7-3 暴食令嬢は竜の怒りを見る

「陛下!?」


 思わず声をあげるが、ヴォルフラムがブランシェへ何らかの反応を返すことはない。

 彼の瞳は真っ直ぐチェルニーへ向けられており、彼女もまた、ブランシェと同様に驚愕に満ちた顔をしていた。


「ブランシェ嬢は、料理に毒や薬の類を仕込むような真似をする人間ではないのだが?」


 温かな言葉が、優しいぬくもりが、心を落ち着けてくれる香りが、ブランシェの心ごと全身を包み込んだ。

 ヴォルフラムの腕の中で、ブランシェは大きく目を見開いた。

 ブランシェが犯人ではないと強く信じている言葉だけでも十分嬉しく、ほっとしたものがある。


 だが、それ以上にブランシェ・シュネーフルールという少女について深く理解してくれており、どうしようもないほどに嬉しくなる。

 安堵感とくすぐったさと、言葉にできないほどの歓喜がブランシェの胸の中で渦巻く。

 内心ほっとするブランシェとは対照的に、チェルニーがはっきりとした焦りを滲ませる。


「何をおっしゃってるんですか、陛下! その女が犯人ではないのなら、一体誰が今回の騒動を起こしたというんです! その女以外に犯人はいないわ!」


 ヒステリックな声色でチェルニーが叫ぶ。

 その声色が示すとおり、今の彼女の心は穏やかではなかった。

 彼女の内心を見透かしたように、ヴォルフラムが肩を揺らし、声を押し殺して笑う。


「ああ、確かに一見するとそう見えるやもしれないな。だが、ブランシェ嬢は美食の地で育った方だ。食事というものの重要性を誰よりも理解している。……それに」


 一瞬だけ、ヴォルフラムの視線がブランシェへ向けられた。

 ほんの数秒という短い時間だったが、ブランシェを映し出した瞳には深い優しさと信頼が満ちていた。


「俺が少しでも多くの食事をとれるように手を尽くし、過去に気味が悪いと評されたのを知れば自分のことではないのに怒りを示してくれた――お前と違って」


 だが、ブランシェに見せた優しさは一瞬のうちに隠された。

 金と銀の瞳に再び冷たさが宿り、ぞっとするほどの冷たさを含んだ声が場にいる全員の鼓膜を震わせた。

 ヴォルフラムと対峙するチェルニーも、彼の腕の中にいるブランシェも、心を刺し貫く温度を前に言葉を失った。

 何もいえないチェルニーを前に、ヴォルフラムは冷たく笑って言葉を続ける。


「あと、少し興味深いことも明らかになった。――アーヴィンド」

「はい」


 一言名前を呼ばれ、アーヴィンドが一歩前へ出た。

 アーヴィンドはアーヴィンドで、何やら不敵な笑みを浮かべており、焦りや緩やかな恐怖を感じさせてくる。ヴォルフラムと異なるのは、彼の唇から紡がれる声は至って普段どおりである点だ。

 だが、表情と声色が一致せず、余計に不安感や恐怖などの感情を駆り立ててくる。

 二人とはまだすぐに数えられるほどの日数しか交流していないが、さすがのブランシェでもわかる。


 ヴォルフラムとアーヴィンドはおそらく、憤っている。

 何に? ――目の前にいる、チェルニーに。


「当日、王宮内にいた使用人たちから話を聞きました。結果、キッチンにメイドが入っていくのを目撃した人が何人かいました」


 言葉を発しながら、アーヴィンドが指先で宙を撫でる。

 わずかな光が彼の指先で弾けたかと思えば、瞬きを一つするころには、アーヴィンドの手元に書類の束が現れていた。遠くにあるものを手元に呼び出す転送魔法の一種だ。

 遠目から見てもわかるほど、びっしり文字が書き込まれた書類の束をアーヴィンドの指先がめくっていく。


「王宮で働くメイドたちが身にまとっているものと同じ衣服を身にまとっていたため、当時はここのメイドの一人だと多くの者が考えていたようです。しかし、あとから思い返してみると、あまり見慣れない顔だったという証言が多く集まりました」


 そういえば。

 そういえばあの日、チェルニーの傍には見慣れないメイドの姿があった。

 あのときはチェルニーが連れてきた彼女の家のメイドだろうと思っていたが、もしかして。


「……それから。ベルニエ様、あなた様のご実家は少々力を欲しているようですね?」


 ひゅ、と。

 チェルニーの喉が音をたてた。

 勝利を確信していた表情が完全に崩れ、驚愕と焦り、そしてわずかな恐怖の色で塗り替えられていく。

 顔色を悪くするチェルニーとは対照的に、アーヴィンドは笑みを浮かべたままだ――その瞳の奥に、楽しそうな光を煌めかせながら。


「な、何のことかしら。私にはさっぱりよ」

「おや、そうでしたか? しかし、このような話を耳にしましてね。なんでも、ベルニエ家に雇われたと主張する不届き者がとある家の情報を流出させ、余計な不安を与えていたとか。ここ最近、急速にベルニエ家が力をつけているという噂もありますね」

「し、知らないわよ! 知らない! 他の領地に潜り込んだ奴のことなんて知らない!」


 チェルニーがヒステリックな声で叫びながら、後ろへ一歩下がる。

 彼女が発した言葉を耳にした瞬間、アーヴィンドの瞳がきろりと一層強い光を放った。かと思えば、彼が浮かべていた笑みがどんどん深くなっていく。


 まるで、獲物を追い詰めた肉食獣のような。


「……私は『ベルニエ家に雇われたと主張する不届き者』としかいっていないのですが」

「――!」

「なぜ。ベルニエ様はその不届き者が他の家の領地に潜り込んでいたことをご存知なのでしょうか?」


 チェルニーの表情がますます青くなっていく。

 ばっと助けを求めるように周囲へ視線を向けるが、チェルニーに向けられる視線はいずれも鋭く、冷たいものだ。ヴォルフラムへ同様の視線を向けても、彼から返ってくる視線もひどく冷たく、温度を感じられない。

 ひぅ、ひぅ。チェルニーの細い喉がか細い呼吸音をたてている。


「な、何、何のこと」

「当時、あなたがメイドを連れていたことはすでに使用人たちへの聞き込みで明らかになっています。それに加え、あなたが先ほど口にした内容。……シュネーフルール嬢よりも、あなた様のほうが怪しいと我々は判断しています」

「そんな! 陛下、アーヴィンド様! お二人は騙されているんです! 犯人は――」


 自身にとって極めて不利な状況であるにも関わらず、チェルニーが大声をあげる。

 だが、彼女の懇願は聞き届けられることなく、無慈悲に切り捨てられた。


「黙れ」


 ヴォルフラムの声によって。

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