8-2 暴食令嬢は誓いを味わう

 すれ違う使用人たちに挨拶をしながら、歩き慣れた王宮の中を移動する。

 来たばかりの頃は緊張していたが、今では落ち着いて歩けるようになった。顔見知りや親しい使用人も増えたけれど、これからはもう見かけないのかもしれないと思うと少々寂しくなる。


(陛下はどちらにいらっしゃるのかしら)


 かつかつ、こつり。ブランシェが一歩踏み出すたび、軽やかな足音が響く。

 時刻はまだ昼間。少しでも早くヴォルフラムにファミン症が完治したことを報告したいが、執務室で公務をこなしているかもしれない。もしそうなら、邪魔をするのは避けたいところだ。

 ゆったりとした歩調で歩きながら思考を巡らせていたが、その思考もすぐに中断することになった。


「……ブランシェ嬢?」

「!」


 聞こえた声に反応し、顔をあげる。

 ブランシェが向かっていた方向の先。廊下の曲がり角の辺りで、ヴォルフラムが立っている。

 こんなところで探していた人物と出会えるとは予想外で、ブランシェの足が一瞬止まった。

 ヴォルフラムもヴォルフラムで、少々ぽかんとした顔を見せていた。だが、すぐに気を取り直して表情を引き締めると、ブランシェとの間に空いていた距離を詰めてくる。


「奇遇だな、ブランシェ嬢。定期診察は終わったのか?」


 わずかに表情を緩めて話しかけてきたヴォルフラムへ、丁寧にカーテシー式のお辞儀をする。


「ごきげんよう、陛下。定期診察はつい先ほど終了したところです。陛下はどちらへ向かう途中だったのでしょうか」

「何、特別な場所に向かうつもりではない。公務の息抜きでもしようかと思っていたところだ」


 息抜き――ということは、ある意味、今がちょうどいいタイミングだろうか。

 下げていた頭をゆっくり持ち上げながら、ブランシェは考える。

 公務が完全に終わるのを待つのが最適解なのだろうが、そうなるといつ報告できるかわからない。ファミン症という、ブランシェがここに滞在する理由がなくなった今、いつまでもヴォルフラムの下で世話になるわけにはいかないだろう。

 一人、静かに思考を巡らせるブランシェへ、ヴォルフラムがいう。


「特に用がないのなら、俺の息抜きに付き合ってはくれないだろうか。アーヴィンドが新しい紅茶を持ってきたんだ。ブランシェ嬢にも味わってほしい」


 ヴォルフラムからの、お茶のお誘い。

 こんなタイミングで誘われるとは少々予想外で、ブランシェは一瞬きょとんとした顔になった。

 けれど、ヴォルフラムも話したいと思ってくれていたのなら、ちょうどいい。


「わたくしでよければ、喜んで。わたくしも陛下にご報告したいことがありますので」

「ほう? 興味深いな。では、お互いに準備が整い次第、いつもの場所で」


 楽しみに待っている――最後に一言告げ、ヴォルフラムはブランシェの傍を通り過ぎていった。

 いつもの場所というのは、ブランシェとヴォルフラムが二人だけで話をしたいときに利用している温室のことだろう。偶然温室内で出会ってからというもの、あの場所はブランシェとヴォルフラムが周囲の目を気にせずに好きなだけ話せる憩いの場所になっていた。


 ――もうじきに、あの場所で話をできなくなるのかもしれないけれど。


「……」


 つきり、と。わずかに胸が痛む。

 痛みを主張した自身の胸を軽くさすり、ブランシェは止めていた足を再び動かし始めた。


(いつかは、見つめなくちゃいけないことだけど)


 きちんと考えないといけないことでもあるけれど。

 いつか訪れる『そのとき』を考えると、どうしても苦しくなってしまうけれど。

 せっかくのヴォルフラムとのお茶会だ。暗い顔や湿っぽい顔はせず、純粋に彼との時間を満喫したいし楽しみたい。


「……さて! お茶会なら、まずはお茶菓子の用意をしなくちゃ」


 ぱしり、両頬を軽く叩いて気分を入れ替えた。

 ヴォルフラムが紅茶を用意してくれるのなら、こちらはお茶菓子を用意しておこう。あまり彼を待たせるわけにはいかないため、あまり大したものは用意できないかもしれない。

 だが、せっかくのお茶会なのだ。美味しい紅茶だけでなく、美味しいお茶菓子も用意して、より楽しい時間を過ごせるようにしたいところだ。


「何がいいかしら。ケークサレのこともあるし、ケーキ系は避けるべきよね」


 さっと用意しやすいのは焼き菓子だ。けれど、焼き菓子を持っていくことが多いため、気分を変えて焼き菓子以外でもよさそうだ。

 生菓子、干菓子、半生菓子。何を持っていくか考えれば、少々憂鬱だった気分も吹き飛び、自然と足取りが軽くなった。

 少しでもヴォルフラムが楽しんでくれるようなものを――そう考えながら、ブランシェは通い慣れたキッチンへと向かった。

 きっと、今回もルビアやメリア、ヴィルダたちも手伝ってくれるはずだ。


 そう、思っていたのだが。


「あっ、シュネーフルール様!?」


 キッチンへ姿を見せた途端、ルビアが驚いたような声をあげた。

 まだ夕食時ではないはずだが、妙に騒がしい。ルビアもメリアも、そしてヴィルダも、キッチンの中を慌ただしく移動して何かの用意をしている。

 ブランシェの鼻を甘い香りがくすぐり、何やら甘いものを作っていると予想ができた。


「ちょっとキッチンを使わせてもらいたかったのだけれど……何か作っていたの? わたくしもお手伝いしましょうか?」


 声をかけながら、ブランシェがキッチンの中へ入ろうとする。

 だが、もっとも近くにいたルビアが慌てた様子でブランシェへ駆け寄り、行く手を阻むかのようにブランシェの前に立ちふさがった。


「あ、あの、ここは大丈夫なので! ちょっと忙しそうに見えるかもしれませんが、全然! 問題! ありませんので!」


 いつになく必死な様子で、ルビアはブランシェの行く手を阻み続ける。

 彼女がそうしている間にも、背後ではメリアやヴィルダたちが駆け足な様子で何かの準備を続けていた。

 少しばかり背伸びをして何をしているのか確認しようとすれば、ルビアも同様に背伸びをし、全身を使ってブランシェの視界も塞いでくる。


「ほ、本当に大丈夫? なんだかすごく忙しそうに見えるのですけれど……」

「大丈夫! 大丈夫ですので……! あ、あの、シュネーフルール様は早く温室に向かわれてください! 陛下とのお茶会の約束があるって、陛下から聞きました!」

「え、そうだけれど……。え、あの、ルビア?」

「さあさあ、お早く! 遅れないように!」


 ルビアの手がブランシェの両肩に触れ、くるりと反対の方向へ向かせる。背中の中心辺りに彼女の手が移動したかと思えば、ほどほどに強い力でブランシェを押した。

 前方に数歩よろけながらも、押されるままに前へ歩く。何歩か前へ歩き、キッチンの入り口から強制的に離れさせられた。

 ルビアの手から伝わってくる温度が離れ、背後にいたルビアの気配が遠ざかっていく。

 戸惑いを隠せないまま振り返れば、キッチンの入り口に立ち続けているルビアの姿が見えた。


「……ど、どうしたのかしら。今日のみんな……」


 外部の人間であるブランシェには見せられない何かをしていた?

 だが、キッチンで? 執務室や公務に関わる部屋ならわかるが、キッチンでブランシェには秘密にしておきたいこととは?

 ルビアとその背後にあるキッチンの入り口を見つめながら考え込んでみるが、何も思い浮かばなかった。


「……まあ、入れないのだから仕方ないわよね」


 お茶菓子を用意できないのは申し訳ないが、ここまで厳重に立ち入れないようにされている以上、仕方ない。

 深く息を吐きだし、ブランシェはルビアに一度お辞儀をしてから温室への道のりを歩き始めた。

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