6-4 暴食令嬢は痛みを味わう
「こんばんは、ディリアス様」
「ええ、こんばんは。少々遅くなってしまいましたが、お食事をお持ちしました。シュネーフルール様のお加減はいかがですか?」
アーヴィンドの柔らかな声が緊迫した空気をほんの少しだけ和らげる。
エリサも彼の声が持つ雰囲気につられ、口元を緩ませて微笑みを浮かべた。
「先ほど気が付かれたところです。先生からいただいたお茶のおかげで、だいぶ良くなりました」
「それならよかった。ルビアやメリア、ヴィルダたちから話を聞いたときは、本当に驚きましたから」
そういいながら、アーヴィンドが客室の中へ足を踏み入れる。直後、ふんわりと彼が持つトレイから食欲を誘う香りが漂った。
その香りに刺激され、ブランシェの身体がぎゅうと締めつけるような空腹感を訴えた。
起き上がったが、いまだベッドの上にいるブランシェの姿を目にし、アーヴィンドはほっとしたように息をついた。
「ディリアス様。わざわざすみません」
「いえ。起き上がれるまで回復したのならよかった。……ルビアたちに急遽作ってきてもらいましたが、食べれそうですか?」
アーヴィンドの手の中にあるトレイには、食欲を誘う香りをほわほわ漂わせる器がのっている。
少し鼻をくすぐるだけでも効果的だったのに、すぐ間近で感じるともう駄目だ。
くきゅる……と空腹を主張した腹を押さえ、ブランシェは小さく頷いた。
「はい。その……お恥ずかしながら、腹の虫が主張するくらいにはお腹がすいていて……」
腹が鳴るのは自分自身の力ではコントロールが難しいため、鳴ってしまってもある程度は仕方ない。だが、やはり人前で腹を鳴らしてしまうのは少々恥ずかしい。
ブランシェの腹から聞こえた音は、近くまで来ていたアーヴィンドの耳にも届いていたらしい。こちらを見る彼の表情は、心配そうなものから微笑ましそうなものへ変化していた。
「食欲はあるようですね、よかった。では、こちらをどうぞ。サントゥアリオでよく食べられているものなので、シュネーフルール様のお口に合うかどうかわかりませんが」
布団に包まれたブランシェの膝の上へ、トレイがのせられる。
トレイの上にある器には、卵粥のような料理が盛りつけられていた。溶き卵が放つふんわりとした優しい黄金色の中に、食べやすい大きさになるよう裂かれた鶏肉や、適度な大きさにした人参などの具材が混ざっている。柔らかくなった米も一緒に入っており、肉と野菜が作り出す優しい香りを漂わせていた。
どのような料理なのかを確認すれば、余計に空腹が刺激される。
「わざわざすみません、ディリアス様。いただきます」
「ええ、どうぞ」
一言断ってから、ブランシェは早速木の匙を手にとった。
そっと一口分をすくい、口に運び――舌の上に広がった風味に、思わず目を丸くした。
見た目から受ける印象は卵粥。しかし、卵粥とは異なる爽やかな酸味がブランシェの舌を刺激した。
肉と野菜のコクがある優しい味わいの中に、酸味と爽やかさが主張する。ぱっと見た印象ではサラサラとしたものを想像していたが、実際はとろみがあるスープのようだ。はじめて口にする味わいだが、不思議と食べやすい。
一口、二口と口へ運んでいきながら、酸味の正体を考える。
酸っぱいだけでなく、どこかフルーティーな印象もあるこの酸味は――。
「……もしかして、レモンが入ってるのかしら」
ぽつり、と小さな声で呟く。
すぐ傍で様子を見ていたアーヴィンドが一瞬驚いた顔をし、すぐに柔らかく微笑んだ。
「おや。さすがはシュネーフルール嬢、そのとおりです」
一言そういって、アーヴィンドは料理の詳細を話す。
「これは野菜、鶏肉、レモン、米、卵を使って作るサントゥアリオの料理です。基本的に玉ねぎを使いますが、どのような野菜を使うかで味わいが少しずつ変化します。野菜と鶏肉、そして卵の栄養を手軽に補給できますし、腹持ちもそれなりなので、体調を崩したときに多く食べられています」
「なるほど……。クォータリー国にも似たような料理はあるけれど、レモンは使わないから少しだけ驚きました」
けれど、レモンを加えることによって食欲が刺激されるように感じる。
クォータリー国ではなかなか口にできない味わいだけれど、コクのある旨味と爽やかさ、卵の優しい味わいを楽しめるこの味は悪くない。むしろ、この味は好きかもしれない。
器に米粒一つ残さないほど綺麗に食べ終わり、器と木の匙をトレイの上に戻す。
数分前まで切ない空腹を訴えていた身体はすっかり落ち着き、ぽかぽかとした温もりに包まれている。
ほうっと満足感に満ちた息を吐き、ブランシェはトレイをそうっと持ち上げた。
「ごちそうさまでした。美味しかったです。本当にありがとうございます、ディリアス様」
「いえいえ。綺麗に召し上がってくれたようで。こちらこそ、ありがとうございます」
ブランシェの声に反応し、エリサが素早く手の中にあったトレイを回収した。
両手の中が空っぽになれば、ゆっくりと話をする状態が整った。
部屋の空気も自然と緊迫感を取り戻し、ブランシェとアーヴィンドの表情が真剣なものへと移り変わっていく。
「さて……食事をとって一息ついたところで。今回の騒動について、詳しくお聞きしてもよろしいでしょうか。シュネーフルール嬢」
「ブランシェで構いませんよ、ディリアス様」
もうこんなに親しいのだ、いつまでも初対面の呼び方をされるのはくすぐったい。
前々から思っていたことを告げてから、アーヴィンドの問いに答えるため、口を開き直す。
「その件に関しては、わたくしもお話しようと考えておりました。今回のことは、サントゥアリオの王宮の中で起きたことですから」
そのうえ、きな臭い何かが起きている可能性が高い。となると、話さないという選択はない。
長時間話すと判断し、エリサが素早い動きでミネラルウォーターを用意した。
冷たく飲みやすいミネラルウォーターで喉の乾きを癒してから、何が起きたのかを話すため、言葉を紡いだ。
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