2-4 暴食令嬢は異郷に降り立つ
「ごゆっくりどうぞ」
その言葉を最後に、配膳を終えたメイドたちは再びサービングカートを押して食堂から出ていく。
ほんの少しの静寂。
まもなくして、誰かが食器を手にとった音が空気を震わせる。それが引き金となり、その場にいる者が次々と食器を手にとって食事を始めた。
ブランシェもナイフとフォークを手にとり、早速魚のポワレへナイフを入れた。
「わ……」
銀色の刃がポワレを切り裂き、白い身がさらされる。瞬間、ふんわりと香ばしさのある魚の香りが広がった。
食べやすい大きさに切り分け、フォークで口に運ぶ。
表面はカリッと香ばしく、中はふっくらと焼き上がっている。塩胡椒で適度につけられた下味が白身魚の淡白な味わいをまた違ったものに変化させ、白身魚がもつ美味しさを最大限に引き出していた。
もう一口分切り分け、今度は夕焼けを思わせる色合いをしたソースに絡めてから口に運ぶ。シンプルな味わいに香味野菜の豊かな香りと魚の旨味、そしてコンソメの風味が加わり、先ほどよりも食べごたえのある味がブランシェの舌を楽しませた。
「美味しーい……」
馬車の中で焼き菓子を口にした際にこぼれた感想が、再びブランシェの唇からこぼれ落ちた。
(こんなに美味しいなら、他の料理も楽しみ)
もう一口、二口と白身魚のポワレを楽しんでから、次に目を向けたのはポタージュだ。
なめらかなクリーム色をしたポタージュだ。見るだけで丁寧に作られたのだろうなということが予想される表面には、鮮やかな緑のパセリが散らされている。
器を手にとり、スープ用のスプーンで一口分をすくい、口に運ぶ。舌に触れたポタージュは見た目どおりのなめらかさで、野菜の甘みと旨味がしっかりと伝わってきた。おそらく、じゃがいもを中心に複数の野菜を使っているのだろう。それぞれの野菜の味が喧嘩をせず、調和しているのは見事としかいいようがない。
ゆっくりポタージュを味わってから、一度口の中をリセットするため、グラスの中身へ口をつける。
ワインを意識して作られたのであろうそれは、口に含んだ瞬間、ぶどうの爽やかな香りが広がった。水中に溶け込んだ泡がしゅわしゅわと舌を刺激し、ぶどうが持つ甘い味を伝えてくる。先ほどまで感じていた濃いめの味が洗い流され、口の中がさっぱりするようだった。
(うん、これも美味しい。飲み物までこだわり抜かれてる)
そっとグラスをテーブルに戻し、周囲に気付かれないよう慎重に息を吐く。
今までシュネーフルール領でしていたものとは違う、一口食べるごとに空腹が満たされる美味しい食事。かつて楽しめていたものをもう一度楽しめるのは、本当に嬉しいし心も満たされる。
わくわくするような気持ちを抱えたまま、ブランシェはサラダにも手を伸ばす。
色鮮やかなレタスにトマト、スライスされた赤玉ねぎを使ったサラダだ。レタスにはほんの少しだけ水滴が付着しているが、それが瑞々しさをより引き立てている。
表面にかけられている透明なドレッシングを野菜全体に絡め、口に運ぶ。野菜本来の味に混ざり、塩気と赤玉ねぎの辛味がぴりりと舌を刺激した。鼻から抜けていくドレッシングの香りは、海を思わせるものだ。ちょっと変わっていると感じたけれど、故郷でよく口にしていたものとは違う風味はブランシェの心を躍らせた。
(どれを食べても美味しいなんて……とっても幸せ)
それぞれの料理をひとしきり楽しんだところで、ほうっと一息つく。
改めて飲み物で口の中をリセットし、今度はポタージュの付け合わせとして用意されているバケットに手を伸ばす。
表面はカリッと焼き上げられたそれを二つに裂いたところで、ふと、こちらへ向けられている視線に気がついた。
「……あ、あの……?」
顔をあげれば、こちらへ向けられる複数の視線が突き刺さった。
アーヴィンドはもちろん、一緒にテーブルについている臣下たちも、ヴォルフラムも、じっとブランシェを見つめている。その中でもっとも強い視線を向けているのは、やはりヴォルフラムだ。
食べるのに夢中になってしまっていたが、何か粗相をしてしまったのでは――一瞬で腹の底が冷え切り、ブランシェの身体に緊張が走る。
どうしよう、何かしてしまったのだろうか、何をいえばいいのだろう。
緊張と不安でぐるぐるした気持ちを抱えるブランシェの目の前で、ヴォルフラムの唇がゆっくりと動いた。
「……サントゥアリオの料理は口に合っただろうか」
一体何をいわれるのか――緊張と不安に支配されていたが、彼が口にしたのはそれらを吹き飛ばすものだった。
予想とは全く異なる問いかけが向けられ、ブランシェはぽかんとした顔をする。
だが、すぐに我に返り、柔らかく笑顔を浮かべて答えた。
「ええ、とても。故郷で口にしていたものとはまた違った味がして、とても美味しいです」
「……へぇ。それなら何よりだ。だが、無理をして褒めなくてもいいんだぞ。口に合わない、まずいと感じたものがあれば、素直にそういえばいい」
そういって、ヴォルフラムはわずかに笑った。
微笑ましいものを見たときとは異なる、相手に純粋な好意を向けているときとも異なる、相手への嫌悪を隠して笑っているかのような笑顔。悪意がうっすらと滲み出ているのすら感じるが、わざとだろう。
何か過去に嫌な思いをしたのか、それとも彼がただ単に人間嫌いなのか。どちらなのかわからないが、己に向けられたそれを吹き飛ばすかのように、ブランシェは笑顔を浮かべてみせた。
「口に合わないだなんて。どれも本当に美味しいと感じています」
柔らかい声色で答え、ブランシェは自身の目の前にある料理たちへ視線を向ける。
「たとえば、メインの白身魚のポワレ。わたくしの故郷でも魚のポワレは何度か口にしたことがありますが、表面はパリッと、中はふっくらと仕上がっていて本当に美味しいと感じました。下味も強すぎず、かといって薄すぎない、ちょうどいい加減で魚本来の美味しさを潰していません。ソースの味は少し強めなので、ソースをつけたときとそのまま食べたときとで異なる味わいが楽しめるのもいいですね」
次にブランシェが目を向けたのは、透明なドレッシングがかけられたサラダだ。
「あと、わたくしはこちらのサラダも気に入りました。色鮮やかなドレッシングはこれまでも目にしたことがありますが、透明なのははじめてです。塩気が少し強かったので、これは塩味ベースのドレッシングなのでしょうか。食べたら海の香りがしたのが新鮮です」
それぞれの料理を口にした感想を、今度は心の中ではなく声に出して紡ぐ。
ブランシェの言葉を耳にした瞬間、つい先ほどまで悪意が滲んでいたヴォルフラムの表情はぽかんとしたものに変化していた。
「……シュネーフルール嬢。こちらのポタージュはいかがでしたかな?」
おずおずとした様子で、臣下のうちの一人が問いかける。
豪華な装飾が施された衣服に身を包んだ男性だ。それなりに年齢を重ねているように見える。王家に仕えている者か、サントゥアリオの領主の一人なのだろう。
ぱっと声をかけてきた彼へ視線を向け、ブランシェはやはり笑顔で答える。
「野菜のポタージュですね! 全ての野菜の種類はわかりませんが……おそらく、中心になっているのはじゃがいもでしょうか。舌触りが本当になめらかで、雑味もありません。野菜本来の美味しさや甘さを楽しめているうえに、それぞれの味が喧嘩していない……素晴らしいスープだと感じました! あとでシェフの方に感謝の言葉を伝えにいっても?」
「ははは、ぜひ伝えてやってください。きっと喜ぶと思いますぞ」
男性がつられるように笑みを浮かべ、ブランシェへ頷いた。
ブランシェも大きく頷き返し、一度喉を潤すためにグラスへ手を伸ばし、まだ少し残っていた中身を飲む。
できるだけ気付かれないよう気をつけながら、そっとヴォルフラムのほうへ視線を向ける。
ぽかんとした顔をしていた彼は、我に返ったかのように元の仏頂面に戻ると、手に持っていた食器を置いて立ち上がった。
瞬間、和やかな空気が霧散し、再び凛とした冬のような空気が辺りに満ちた。
「陛下」
誰もが黙り込んだ中、アーヴィンドのみがヴォルフラムへ声をかけた。
ちらりと冷たさを感じさせる目がアーヴィンドを見やり、またすぐにそらされる。
「……俺は戻る。シュネーフルール嬢はゆっくり食事を楽しむといい。……アーヴィンド、残りはあとで部屋まで持ってきてくれ」
素っ気ない声で言い放ち、ヴォルフラムは出入り口に向けて歩き出した。
静かな食堂の中にヴォルフラムの両足から奏でられる足音が響き渡る。
最後に重たい扉がゆっくりと開かれて閉まる音が空気を震わせ、周囲はまた静寂に包まれる。
「……すごい」
ぽつ、と。小さく誰かの声が呟くように吐き出された。
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