6-6 暴食令嬢は痛みを味わう
かつり、こつり。静まり返った王宮の廊下にアーヴィンドの足音が響き渡る。
王宮全体が騒動に包まれていたのは、今から少し前のこと。落ち着きを取り戻した今はすっかり静まり返っており、王宮にいる多くの人物が眠りについていることを示している。
その中を一人、アーヴィンドは静かに歩いている。
「アーヴィンド」
凛、と。
声が響き、王宮の中に満ちている夜の気配を引き裂いた。
規則的に奏でられていた足音が鳴り止み、アーヴィンドが声のした方へ目を向ける。
アーヴィンドが立つ場所から右に曲がった位置。曲がり角になっている場所の壁に、声の主であるアーヴィンドの主君がもたれて立っている。
「ブランシェ様はご無事です。体調はずいぶんと楽になったようで、食欲もおありでした。あと数回ほどクラオトティーを飲めば、普段の体調に整うでしょう」
その場から動かず、我らが主君がもっとも知りたいと考えているだろう情報を口にする。
ちょうど曲がり角にいるため、アーヴィンドが立っている位置からヴォルフラムの姿は見えないが、わずかに息を吐く音が空気を震わせた。
「……そうか。なら、いい」
安堵に満ちたヴォルフラムの声を聞きながら、思い出す。
彼がどこまで自覚しているのかわからないが、ヴォルフラムはブランシェ・シュネーフルールという令嬢をとても気に入っている。
一連の騒動が起きたあとの夕食のときも、ブランシェの姿が見えないことに即座に気づくくらいには。
そして、彼女が倒れたと使用人たちから聞き出した瞬間、取り乱すくらいには――ブランシェを気に入っている。
「それと、ブランシェ様から興味深い情報が。ぜひとも我らが主君にご報告しておきたいのですが」
ヴォルフラムがまとっている雰囲気が変化し、廊下に満ちる空気に鋭さが混じった。
「話せ」
静かな声で、一言。ヴォルフラムは促す。
「ブランシェ様のご生家のほうで、上手く屋敷に潜り込んだ刺客が見つかったそうです。ブランシェ様がファミン症を患っているという情報を流出させ、シュネーフルール領の領民たちが不安感や不信感をもつように仕向けていたようですが……どうやらその不届き者は、ベルニエ家に雇われたと話したそうです」
ヴォルフラムからの返事はない。
だが、確かに感じる気配が、まだ彼がこの場にいる事実をアーヴィンドに伝えていた。
「ベルニエ家は、現在急激に力をつけようとしているそうです。刺客を送り込んで対象の力を削ぎ、相手が弱体化したタイミングで救うふりをして声をかけ、取り込む。マッチポンプというのでしょうか、そういう手口を繰り返しているようですよ」
ヴォルフラムからの返事は、まだ返ってこない。
アーヴィンドは、ヴォルフラムの気配を感じる方角へ視線を向けたまま、目を細めて唇の端を持ち上げた。
「――シュネーフルール領で起きていた騒動と、ベルニエ様の突然の来訪。少々穏やかではない何かを感じるとは思いませんか? 我らが主君」
しみしみと夜闇とともに、どこか鋭さを含んだ空気に満ちた廊下に静寂が行き渡っていく。
間もなくし、深い溜息をつく音が空気を震わせた。
「……あの女のことだ。何か企んでいるのは間違いないだろう」
ぽつり、と。
ヴォルフラムの唇から紡がれた言葉には、強い嫌悪の色が含まれている。
「ただの偶然である可能性もあるが、ただの偶然だといいきるにはあまりにもタイミングが良すぎる。姑息な手を使っているのなら、ベルニエ家から命令されて何か行動を起こしている可能性もあるが」
衣擦れの音のあと、靴音が廊下の空気を震わせた。
かつん、こつん。規則的に響く足音がアーヴィンドの鼓膜に届く。
廊下の壁から背を離し、ヴォルフラムの気配が足音とともに遠ざかっていく。
アーヴィンドも止めていた足を動かし、曲がり角を曲がってヴォルフラムの背中を追いかけた。
夜の王宮に、王と幼馴染であり信頼できる臣下の一人が足音を奏でる。
「怪しいのは事実だ。明日、またあの女が姿を現したら、お引取り願おうか」
「承知いたしました」
歩く足は止めず、アーヴィンドはヴォルフラムに返事をする。
ヴォルフラムが足を踏み出すたびにたなびくマントを眺めながら、アーヴィンドは一人、笑みを深めた。
宝を傷つけた竜の怒りを、少々体験してもらうとしよう。
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