1-2 暴食令嬢は飢餓を抱える

 シュネーフルール家の屋敷は、いつも綺麗に片付けられている。

 これは領主である父がどちらかといえば綺麗好きのため、執事やメイドたちに十分な掃除を心がけるよう常に指示しているからである。ゆえに、シュネーフルール家はいつどんなときでも胸を張って客人を招き入れられるほどに整っている。

 丁寧に汚れが取り除かれた絨毯の上を歩き、ブランシェは応接室への道のりを進んでいく。

 その間も腹の奥から湧き上がってくる空腹感がブランシェを締めつけ、思わず何度か足がキッチンに向かいそうになった。


(違う)


 そのたびに自身へ強く言い聞かせ、ブランシェはどんどん廊下を歩いていく。

 やがて見えてきた、ダークブラウンの木材で作られた扉。玄関からそれほど遠くない場所に位置しているこの部屋が、父と客人の待つ応接室だ。

 大きく深呼吸をし、やや緊張している心身を解きほぐす。数回同じように深呼吸を繰り返したあと、ブランシェは目の前にそびえ立つ扉を数回ノックした。


「お父様。ブランシェです」

「入りなさい」


 扉へ呼びかけて数分後、聞き慣れた父の声が返ってくる。

 最後にもう一度だけ大きく息を吸い、吐き出し、肺の中に入っている空気を入れ替えてからブランシェは扉のノブを握った。


「失礼いたします」


 静かな声で一言断り、室内へ足を踏み入れる。

 シュネーフルール家の応接室には、大きなテーブルとソファーが設置されている。足元は上品さを感じさせる深紅の絨毯が敷かれ、設置された繊細な印象のある照明が室内の明るさを適切なもので保っている。テーブルには、エリサが用意したと思われる二人分のティーカップがソーサーと一緒に置かれていた。

 室内にいた人物は二人。部屋の中央に設置されたテーブルを挟み、向かい合うように座っている。片方はブランシェの父、そしてもう片方は見慣れない男性だ。


「お父様、エリサからお話を聞いて参りました。わたくしに何かご用でしょうか」


 父に問いかけながら、こっそりと見慣れない男性を観察する。

 ブランシェよりも年上に見える男性だ。ブランシェのものよりも少々くすんだ印象のある白髪を緩く後ろでまとめ、あまり邪魔にならなさそうにしている。こちらを見る目はどこまでも深い青色で、まるで海を覗いているかのような気分にさせる力があった。


 彼が身にまとっている衣服は、上質そうな布で作られている。上層階級の人間であるのは間違いなさそうだが、クォータリー国ではあまり目にしないデザインをしている。

 一体どこからの来客なのか――内心、首を傾げるブランシェへ、父が言葉を投げかける。


「わざわざすまないね、ブランシェ。こちらの方がお前の病について、心当たりがあるそうなんだ」

「こちらの殿方が?」


 思わず目を見開き、父へ問い返した。

 ブランシェが抱えている病は、どう考えてもあれのことだ。ある日突然感じるようになった、乾かない飢え。長らく正体不明の奇病として扱われていたあの現象について、何か知っている人物がついに現れたというのだろうか。

 驚く娘の様子を見つめ、父は自身の客人へと視線を向けた。


「ああ。紹介しよう。こちらにいらっしゃるのは、アーヴィンド・ディリアスさん。お前の現状を風の噂で知り、サントゥアリオ国からはるばる来てくれたそうだ」

「サントゥアリオ国から?」


 父の唇から紡がれた国名を耳にし、ブランシェは目を丸くした。

 サントゥアリオ国。ブランシェが生きるこの世界に存在する国のうち、魔族が多く存在する国だ。

 人間の他に魔族と呼ばれる種族が存在するこの世界では、その昔、人間と魔族の間で戦争が起きていた。しかし、長く続く戦に互いの国は疲弊し、最終的に人間の王が送った使者が魔族の国との和平を結ぶことに成功し、互いに共存の道を選んだ。


 多くは長い歴史の中で廃れていったが、サントゥアリオ国は当時から存在し続けている数少ない国だ。

 遠く離れた地に存在する、人間よりも魔法の扱いに優れた魔族の国。そんな場所からブランシェの話を聞いてやってくるなんて、驚きしかない。

 ブランシェの父の紹介を受け、男性がソファーから立ち上がり、胸に手を当てて一礼する。


「はじめまして、シュネーフルール嬢。ただいまご紹介に与りました、アーヴィンド・ディリアスと申します。サントゥアリオ国からシュネーフルール家の皆々様にお話をするため、やってきた所存にございます」

「あ……申し遅れました。わたくしはブランシェ・シュネーフルールと申します。遠い地からようこそいらっしゃいました」


 はっと我に返り、ブランシェもわずかにスカートを持ち上げ、カーテシー式のお辞儀をする。

 その後、丁寧な動作でスカートから手を離し、背筋を伸ばすと言葉を続けた。


「ところで……わたくしの噂とは、一体どこで耳にされたのでしょうか。確かに一部の領民にわたくしの身体のことを知られてしまっていますが、全面的に公表しているわけではないはずなのですが……」


 気になったことはたくさんあるが、まず最初に聞いておきたかったのはそこだ。

 ブランシェの現状は、大々的に公表せずに秘匿されている――にも関わらず、風の噂でブランシェのことを知り、こうして遠い地からやってきた者がいる。

 どこかで情報の封じ込めに失敗しているのなら、早急に対策するべき案件だ。

 父も心の片隅で同じことを気にしていたのだろう。ちらりと見た父の横顔は、どこか神妙な表情をしているように見えた。

 ブランシェと父の顔を真っ直ぐに見つめたのち、アーヴィンドが答える。


「私がシュネーフルール嬢の噂を耳にしたのは、クォータリー国内の町です。シュネーフルール領の令嬢が乾かぬ飢えに取り憑かれた――と。この話をしていたのは旅装束に身を包んでいるように見えました」

「旅装束……」


 父の隣に腰かけながら、ブランシェは考える。

 シュネーフルール領は『美食の地』として多くの人間に知られていることもあり、多くの旅人が訪れる。

 しかし、わざわざ領主に会いにやってくる旅人はほとんどいない。ブランシェが乾かない飢えに悩まされるようになったあと、他の地からやってきた旅人がシュネーフルール家に来たことは一度もなかったはずだ。


「これは私の予想ですが――何者かがシュネーフルール卿を陥れようとしている何者かが暗躍していると見ています。何らかの方法でシュネーフルール嬢の現状を知り、領民からの信頼を落とすために情報を漏洩させた、と」


 そういったアーヴィンドの表情は、とても真剣なものだ。

 自然とブランシェと父の間に緊張が走る。

 あまり信じたくはないが、彼の予想は納得できる力がある。何者かがシュネーフルール家に入り込み、ブランシェの現状をわざと一部の領民に広めた。そうすれば、父がブランシェのことを秘匿していても領民に知られてしまう。


 シュネーフルール領だけでなく、他の領地にもブランシェのことが知られれば、シュネーフルール家に厳しい目や不審がる目を向ける者は増えるはずだ。

 噂を流すとき、シュネーフルール家のことを悪くいえば、よりシュネーフルール家を締めつけられる。

 考えれば考えるほど、何者かが暗躍している説が強いと思えてしまう。


「不安を与えるようなことを口にして申し訳ありません。しかし、情報の封じ込めをしているはずなのに失敗しているのなら、人為的な何かがあったと考えるのが自然かと」

「……貴重な意見をありがとう。一度、使用人からも話を聞いてみることにしよう」


 神妙な表情で、父が頷く。

 あくまでも私個人の意見ですので、と一言付け加えてから、アーヴィンドは紅茶を一口飲み、わずかな喉の乾きを癒やした。


「なるほど……わたくしからも感謝の言葉をいわせてください。わたくしも父も、何者かの暗躍の可能性は考えておりませんでした」


 その言葉とともに、ブランシェは丁寧な動作で頭を下げた。

 たとえ、アーヴィンドの個人的な意見であったとしても、今まで考えていなかった可能性を提示してもらえるのは非常に助かる。

 ゆるりとした動作で首を左右に振ったのち、アーヴィンドは手にしていたティーカップをソーサーの上に戻した。

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