第五話 暴食令嬢は亀裂を見る

5-1 暴食令嬢は亀裂を見る

「……ふむ。以前に比べ、魔力の異常がずいぶんと落ち着いてきているようです」

「……と、いうことは……」

「あともう少しすれば、ファミン症の症状が落ち着くでしょう。いやはや、一時はどうなることかと思いましたが無事に治りそうでよかった」


 ぱ、と自身の表情が一気に明るくなっていくのを自覚する。

 花咲く笑顔のまま傍に控えていたエリサを見れば、彼女もまた、優しい笑顔を浮かべて頷いた。

 窓の外に広がる青空は普段どおりのはずなのに、心なしか、いつもよりも綺麗に見える。

 心からの笑顔で笑い合うブランシェとエリサを見つめながら、彼女の診察を行っていた医師も安堵の息をついた。


 ブランシェがサントゥアリオ国に療養目的で来てから、数ヶ月が経過していた。最初は慣れなかったサントゥアリオの味にもすっかり慣れ、終わりのない強い飢餓感に悩まされることもない。

 アーヴィンドが提唱した治療法も効果があるかどうか、少々不安に思っていたが、この様子なら効果がありそうだ。


「本当によかった……。ありがとうございます、先生」


 感謝の言葉を告げ、ブランシェは目の前の医師へ深々と頭を下げた。

 治療法がほとんどないファミン症を必ず治すと約束し、定期的に様子を見に来てくれている相手だ。治るかどうかわからない症状を相手に、懸命に戦ってくれていることに感謝しかない。


「いえいえ、こちらもシュネーフルール卿からあなた様の身をお預かりしている側。無事にファミン症を治療できそうで安心しました」

「わたくしも、無事に治りそうで本当に安心しました。治らなかったら領地で待ってくれている父にも、領民の皆にも心配をかけてしまうと思っていたので」


 その場合は違う治療法を試すことになっていただろうが、できればそっちは選びたくないと思っていたので、心の底からほっとした。

 医師も同じことを考えていたのか、ほっとしたように表情を緩めながら、診察に使っていた道具を鞄の中に戻していく。

 鞄を押さえる留め具の音が空気を震わせる頃には、診察室になっていた室内は、元の客室に戻っていた。


「それでは、私はこれで」

「はい。本日もありがとうございました、先生。完治するまでもう少しお世話になります」

「もう少し頑張りましょうね。……ああ、そうだ」


 医師が部屋を出る直前、振り返ってブランシェを見る。


「しばらく陛下や臣下の一部がピリピリしているかと思いますが……どうかお気になさらずに」

「……?」


 一言、そういうと医師は今度こそ客室の扉を開き、外へ出ていった。

 どういうことなのか問いかけたかったが、ブランシェがどういうことなのか問いかけるよりも早く退室してしまったため、問いかけることはできなかった。

 静かになった客室の中で、ブランシェは首を傾げた。


「陛下がピリピリ……って、何かあったのかしら」


 首を傾げ、小さな声で呟く。

 特に誰へ向けたものでもない独り言に、エリサの声が返す。


「わかりませんが……ここのところ、ヌーヴェルリュヌ陛下は穏やかに過ごされていたと思います。それが一転し、ピリピリとしたご様子になるとすると……」


 エリサとともに、ブランシェも思考を巡らせる。

 ブランシェがヴォルフラムの食べっぷりを肯定してから、ヴォルフラムの食事量は少しずつ、けれど確かに増加していた。

 ブランシェが作ったものを中心に食べているのが少々意外だが、食べた瞬間に表情を緩めてくれるので悪い気はしない。故郷の味を気に入ってもらえるのは、やはり嬉しいものだ。


 食事量が増えれば、空腹でいる時間も短くなる。空腹でいる時間が短くなれば、ヴォルフラムが抱えていた症状も改善へ向かう。負ではなく良の連鎖が起きているようで、ここ最近の彼がまとう雰囲気は出会ったばかりの頃と比較するとずいぶん柔らかくなった。

 それが反転するとしたら、よほどの何かが起きている。


「……でも、考えてもわからないなぁ……」

「そうですね……。私も少し考えてみましたが、原因となりそうなのは、あまり」


 たびたび王宮で耳にする令嬢の話を少しだけ思い出したが、あれは過去の話だ。

 いくら考えてもそれらしい原因には行き着かず、ぐるぐるとした思考だけが脳に残る。

 深く息を吐きだしてそれを中断し、ブランシェは椅子から立ち上がった。


「わからないけれど……陛下のお心を穏やかにする何かが必要っていうことは、なんとなくわかったわ」


 負の感情を抱えながら過ごすのは、精神的に大きな負担になる。

 精神的な負担が大きくなれば、心だけでなく身体にも何らかの症状が引き起こされてしまうおそれがある。穏やかに過ごせていたのだから、少しでも今までの穏やかさを忘れないで過ごしてほしい。


「お嬢様、お出かけになりますか?」

「ええ。陛下のお心を楽にするために、何か甘いものでも用意しようと思うの」

「わかりました。大丈夫かとは思いますが、お気をつけて」

「エリサも気をつけてね、怪我をしないように。……ああ、あと、そうだ」


 その言葉とともに、エリサが深々と頭を下げる。

 ブランシェも笑顔を向け、扉の前へ移動する。そのまま扉を開けようとし、ふと頭に浮かんだ考えを告げるために振り返った。


「『お話』を聞いておいて。何が起きているのか知っておきたいから」

「――承知いたしました」


 一言、命令を下し。

 ブランシェは今度こそ扉を開き、部屋の外へ足を踏み出した。

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