4-2 暴食令嬢は心を溶かす

「――どうだった、アーヴィンド」


 足音を殺し、賑わいと活力に溢れるキッチンの傍を離れる。

 微笑ましく暖かな気持ちを抱えたまま主の下に戻れば、それらの感情とは正反対な表情と目つきをした彼が出迎えた。


 日中、彼が長く過ごしている執務室の中は、さまざまな報告書や手紙で溢れている。ずらりと並べられた本棚にはさまざまな本が無数に詰め込まれており、書斎机にのせられた報告書や手紙も相まって、執務室らしさを引き立てていた。

 無愛想という言葉をそのまま形にしたような王を見つめ返し、アーヴィンドは口を開く。


「大変微笑ましいものがありましたよ。あなたが警戒していたような様子はありませんでした」


 そう返事をし、アーヴィンドは先ほど目にしたばかりのブランシェの様子を思い出す。

 ルビアやメリア、ヴィルダと親しげな様子で言葉を交わし、意気込んでいた様子は、あまり令嬢らしくはない。だが、無邪気さも感じさせるその様子は、見る者に微笑ましい気持ちを呼び起こさせるものがあった。


 はじめてヴォルフラムとブランシェが食事をともにした日も思ったが、彼女は以前、ここに滞在していた令嬢とは大きく異なっている。

 そして、おそらく目の前にいる主も、同じようなことを感じている。


「皆で意気込んでいましたよ、王の好みの味を見つけるのだと。しばらくの間は、結構な量の料理が並ぶかもしれませんよ?」


 あんなに意気込んでいたのだ、それくらいのことはするかもしれない。

 くすくすと笑うアーヴィンドとは対照的に、ヴォルフラムはちらりと視線を向け、仏頂面のまま手元の報告書へ視線を落とした。


「……好きにさせておけ。中にはあいつの料理も並ぶのだろう、別に構わない」


 ぽつ、と呟くような声量でヴォルフラムが言葉を返す。

 ヴォルフラムのことを詳しく知らない人物が聞けば、そっけなく感じる言葉。

 だが、彼が紡いだその言葉がどれだけ特別なものなのか、彼と長い付き合いであるアーヴィンドは知っている。


「そんなに気に入ったんですか? シュネーフルール嬢の手料理は」


 ちらり。再びヴォルフラムの目がアーヴィンドへ向けられる。

 見る者全てを威圧する瞳だが、長年彼の傍にあり続けたアーヴィンドには何の効果もない。

 しばしの間アーヴィンドを睨んでいたが、すぐに視線をそらし、ヴォルフラムは手元の報告書を書斎机に置いた。


「特別気に入ったわけではない。珍しい味だったから、もう少し食べてみたいと思っただけだ」

「知ってますか、王……いいや、ヴォル。人はそれを『特別気に入った』っていうんですよ」


 臣下としてではなく、長年彼の傍にい続けた幼馴染としての言葉。

 ヴォルフラムが王になってからは時々しか使わなくなった言葉づかいで音を紡ぎ、アーヴィンドはにやりと笑う。

 対するヴォルフラムは一瞬苦々しい顔をして言葉を詰まらせたあと、深く息を吐きだした。


「……本当にもう少しだけ食べてみたいと思っただけだ。それ以上でもそれ以下でもない。わかったらその顔をやめろ、アーヴィンド」

「素直じゃないなぁ。まあいいでしょう、あなた様のお心のままに」


 忠誠心半分、からかい半分の声色でそういうと、アーヴィンドはソファーに腰かけた。

 執務室で何か話し合う必要ができた際に活躍するソファーは、今日も柔らかくアーヴィンドの身体を受け止めてくれる。

 ふかふかとした感覚に身体を預け、アーヴィンドはゆるりとした動作で天井を見上げた。


「あの子はきっと、変な小細工を料理にしかけたりもしませんよ。おそらく、あの子は美味しいものが本当に好きで、料理をとても大事に思っている」


 ヴォルフラムの脳裏に、以前王宮へ来ていた人間の姿が思い浮かぶ。

 ヴォルフラムの前だけでは良い顔をして、裏ではワガママ放題だった人間。領地に帰ってもらう日まで上手く取り繕えていたと思っていたようだが、彼女の本性にはすぐに気付いた。


 取り繕って、こちらの隙に潜り込もうとする視線は、幼い頃から見慣れている。

 幼馴染であり、もっとも信頼できる臣下であるアーヴィンドが連れてきたあの令嬢も、同じだろうと考えていた。

 ――けれど。


『陛下。最後にお食事を召し上がったのはいつ頃ですか?』


 こちらを見上げる心配そうな瞳と、裏を感じさせない純粋な感情のみを乗せた声。


『料理にはちょっと自信があります』


 使用人たちにサンドイッチを作らせたのかと問いかけた際に見せた、得意げな顔。

 自分も作ったのだと頷き、自身の家のしきたりを語った自信に溢れた声。


『わたくしにとって、食事は楽しみですから』


 美味しそうにサンドイッチを頬張っていた、幸せそうな表情。

 ブランシェ・シュネーフルールが見せる表情や発する声の一つ一つが、過去に聞いた令嬢の金切り声や猫なで声をかき消していく。

 舌の上に、あのとき食べた慣れないサンドイッチの味が再び広がったような気がした。


「……だといいんだがな」


 想起された味に気づかないふりをし、短い言葉を返す。

 ソファーに座って天井を見上げているアーヴィンドは、何やら楽しそうな様子でくすくすと笑っていた。


「大丈夫ですよ、きっと。あの子なら料理を利用するようなことはしないでしょう。シュネーフルール嬢がいる間に、ちょっとでも多く栄養をとってくださいね。……まあ、今日の夕飯時は覚悟しておいたほうがいいかもしれませんが」

「……は。さすがに、過剰なほどの料理は作らないだろう」


 新たな報告書に手を伸ばしつつ、ヴォルフラムは普段と変わらない声色でそういった。

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