第二十五話 最終決戦
口火を切ったのは、詠であった。
「香夜、お願いだ。その本を渡してくれ」
それは、香夜との関係を兄妹に戻したいということを意味していた。
「兄さん、それだけは絶対にできないわ」
香夜から返されたのは当然の如く、拒絶であった。
ここに兄妹にて雌雄を決することが運命づけられた。
梨紅が詠に一瞬の目配せをして前に出た。香夜を前にした彼女は、それまでの鬱憤を晴らすのように猛っていた。
「力尽くでも渡してもらうよ……ッ!」
香夜が返すのは冷たい嘲笑だ。
「あなたには無理です」
言葉にのせられたのは、互いの意思を貫こうとする強き想い。魔力がせめぎ合い空間が軋んでいく。
魔法を使った戦いとは、より想いが強く、重く、大きいほうが勝つ。
「片手が塞がった状態でボクに勝てるつもりか?」
「あら、ちょうどいいハンデですよ。泣かして差しあげます」
ぴりきと梨紅のこめかみか引き攣る。
「吐いた唾飲まないでおきなよ……ッ」
「その言葉そのままお返しします。兄さんに手を出さず、虫ケラのようにコソコソと隅っこを這いずっていれば長生きできたでしょうに」
──踏み潰して差しあげますよ。
香夜は夜叉のように微笑み。
梨紅は修羅のように唇の端を吊り上げた。
殺気立った魔力に大気が震え、二人の髪が揺らめくように逆立つ。
ここからは実力行使の時間である。
それに合わせて詠も身構えた。
先程の一瞬のアイコンタクトで作戦を伝えあっていた。
梨紅が香夜の相手をする。
その隙を狙って詠が本を奪う。
そして栞を挟んで元の世界に戻す。
魔法の力で敗北して、辛酸を舐めた梨紅だが、魔法ランドのお化け屋敷の経験から魔法を使った戦闘術を習熟していた。負ける要素はない。
「──『がぁっ』──!」
梨紅が獣のように咆哮をあげ、魔法の力で突貫。
一歩目にしてギアをトップに入れ、二歩目にして音速をこえた。
「──『兄さんとの仲を引き裂く者を、わたしは決して許しはしない』──」
だが──
香夜が発するその言葉だけで、梨紅は背後にぶっ飛んだ。
「は……?」
詠が動く前に、事が終わってしまった。恐る恐る後ろを振り向くと、凄まじい速度で叩きつけられたためか、人型のクレーターができていた。
いやいや、ドラゴンボ〇ルじゃあるまいし。あり得ないでしょう。
あの梨紅が瞬殺されてしまった。
しかも指一本動かさず。
いや、そんなこと考えている場合ではない。梨紅の無事を確認しなければ。
すぐに彼女の元へ駆けつけようとしたが叶わなかった。
「どこに行くの、兄さん……?」
いつのまにか香夜が隣にいて、詠の手首を装飾具ごと握りしめていた。ブレスレットが音を立てて歪む。
「梨紅さんが、何かやらかした時のアラートになるかと思って見逃していたけど、──あの女の匂いが残る物を兄さんが身につけているのは、この上もなく不快よね」
ブレスレットが悲鳴をあげて砕け散った。それでいて詠の腕には傷ひとつついていなかった。
「兄さん、これからはずっとわたしと一緒よ。何人たりとも邪魔はさせないわ。閉じこめて、どこにも行かせないように。誰にも、触れさせないように。目も触れないところに」
彼女が開ききった瞳孔で、詠を見つめる。
詠の窮地に、梨紅が動こうとするが、──できなかった。
先程のダメージに加えて、いつのまにかレナが上から重力をかけている。
悪態をつきながら、拳を床に叩きつける。
「詠! 逃げろっ!」
そう言われても、詠は逃げることすらできなかった。
すでに魔法で拘束されていたのだ。
そのことに愕然として香夜の顔を見下ろした。彼女は嫣然と微笑みながら詠に愛を囁いている。
「ずっと一緒よ。もう、どこにも行かさないわ」
香夜の綺麗すぎる微笑みに、背筋が凍えた。彼女の言葉一つひとつに込められた重すぎる想いに世界が音をたてて侵食されていく。
勝てない。
この魔法世界でしか叶わない願いを持つ香夜の想いは、強大で、重く、歪みきっていた。だが、だからこそ想いは凝縮され、誰も敵わないほど想いは肥大化した。
ヤンデレ実妹は最恐ならぬ、最強でした。
まったく洒落にならなかった。
常識を残す詠と梨紅では、相手にならなかったのだ。
絶対絶命。
このままだと、梨紅は後腐れなく始末されて、詠は監禁エンドだ。
なんとかしなくてはならない。
焦燥とともに心から湧き出たのは──
──香夜に対する愛であった。
ここまで、されても詠は香夜を嫌う気持ちなど微塵もなかった。
だが、彼女の望む関係になることはできなかった。詠にあるのは妹に対する──ただひたすらに深い愛なのだ。
──諦めるな。
あるはずなのだ。
詠も、梨紅も、香夜も、全員が幸せになる道が。
詠は必死に模索する。身体はピクリとも動かない。実力行使以前の問題だ。
だが、言葉を発することはできる。
「香夜。聞いてくれ」
「なあに、兄さん」
思い出す。教師はこう言ったのだ。
──言葉こそ、魔法使いにとって最大の武器である。想いのこもった言葉こそ、この世に奇跡を起こすのだと。
「──兄妹という関係は、恋人に劣るものなのか?」
その言葉に香夜は顔は傷ついたかのように歪んだ。
それでも詠は言葉を止めなかった。
「俺は香夜のことが大好きだよ。そう、愛してるんだ──妹として」
今でも憶えている──自分にとって最も古いの記憶。にーちゃっ、と舌足らずな声で自分を呼び、一生懸命に後をついてくる大切な妹。絶対に自分が護るんだと幼心にそう誓っていた。
今でもずっと憶えている。
その想いは両親が死んでからさらに強固になり、絶対となっているのだから。
「それじゃあ、ダメなのか?」
香夜はその想いを拒絶するように激しく首を横に振る。
「でも、兄妹じゃ、結婚できない。キスも、セックスも……なにもできないじゃないっ!」
香夜の心が悲鳴をあげている。これは、壊れんばかりの彼女の嘆きだ。
それを兄の愛で包み込むように言葉を続ける。自分のこの想いを伝えるために。
「それでも、兄妹の絆は、──絶対だ!」
そこには結婚により絆を深める必要も、キスやセックスにより愛情を交わす必要すらない。
そこにあるだけで絶対的な絆。それは同じ血が流れているという事実であり、決してに切れることのない結びつき。
「どれだけ愛しあっている恋人でも、どれだけわかりあった夫婦でもいつかは別れ、離れ離れになってしまうかもしれない。だけど、妹は一生どんなことがあっても妹だ! 別れることなどありはしない! この絆は永遠なんだよ!」
彼女にダメージを与える魔法など存在しない。
だが、言葉そのものを防ぐことなどできはしない。
「お前は俺の最愛の妹だ! それを否定する者は絶対に許さないっ。たとえそれが香夜であってもだ!」
──この想いが伝わらないなど、ありえるはずがない!
心の内は、香夜への愛でいっぱいだった。そこには、あらゆる思い出があった。幼い頃の香夜の笑顔、はにかんでいる香夜、詠を困らせようとする香夜。そのすべてが愛おしい。彼女のためであれば詠は死ぬことすらできる。この想いを消すことなど誰であってもできはしないのだ。
その愛は、香夜の心のやわらかいところを容易く貫いた。
「…………っ!」
香夜はその愛にあらがうことができなかった。兄の愛に包まれ彼女は崩れ落ちた。その手から本がこぼれ落ちる。
「香夜。大好きだよ」
拘束の解けた詠は、そんな香夜を抱きしめる。
「おにい、ちゃん……っ!」
香夜は泣きじゃくった。まるで幼児のように。
詠はそんな彼女の背中をぽんぽんと優しくたたいた。
どれほどそうしていただろうか。
気がつけば、梨紅がそばにいて。レナが近くで香夜の様子を見ている。
香夜は泣き疲れ詠の胸で寝ていた。
レナが本を拾い渡してくる。
「いいのか?」
「はい、香夜の心が折れた今、私が抵抗する意味はありません。これを死守してこの世界で先輩と結ばれるというのは香夜の目的であって、私はそれに協力しただけですから」
私の目的は他の方法でも叶いますし、と小声で付け加えられる。
本を受け取り、しおりを最後のページに挟んだが、本を閉じることができない。
「なぜ?」
「──『来い』──」
本が宙を浮いた。
「──待てっ!」
気を抜いた瞬間で手が届かなかった。
その本を手にとったのは、──叔母であった。
「悪いな。あのとき、現場にいたのは私だよ」
まさかラスボスの後に、──裏ボスがいるとは思わなかった。
香夜以上に勝てる気がしない。
●△◽️
「……なんで、深月さんがあのときに?」
「なんでと言われると、ちゃんとイチャイチャしてるかの確認と、もしイクところまでいってるのであれば、コンドーさんを届けてやろうかと思ってな」
流石に子供ができるのはまだ早いしな、とニヤニヤしながら宣う。
激しく頭痛がした。
二重の意味で、嘘だといって欲しい。
さっきまでのシリアスな雰囲気を返せ。
──コホン、と咳払いをして、深月は神妙な顔つきを取り戻す。
「まあ、お前たちを焚きつけておいて、香夜にこの本を渡したのは悪いと思ってる」
深月はこの本の存在を知っていたという。
とはいっても、オカルトかぶれの祖父のたわいもない作り話だと思っていた。
幼少の頃に絵本の読み聞かせや、昔話と一緒に聞かされたのだと語った。
小さな頃の深月はその話をする祖父があまりに楽しげであったため、何度もその話をせがんだという。
随分なお爺さん子だったようだ。
だが、それは実話であった。
だから、この本が実在するのだとわかったとき──
「この世界であれば、香夜の願いは叶うのでは、と思ってしまった」
香夜の味方をすることは、絶対に出来はしないが、それでも──あの狂おしいまでに兄を想う香夜に、ほんの少しでも報われる可能性をを与えるべきではないか?
そう思ったらもう止まらなかった。
その時、私はアダムとイヴに禁断の果実を与えた蛇の気持ちがわかったよ、と深月は言った。
「私はそれがいけないことだと知っていた。だけど、それを与えずにはいられなかった」
──それが、罪だと、わかっていたのに。
深月は自嘲するように笑った。
その言葉からはたくさんの想いが溢れていた。
詠と香夜の両親の死からふたりには幸せになってほしいと願っていた。
香夜の願いを知ってた。
これが香夜の願いを叶えて、ふたりが幸せになる唯一の可能性だと思った。
その想いから痛いほど伝わってくる。血は繋がっていなくても、彼女は母だったのだ。
「でも、お前たちは、この世界を選ばないという答えを出した。であるならば、私はお前たちの意思を尊重するよ」
戦うことなく、深月は本を閉じた。
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