4-4 暴食令嬢は心を溶かす
『一人であんなに食べるなんて』
『やっぱり魔族は――』
ぐ、と虚空を掴み、伸ばした手を静かに引っ込める。
食べたい思いと気力がまだ残っているが、一度あの声を思い出してしまえば続きを食べる気になれない。
ブランシェが作ったものを食べれただけでもよしとしよう――自分に繰り返し言い聞かせ、静かに持っていた食器をテーブルに置こうとする。
不意に。
「陛下」
ブランシェの声が、凛と響いた。
テーブルに食器を置こうとした手を止め、彼女を見る。
ヴォルフラムから席三つ分離れた場所に座っている彼女が、紫の瞳にヴォルフラムの姿を映している。
じ、と無言で見つめ返せば、ブランシェの顔がゆっくりとほころんだ。まるで、大丈夫だというように。
「お好きなように召し上がってください。ここには陛下が何かを召し上がっているお姿を見て、何か文句をいうような真似をする者はおりません」
柔らかい声で、ブランシェがヴォルフラムへ語りかける。
彼女の唇から紡がれた言葉を耳にした瞬間、ヴォルフラムは自身の中で疑惑の芽が顔を出すのを感じた。
(前に来た人間もそうだった)
表向きはこちらに好意的な顔をして、綺麗に聞こえる言葉ばかりを並べていた。
だが、裏ではどうだった? 魔族を下に見て、気味が悪いとまで言い放っていた。ブランシェも同じ人間だ、薄汚い本性を笑顔の裏に隠しているのかもしれない。
全ての人間がそうではないのかもしれないが、一度手ひどく裏切られている身からすれば人間全てがそうであるように思えてしまう。
――簡単には信用するな。内なる自分が耳元で叫ぶ。
「……は」
暴いてやろうじゃないか。本性を。
短く笑い、置きかけた食器を手の中に握り直した。
先ほど手を伸ばしかけた料理へ、今度こそ手を伸ばし、口へ運ぶ。
塩とレモンで作られた爽やかなドレッシングをかけたサラダ。一口サイズに切ったじゃがいもをホワイトソースとチーズの中に閉じ込めて焼き上げたグラタン。香辛料をたっぷりと使用して辛めに焼き上げたグリルチキン。さまざまな味の料理を味わって、楽しんで、また次を口にする。
かつてと同じように食べる姿に、臣下たちが目を丸くして驚いているのを感じた。
口の中に広がる味はどれも満足できるものだが、頭の中に繰り返し響く声が急速に味を感じさせなくしていく。
『気味が悪い』
『一人であんなに食べるなんて』
『やっぱり魔族と共存なんて無理よ』
『お父様の言うとおり、人間が管理しないと駄目だわ』
どれもこれも、過去に聞いた声。
最初から全て騙されていたのだとわかった瞬間に感じた痛みと、苛立ちがよみがえる。
感情に背中に押されるまま手元にあったパンを噛みちぎり、咀嚼し、飲み込む。
直後、こちらを見つめ続ける紫の瞳と目が合った。
「……気味が悪いだろう?」
ブランシェが何か言葉を紡ぐよりも早く、ヴォルフラムは冷たく笑う。
「かつて、ここに来た人間が口にした言葉だ。お前も同じ人間だ、どうせ同じことを思っているのだろう?」
さあ、本性を見せてみろ。上辺だけの言葉で取り繕う姿を見せてみろ。
お前の薄っぺらい仮面に爪を立てて、その下にある本性を引きずり出してやる。
緊張感のある空気の中、ヴォルフラムの視界の中で、ブランシェは。
「いえ」
重苦しい空気に気付いていないかのように、にっこり笑ってみせた。
「見ていてとても気持ちのいい食べっぷりだなと思っておりました」
「……は?」
ブランシェの唇から紡がれた言葉に、思わずぽかんとした顔をした。
そんなことはない、気にしないで――こちらを気遣っているかのように見せかけた薄っぺらい言葉が紡がれるのだと思っていた。
ところが、どうだ。彼女が口にしたのはどれでもない、予想もしていなかった言葉だ。
ヴォルフラムだけでなく臣下たちもぽかんとした間抜け面をさらしている中、ブランシェだけが柔らかい笑顔を浮かべていた。
「わたくしが作ったものも、ヴィルダたちが作ったものも、美味しそうに召し上がってくれるんですもの。見ていてとても気持ちがいいですし、作ってよかったと思います。作り手冥利につきるとはこのことですね」
と、いうよりも。
視線の先で、すっとブランシェが浮かべていた笑顔を消す。
「陛下にそのようなことをおっしゃったのは、一体どこの家のご令嬢でしょうか」
ブランシェの言葉一つ一つが、ヴォルフラムの心に響き渡る。
嘘をついているのだろうと考えたが、ブランシェの声色や表情からは嘘をついている気配がない。本心をばんばん口に出してぶつけてきている感覚がある。
「食べる量が人によって異なるのは当然。陛下の場合、魔力を常にサントゥアリオの地に巡らせているのですから、魔力不足に陥るのを防ぐために多くの食事をとるのは当然のことでしょう。そのことを考えもせずに気味が悪いなんて、あまりにも無礼では?」
顎の辺りに手をやったブランシェの唇から、次から次に言葉が流れ落ちていく。
笑顔や幸せそうな顔の印象が強い彼女から感じる感情は、明確な怒りだ。この場にはいない第三者へ向けた、強い怒り。
いつもにこにこ笑っている彼女が発する感情に触れ、ヴォルフラムの中ですとんと何かが落ちた。
(ああ――)
今、己の目の前にいる人間は、以前ここに来た者とは大きく異なる。
食事の大切さを訴え、ヴォルフラムのために使用人たちと協力して多くの料理を用意してくる姿。自分自身のことではないのに怒ってくれる優しさ。いずれも、以前ここへ来た令嬢が持っていなかったものだ。
ヴォルフラムが抱えていた人間への嫌悪や不信感を飛び越えて、柔らかく心へ触れてくる。
心なしか、視線の先にいる少女の姿がぱちぱちと煌めいて見えた。
「……はは。ずいぶんとお人好しだな、ブランシェ嬢。あなた自身のことではないのに」
怒っている人間を前にしているというのに、なんだか口元が緩んでくる。
己の怒りを理解する相手が身内以外に現れた。そのことが不思議と嬉しく思ってしまう。
視線の先にいるブランシェはきょとんとした顔をし、けれどすぐに表情を緩めた。
「わたくしは、食事の時間は楽しくあるべきと考えております。苦手な食べ物があってもまずいといわない、相手がよほどのマナー違反をしない限りは文句を口にしない等、ともに食事をとる相手が不快な思いをしないよう心がけています。ですので、過去に陛下がお会いしたご令嬢の言葉は許せないものです」
前半は緩やかな笑顔とともに、後半は少々険しい顔をして。
ブランシェが自身の考えを口にして、止まっていた食事の手をほんの少しだけ再開した。
小さな手がパンを食べやすい大きさにちぎって口に運び、まとっていた雰囲気をふんわりと和らげる。
表情で、雰囲気で、美味しいと訴えてくる彼女の様子は見る者にも幸福な気持ちを分け与えてくるかのようだ。
「なるほど。良い心がけだ」
くつくつ笑い、ヴォルフラムはまだわずかに残っていた料理を口に運んだ。
脳裏に聞こえていたはずの声はなく、感じなかったはずの味もしっかりと感じ取れている。何も恐れず、満足に食事をとったのは久しぶりだ。
それもこれも、サントゥアリオ国にやってきた客人の力だ。
「……欲しい、な」
はつり。
囁くほどの声量で思わず呟いた言葉は、誰の耳に届くことなく、静かに溶けていった。
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