なんだか重たく感じた。

 彼はそんな私に気がつかず数歩先に進んでいた。

 その数歩の距離が、なんだか今の二人の距離を表しているようで私は急に不安になった。


「木下君、今日は本当によかったの」


 頭のどこかでそんなことをいったらせっかく楽しく過ごしていた時間がだめになるとわかっていたが、さきに口が動いていた。


「本当は予定とか、あったんじゃない?」

「そんなのあるわけないじゃん、だってさっきまで今日がクリスマス・イブだったてことさえ忘れてたんだよ」


 木下君はいきなりなにをいっているんだという、不思議そうな顔をしながら答えた。


「でも、理恵先生には、会いたかったんじゃない?」


 でも私の口はとまらない。


「なんで」


 彼が少し不機嫌そうな声音になった。

 それはそうだろう、いままで楽しく歩いていたのに、いきなりわけもわからずまるで八つ当たりされるように、質問を浴びせてくる女に好感をもつ男などいない。

 わかってはいるのに、私は――


「だって、木下君、理恵先生のこと・・・」

「俺は別に」

「じゃあ嫌い?」

「好きとか嫌いとかじゃなくて」


 少し怒ったような口調になる。


「確かに尊敬はしてるし、憧れてるけど、そういうのってなんか違うでしょ」

「そうかなぁ」

「だって、木下君いつも先生のこと見てるし」

「そりゃあ、教わってるんだから、少しでも技を盗まないと。それに俺は!」


 真摯な瞳が、私を捉えた。

 突然、電撃のような衝撃が体を駆け抜けた。

 ありえない、考え。

 でもそう考えれば、彼がやさしい理由が見える気がする。

 今すぐ確かめたい衝動。

 うれしいようなはずかしいような。

 しかし、次の瞬間、ふと冷静になった自分がいた。

 もし、勘違いだったら、それにもしそうであっても自分は……


「ねぇ飯島、髪を切った理由は……」


 私は彼の何か探るような確かめるような視線から目をそらした。

 その先にサンタクロースの姿をした店員が見えた。


「あっ、サンタクロース」


 彼の視線も自分から離れたのがわかった。

 そして私は不安と期待を胸にしまって笑顔を作った。

 昔からよくしていたから笑顔。

 両親に心配をかけさせないため幼いときから作ってきた笑顔だ。

 私のわけのわからない質問攻めから解放されほっとしたのか、彼もその笑顔につられるように微笑んだ。

 その後は二人ともそれ以上この話題には触れずイルミネーションを堪能した。


「なにか飲もうか、おごるよ」

「じゃあ暖かいコーヒーください」


 木下君が渡してくれた缶コーヒーと交換するように私はそれを渡した。

 防水機能付きの腕時計。

 よく彼が欲しいといっていたものだった。

 たとえ、彼の気持ちが私にあろうがなかろうが、私はこれを今日手渡すつもりだった。


(これは、今までのお礼。私の人生を変えてくれた感謝の気持ち)


 物で返せるものではないけど、今の私にはこれくらいしか思いつかなかったのだ。


「うわっ! すげえ! でも……」


 彼の喜ぶ顔を見ながら、私は幸せだった。

 でもちょっと高価すぎたのかも。彼は少し申し訳なさそうな顔で私を見た。


「来年は期待してるから」


 お返しなんて期待していなかったが、その場を収めるため私はそういった。

 その時一つの露天が私の目を引いた。


(指輪だ)


 それはおもちゃだったが、とても細かな細工がなされて素敵に思えた。

 さきほどチラリと見えた彼の小銭を思い浮かべる。

 大丈夫かも。

 思った時には言葉になっていた。


「やっぱ来年ていうのは取り消し、今年はこれ買って」


 彼はそれをみると少し不満そうな表情をした。

 別に彼のプライドを傷つけるつもりはなかった。

 いつもならそんな顔をされたら、すぐあきらめたのに、なぜだか今回だけは私はすごく我侭になれた。

 私はかってに店のおじさんと話をつけると。


「これつけて」


 彼に指輪を渡し自分の右手を差し出す。

 後から思えばなんと大胆な行動だっただろう、でも、私はそのときどうしてもその指輪を彼につけて欲しかったのだ。

 案の定、彼がつけてくれた指輪は、自分の中で本物のダイヤモンドより輝いて見えた。


「ありがとう」


 私は心からそういってほほ笑んだ。

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