第05話 夢
理絵先生が出るという大会の日がやってきた。
僕は待ち合わせの時間より15分も早く着いてしまい、時間をもてあましかけたが、彩はその5分後に来た。
「おはよう木下くん、まだみんなは着てないみたいだね」
開口一番の言葉に僕は、
「おはよ、えっ、みんなは会場で落ち合う予定だけど」
「えっ、そうなの……」
どうやら彩はみんなで待ち合わせていくと思っていたようだ。
間違いに気がついて少し顔を赤らめながら、ちょっと引きつったような照れ笑いを見せた。
「あぁ、みんなも一緒がよかった……」
「いや、そういうんじゃなくて、みんながいるもんだと思っていたからちょっとびっくりしちゃって」
この間のあっさりした返事の理由がわかるとともに、僕の頭は急に不安になった。
「じゃあ、行こうか」
僕はこれ以上留まっていることに耐えかねて、早口でそういうと歩き出した。
「あ……うん」
もしかして、二人きりというのは嫌だったかも。心配が頭をよぎる。
その時
「木下くん、ちょっと……待って……」
言葉にハッとして後ろを振り返ると彩が小走りについてきてる。
「ごめん」
僕は歩みが速かったことを素直にあやまり、それから彼女に歩調を合わせた。
その後も、会話らしい会話はほとんどないまま、僕達は会場に着いた。なんとなく気まずい雰囲気も、他の仲間に合流するとだんだん消えていった。
僕達はそれぞれ仲のいい友達と話しながら、先生が用意してくれた席に着いた。
僕と彩は偶然隣同士だったが、大会が始まるまではそれぞれ同姓の友達と話が弾んでいた。
それからしばらくして大会が始まった。
理恵先生は高飛び込みの選手でもある。
何人かの選手が飛び込んだ後、いよいよ理絵先生の番が回ってきた。
それまでの選手もみな素晴らしい飛び込みを見せていた。
先生が十メートルの飛び込み台の上に立った。
ほんの一瞬、僕達の席の方に笑顔を向けたようなきがした。
それから数秒後には、その体を空中に躍らせていた。
一回、二回、三回半
体を回転させ、最後に水面に吸い込まれるように姿を消した。
ほんの数秒の出来事。
でもまるで空を泳ぐように、先生は宙で舞っていた。
僕はその姿に心を奪われしばらく言葉が出てこなかった。
ハッとして横をみると彩も同じだったらしく、ポカンとした顔のまま僕の方に顔を向けた。
そしてお互い視線が合うと同時に、その頬は見るみる紅葉し、目をキラキラさせて叫んでいた。
「すっごーい!」
こんなに興奮する彩を、僕はいままで一度も見たことがなかった。
「すげー理恵先生格好いい」
しかしそれに負けずに僕も叫んでいた。
それから二人は周りの目も気にせず、『すごい』を連発した。それは全ての飛び込みの競技が終わり先生の控え室をでるまで続いた。
「今日は応援ありがとう、また来週みんな教室で会いましょうね」
控え室では、みなそれぞれ興奮して先生を褒めちぎっていた。
そんな時間もすぐに終わり、先生はまだ用事があるからと、帰りも生徒だけで帰ることになった。
会場を出て少しの間はみんな一緒だったが、途中からだんだん方角が分かれていき、そうして最期には僕と彩は再び二人っきりになった。
しかし行きの時とは違い二人になっても、理恵先生の高飛び込みの話でもりあがった熱は冷めず話ははずんだ。行きの気まずさなど嘘のようだった。
「ねえ、木下君は、将来何になりたい?」
突然の質問。そんなこと考えたこともなかった僕は答えに詰まった。
「飯島は?」
困って質問しかえす。
「私はねぇ、たくさんあるよ。看護婦さん、保母さん、スチュワーデスそれに、お花屋さんかケーキ屋さんでもいいな」
「なんだよ、結局決まってないじゃん」
そう指摘すると彩は可愛い顔をプッと頬を膨らませた。
「夢は多いほうがいいじゃない」
「そういうのって、夢っていうのか」
「いいの」
いつもは大人びて見える彩が、なんだか我儘な子供のように見えて、思わず微笑んだ。
「じゃあそういう木下くんは一つに決まってるの」
「俺は……」
人の夢に文句をつけたわりに自分はなんにも思い浮かばない、何もないなら、沢山ある彩のほうが勝っているように思えた。
「俺は、飛び込みのオリンピック選手だ!」
真っ白になった頭に唯一浮かんだのは、先ほどみた理絵先生の姿だった。
くるしまぎれの言葉に、しかし彩は素直に感嘆した。
「すごい、オリンピックか、かっこいいなぁ」
でもふと何かを考えるように指を顎に当てる。
「木下君って、そんな飛び込み得意だったけ?」
口元を手で隠しながら目を細めて見てくる。
「ウッ」
確かに、普通の飛び込みはできるけど……
そんな僕の様子を見逃さなかった彩は、「木下君、本当は理恵先生の見て今思いついたんでしょ」と、笑った。
まさか、彩にこんな風にからかわれる日が来るとは……
内心困っていると彩が眩しいものでも見るように僕を見詰めながら「私もできたらなぁ」と呟いた。
僕は一瞬ハッとしたように彩を見つめ返した。
さっきまでのからかうような目ではなく、羨望にも似た光があった。
「できるよ、一緒にがんばれば、きっと飯島も先生みたいに飛び込めるようになるよ!」
彩は一瞬小さく微笑んだ。
「そうだね、一緒にがんばろう、私の夢にも飛び込み台のオリンピック選手追加だね」
「そこまでいうか」
「いいの、夢なんだから」
大きく微笑む。
「そうだな。お互いがんばろうぜ」
僕はその花が綻んだような笑みに見とれながら、力強く答えた。
「エイエイオー」
そして変なテンションのままそんなおたけびを挙げ、彩の目を丸くさせた。それからすぐ二人して声をあげて笑った。
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