最終話 暴食令嬢は誓いを味わう

8-1 暴食令嬢は誓いを味わう

「……では、シュネーフルール様。今回の定期検査の結果をお伝えします」

「……お願いします」


 ごくり、と少々緊張した面持ちで、ブランシェはお世話になっている医師へ頷いてみせた。

 ブランシェがサントゥアリオ国へ療養にやってきてから、何度か繰り返されている定期検査。体内の魔力の状態がどうなっているのか、具体的に知ることができる唯一の瞬間。

 もう何度も繰り返して慣れたはずの時間は、どこか緊張感に満ちていた。


「今回の定期検査の結果は……」


 ゆっくりとした動作で、ブランシェと向かい合って座っている医師が手元の書類へ視線を落とす。

 一時的に診察室となっている客室の空気も、どこか張り詰めている。部屋の片隅で待機しているエリサの表情も固く、この場にいる誰もが真面目な顔をしていた。

 わずかな沈黙ののち、医師は真面目な表情を崩し、ぱっと晴れやかな顔をして検査結果を告げた。


「異常なしです!」

「……と、いうことは……!」

「ええ。ファミン症、無事に完治しました。本当によく頑張りましたね、シュネーフルール様」


 ほんの少しの間を置いた、次の瞬間。客室の空気をブランシェとエリサの歓喜の声が震わせた。

 ある日突然発症してから、ブランシェを長く悩ませてきたファミン症。一時は治すことができないのかと絶望感を与えてきたものが、ようやく自身の身体から取り除かれた。その事実は、ブランシェに強い歓喜と勝利感を与えた。

 医師も心底嬉しそうな顔をして、ブランシェとエリサが喜びあう様子を見つめている。


「いやはや……まさか、本当にファミン症を治すことができるとは。さすがはアーヴィンド様ですね」


 しみじみとした声色で呟きながら、医師は検査結果が書かれた書類を鞄にしまう。

 もうすっかり見慣れた、けれどこの先はもう目にすることはないだろう様子を見つめながら、ブランシェはふんわり笑った。


「あら、ディリアス様のお力も確かにあると思います。しかし、わたくしは先生が諦めず、ともにここまで戦ってくれたから得られた勝利だと思っています」


 従来の治療法が使用できない、大昔に存在していた病。

 医療が大きく発達した今の時代に、根絶しきれず密かに存在していた病が夜に現れたというだけでも厄介だ。それに加え、効果があるかわからない治療法で治療するしかないなんて、さじを投げられても文句はいえない。


 なのに、今目の前にいる医師は、不利でしかない状況でブランシェとともに戦ってくれた。必ず治すと約束し、何度も診察を繰り返して、ファミン症を治療してくれた。

 ブランシェがファミン症に打ち勝てたのも、彼が最後まで手を尽くしてくれたからだ。彼の力がなければ、ブランシェは今もファミン症に苦しめられていたに違いない。


「ですから、先生。手を尽くしてくださって、本当にありがとうございます」


 医師の手を握り、笑顔を浮かべたまま、感謝の言葉を伝える。

 対する医師は数回瞬きをしたのち、少々照れたように口元を緩ませて笑ってみせた。


「ここまで真っ直ぐに感謝を述べられると、少々照れますね……。ありがとうございます、シュネーフルール様」

「いえいえ。先生もお疲れでしょうし、ゆっくり休んでくださいね」

「おや、そういうわけにはいきません。ディリアス様が提唱した治療法が有効だと明らかになりましたから。早速、この治療法についてレポートをまとめなければ!」

「あら……ならば、どうか頑張ってくださいませ。しかし、絶対に無理はしないでくださいね?」


 数回瞬きをしたのち、ブランシェはわずかに苦笑を浮かべて医師の手を離した。

 確かに、これでファミン症の新たな治療法が明らかになったのだ。発表のためにレポートをまとめるのも重要だとは思うが――休息もとらずにレポートの作成に取りかかるのは、少々心配だ。

 だが、医師はブランシェのそんな心配も吹き飛ばすかのように、快活な表情で言葉を返した。


「ご心配なく、ちゃんと休息も挟むつもりですから。では、そういうわけなので……失礼いたします」

「ええ。本当にお世話になりました、先生」


 最後に深々とお辞儀をし、ブランシェは部屋を離れる医師の姿を見送った。

 扉が開く音がし、少ししてから扉が閉じられる。

 診察室から客室に戻った部屋の中、ソファーに座り直し、ブランシェはエリサへ視線を向けた。

 病が無事に治った今、やることは一つだ。


「エリサ、レターセットを用意してくれる?」

「かしこまりました」


 軽くお辞儀をしたのち、エリサが背後にある机の引き出しを開けた。一段目に入れられていた便箋と封筒の束から適当な模様のものを選び、ブランシェへ向き直る。

 差し出された便箋と封筒を受け取ると、ブランシェは早速便箋にペン先をのせた。


 かり、かり、かり。ペン先が便箋をひっかく音を奏でるたび、何も記されていなかった便箋に一つずつ黒いインクで記された文字が並べられていく。

 数分の時間をかけ、父に宛てたファミン症が治ったことを伝えるための手紙を書き上げると、囁く声でインクを乾かすために呪文を詠唱した。


「これでよし、と」


 ブランシェが口にした言葉に反応し、室内でわずかな風が巻き起こる。

 インクに含まれていた水分があっという間に奪われ、乾燥する。指先で文字をなぞっても問題ないのを確認したのち、便箋を丁寧に折りたたんで封筒へ入れた。

 最後に封筒へ宛名を記し、溶かしたシーリングワックスを垂らしてスタンプを押せば、完成だ。


「エリサ、インクとシーリングワックスが十分に乾いたらこの手紙を出しておいてくれる?」


 軽く身体を伸ばしたのち、エリサへ声をかけながらブランシェはソファーから立ち上がった。

 軽やかな足音を奏でながら向かうのは、廊下に繋がっている扉だ。


「かしこまりました。お嬢様はこれからどちらへ?」


 扉の前までやってきたところで足を止め、くるりと振り返る。

 ブランシェの髪と身にまとうドレスのスカートが風を含み、振り返る動きに合わせてふわりと舞った。


「陛下のところへ。ファミン症が無事に治ったことを伝えないといけないから」


 エリサに一言、そう告げてから。

 ブランシェは扉を開き、いつものように廊下へ一歩を踏み出した。

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