第四話 暴食令嬢は心を溶かす

4-1 暴食令嬢は心を溶かす

「陛下からまた何か作れっていわれたぁ!?」


 キッチンに驚愕で満ちた声が響き渡る。

 もっとも忙しい時間を乗り越えたあとのキッチンは、普段なら穏やかな空気に満たされている。

 だが、今日は皆が皆、丸く目を見開いて湧き上がった声の中心にいるブランシェを見つめていた。

 ルビアに淹れてもらった紅茶を飲みながら、ブランシェが使用人たちに頷いて返事をする。


「そうなんです。まさか、そんなに気に入ってもらえるなんて思ってなかったから、本当に驚きましたけど……」


 舌の上に広がった渋みの強い紅茶の味は、まだ残っていたわずかな眠気を取り払っていく。

 のんびりと紅茶を味わうブランシェに対し、以前会話をしたメイドの一人であるメリアは少々慌てたような声色で声をあげた。


「あたしたちは驚いたなんてもんじゃないですよ、本当なんですか!?」


 テーブルを勢いよく叩きそうな勢いで身を乗り出し、ブランシェへ問いかける。

 椅子の背もたれに阻まれて後ろに下がることはできないが、できるだけ上半身を後ろへのけぞらせる。

 手の中のカップで紅茶がわずかに揺れたが、こぼれることなく、水音をたてただけで終わった。


「は、はい。とても嬉しかったのでよく覚えています」


 メリアの勢いに少々押されながらも、ブランシェはこくこく頷く。

 ブランシェが反応に少々困っているのを感じ取ったのだろう、以前も言葉を交わしたことのあるシェフがメリアの肩を軽く叩いた。


「メリア、シュネーフルール様が困ってるだろ。気持ちは俺もわかるが」

「だって、本当に驚いたんだもの。ヴィルダだって本当は問い詰めたいくらいなんじゃないの?」


 メリアはそういいながらも、ちょっと申し訳なさそうにしつつ、テーブルについていた両手を離した。

 どうやら、シェフはヴィルダという名前らしい。メリアと同じ種族なのか、頭部に大きな巻き角が生えている。角にはアクセサリーのようなものがついており、彼が動くたびにわずかに揺れた。

 メリアの視線を受けたヴィルダは、息を吐きながら彼女へ答える。


「さっきもいったように、メリアの気持ちはわかる。けど、それでシュネーフルール様を驚かせたり困らせたりするのはよくない」

「……。……ごめんなさい、シュネーフルール様」

「あ、い、いえ。こちらこそ、皆様をとても驚かせてしまったようですので……すみません」


 気にしないでという思いを込め、首を左右に振る。

 その後、ブランシェは手に持っていたカップをソーサーの上に戻し、この場にいる使用人たちを見つめた。

 ブランシェの視線を受けたルビアとメリア、そしてヴィルダも同様に視線を返す。

 気を取り直すように咳払いをし、口を開いたのはヴィルダだ。


「それで……もしかして、俺たちに聞きたいことっていうのは、陛下の味の好みですか?」

「はい。陛下に何か作るのなら、お好きな味付けのものがいいかなと思いまして」


 そういって、ブランシェはヴィルダへ大きく頷いた。

 ヴォルフラムについて詳しく知っていると思うあなたたちへ、聞きたいことがある。

 その言葉とともに、キッチンにいたルビアやメリア、ヴィルダに声をかけたのが数分前。そして、詳細を話して大声をあげられたのがつい先ほどのことだ。

 納得した顔で数回頷き、ヴィルダが腕組みをする。


「なるほど、それで。……といってもなぁ……陛下の味の好みは、長くここで料理を作ってる俺でもよくわからないんですよね」

「え、そうなの?」

「はい……あんまりお力になれなくて、申し訳ない」


 ぽかんとした顔をしたブランシェに対し、ヴィルダは苦々しい顔をする。

 長く料理を作ったり、彼の身の回りの世話をしている使用人たちなら――そう考えて彼らに尋ねたが、返ってきたのは予想外の答えだ。

 不思議そうな顔をしているブランシェへ、ヴィルダが答える。


「シュネーフルール様も陛下とお話されたのなら、なんとなくわかると思うのですが……。陛下は表情の変化がわかりにくくて。何がお好きで何がお嫌いなのか、少々わかりにくくて」


 ヴィルダの声に耳を傾けながら、考える。

 いわれてみれば、ヴォルフラムの表情の変化はわかりにくかったかもしれない。

 ブランシェが言葉を交わしたのは数回程度だ。しかし、少ない記憶の中で、ヴォルフラムは大体鋭い目をしていた。そのほかの感情が少々わかりにくくなるほどに。

 ブランシェがよそ者だから鋭い目をしていたと考えていたが、使用人たちの前でも変わらないのだろう。

 ブランシェ以上に付き合いが長い彼らでもわからないのなら、選択肢は一つだ。


「……ならば、陛下が好みそうな味を探すしかありませんね」


 ヒントとなる情報がないのなら、自力で探すしかない。

 料理の味は多岐にわたるうえ、繊細だ。一つの味が好みでも、組み合わせによって好まないものに変化する。反対に、好まない味が組み合わせによって食べることができるようになる場合もある。

 手がかりもない状態で、他人の好む味を見つけ出すなんて、何も描かれていないミルクパズルを完成させるかのような作業だ。


 途方もなく、人によっては投げ出してしまいたくなる作業。

 だが、ブランシェの心は曇らず、むしろきらきらと煌めきを放っていた。

 そしてそれは、ブランシェだけでなく、この場にいる使用人たちも同じだ。


「ご迷惑をおかけして申し訳ありませんが……皆様のお手をお借りしても?」

「もちろん! です!」


 ルビアが元気よく頷き、ぐっと両手を握ってみせた。

 彼女のチャームポイントである長い耳もぴんと上へ伸び、全身でやる気に満ちているのを表現している。

 やる気を出しているのはルビアだけではない。日々の食事を用意しているヴィルダも同じだ。


「陛下の好みがわかれば、今後料理をお出しするときも役立ちますからね。俺たちも全力でサポートしますよ!」

「そうそう。だから、あたしたちも可能な範囲だけど、シュネーフルール様のお手伝いをするわ」


 ヴィルダに続き、勝ち気な笑みを浮かべたメリアも大きく頷いた。

 まだ知り合ってから日が浅く、まともに言葉を交わしたのもつい最近のこと。断られても仕方ないだろうに、快く引き受けてくれた使用人たちの姿を見つめ、ブランシェは口元を緩ませた。

 使用人たちにここまで思ってもらえるなんて――ああ、やはり。ヴォルフラム・ヌーヴェルリュヌは、臣下たちや使用人たちに慕われている。


「……ふふ。ならば、皆様で陛下の好みの味を見つけましょう! 早速、今夜の夕食辺りにでも!」

「おー!」


 ブランシェが勢いよく拳を天に向ける。

 あまり令嬢らしくない仕草だが、気合を入れるには十分すぎるほどの仕草だ。

 ルビアやメリア、ヴィルダもブランシェの動きにつられ、同様に拳を天へと突き上げた。

 その場にいる全員がまだ知り合ってから間もないというのに、キッチンを担当する使用人たちと美食の地からやってきた令嬢の間には一種の一体感が生まれていた。

 楽しげと活力に溢れた様子を、出入り口付近に静かに立っていた青年が眺めていた。

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