第二十三話 変わりゆく日々と変わらないもの
梨紅は学校への道のりを歩いていた。
由希と付き合いめてから、初めての登校である。
詠は相変わらず入院している香夜に付き添っている。魔力交換のためだと。
やがて互いにしか魔力交換できなくなり、結婚することになる。
心がざわめく。
結局、想いを貫いたのは香夜だったということだ。
教室に着き、自分の席に向かう途中、すでに着席している由希と目があった。優しく微笑んでくれる。
梨紅はぎこちなく笑みを返した。
めざとくそれを見ていたまりあから声をかけられる。
「梨紅ちゃん、どういうこと……っ?」
「えっと……」
梨紅は逡巡したが、結局はすべてを話した。
詠が香夜と生きていくこと。落ち込んでいる自分を由希が励ましてくれて、そして──由希と付き合うことになったと。
恐る恐るまりあの様子を伺うと、彼女は嬉しそうに手を叩いた。
「おめでとう!」
梨紅は心が凍りついたかと思った。
カメラオタクの謙二に想いを塗り替えられて、付き合っているまりあは優しく微笑んだ。
「梨紅ちゃんが詠くんをずっと好きなのは知ってたけど、これでよかったんだよ」
そう言われた瞬間、梨紅は叫びたくなった。
──こんなのはおかしい!
こんなのはおかしいこんなのはおかしいこんなのはおかしいっ!
だが、この想いを共有できるひとは、もう傍にはいない。手の届くところにはいてくれない。
もうあいつのものになってしまった。俯いて拳を握りしめる。
──ボクの想いはこんなにも弱いものだったの?
この想いは絶対だと、そう思っていたのに。
●△◽️
「赤坂さん、一緒に帰らない?」
由希からの誘いに、梨紅はぎこちなく頷いた。
由希は恋人同士になったからといってすぐに距離を縮めてくることはなかった。たわいもない話をしながら梨紅を家まで送り届けてくれる。
詠に会えず、その時間を埋めるように由希と過ごすことが多くなる。
物理的に離れた距離は、心の距離とも重なり、詠を脳裏に思い浮かべないことも増えていく。
そんな日々が二週間ほど続いた。
魔法世界による歪みも時が過ぎれば、ただの日常と化す。心は軋みながらも、
まりあの想いを塗り替えた謙二には、当初嫌悪感しかわかなかったが、彼は決して無体なことはしなかった。謙二がまりあを想う心は真摯で大切にしていることが
梨紅は、詠と香夜のことを振り切るように部活──陸上に没頭していた。
何本もダッシュを重ねて、詠に注いでいた想いすらも走ることに使い、自己ベストタイムを更新していく。
詠がいない日常が普通になっていく。もうすでに自分は、幼い頃の自分ではない。詠がいなくなったからといって心のバランスを崩すこともない。ただ心のどこかが欠け落ちたような喪失感だけは、どうにもならなかった。
自分は走ることによって何を手にしようとしているのだろう。たどり着くその先が、詠と交わることはもうないというのに。
そうして、一ヶ月の月日が流れた。
「梨紅さん」
部活終わりに由希が来る。一緒に帰るために待っていてくれたのだ。
「由希! お待たせ!」
彼に向ける笑みに、すでにぎこちなさは無くなっていた。
心のうちを占める由希の割合が増えていることがわかる。
由希は梨紅と付き合ったからといって、決して手を出そうとはしなかった。常に紳士的で梨紅の心が落ち着くのを──傷が癒えるのを待っていてくれた。優しく見守るような彼の微笑みが日々心に焼き付いていく。
彼の言葉に、どれだけの想いが込められているのかが伝わってくるようになった。
魔法世界は人にさらなる進化を促したのかもしれない。言葉は心の想いをより
梨紅の部活が終わるのを待って一緒に帰り、たまの部活がない休日に二人で遊び──デートに行ったりした。
「この前言ったけど、明日部活休みなんだ」
由希は優しく微笑んだ。
「じゃあ、前に話していた映えスポットに行ってみようか?」
その言葉に梨紅は笑った。彼が
「どうしたの?」
「なんでもないよ! 待ち合わせはどこにする?」
「そうだな……」
由希は少し視線を梨紅から外し、すぐに戻した。
「駅前に十時集合。向こうで昼ごはんも一緒に食べよう」
「オッケー! じゃあ明日ね」
話しながら帰っていると、もう梨紅の家の前だった。ちらりと詠の家に視線をやるが、すぐに引き離した。
「うん、また明日ね」
それに気づいても由希はなにも言わなかった。ただ優しく微笑んでくれる。
梨紅はそんな彼の心遣いを嬉しく思いながら、手を振って家の扉をくぐった。
●△◽️
映えスポットは水族館だった。
館内の空気は外に比べてひんやりしている。
「涼しいー!」
外の気温はいつの間にか高くなってきていた。もうすぐ初夏、衣替えを来週に控えている。
「外暑かったね」
「実は夏服になるのを楽しみにしてるんだ」
そんな話をしながら館内を巡る。
目的は、
「わあぁっ! きれい……」
海月の水槽を前に思わず見惚れてしまう。
由希を振り向き、綺麗だねと笑い合う。
由希のインカメラで写真を撮る。なるべなるべく手を伸ばすが、背景がいい感じに撮れない。
初々しいカップルに、周囲の一人が写真を撮ろうかと申し出てくれる。照れながらお願いする。
とても良い写真が撮れた。
今回の大目玉は達成した。
それからもゆっくりと館内を回る。
色々な熱帯魚などがいて目に楽しかった。
一通り館内を回り終えるといい時間になったのでランチにした。
水族館に併設しているレストランで昼ごはんを食べながら、午後はどこを回ろうかと話し合う。
由希から提案がある。
ここから近くにいいところがあるんだ。
サプライズでどこかは教えてくれない。
ウキウキしながらそこに向かう。バスで移動だ。
そこは公園の裏手にある高台であった。街の風景が一望できる
とてもいい雰囲気で、周りに人もいない。隠れスポット的な場所だ。
ここは由希の思い出の場所で、家族以外の人を連れてきたのは初めてだと、照れながら笑う。
由希の照れる顔は新鮮だ。マジマジと見てしまう。すると彼は顔を赤くして背ける。梨紅は面白くなってその顔を覗き込もうと回り込む。
必死に顔を背けていたが、とうとう目が合う。
由希は仕方がないと諦めたように少し目を細めて苦笑した。
その優しい瞳から目が離せなくなった。
それは恋人同士になった者たちの必然だったのかもしれない。
二人の間から会話がなくなり、視線が絡んだまま、互いに引き寄せられるような引力を感じた。
由希の顔が近づいてくる。
自然の流れで、梨紅も目を瞑る。
キスしちゃうんだ、と思った。そのとき脳裏に過ったのは──詠だった。
──鈴の音が鳴った。
ハッして目を見開く。
手首のブレスレット。
対のブレスレットを持つ相手を想うと鳴る、遊園地の帰りに詠にもらったものだ。
それが、鳴った。
それだけで。
たった、それだけのことで、思い知らされてしまった。
──できない。
どれだけ諦めたと思っても、どれだけ目を逸らしても、自分の心のうちには詠がいる。ボクが好きなのは詠なんだ。
彼以外とはできない。
瞳から涙がこぼれ落ちた。溢れるように詠への想いが湧き出てくる。
頬を濡らしながら彼の胸を手でおさえる。ほとんど力は入っていないが、それだけで由希は止まってくれた。
「ごめん……」
この世界はやはり大っ嫌いだ。
これだけの言葉に、梨紅の想いがのってしまう。どれだけ詠のことを想っているのが、彼に対しての裏切りが伝わってしまう。
それなのに自分が泣くのは由希に対して卑怯だ。そう思っても涙が止まらなかった。
それでも由希は梨紅に優しかった。とても気遣ってくれた。
「その言葉から、彼を想う心が伝わってきたよ。悔しいけど僕が入る隙間はないんだね」
顔では笑っているけれど、彼がとても傷ついているのがわかった。
その傷をつけたのは自分だ。
梨紅はずっと泣きながら謝ることしかできなかった。
由希に家まで送り届けてもらい、明日からは彼氏彼女ではなくなるけど友達でいてほしいと言われた。
梨紅は泣きはれた顔を俯けるように頷いた。
それから彼女は
服を着替えることすらせずにベッドに倒れ込む。まぶたをおろした瞬間から、強制停止されたかのように意識が落ちた。
それから梨紅は、一晩中寝た。
死んだように深く静かに。
それはぐちゃぐちゃになった心を整理するために必要な眠りだった。
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