第三話 暴食令嬢は言葉を交わす
3-1 暴食令嬢は言葉を交わす
サントゥアリオ国に療養へやってきてから二日目。
国が変わっても空に昇る太陽は変わらず、世界に生きる者に朝を告げる。
普段と同じ時間に目覚め、普段よりもほんの少し早い時間に朝食を摂る。場所が住み慣れた生家から異なる国に変わったため、少々変わった点もあるが、ブランシェの一日はおおむねいつもどおり始まった。
ちなみに、朝食として出されたエッグベネディクトとコンソメスープ、ふわふわに焼き上げられたパンに香り高い紅茶は本当に美味しかった。ブランシェにとって一日が最高の状態で始まったのはいうまでもない。
「お嬢様、本日はどのようなご予定ですか?」
柔らかな陽の光が差し込んでくる廊下に、エリサの声が響く。
穏やかさに満ちた朝の時間。朝食で程よく心と腹が満たされたあとの時間は、ブランシェにとっては自由時間だ。
今日は何をして過ごすか――人によっては迷ってしまう時間でもあるが、今日は何をするかはあらかじめ決めてきている。
「使用人の方々に、少しお話を聞いてみようかと思ってるの」
隣を歩くエリサの顔を見て、ブランシェは今日の予定を答える。
「使用人の方々……というと、王宮で働いている?」
「ええ。陛下のお食事を用意してくれているのは、ここで陛下の生活を支えてくれているメイドや執事たちでしょう?」
臣下の一人一人も、サントゥアリオの王族であるヴォルフラムの生活を支えている。
しかし、直接的に生活を支えているといえるのは、やはり掃除や食事の用意などの仕事をしているメイドや執事たちだ。ヴォルフラムについて、より多くのことを知っている可能性が高い。
「ディリアス様からの頼み事を成し遂げるには、陛下の食事量が減った原因を探らなければならないもの。もしかしたら、メイドや執事の方々からお話を聞けば、何か見えてくるかもしれないわ」
「なるほど……。確かに、陛下の身の回りのお世話をされている方々なら、何か見聞きしているかもしれませんね」
エリサも納得したような声を出しつつ、一つ頷いた。
ブランシェもエリサに頷き返し、昨日説明されたばかりの記憶を頼りに歩を進める。
まだ宮殿の中は歩き慣れず、一歩を踏み出すたびに緊張に近い気持ちを抱えるが、同時に少しだけわくわくもした。
時折すれ違う臣下や使用人たちに会釈をし、ブランシェはエリサを連れて廊下をどんどん進んでいく。
「キッチンは……ああ、よかった。こっちの道で合ってたみたいで」
やがて、たどり着いたキッチンの前で足を止める。
そっと中を覗き込んでみると、ちょうど仕事が一段落したところだったようだ。メイドやシェフたちがキッチン内に設置されているテーブルにつき、談笑している。
そのうち、兎のような耳が特徴的なメイドがぴくりと耳を動かし、ブランシェとエリサへ視線を向けた。
「シュネーフルール様! どうかなさいましたか?」
彼女が声をかけたのが合図となり、先ほどまで聞こえていた談笑の声がぴたりと止んだ。
他のメイドたちやシェフも、出入り口に立つブランシェとエリサへと視線を向ける。
ブランシェは、それぞれが椅子から立ち上がろうとしたのを手で制した。
「あ、そのままでお願い。休憩時間中に押しかけたのはわたくしだもの」
「で、ですが……」
「何かいわれたら、わたくしが無理にお願いしたのだと説明するから。だから、そのままの状態でお願い」
そういって、ブランシェはふわりと笑った。
メイドたちやシェフは、それぞれ顔を見合わせていたが、やがて納得したように再び椅子の上へ腰をおろした。
「シュネーフルール様がそうおっしゃるのであれば……。それで……我々に何かご用でしょうか?」
真っ先にブランシェに気付いたメイドが再び問いかけてくる。
「まずは、今日の朝食もとっても美味しかったわ! 昨日に引き続き、今日も本当にありがとう!」
感謝の言葉と一緒に、ブランシェがぱっと華やかな笑顔になる。
朝食の感想とお礼から始まるのは少々予想外だったのか、メイドやシェフがぽかんとした顔をする。
だが、ほんのわずかな間を置いたあと、それぞれが照れくさそうに表情を緩めた。
中でも特に嬉しそうな顔をしていたのは、日々キッチンで腕をふるっているシェフだ。
「ははは、今日のお食事もお口に合ったようで何よりです」
「ふふ、次の食事の時間も楽しみにしてます。それで……こっちが本来の用事なのだけれど。陛下のことについて、少し皆様からお話を聞きたいの」
ブランシェがそういうと、メイドやシェフたちはきょとんとした顔を見せた。
「陛下のことについて……ですか?」
「ええ。昨日、お食事をご一緒した際に気になるところがあったから」
そういって、ブランシェは昨夜のヴォルフラムの様子を口にする。
「わたくしは本当に美味しかったから、美味しいと答えたのですけれど……。それを聞いたとき、陛下は『無理をして褒めなくてもいい』『口に合わないものやまずいと感じたものがあれば素直にそういえばいい』とおっしゃっておりました。どこか軽蔑するような視線と一緒に」
改めて、昨夜のヴォルフラムの様子を思い浮かべる。
あのときは悪意が込められていることしか気づかなかったが、落ち着いた今、思い返してみるとあれは軽蔑の視線に近かった。
無理をして褒めるな、本当に思っていることを口に出せばどうだ――そんな言葉とともに、ヴォルフラムは軽蔑の感情を向けてきていた。
「わたくし、陛下とお会いしたのは昨日がはじめて。初対面です。初対面の相手をいきなり軽蔑するなんて、何か過去にあったのかと思って」
静かにブランシェの言葉に耳を傾けていた使用人たちの表情が曇っていく。
彼、彼女らの反応を目にし、ブランシェの中で確信が生まれた。
ヴォルフラムは過去に、何か苦い経験をしている。それも、初対面の相手に悪意をぶつけるという選択を選ばせるほどの何かを。
「……お気を悪くなされましたか?」
ぽつり、と。兎耳のメイドがおずおずとした声色でそういった。
すっかり表情を曇らせ、怯えているように耳を丸めてしまっている。こちらの顔色を伺う視線には、わずかな恐怖すらあった。
重くなってしまった空気を振り払うため、ブランシェは再び笑顔を浮かべた。
「いいえ、大丈夫! 少し驚いてしまったけれど、気分を害してはいませんもの。ただ、陛下がどうしてあのような様子だったのか、気になってしまって」
だから、もし何か知っているのだったら教えてほしい。
直接言葉には出さず、そんな思いを込めて兎耳のメイドへ答える。
怒らず、むしろ笑顔を浮かべているブランシェの顔をじっと見つめたあと、彼女は丸めていた耳を再びぴんと伸ばして息をついた。
「……ありがとうございます、シュネーフルール様。……その……」
兎耳のメイドの視線が、他のメイドたちやシェフへ向けられる。
何やらアイコンタクトを交わしたのち、彼ら、彼女らは静かに頷きあった。
その場にいる使用人たちの視線が、再びブランシェとエリサへと向けられる。
「……陛下がそのような辛辣な態度だったのは、おそらくですが……以前、王宮へやってきたご令嬢との出来事があったからではないかと……」
「ご令嬢?」
ブランシェとエリサの視線が自然と混ざり、きょとんとした顔で顔を見合わせる。
ここは王宮だ。ヴォルフラムとの婚姻を目的に、貴族の家の令嬢が出入りをするのは別段おかしいことではない――はずだ。
不思議そうな顔をしているブランシェとエリサへ、兎耳のメイドはさらに言葉を続ける。
「シュネーフルール様が療養にいらっしゃる前も、人間の国のご令嬢がここに来たことがあったんです。人間の国と魔族の国、両国がこれからも良い関係を築いていけるように、と。……ところが……」
「そのご令嬢、とにかくもうすっごいワガママだったんです!」
兎耳のメイドが、何やらいいにくそうに言葉を詰まらせた。
かわりに、彼女の言葉の続きを引き継いだのは、羊のような大きな巻き角が特徴的なメイドだ。
「やれこれは嫌いだから料理に入れるなだの、やれ部屋の掃除が遅いだの、口を開けば文句ばっかり! なのに陛下の前ではすごくいい子ぶってるんだから、腹たってしょうがなかったのよね。あたし」
「メリアちゃんは特に気が強いものね……あの方、私たちには高圧的に接してくるから、私は反対に萎縮しちゃってたなぁ」
「ルビアは気弱すぎるの。ああいうタイプは怒らないと調子に乗るのよ。……まあ、怒れるような立場じゃないんだけど。あたしたち」
メリアと呼ばれた巻き角のメイドは、そういって深い溜息をついた。
兎耳のメイドはルビアという名前のようで、メリアの言葉に苦笑いを浮かべていた。
彼女たちに続くように、苦々しそうな顔をしたシェフが頭をかく。
「正直、俺たち使用人の中ではあんまり評判よくないんですよね。こういうこと考えるのはよくないってわかってんだが……陛下が何か嫌な思いをされたのだとしたら、あの方が原因じゃないかって思ってしまうんですよね……」
「ふむ……」
それぞれの証言を頭に記憶しながら、考える。
他のメイドたちにも視線を向けてみたが、おおむね同意見のようで新たな言葉は出てこなかった。
過去に王宮へ来ていたというワガママなご令嬢――無関係とは思えない。
人の悪印象は、良い印象よりも記憶に残りやすい。嫌な思いをしたときに何か特定の行動をしていた場合、嫌な記憶と行動が結びついてしまうことだってある。
(食事の際に、そのご令嬢と何かあったのかしら)
ただの予想でしかないが、可能性はありそうだ。
「ありがとうございます、皆様。それからごめんなさい。皆様もあまり思い出したくない記憶だったと思いますのに」
「あっ、そんな、シュネーフルール様はお気になさらないでください! 私たちは平気ですから!」
慌てたような声色で、ルビアがぶんぶんと両手を左右に振る。
だが、ブランシェは静かに首を振り、彼女へ言葉を返す。
「いえ。皆様のご様子から、あまり思い出したくないことを思い出させてしまったのはわかります」
嫌な思いをして、そのときのことを好き好んで思い出したいと感じる人は少ない。思い出すだけでストレスを感じることだってある。
ルビアやメリアをはじめとしたメイドたち、シェフたちに苦い思いをさせてしまったのは、変えようのない事実だ。
だから。
「ですので」
ぱしん。
ブランシェが胸の前で両手を叩いた音が空気を震わせた。
「皆様、気分転換として一緒にサンドイッチを作りませんか?」
胸の中によみがえった嫌な思いが消えるくらい、楽しい時間を提供してケアしなければ。
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