第08話 クリスマス イブ
終業式。
彩は暖かくなるまでスイミングクラブを休む予定だったが、なぜかその日、彩は僕とスイミングクラブの前で待ち合わせの約束をした。
プールに入るのだろうか? もう大丈夫なのだろうか? だが練習時間までまだだいぶ時間がある。
僕がいろんなことを考えながら彩を待っていると、彩がお待たせといって小走りにやってきた。
「あれ?」
僕はいつもと何かが微妙に違う彩に首をかしげた。
「わかった?」
僕の態度に彩はうれしそうにそう聞く。
「う、うん」
何が違うかと問われたら答えられないが、とりあえず彩がうれしそうだったので、それに合わせる。
「リップ、色付きなの」
初めてそこで僕は、先ほどから感じていた違和感がわかった。
でもそれを悟られまいと、「かわいい色だね」と言った。
「でもこれからプール入ったら取れちゃうよ」
僕がそういうと彩は、じゃあ今日は行かないことにしよ、と冗談ぽく言った。
「じゃあ、俺はここで」
僕も冗談で返した。
すると、彩は急に淋しげな表情をした。
僕は慌てて、「嘘だよ、一緒に行こう」と言った、しかし彩は拗ねたように口を尖らすと
「今日、なんの日か気がついてないの?」
と、恨めし気な視線を送って来た。
「何の日って、終業式」
そうじゃない。と彩は首を振る。
僕は益々混乱した。
その目に、目の前の家の玄関でチカチカ瞬くそれが飛び込んできた。
その瞬間、全てを理解した。
「クリスマス・イブだ」
いままで特に意識する必要がなかったので、すっかり忘れていた。
こないだ彩と帰る時、街がクリスマス一色なのをみて、早いねぇ、と二人で話していたのにだ。
「まだスイミングクラブに行くの?」
首を傾けながら上目遣いに聞いてくる。
「今日はクリスマス・イブだぜ、行くわけないじゃん」
僕がいうと調子がいいといって彩は笑った。
そうして僕たち二人は、といっても、彩はもともと休んでいるので僕だけだが、ずる休みしてイブの街に繰り出した。
冬の夜は早い。
四時を知らせる鐘が響くころには、空はすっかり暗くなり、そのぶんイルミネーションはとても美しく街を彩る。
道路に沿って植えられた木々には色とりどりの光が灯り。
道の横にはディスプレイを凝らした店が軒を連ねている。
店に用事があるとき意外早足に過ぎていく人達も、今日はゆっくり歩んでいるような気がする。
カップルたちは仲睦まじく腕を組みときに立ち止まりながら、その光の雫を見詰めている。
僕は少しドキドキしながら、僕たちも他の人たちには周りと同じようにカップルに見えるのだろうかなど考えながら、隣を歩く彩に歩調を合わせていた。
「木下君、今日は本当によかったの」
他のことを考えていた僕は突然の問いに戸惑った。
「本当は予定とか、あったんじゃない?」
僕の戸惑いを、どう取ったのか彩は口早にそう言った。
僕が「そんなのあるわけないじゃん、だってさっきまで今日がクリスマス・イブだったてことさえ忘れてたんだよ」というと、少しホッとしたように微笑んだ。
「でも、理恵先生には、会いたかったんじゃない?」
少し驚いた。
どうしていま理恵先生を持ち出したかさっぱりわからなかった。
しかし、彩の顔は真剣だった。
「なんで?」
こないだから、彩の会話にはちょくちょく理恵先生がでてくる。
確かに憧れの存在だろうけど、このタイミングで出るのはなにかおかしい。
「だって、木下君、理恵先生のこと……」
少し伏し目がちに彩が呟くのが聞こえた。
その時突然、彩が聞きたいことが僕にはわかった。
「俺は別に」
「じゃあ嫌い?」
「好きとか嫌いとかじゃなくて」
少し怒ったような口調になる。
「確かに尊敬はしてるし、憧れてるけど、そういうのってなんか違うでしょ」
「そうかなぁ」
釈然としないようにいう。
「だって、木下君いつも先生のこと見てるし」
「そりゃあ、教わってるんだから、少しでも技を盗まないと」
まだなにかを言いかけた彩に、僕は畳み掛けるように言葉を投げた。
「それに俺は!」
出かけた言葉を飲み込んだ。
彩の真っ直ぐな瞳が僕を見詰めている。
「俺は……」
ゴクリと唾を飲み込む。
僕を見つめる彩の目を見て、いまさらながら僕は彩が髪を切った本当の理由がわかった気がした。
そして、心臓がバクバク音を立てて加速していく気がした。
彩はもしかして……
違うと否定する声と、そうだという声が頭の中でする。
でももう一人の僕がやはり期待はするなと呼びかける。
期待すればするほど、ショックはでかくなる。
でも、聞きたい。僕は、真っ直ぐに彩の目を覗き込んだ。
そこに答えが書いてあるか確かめるように。
「ねぇ飯島、髪を切った理由は……」
「あっ、サンタクロース」
彩が何かをごまかすようにそう叫んで僕の後ろを指さした。
僕もつられて彩の指差すほうをみる。
そこには、確かにサンタクロースの格好をしたケーキ売りの店員が立っていた。
再び彩を見る。
彩は笑っていた。
僕は、残念なような、ホッとしたような、複雑な気分で、小さく笑い返した。
「なにか飲もうか、おごるよ」
しばらくイルミネーションを堪能した後、僕は彩に言った。
でも持ち合せあまりないから缶でいい。と付け加えながら、僕はポッケに直接入っていた小銭の中から500円玉を自販機に入れて「なにがいいと」問いかける。
「じゃあ暖かいコーヒーください」
「はい」
僕は暖かい缶コーヒーを買うと彩に手渡した。
「ありがと、じゃあ私も、はい」
片方の手で缶コーヒーを受け取りながら、もう片方の手で彩が僕にそれを差し出した。
それは、きれいにラッピングされたプレゼント。
「あっ、ありがと……」
彩からのおもわぬプレゼントに驚きつつ、内心「しまった」と舌打ちする。
僕はなにも用意いていないうえに、所持金もほとんどない。
「開けてみて」
「うわっ! すげえ! でも……」
出てきたのは防水機能付きの腕時計だった。
まえから欲しかったやつだ。多分話の中に出てきたのを彩は覚えていてくれたんだ。
うれしさと同時にさらに自分のおかれた状況を思い出し動揺する。
今月のお小遣いの残りがさっと頭の中を横切る。
今の持ち合わせ以前に、全財産をつぎ込んでも、お返しできるレベルじゃないことを悟る。
それが顔に出たのか。
「いいよ、いつもお世話になってるお礼だから」
「いや、そんなわけには」
「でもないんでしょ」
ウッ。と言葉が詰まる。
「今は……」
「来年は期待してるから」
彩はそういうとあの天使の微笑みを見せた。
「いや、来年は来年だ、今年だって」
僕は少し意地になって叫んだ。
こうなればお年玉を前借して。
そう考えてる僕を尻目に彩は缶コーヒーにほおずりをしながら歩き出した。
「あっ! ちょっと来て」
しかし彩はいきなり一つの露店の前で僕を手招きした。
「やっぱ来年ていうのは取り消し、今年はこれ買って」
「これって……」
おもちゃの指輪だった。
確かにお金がなかった僕にはありがたい申し出だったが、それではあまりにも格好悪い。
「これかわいい、おじさんください」
しかし僕の了解なしに、彩はおじさんともう話をつけてしまっていた。
「これつけて」
彩はそういって僕に指輪を渡すと、自分の右手を差し出した。
僕は仏頂面だったが、それでも彩に言われるがままその指輪を彩の指にはめた。
オモチャの指輪は、彩の細い指に綺麗に落ち着いた。
「ありがとう」
彩は自分にはめられた指輪をみながら僕に本当にうれしそうに微笑んだ。
そんな彩をみていたら、それだけでとても幸せな気分になり、もうそれ以上意地を張るのが馬鹿らしくなった。
「今度ちゃんとお礼するから」
「じゃあ、来年は本物の指輪にしてもらおうかな」
「えっ、それって」
なにかすごいことを言われた気がして彩を見る。それにさっきからさらりと来年の約束もしていることに気がついた。
「来年は無理だけど、いつかちゃんとした指、買うよ」
真っ赤になってそう返した僕に、彩も頬を染めながら、「待ってる」と返した。
幸せだった。
『神様お願いです。この幸せが少しでも長く続きますように』
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