第二十一話 壊れていく日常
最初におかしいと思ったのはニュースから。
死病である癌が想いの力で完治した。
死者を蘇らせる。反対にナイフや銃などよりも簡単に人を殺してしまう。
海外の無差別テロなども魔法により激化。
その死者を遺族の想いが蘇らせる。
世界が音をたてて歪み始めた。
休みの日に『本』探しは継続しているが見つからず。
梨紅は想いの力で走るのが速くなってきた。元々走りに対する想いは人一倍である。
香夜はいつにも増して詠に好き好きと絡んできて、いやに意識してしまうようになった。
そのことから、魔力交換もさけるようになっていた。
そんな日々に亀裂が入る出来事が起こった。
「あ、あ、あの、まりあちゃん!」
ドモリの謙二がまりあに声をかける。
「はい?」
「す、す、す、──好きです」
詠達の日常の破綻は、ここから始まった。
●△◽️
「謙二くんと付き合うことになったの」
その日は梨紅は朝から機嫌が悪かった。
香夜が熱を出したのだが、叔母の深月に外せない用事があり、詠が看病するということで学校を休んだ。
そういえば香夜は昔から病弱なところがあり、小さい頃は頻繁に熱を出して、今回のように看病の名目で詠を独占していた。
そのことを思い出してムカムカしているときに聞かされたその言葉は、まさに青天の霹靂であった。
「な、なんで……?」
「告白されて好きになったの」
意味がわからない。
でもなんで?
まりあは由希のことが好きだったのではなかったのか。
「うん、でも本当に好きじゃなかったのかなって、たぶん憧れてただけだったんだと思う」
だって、本当に好きなら揺るがない。もし揺らいだなら、それは本当に好きではなかったってことだし、と彼女は天使の笑みで言う。
梨紅は絶句した。
──なんだ、それは。
まりあの報告をたまたま近くで聞いていた女子が、まりあにも春がきたか! と声をあげた。それに誘われるように周囲から、よかったねと祝福の言葉が飛び交う。まるでおかしいと感じている人はいない。それを周囲は当然だと思っているのだ。あきらかに謙二とまりあでは釣り合っていないのに。
「……なんで、おかしいと思わないの?」
そう問われた女子は、それこそなんで、と返した。
「そこまで想われているなら幸せに決まっているじゃん」
梨紅はゾッとした。
間違いない、魔法が原因だ。
最近、魔法が原因で様々なことが起きていることはニュースで知っていたが、身近で起きると身の毛がよだつ。
これは──心が、想いが、塗り替えられている?
だが、この世界ではそのことを誰もおかしいと感じない。人の想いが勝手に塗り替えられているのに。こんなの洗脳となにが違うというのだ。
気持ちが、悪かった。
世界が歪んだのかと思った。
今すぐ、詠と話をしたい。
だが、あいつは香夜と一緒にいる。
なんでこんな大事な時に、詠がそばにいないのだろう。タイミングの悪さに
そんな彼女を由希が心配そうに見ていた。
●△◽️
「香夜、大丈夫か?」
最近、好き好きと迫ってくるので、接触を避けていた詠であったが、さすがに病床の香夜を放っておくわけにはいかない。
「……うん、ちょっと怠いかも」
熱で上気した頬、潤んだ瞳、そのすべてが詠を誘惑しているように感じる。実の妹なのに意識しすぎてしまう。
「兄さん、手を握ってくれない?」
「……ああ」
「兄さん……」
「なんだ?」
「好き」
言葉が心に刺さる。そこから何かを塗り替えられそうになる。理性が警鐘を鳴らした。
反射的に手を離そうとするが、香夜がそれを許さず、逆に手を引っ張られた。不意をつかれた詠は体勢がよろけて香夜に覆い被さりそうになる。咄嗟に腕をつき、彼女に触れないようにした。
だが──
「…………ッ!」
香夜が上体を起こし、キスをしてきた。タイミング的に避けることもできず唇が重なる。
茫然としたのは一瞬、すぐに突き放そうとしたが、香夜の行動のほうが早かった。襟首を掴まれ、体重をかけられる。
香夜の上に倒れ込むことは避けたが、その隣に転がった。
病人とは思えぬ力強さで、香夜が覆い被さる。腹の上に馬乗りされ、その臀部の柔らかさに身体が硬直した。
潤んだ瞳から目が離せない。
「兄さん、好きよ。大好き。愛してる」
香夜の蕩けきった顔が近づいてくる。
「今戻ったぞ。香夜は大丈夫か?」
そこに深月が帰宅した。
心配で早く帰ってきてくれたのだ。
詠はそのことで、呪縛が解けた。
香夜を押しのけて部屋から逃げ出す。
あまりの勢いで階段を駆け降りたので、それを見た深月が目を見開いた。
声をかけられたが、なんと言われたのかも気にする余裕がなく、香夜をお願いっ、と言い捨ててそのまま家を出た。
走ったせいか、それとも香夜のキスのせいか。
胸が痛いほど、ドキドキしている。
脳裏にキスをしてきた艶かしい香夜の顔がよぎる。
いっそう胸が跳ねた。
「香夜は妹だ」
苦鳴を吐き出すようにつぶやく。
妹を女として好きになる兄などいない。
「俺が好きなのは──」
──梨紅に逢いたかった。
●△◽️
梨紅はその日、鬱々として時間が過ぎるを待っていた。早退してしまおうと何度も考えたが、香夜の看病中に突撃しても、妹を優先するに決まっているのだ。過去の経験からそれがわかる程度には幼馴染をやっている。であれば深月が帰ってくるのを待って香夜の看病を代わってもらってからのほうがいい。つまり放課後に詠に会うのが一番いいのだ。
そのため梨紅は吐き出せない想いを抱え深く沈んでいた。
由希に心配されるが、この想いは元の世界を憶えている詠としか共有できないことだ。
早く帰って、詠と逢いたい。
そんなときに由希に呼び出された。
はっきりとそれどころではない。急いで帰る用事があると伝えると、帰る前に少し寄ってくれるだけで良いからと言われた。由希の真剣な表情に仕方がないと頷いた。彼は放課後でもあまり人気のない校舎裏に来て欲しいと言い残して先に行った。梨紅は帰りの準備を急ぎ鞄に教科書を詰め込むと足早に校舎裏に向かった。
そこで待っていたのは──
「好きです。付き合ってください」
由希からの告白であった。
予想だにしていない出来事に、頭が真っ白になった。
今の言葉が自分への恋慕だと認識するにつれ、顔が熱を持ち、胸が締めつけられるように痛んだ。何かが心に刺さったかのようだった。
何も考えられなくなった梨紅は、ごめんっ、とだけ言い残して逃げ出した。
俊足を活かして、学校から通学路の途中にある公園まで一気に走り抜ける。
大きなトンネルに滑り台がついたような遊具の影に隠れるようにして、ようやく足を止め、胸に手を当てた。
胸がドキドキしている。
自分がこのくらい走っただけで、動悸がこんなにも激しくなることはあり得ないのに。
由希の顔が自然と思い浮かぶ。
心臓がさらに大きく脈打った。
「いやだ!」
これは、想いが塗り替えられようとしているのだ。
「いやだよ……」
遊具を背にして、ずるずると座り込む。
──入ってこないで。
膝に顔を埋める。
「ボクの心に……さわらないで、お願い」
ボクが好きなのは──
座り込んだまま、顔をあげて空を見上げた。
「──詠。逢いたいよ……っ」
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