8-4 暴食令嬢は誓いを味わう
(……陛下が自分で準備をしないと意味がない……とは、どういうことなのかしら)
ブランシェがぼんやり考える間にも、お茶会の準備は着々と進んでいく。
ヴォルフラムは手にしていたバスケットから上品なティーセットを取り出し、ポットとカップをそれぞれ並べていく。ぴかぴかに磨き上げられた銀のスプーンでキンとティーセットを鳴らせば、何もなかったはずのポットとカップの底から湯が湧き、ティーポットと人数分のカップを温め始めた。
適度にポットが温まったところで、つぃ、とヴォルフラムの手がスプーンを動かす。匙が上へと持ち上げられる動きに合わせ、ポットとカップの中に注がれていた湯が浮き上がって水球と化した。
生活に使う魔法を応用した紅茶の淹れ方に、ブランシェの目は釘付けになった。
(すごい)
宙に浮く水球が急速に冷やされ、立ち上っていた湯気が消える。
ヴォルフラムがさらに銀のスプーンを動かせば、水球は傍にあった花壇の上に移動し、植えられた植物たちの上で弾け、花壇の土に吸収されていった。
ティーテーブルに置かれた茶器たちが魔法によって浮かされ、動かされ、一人でに紅茶の用意が進められていく様は一種のショーのようだ。
ブランシェたち人間が住まうクォータリー国でもやろうと思えばできるが、ここまで次から次に魔法を連発するのは難しい部分がある。これも、魔法の扱いに長けており、なおかつ魔力がふんだんにあるサントゥアリオ国だからできることなのだろう。
きらきらとした目で見つめるブランシェの視線の先で、ヴォルフラムがかすかに笑う。
彼はバスケットから紅茶の缶を取り出し、温められたティーポットの中に二人分の茶葉を注ぐ。その後、ティーポットをスプーンできんと鳴らせば、再びティーポットの底から湯が湧き上がった。
かちゃり。ティーポットに蓋がされ、蒸気とともに立ち上っていたわずかな紅茶の香りが和らいだ。
「そんなにきらきらとした目で見つめられると、照れるものがあるな」
「あ……す、すみません。生活に使う簡単な魔法で、こういう紅茶の淹れ方ができるとはと思ってしまって」
ヴォルフラムが柔らかい声色で呟いた声を聞き、はっと我に返る。
一瞬気分を害してしまったかと思ったが、彼が見せる表情は非常に穏やかなものだ。気分を害してしまったわけではなさそうで、内心ほっと息をついた。
「わたくしたち人間が暮らすクォータリー国にも、生活の中で使える魔法は存在します。ですが、多くの場合は手作業なので」
魔法が全く使えないわけではない。
だが、クォータリー国では、魔法を大々的に使う場面は限られている。生活の中で使う目的も火を簡単に起こしたい場合や、手の届かない場所の掃除をしたいときなど、ピンポイントで使う印象がある。
故に、紅茶を用意するという作業一つに魔法を使い続ける様子は、一種のショーか何かのように映るのだ。
「ああ……それでか。そちらの目には、少々変わったものとして映ったか」
「変わったものというよりは――」
そこで一度言葉を切り、ブランシェは自身の胸に芽生えた思いの形を探る。
最初に芽生えたのは、すごいという思いだったけれど。単純に『すごい』と表現するよりは。
「綺麗だった」
そうだ。
すごいと感じたけれど、それ以上に――綺麗だった。
独り言のような声量で呟いてみれば、ブランシェの中ですとんと納得ができた。
「とても綺麗だと。そう感じました」
日常の中にある、ささやかな美しい光景としてブランシェの目に映ったのだ。
まだかすかに胸の中に残るきらきらとした思いを抱えたまま、ブランシェは目をゆるりと細めた。
「……そうか。ブランシェ嬢に楽しんでいただけたのならば、何よりだ」
柔らかい声で嬉しそうに――幸福そうに、ヴォルフラムが呟く。
その後、バスケットへと視線を向け、再び手を入れる。中に収まっていたものが取り出されると同時、ふわりと甘い香りが空気に溶け込んだ。
「わあ……!」
ヴォルフラムが新たにバスケットから取り出したものは、豪華に飾り付けられたケーキだ。
丸い形をしており、表面は白くてふわふわとしたクリームの化粧が施されている。その上には、ツヤツヤとしたイチゴやカーネリアンベリー、ラピスベリーなどの甘酸っぱい味わいを楽しめる果実がたくさん載せられており華やかな印象に仕上がっている。その周囲を取り囲むように、柔らかな桜色をしたクリームが花のような形になるようにデコレーションされていた。
まるで、春を閉じ込めたかのようなケーキ。華やかさと甘酸っぱさを同時に楽しめるそれを前に、ブランシェの目が輝いた。
「すごい、とっても可愛いし美味しそう……!」
きらきらとした目でケーキを眺めていたが、ふと、気付いた。
ブランシェがお茶菓子を用意しようと思ってキッチンに足を運んだ際も、空気の中に甘い香りが溶け込んでいたはずだ。
「もしかして、キッチンが賑やかだったのは……これを作っていたから?」
ぱっと見た印象では、このケーキは非常に手が込んでいる。仮にケーキの内側をシンプルな作りにしたとしても、ここまで飾り付けられたケーキを短時間で用意するのはかなり急ぐ必要があるだろう。
答え合わせを求めるかのように、ブランシェがヴォルフラムへ視線を送る。
ティーテーブルの中央にケーキを置き、同じようにブランシェへ視線を返したヴォルフラムはどこか真剣味を帯びた顔をしていた。
ブランシェの問いに対し、ヴォルフラムが返すのは無言の肯定だ。
ヴォルフラムが指先を動かせば、紅茶の強い香りを放つようになったティーポットが浮き上がった。ティーカップの上で一人でに傾き、芳醇な紅茶の香りを漂わせながら中身をティーカップへ注ぎ入れた。
「……カルシェから、ファミン症が完治したと聞いた」
しばしの静寂ののち、ぽつり。
ヴォルフラムが吐き出した声が、温室の空気を震わせた。
一瞬考え込んでしまったが、すぐに思い当たった。王宮にいる人物のうち、ブランシェが患っていたファミン症が治った事実を知っているのは診察をしてくれていた医師だけだ。
こちらから報告するつもりだったが、すでにヴォルフラムの耳に届いていたようだ。
「はい。少々時間はかかってしまいましたが、無事に完治しました。療養として長く王宮に置いてくださったこと、心より感謝いたします。陛下」
感謝の言葉とともに、ブランシェは深々と頭を下げた。
頭を下げるほんの一瞬、わずかに見えた視界の中でヴォルフラムが苦々しい顔をしたような気がした。
「……こちらも、療養の場を提供することができてよかった。ブランシェ嬢のおかげで、俺も楽しい食事を思い出すことができた」
ブランシェがゆるりと顔をあげる。
まっすぐにヴォルフラムを見つめる紫の瞳の中に、ヴォルフラムの姿が映っている。
「……ブランシェ嬢。サントゥアリオ国に伝わる菓子の話は知っているか?」
「お菓子のお話……?」
わずかな間を置いたのち、問われた言葉。
サントゥアリオ国に伝わるお菓子の話といわれても、ブランシェの記憶には思い当たるものはない。お菓子に伝わる物語はそれなりに知っているほうだったが、その中にサントゥアリオ国で食べられているものはない。
元より答えは期待していなかったのか、ブランシェが何かいうよりも早く、ヴォルフラムが言葉を重ねる。
「我が国では、特定のときに贈られる菓子がある。その菓子はさまざまな果物を使って作られるフルーツケーキで、作る際に少しの魔力を材料やクリームの中に溶かし込む。それを使って焼き上げた菓子を相手が口にしたら、告白が成功したことになる。相手の魔力を体内に取り入れ、擬似的に一つになることで長く添い遂げられるようにする願掛けのようなものだ」
丁寧に作られたケーキは、いまだ変わらずティーテーブルの上に鎮座している。
「……我が国に伝わる伝統的なケーキだが、俺はこれを誰にも贈ることはないだろうと思っていた。だが、カルシェからの報告を耳にしたとき、これを作らねばならないと思った」
そこまで言葉を紡いだところで、ヴォルフラムが一度深呼吸をする。
彼が語る話がどういうことか理解できないなんてことは、さすがになかった。
「ブランシェ・シュネーフルール嬢。俺に食事の楽しさを思い出させ、ともに食べる喜びを教え、食事と結び付けられていた苦い思い出を薄めてくれたあなたを、俺は欲しいと思っている」
凛とした声で紡がれた言葉。愛を示すための言葉。
ヴォルフラム本人の唇から紡がれた言葉がブランシェの耳に届き、胸の中へ落ちていく。
「もし、俺の想いに応えてくれるのであれば。これを口にしてほしい」
鏡のように磨かれたフォークがブランシェへ差し出された。
ブランシェはフォークを見つめ、改めて己の目の前にあるケーキへと視線を落とす。
想いとともに告げられた言葉。長く添い遂げられるよう、願いを込めて贈られるもの。サントゥアリオに根付いている食事の文化のうち、非常に重要といえるものに触れている。
そう考えれば、目の前にある小さめだけれど豪華なケーキが非常に特別なものとして映った。
なるほど。想いを告げるために用意するものであれば、これは確かにヴォルフラムが彼自身の手で用意しなくてはならないものだ。
(わたくしの、想い)
己の想いは――答えは、もう決まっている。
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