3-2 暴食令嬢は言葉を交わす

 手に持ったバスケットから伝わってくる重みが、幸せな気分を駆り立てる。

 キッチンでの話し合い後、ブランシェの言葉から始まったサンドイッチ作りはとても楽しい時間になった。


 提案した直後は全員不思議そうな顔をしていたが、ブランシェの思いに気付いた瞬間、乗り気になってくれた。あとはみんなで言葉を交わしながら、さまざまなサンドイッチを作っていった。

 軽い足取りで再び廊下を進んでいくブランシェの背中を見つめ、エリサが微笑ましそうに表情を緩ませる。


「ご機嫌ですね、お嬢様」

「ふふ。だって、みんな楽しそうに作ってくれたもの。わたくしもまだ食べたことのないサンドイッチも作ってくれたし……」


 エリサに返事をしながら、ブランシェはバスケットの蓋を少しだけ開けた。

 サンドイッチが完成したとき、ルビアが持たせてくれたものだ。シンプルだが可愛らしいデザインをしたバスケットの中には、さまざまな具材を挟んだサンドイッチが入っている。魔法石を使って保温効果をもたせた、いわゆるスープジャーと紅茶が入ったボトルも一緒に入っており、ちょっとしたピクニック気分だ。

 そっと静かにバスケットの蓋を閉め、ブランシェはエリサへ振り返る。


「エリサ。わたくしはお天気もいいし、どこか日の当たる場所でこれをいただこうと思ってるの。エリサはどうする?」


 外の天気は晴れ。天に輝く太陽が柔らかな日差しを大地に注ぎ、優しく暖めてくれている。

 バスケットを持たせてくれた際に、ルビアも今日は天気がいいしせっかくだから外で召し上がってはと提案してくれた。ブランシェもピクニックは嫌いではないため、彼女の言葉に従ってみようと思ったのだ。

 問いかけられたエリサは一度足を止め、少しだけ考えたのち、首を左右に振る。


「お嬢様のピクニックに同席したい気持ちはありますが……私はそろそろ、自分の仕事に戻らなくては」

「あら。でも確かに、今日は朝からわたくしの用事に付き合わせちゃったものね……。わかった、無理はしないでね。エリサ」

「ええ。お嬢様も、迷子にならないようお気をつけて。危ないところへは行かないでくださいね」


 最後にそんなやり取りを交わし、エリサが深々とお辞儀をしてブランシェとは違う場所へ向かっていく。

 彼女の背中がどんどん小さくなり、やがて廊下の角を曲がるまで、静かに見届ける。

 その場に一人きりになったブランシェは、くるりとまた正面を向き、止まっていた足を動かし始めた。


(さて、これからどうしようかしら)


 ちょっとしたピクニック気分を味わう予定は変わらない。

 問題は、ブランシェはまだサントゥアリオの王宮に来てから日が浅く、どこに何があるのか正確に把握しきれていないという点だ。

 基本的な場所や地図の説明を一度受けているとはいえ、たった一度の説明で全てを把握できたわけではない。実際に自分の目では見ていないところも多く、景色が綺麗に見えそうな場所はすぐに思い当たらなかった。


「……あ」


 どうしようか、一度キッチンに戻ってルビアたちにオススメの場所を聞いてみようか。

 一人で廊下を歩きながら思考を巡らせていたが、ふと、廊下の窓から見えた景色に足を止めた。

 綺麗な石畳と噴水がある大きな庭。色とりどりの花々で飾られたその奥に、ガラス張りの温室らしき施設がある。室内にも多くの植物が植えられているのが遠目からでもわかる。

 美しい庭の中にある温室は、ブランシェの興味と好奇心を強く刺激した。


(せっかくだし、行ってみようかしら)


 ブランシェが立ち入りを制限されているのは、主に執務に関わりのありそうな場所だ。

 庭への立ち入りは認められている。おそらく庭の中に設置された温室も問題ないだろう。もし、駄目だった場合は素直に謝罪し、即座に立ち去ろう。

 一人頷くと、先ほどまでよりも少々急ぎ足で廊下を進んでいく。

 途中、何度か道に迷いそうになりながらもなんとか庭へ出れば、柔らかな日差しがブランシェへ降り注いだ。


 窓から眺めるだけでも十分綺麗だったが、実際に己の目で見る庭は美しさに満ちていた。

 石畳で舗装された道は非常に歩きやすく、道に沿うようにして植えられた白と赤の花が目を楽しませる。石畳の上を歩いていけば、白い石造りの噴水の前にたどり着いた。

 暖かな日差しに満ちた庭をぐるりと見渡し、ブランシェは再び石畳の道に沿って歩きはじめた。


「本当に広いお庭……隅々まで手入れが行き届いてるし、腕のいい庭師がいるのね」


 目にうるさくない配色で植えられた花々に、適度な間隔で植えられた木々。鳥の形をしたトピアリーもあり、とても手がかかっているのがわかる。

 緑の葉と黄色の花が美しいアーチをくぐり、石畳の道をどんどん進んでいく。

 窓から見た印象ではそれほど遠くなかったが、実際には少々距離があったらしい。道沿いに少々歩いた先に、ブランシェの目的地である温室がようやく見えてきた。


 間近で見る温室は、窓から見たとき以上に美しく見えた。曇りや汚れ一つ見当たらない透き通ったガラス張りの壁。そこから見える色とりどりの植物と花。ガラスのうち、何枚かには細やかな装飾が施されている。

 シュネーフルール邸にもガラス張りの温室があるが、どちらかといえばシンプルなデザインのため、目の前にあるものが非常に華やかなものに見えてくる。


「本当にすごいなぁ……どんな庭師の方が管理しているのかしら、ちょっと気になるかも」


 小さな声で呟きながら、温室の扉に手をかけた。

 そっと扉を開き、室内に足を踏み入れる。

 扉の開閉で空気が動き、暖められた空気がブランシェの肌を撫でる。できるだけ静かな足取りで足を踏み入れ、ほうっと息を吐いた。

 温室の中には、庭に植えられていたものとは異なる花々が植えられている。あまり背が高すぎない木々も何本かあり、見たことのないピンク色の花を咲かせていた。

 吊り棚も設置されており、そこには鉢植えに入れられた青い花と白い花がある。どちらもはじめて見る花で、星型のような花弁をしている。


「ここにあるのは、もしかしてサントゥアリオのほうにしかない花なのかしら……」


 シュネーフルール邸には、植物について詳しい庭師がいる。

 幼い頃、庭師から植物や花の種類について教えてもらったことがあるため、植物の名前に関する知識はそれなりにある。しかし、ここにあるのはどれもはじめて目にするものだ。


(温室、来てみて正解だったかも)


 見たことのない植物。美しく整えられた温室。いずれも、ブランシェの心を好奇心で満たしていく。

 どこか食事をとるのに最適なスペースはないだろうか――わくわくする気持ちのまま、温室の奥へと進む。

 予想よりも広く作られている温室の奥まで進んでいけば、青々とした葉を茂らせる木の傍にベンチとともに見覚えのある人物がブランシェの視界に飛び込んだ。

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