5-4 暴食令嬢は亀裂を見る
わずかな空白のあと、一瞬で真っ赤になったブランシェを見やり、ヴォルフラムはくつくつ笑っている。
「へ、陛下!?」
「ああ、驚かせたか? 悪いな」
「悪いなではありません! ほ、本当に驚いたんですからね、本当に!」
ブランシェは抗議の声をあげながら、まだ手の中に残っているパウンドケーキを今度こそヴォルフラムの手に持たせる。その後、一緒に持ってきた紅茶を手早くカップに注ぎ、もう片方の手にそれを握らせた。
くつくつと笑いながら、ヴォルフラムは新たに持たせられた紅茶を口に運ぶ。
どこか楽しげな様子を少しだけ恨めしげなじとりとした目で見つつ、ブランシェも自分の分のパウンドケーキを一切れ口に運んだ。
黄金色の断面を見せるパウンドケーキには、ずっしりとした重みとほどよい甘さがある。一緒に混ぜ込まれたドライフルーツがフルーティーな美味しさを加えており、ケーキでありながら食べごたえのある一品に仕上がっている。
切り分ける際に味見で少しだけ食べていたため、美味しく焼けているかどうかはちゃんとわかっていた。だが、キッチンでルビアたち使用人のみんなと食べたときとは異なり、ヴォルフラムと二人で食べている今のほうがより美味しく感じた。
その感覚が示している事実を、ブランシェは正しく認識している。
「……うん、やはり悪くないな」
上機嫌そうな声色で呟き、ヴォルフラムが表情を緩める。
彼と接し慣れている人でないと気づかないほど、わずかな変化。接し慣れている人でも、気をつけていないと見落としてしまいそうな微細な変化。
非常にわかりにくい変化だが、ブランシェが作ったものを口にした瞬間、表情を和らげてくれる。そんな小さな変化もブランシェにとっては大きな幸せだ。
「……陛下。何か食べたいものはおありでしょうか」
静かで、穏やかなお茶会。
静かに想いを寄せる相手との時間を、もう一度過ごしたい。
己の心に芽吹いた想いに背中を押されるまま、ブランシェはヴォルフラムへ小さく問いかけた。
「今回は急でしたので、パウンドケーキにしましたが……次は陛下が食べたいと思ったものを用意したいのです」
ブランシェが好きに作ったものを食べてくれるのも嬉しい。
だが、どうせならヴォルフラムが食べたいと思ったものを用意したいし、それを食べて喜んでもらいたい。
ブランシェが口にした問いはとても急なものだったが、ヴォルフラムは一瞬目を丸くした程度で文句を口にすることはなかった。
「そうだな……」
紅茶で口の中を潤し、ずっしりとした美味しさのあるパウンドケーキを再び口に運ぶ。
ケーキの甘さと紅茶の渋みが織りなすハーモニーを無言で楽しんでいたヴォルフラムの唇が音を紡いだ。
「ケークサレ、といったか。幼い頃に一度だけ食べたきりだが、久しぶりにあれが食べたい。できるか?」
ケークサレ。名前の響きは焼き菓子の一種に聞こえるが、実際のところは塩味のケーキのような料理だ。中に具材を入れて焼き上げる料理で、ブランシェもシュネーフルール領で過ごしていた頃に何度か食べたことがある。
料理の姿と大体の作り方を思い浮かべ、ブランシェは一人、静かに頷いた。
「ケークサレですね、問題ないかと思います。ケークサレなら、わたくしも領地で何度か口にしたことがありますから。味はこちらの地に近づけたほうがよろしいでしょうか」
ブランシェの返事を聞いた瞬間、ヴォルフラムの目が一気に輝いた。
きらきらとした瞳でこちらを見つめてくる姿は、まるで幼い子供のようで、なんだか微笑ましい気持ちになってくる。
「……ブランシェ嬢にとって馴染みのある味も、サントゥアリオの味で作ったものも、両方食べてみたい。頼めるか?」
ケークサレは、少々手間と時間のかかる料理だ。一種類作るだけでもそれなりの時間がかかるため、二種類となるとさらに時間と手間をかけなくてはならない。
しかし、他の誰でもないヴォルフラムのためなら、それくらいの手間と時間ならいくらでもかけてやろう。少しの手間と時間でヴォルフラムの笑顔が見れるなら、苦でもなんでもない。
「もちろん。片方はお食事の際に、もう片方はまたお茶会のときにお持ちします。楽しみにしていてくださいませ」
「なら、楽しみにしている。食事時にもそれ以外にも、ブランシェ嬢の作ったものを食べられるのはとても嬉しい」
とくり、とブランシェの心臓が音をたてる。
嬉しさとわずかな照れをごまかすように、ブランシェは緩く微笑んで自分の分のパウンドケーキを口に運んだ。
ヴォルフラムが楽しみにしてくれるのなら、とびっきり美味しいケークサレを作らなくては。
どんなケークサレにするか、頭の中で早速考える。
好きな人のために腕をふるう楽しみを目の前にして、ブランシェの心はわくわくとした気持ちに満たされていた。
けれど。
(……嬉しいはず、なんだけれど)
脳裏にチェルニーの姿が何度もちらついては消えていく。
なんともいえない嫌な予感のようなものも、ブランシェの心の中でわずかに主張していた。
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