7-2 暴食令嬢は竜の怒りを見る

 王宮で日々を過ごす中で、何度も聞いた低く、落ち着きのある声。

 だが、普段ブランシェがよく耳にするものとは異なり、どこか不愉快そうな色も混じった声だった。

 その場に集まっていた使用人たちの視線が一斉に声がした方向へ向けられる。

 ブランシェとチェルニーも同様に、声が聞こえた方向へと視線を向けた。


「耳障りで仕方ない」


 かつん。苛立ちを含んだ靴音が空気を震わせる。

 騒ぎが起きている場に姿を見せたヴォルフラムは、はじめて出会った日のような冷たさを感じさせる目をしていた。傍にはアーヴィンドが控えており、近くにはエリサの姿もある。

 ゆったりとした歩調で歩いてくるヴォルフラムを見た瞬間、チェルニーがぱっと花が咲くような笑みを浮かべた。


「陛下!」


 ブランシェが呼びかけるよりも早く、チェルニーがヴォルフラムを呼ぶ。

 そして、軽やかな足取りでヴォルフラムの傍へ駆け寄り、ブランシェを見た。


「陛下、ご無事で何よりですわ。陛下に危機が迫ったと話を聞いたときは本当に驚きましたし、ぞっとしました」

「……昨夜のことを知っているのか。一部の者しか知らないと思うのだが」

「あら、使用人が教えてくれましたわ。ブランシェ・シュネーフルールがキッチンによく出入りしていたという話も!」


 ヴォルフラムの瞳が、ブランシェの姿を映し出す。

 一度目にしたことがある、氷のような冷たさのある瞳――はじめて出会ったときはその瞳で見つめられても緊張する程度だったのに、今は心に痛みが走った。

 まるで、ヴォルフラムと言葉を交わした日々が消え去ってしまったかのようで、苦しくて仕方ない。


(そんなわけ、ないのに)


 けれど、ヴォルフラムに今回の騒動がブランシェだと思われてしまったら?

 ブランシェがヴォルフラムと接していたのは、今回の騒動を起こしやすくするためだと思われてしまったら?


 ブランシェが一人静かに痛みと不安に耐える間にも、追い打ちをかけるかのように、チェルニーが言葉を並べていく。


「きっとブランシェ・シュネーフルールが今回の騒動の犯人に違いないと思いますの。誰にも怪しまれずにスープへ薬を仕込んだまではいいけれど、バレそうになって自分が犯人ではないと思わせるためにわざとスープを飲んだ。そうに違いないわ!」

「違います。お言葉ですが、陛下。わたくしは一切そのようなことはしておりません。あの場にいたメイドやシェフたちから話を聞けば、そのことが明らかになるはずです」

「そ、そうです! シュネーフルール様がそのようなことをする理由がありません!」


 少々食い気味に、ブランシェは言葉を紡いだ。

 周囲にいた使用人のうちの一人も声をあげ、ヴォルフラムへ意見を述べる。それを皮切りに、他の使用人たちからもブランシェが犯人ではないと主張する声が次々にあがった。

 瞬間、上機嫌そうだったチェルニーの顔に怒りが戻り、鼻で笑う。

 その表情を目にし、確信した。


 チェルニーは、今回の騒動を完全にブランシェがやったことにしようとしている――!


「大勢の使用人を上手く手なづけていたみたいだけれど、残念ね。状況的にどう考えてもあんたしか犯人がいないのよ。陛下を惑わせるようなことをいわないでくれる?」

「惑わせるようなことも何も、実際やっていないのだからやっていないと主張するのは当然のことでしょう」


 反論を繰り返すブランシェの声にも鋭さが交じっていく。

 当然だ。こちらは見に覚えのない罪を一方的に着せられそうになっているのだから。よりにもよって、密かに想いを寄せている相手の前で。

 冷静だったはずの心に熱が生まれ、マグマのように沸き立つ。

 ヴォルフラムに勘違いをされたくない焦りと、こちらに罪を着せようとしてくるチェルニーへの怒り。二つの感情がブランシェの心で一気に膨れ上がっていた。


「静粛に」


 かつん。

 ヒートアップしそうだった空気を、アーヴィンドの涼やかな声と、彼が持つステッキが床を叩く音が一気に冷却した。

 一瞬で場が静まり返り、ヴォルフラムを除くその場にいる全員がアーヴィンドへと視線を向けた。

 無数の視線にも臆せず、アーヴィンドはにっこりと微笑みを浮かべる。


 普段、彼がよく浮かべる穏やかな微笑みに近かったが――どうしてだろうか。ほんの少しだけ、恐ろしさも含んでいるように感じた。

 時間にして数分、けれど感覚ではうんと長く感じられる空白のあと。静かに口を開いたのは、ヴォルフラムだ。


「……大体の主張はわかった。ベルニエ嬢、あなたはブランシェ嬢が料理に薬を盛ったと、そう思っているんだな?」

「ええ! それができるのは、どう考えてもブランシェ・シュネーフルールただ一人です!」

「そうか」


 ヴォルフラムが一歩を踏み出し、大股でブランシェへ近づいてくる。

 わずかに肩を跳ね、ブランシェは思わず目を閉じた。

 彼の唇から紡がれる鋭い言葉が自身を切り裂くのを覚悟した――が。彼の唇からブランシェの身を切り裂く刃は紡がれなかった。


「だが、おかしい話だな」


 かわりにブランシェの身体に伝わってきたのは、優しい体温とヴォルフラムがまとう香りだ。

 驚き、目を開けば、ブランシェの身体を抱きしめるヴォルフラムの姿がそこにあった。

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