第七話 暴食令嬢は竜の怒りを見る

7-1 暴食令嬢は竜の怒りを見る

 夜が明けてからも、ブランシェの体調に大きな変化はみられなかった。

 眠っている間に悪化する可能性もあったが、眠る前に口にした薬草茶の効果は大きなものだったようだ。ティーカップ一杯分でここまで体調がよくなるなんて、クォータリー国にある薬草よりも効果があるのかもしれない。


(この調子なら、すぐに普段どおりの体調に戻りそう)


 かつり、こつり。軽やかな足音を奏でながら、ブランシェは王宮の廊下を歩く。

 時間は朝。朝食をとり、昼へと向かいつつある今の時間は非常に穏やかなものだ――窓の外は、だが。

 王宮の中は窓の外と異なり、やはり緊迫した空気に包まれている。昨日、ブランシェが倒れる騒動が起きたせいか、昨日よりもピリピリしているように感じた。


(陛下が精神的に無理をしていないといいのだけれど)


 窓の外に広がる景色を少しだけ眺め、一人、小さく息を吐きだした。

 王宮内がここまでピリピリしていると、ヴォルフラムにかかる精神的な負担は大きなものになる。アーヴィンドや臣下たちがサポートに入っているだろうが、どうしても心配になってしまう。


(リクエストのケークサレを用意するときは、本当に気合を入れて作らなきゃ)


 一人、心の中で決意しながら、ブランシェは黙々と歩を進める。

 まっすぐキッチンの方角へ向かっていたが、背中に投げかけられた声がその動きを中断させた。


「ブランシェ・シュネーフルール!」


 金切り声にも近い、鋭い声が鼓膜を強く震わせた。

 突然の声に驚き、ブランシェは思わずびくりと肩を跳ねさせた。

 ばくばく音をたてて驚愕を主張する心臓を押さえながら、ブランシェは振り返る。


 ブランシェが見つめる先には、昨日も目にしたばかりの姿がある。昨日とは異なるデザインをした豪奢なドレスに身を包み、長い髪をツインテールにしている。首元や手首もアクセサリーで彩られており、全体的に豪華な印象を与えていた。

 かつかつとヒールを鳴らし、チェルニーは大股でブランシェとの間にあった距離を詰めていく。


「ブランシェ・シュネーフルール! 探したわよ!」


 こちらに言葉を投げかけてくるチェルニーの目元は釣り上がり、鋭さを含んでいる。

 誰の目から見ても怒っている――はっきりとそうわかる表情をしており、ブランシェに対してその感情をぶつけてきている。


 だが、ブランシェからすると、昨日出会ったばかりの相手にここまで強い怒りをぶつけられる理由がわからない。何かしてしまったのならわかるが、チェルニーとは昨日少し会話をした程度で、今日に至っては今ようやく出会ったところだ。

 思わずブランシェの表情に戸惑いが滲んだが、それすらも気に入らないといいたげにチェルニーが目元をよりはっきりと釣り上げる。


「昨日ぶりですね、ベルニエ様。わたくしに何かご用でしょうか?」

「何かご用か、なんて。しらばっくれるつもり?」


 チェルニーの物言いに、ブランシェは顔をしかめる。

 しらばっくれるつもりかなんていわれても、ブランシェには心当たりになる記憶はない。目の前にいる令嬢をここまで怒らせる真似をした記憶はないし、王宮の中で何か怪しい動きをした覚えもない。


 いきなり怒りを向けられている戸惑いと、わずかな嫌悪感に近い感情がブランシェの中に広がる。

 チェルニーも同様にブランシェへの嫌悪感を感じさせる声色で、さらに詰め寄ってくる。


「聞きましたわよ。昨夜、陛下がお召し上がりになる料理に薬が盛られていたと」


 ぴくり、と。ブランシェの指先がわずかに反応した。

 戸惑いとわずかな嫌悪に満ちていた心が急速に温度をなくし、ブランシェの表情からも温度が消えていく。


「……どこでそれを?」

「ここの使用人から聞いたの。私、これでもここの使用人たちとは仲が良いのよ?」


 そういって、チェルニーは強気に、勝ち誇ったように笑う。

 だが、彼女の言葉を聞いた瞬間、ブランシェの脳裏にルビアやメリア、ヴィルダたち使用人の言葉がよぎった。

 チェルニーと仲が良い使用人もいるのかもしれない。けれど、昨夜聞いたエリサの報告やルビアたちの主張がどうしても頭の中をちらつく。


 今、目の前の令嬢が口にしているのは本当なのか?


「あなたの仕業なんでしょう? 今回の騒動は」

「……は?」


 思わず、ブランシェはぽかんとした顔をした。

 今、チェルニーは何といった?


「使用人から話を聞いたときに、一緒に教えてもらったの。あなた、キッチンによく出入りしてるんですって?」

「……ええ。陛下からお許しをいただいたので、出入りさせてもらっていますが」


 ブランシェとチェルニーの騒ぎに気付いたのだろう、周囲がざわめきつつある。

 ちらりと周囲に目をやると、不安そうな顔や不思議そうな顔でこちらを見る使用人の姿もちらほらと見えた。

 少しずつ、けれど確実に人が増えてきている中、チェルニーはヒステリックさを感じさせる声で言葉を返した。


「キッチンに出入りできるということは、例の薬を料理に仕込むことだって簡単にできるでしょう? キッチンにいる使用人たちともっと親しくなっていれば、犯行はより簡単になるわ」


 ざわ、と。周囲に集まってきていた使用人たちの間で、ざわめきが広がった。

 驚愕する者、訝しげな顔をする者、ブランシェに不審な目を向ける者、反対にチェルニーへ不審な目を向ける者――反応はさまざまだ。

 通常なら慌てる場面だろうが、ブランシェの頭の中は冷静さを保ったままだ。


(……なるほど)


 チェルニーが大声で声をかけてきたこと、その瞬間からブランシェに怒りを向けていたこと、全てが頭の中で繋がった。

 同時に、チェルニーが何をやりたいのかもおおよその予想がついた。


(わたくしを犯人だと思っているか、わたくしを犯人にしたいかのどちらかね)


 傍目から見て、ブランシェは犯人候補の一人になる。

 キッチンに出入りすることができて、使用人たちとも親しい。当日だって問題なくキッチンの中に足を踏み入れている。料理に薬を盛れる者の条件を満たしている。

 チェルニーが怪しい人間だと大勢の前で詰め寄れば、彼女の主張もあり、ブランシェがより怪しく見えてくることだろう。

 だが、ブランシェが犯人ではないことは、ブランシェ自身がよく知っている。


「ベルニエ様。わたくしは当時、薬が入ったスープを口にして倒れています」

「それが何?」

「わたくしが薬を入れた犯人だとすれば、そのスープを口にしたらどうなるかわかっています。わたくしが犯人ならば、どうなるかわかっているスープを口にするのは避けるのでは?」

「だから犯人じゃないって? わざと自分で食べて、犯人候補から外れようとした可能性だってあるじゃない。それだけで犯人じゃないなんて、考えが甘すぎるのではなくて?」


 チェルニーが腕組みをし、勝ち誇ったような表情のまま言葉を紡ぐ。


「状況的に怪しいのはブランシェ・シュネーフルール。あんたしかいないのよ。恩を忘れて陛下を傷つけようとするなんて、とんだ人間ね!」


 ブランシェへの嫌悪と怒り、そして勝利の確信。三つの感情が織り交ぜられた声が、ブランシェを糾弾する。

 対するブランシェは、彼女の言葉に耳を傾けたのち、静かに口を開いた。


「――朝から騒がしいな」


 しかし、ブランシェが言葉を発する前に、低い声が遮った。

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