第11話 白い羽
忙しいが充実した。騒がしいが穏やかなそんな日はアッと今に過ぎていった。
僕は宣言通り、塾には通わず第一志望の医大付属の高校に合格をした。
もちろん彩も一緒だった。
中学の時とは違い、二人で入学式の看板の前で写真を撮った。
その時初めて僕は彩に中学の入学式の日に一目惚れをした話を聞かせた。
彩は真っ赤な顔をしながら、嬉しそうに照れ笑いをした。
僕らは高校でようやく同じクラスになれた。
そして彩は中学の時より、学校を休まなくなっていた。それでも僕はノート作成を続けていた。彩もそれをとめようとはしなかった。
そんな毎日が続くと思っていた。
その日はとても寒い日だった。
僕はつい布団の温もりから抜け出せず、遅刻しそうになって、通学路を学校へ向けて全速疾走していた。
白い息が口から漏れる。
あの角をまがれば学校だというときに、なぜか僕は誰かに呼ばれたようなきがして、一瞬足を止めた。
振り返る。
心は急いでいるのに、どうしても振り返らずにはいられなかった。
振り返った僕の目の前をなにか大きな影が横切ったような気がした。
思わず手をかざし身を低くする。
「鳥?」
あわてて空を見上げたが、そんな影を落とすようなものも、生き物の姿も見当たらなかった。
「…………」
一瞬どうしたものかと考えたが、遅刻しそうなことを思い出し慌てて、再び回れ右をする、しかしその足が不意に、再び何かに引き寄せられるように止まる、見ると足元に一枚の白い羽が落ちているのに気が付いた。
羽を手にしたとき、なにかが心のなかで囁いた。
「……」
なにかが心に思い浮かびそうになったとき、学校のチャイムの音が聞こえた。
僕は慌てて羽をポケットに押し込めると共に、無理やり意識を学校に向け直した。 そしてなにも考えずに走り出す。
多分、僕はそのときなにかに気が付きかけたんだ。
ただそれを認めるのが怖くて、その場から逃げ出したんだ。
学校にいけばこの不安は消える。
きっと彼女の姿を見れば……
言い知れぬ不安を胸に、僕は学校に走った。
僕には、まだ現実を受け入れるだけの度胸がなかったんだ。
だからたとえ学校に彩の姿が無くても、どんなに携帯をならしても繋がらなくても、僕はあの時感じた感覚を認めるわけにはいかなかった。
しかし現実はどんなに逃げてもかならず追いついてくる。
彩が亡くなったと聞かされたのは、昼休みが終わってからだった。
風邪を悪化させた結果という、冗談のような本当の話。
クラスの仲のいい友達の何人かが僕に何か言葉をかけていた、誰かが帰れといっていたような気もする。
でもその日僕は最後まで授業を受けた。
内容なんてなにも覚えていない。
「木下……」
一人がなにかいいかけてやめた。
今日で何度目だろう。
いいかえてやめる友達をみながら「大丈夫だよ」まるで呪文のように、そう答える。
「家まで一緒にいこうか」
「大丈夫だよ」
僕はそれだけいうと、なにかいいたげな友達の視線から逃げるように一人教室をでた。
どうやって家に帰りついたのか。
気がつくと、そこはもう自分の家の玄関だった。
玄関を開けると、母親が心配気な顔で待っていた。
その時も僕はまるで、そういう言葉をいう人形のように「大丈夫だよ」といった。
自分の部屋に入り扉を閉める。
カチャリ
後ろで扉が閉まる音がしたと同時に、自分のなかの何かもカチャリと音を立てた。
そして、その音と共に何かが自分のなかで崩れたのがわかった。
そして目の前が暗転した。
自分で世界を認識したのはそれから何時間たったときのことだろう、突然僕の意識は返ってきた。
泣きすぎて喉がヒリヒリと痛んでいた。
床には涙か鼻水かわからないほどの、水溜りが出来ていた。
それでもまだ嗚咽がとまらない、自分をもう一人の自分が客観的に見ていた。
それから徐々に分かれていた自分の魂は一人の健一という人間に戻っていき、完全に自分を取り戻した時ようやく僕は泣くのをやめた。
もう外は真っ暗だった。
時計を見たら0時を回っていた、僕は唐突に空腹感を覚えた。
どんなに悲しくてもおなかが空く。
僕は生きている、僕だけが生きている。
また泣きそうになったが、僕はそれをすんでのところで持ちこたえた。
なにか食べようと扉をあけると、廊下におにぎりが三つ置いてあった。
僕はそれを食べながら、また少し涙がでそうになった。
おにぎりはなんだかやけに塩辛かった。
腹がいっぱいになると、今度は眠気が襲ってきた。
僕はそのまま死んだように深い眠りに落ちていった。
次の日は土曜で学校は休みだった。
彼女だとは紹介はしたことはなかったが、僕たちが仲が良いのを知っていた母親は、僕を励ますのでもなく気をつかうでもなく、いつも通り接し一人にしてくれた。
僕にはそれはとてもありがたいことだった。
正午からの葬式は会場を一目みただけで、線香もあげずにきびすをかえした。
そして、僕は家に帰り身支度を整えるとスイミングクラブに向かった。
プールには、遊びに来ている子供や体力作りにきているさまざまな年齢の人たちがいた。
でもその隣に設けられている飛込み専用のプールには誰もいなかった。
ふざけて使われたら危険なので使用も許可がいるからだ。
僕はいつものように、係りの人に許可をもらうと迷うことなく十メートルの飛び込み台を駆けあがった。
数か月まえにようやく十メートルからの練習を始めたばかりだった。
次に彩がスイミングクラブに来た時に、飛び込みを見せて驚かせるつもりだった。
──彩、見てるかい?
僕はタンと飛び上がると一回転をして水面に入水した。
──僕は行くよ。このままずっと先まで。
その場の勢いで出た言葉はいつしか本当の夢になり、二人の大切な約束になった。
空っぽだった僕に、キラキラとした夢や暖かな気持ちを沢山詰めてくれた彩に、少しでも報いるために。
僕は一人でも進むよ。
「ありがとう。彩」
<木下健一編 完>
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