1-3 暴食令嬢は飢餓を抱える

「では、次にシュネーフルール嬢に会いに来た理由をお話させていただいても?」

「ええ。わたくしも、そのことについて可能であればお話を聞きたいと思っておりましたので」


 ブランシェもアーヴィンドを見つめ、ゆっくりと頷いた。

 どこで自身の話を聞いたのかという疑問と同じくらい、アーヴィンドがわざわざ遠方の地からブランシェに会いに来た理由についても知りたい。ブランシェには、サントゥアリオ国に住んでいる知り合いはいないため、余計に気になってしまう。

 アーヴィンドも静かに頷き返し、再び言葉を紡ぎ始めた。


「では、そのために少々昔話を。お二人はかつて、人間の国と魔族の国の間にあった戦争のことはご存知ですか?」

「もちろんです。我が国ではもちろん、他の国でもかつて起きていた戦争のことは、きっちりと学び舎で教えられています。忘れてはいけないことですから」

「ならば、話は早い。戦争の時代、人間の国と魔族の国、両国をとある病が襲いました。呪いにも似たその病は、たちまち両国に広まり、戦で疲弊した兵士や国民たちを苦しめました」


 静かな声で、アーヴィンドは話を続ける。


「病の原因は今も不明のまま。内容は強い飢餓感を覚え、食物を口にしてもなかったことになってしまうというもの。食べても食べても乾かない飢えに、人間も魔族もひどく苦しんだそうです」


 彼の声に耳を傾けていたブランシェは、はっと目を見開いた。

 かつて流行していた古い病――その症状は、あまりにも身に覚えがあるものだった。


「病は、のちにファミン症と名付けられ、両国で研究が行われました。結果、ファミン症は体内の魔力に異常が発生した際に活性化する器官の働きを助け、体内の魔力を正常化することで症状を緩和できると明らかになりました。最終的に、この方法で治療できるようになったそうです」


 そこで一度言葉を切り、アーヴィンドはブランシェを見つめる。

 まだ話を途中までしか聞いていないブランシェも、彼が何をいおうとしているのかすぐにわかった。


「……わたくしの病も、ファミン症ではないか、と?」


 真剣な表情で、アーヴィンドが頷く。


「はい。可能性は高いのではないかと考えています。……しかし、ファミン症であれば、少々厄介な点もあります」

「厄介な点……ですか?」


 アーヴィンドの表情がわずかに曇り、苦々しそうな色を含ませる。

 厄介な点といわれても、ブランシェには何が厄介なのか予想ができなかった。

 治療法が不明なのであれば、確かに厄介だと思える。しかし、アーヴィンドの話を聞いた感じでは、ファミン症の治療法は明らかになっている。

 ブランシェの疑問に答えるため、アーヴィンドは再び口を開いた。


「ファミン症を発症すると、体内の魔力に異常が生じます。症状は軽い飢餓感から始まり、症状が進行するにつれて強い飢餓感へと変化します。このとき、身体は体内の魔力を正常化しようとして大量のエネルギーを消費し、常にエネルギー不足のような状態に陥っているとのちに明らかになりました」


 ブランシェたちが生きる世界には、魔力と呼ばれる特殊なエネルギーが存在する。

 種族差や個人差はあるが、人間も魔族も、そして動植物にも魔力が宿っている。それに伴い、魔力を外部から補給した際や魔法を使う際に働く専用の器官も体内に存在している。


 魔力も生き物の身体を構築する大切な要素の一つ。そのため、何らかの異常が発生すると身体にさまざまな症状が引き起こされる。

 なるほど、ブランシェが患っていたのは確かに病であったが、相当特殊なものだったらしい。

 アーヴィンドが溜息をつき、さらに言葉が重ねられる。


「流行していた当時は、魔力に異常をきたす病気が多く存在していました。そのため、ファミン症を発症しても自身が持つ魔力に関する器官を活性化させて対抗することができた。しかし、戦争が終結し、医学が発達する中で魔力に関する病はほとんどが根絶された。その結果、人間が持つ魔力に関する器官は当時よりも働きが低下し、当時の治療法に頼るのが難しくなってしまっているそうです」

「……つまり……従来の治療法では改善できない……ということですか?」


 心臓がばくばくと嫌な音をたてているのがわかる。

 治療法が発見されている。けれど、現在ではその治療法を選べない場合がある。器官的な要因によって引き起こされているものであれば、それを使うことはできない。

 新しい治療法が確立されればその限りではないが、治療できない。不治の病と似たような状態だ。


 何も言葉を発していないが、ブランシェの隣に座る父も同様の可能性に気付いているはずだ。その証拠に、彼の表情がうんと険しいものに変化している。

 不穏で重苦しい空気が応接室を支配し始める。

 だが、それを切り裂いたのは一連の情報を二人に与えたアーヴィンドの声だ。


「そういうことになります。従来の治療法では治せない。しかし、これ以外の治療法は見つかっていない。なんせ古い病です、新たな治療法が発見される前に終息し、そのまま忘れ去られていったのでしょう。……そこで」


 アーヴィンドが、ブランシェと父の視線の先で柔らかく笑った。


「シュネーフルール嬢。あなた様を、我がサントゥアリオにお招きしたいのです」


 今まで語られた内容は全て前置きで、ここからがようやく本題だ。

 しかし、彼が口にした本題は、アーヴィンド以外の人間には予想ができなかったものだ。

 ブランシェはもちろん、隣にいる父も目を丸くして、ぽかんとした顔をしている。


「わたくしを……サントゥアリオ国に?」


 驚きを隠せない声色で復唱したブランシェへ、アーヴィンドは深く頷いた。


「我らがサントゥアリオ国は、古くから続く魔族の国。我が国で作られる食物には、芳醇な魔力が宿ります。体内に多くの魔力を取り入れて魔力に関する器官を刺激し、本来持っていた働きを取り戻させてファミン症に対抗する。理想論のうえ長期的な勝負になりますが、おそらくこの方法で治療できるかと思います」


 言葉を紡ぐアーヴィンドの顔は、どこまでも真剣そうなものだ。

 適当なことを口走っているようには思えない――ブランシェもまた、真剣に考える。

 アーヴィンドの提案は、非常に魅力的に感じるものだ。何もできずに時を過ごすよりも、少しでもファミン症を改善できる可能性があるのなら賭けるべきだ。


「……もし、ディリアス様が提唱した方法でも改善がみられない場合は?」


 相手の顔を真正面から見据え、静かな声で問いかける。

 ブランシェが気になったのはそこだ。アーヴィンドが提唱した方法は、これまで誰も提唱していなかった新たな治療法だ。これで本当にファミン症が治れば助かるが、現実はそれほど甘くはない。彼が提唱した方法が上手くいかず、引き続きファミン症に悩まされ続ける可能性だって十分考えられる。


「その場合は、直接魔力を整える方法に切り替えます。しかし、魔法薬や治癒魔法で魔力に関する器官を活性化させることになるため、身体に何らかの負担が生じる可能性が非常に高いとみています。できるならば、最終手段としてとっておきたいところです」


 思わず、ブランシェは顔をしかめる。

 体内にある器官を外的要因によって活性化させる――確かに、そうすれば体内の魔力を正常化する働きが強まり、ファミン症を治療することができるかもしれない。だが、無理に活性化させる場合、身体にかかる負担は大きなものになるだろう。


「……なるほど。確かにそれは最終手段にしておいたほうがよさそうです」


 一言、言葉を返したのち、父へ視線を向ける。

 もしアーヴィンドが提唱した方法が駄目だった場合でも、他の手段も考えてあるなら、ブランシェは安心してサントゥアリオ国へ療養しにいくことができる。


 だが、問題は父だ。ブランシェはシュネーフルール家の大事な娘。現在は社交界で他の家の令嬢や子息と言葉を交わして情報をやりとりしているが、いつかは他の家の子息と婚姻を結んで家の力をつけるのが仕事だといえる。そんなブランシェに何かあれば、シュネーフルール家にとって痛手になる。

 全ては父の言葉で決まる。ほんの少しだけ緊張感に満ちた空気の中、ブランシェの父は数分思考を巡らせたのち、深く息を吐き出した。


「……ブランシェの病を治すには、それしか方法がないんだな?」

「私が提唱した方法は、実際に上手くいくのかどうか不明な点があります。しかし、現状は従来の治療法とこの方法に限られています」


 きっぱりとした口調で、父の問いにアーヴィンドが言葉を返す。

 父が横目でブランシェへ視線を向ける。ブランシェと同じ紫の瞳には厳しさが宿っているが、ほかに優しさやブランシェを心配する感情も含まれている。

 やがて、父はもう一度深く息を吐きだし、決断を下した。

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