1-4 暴食令嬢は飢餓を抱える

「行ってきなさい、ブランシェ」

「!」


 父の唇から紡がれた言葉を耳にし、ブランシェは大きく目を見開いた。

 行ってきなさい――彼は今、確かにそういった。と、いうことは。


「お前をサントゥアリオ国へ向かわせることに不安はある。だが、何の手がかりもない我が領地で過ごすよりも、少しでもお前の病を治せる可能性があるなら向かうべきだ」

「お父様……」


 父が出した結論は、ブランシェが心の中で出していた結論と同じだ。


「お前が領地を離れている間に、私は暗躍している者を見つけ出せるよう尽力する。しばらく療養に行ってきなさい」

「……はい! ありがとうございます、お父様」


 胸の中に渦巻いていた不安が和らぎ、かわりに許可を出してくれた父や療養を提案してくれたアーヴィンドへの感謝の思いが湧き上がってくる。先の見えない不安に押しつぶされそうだった心があきらかに力を取り戻していた。

 嬉しそうに笑う娘につられるように、父もまた優しい笑みを浮かべると、そっと自分の分の紅茶へ口をつけた。


「……しかし、君はずいぶんと私たちによくしてくれるな。ディリアス殿。初対面だというのに」


 そういって、父はアーヴィンドへ視線を向けた。

 アーヴィンドもまた、穏やかな笑みを浮かべ、静かな声で返事をする。


「噂話を耳にした際、ずいぶんと困っていそうだと感じましたので。……それ以外にも、少々頼み事はございますが」


 きろり。アーヴィンドの青い瞳がきらめく。

 そのきらめきは、屋敷を訪れた商人と取引をする際の父に宿るものと酷似している。

 何か取引を持ちかけようとしているのかもしれない――喜びや安堵で緩んでいたブランシェの背中がしゃんと伸びた。


「取引ということか? 内容を聞こう」

「取引というほどではありませんよ、シュネーフルール嬢。私はあなた様に療養場所を与えるかわりに、少々頼み事を聞いてほしいのです」


 アーヴィンドの視線が再びブランシェへと向けられる。


「わたくしにできることであれば応じますが……頼み事とは?」

「そうですね……あなた様がサントゥアリオへ来る当日にお話しようと思っていましたが……今ここで軽くお話してしまいましょうか」


 少々悩むように思考を巡らせたが、アーヴィンドはすぐに再び笑みを浮かべた。

 何を頼まれるのかわからないが、こちらの手元には取引に応じないというカードは存在しない。

 あまり変な内容の頼み事でなければいいが――内心、緊張するブランシェだったが、それを見抜いたかのようにアーヴィンドが苦笑を浮かべた。


「警戒しなくても、変なことは頼みませんよ。ご安心を」


 一言前置きをした彼が口にした頼み事の内容は、少々意外なものだった。


「シュネーフルール嬢、あなた様は食事の際、美味しそうに食べると領民からお聞きしました。そこで、我が主君の話し相手兼食事相手になっていただきたいのです」

 彼の唇から紡がれた言葉を耳にし、ブランシェはぽかんとした顔になった。


 こうして、ブランシェ・シュネーフルールは、生まれ育った領土を離れ、多くの魔族が住まうサントゥアリオ国へ療養に向かうことになった。

 終わりのない空腹感に悩まされるようになってから一年が経過した、春の日の出来事だった。

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