初めての人
私は書きかけのノートを閉じた。いわゆる、中二病と呼ばれるような妄想を書き留めたノートだ。こんな妄想は、もちろん現実であるはずがない。片親で、パパに殴られて、学校でいじめられて、そんな私が魔法に目覚めて全部焼き尽くすなんて、あげく好きな先生と二人きりだなんて、あるわけがない。それでも妄想を綴ることだけが、私を私にしてくれる。
そう、あの非常勤の先生が好きだった。恋に恋するというものかもしれない。でも私に軽蔑した目線を向けないのはあの先生だけだった。まあ、私の事情をよく知らないだけかもしれない。でも事情を知られたらあの先生にも軽蔑されると思うと、とても話すことなどできはしなかった。
「おい、お前何書いてるんだよ」
「あ、それは、えと……」
いつも私を殴る、男子の二人組だ。
「全然授業に関係ないじゃねえか」
「いーけないんだ、いけないんだー」
もちろんこいつら自身がノートをとっているはずがない。単にいじめを開始するための口実、もしくはノリである。
「おい、こいつのノートでサッカーしようぜ」
「いいじゃん、じゃあ廊下の端っこがゴールな!よーいドン」
「あ、おい、ずるいぞ!」
やめて、という声が出ない。それだけは絶対に嫌なのに。伸ばした手が届かない。ゆっくりと回転しながら、汚い緑の床を滑っていくノート。手を伸ばすことはこいつらを喜ばせるだけだと知っているのに、手が伸びる。反応するから余計虐められるって言ってたのは副校長だっけ、校長だっけ。でも勝手に体が動く。その手を伸ばしたところで不安定な体を横から突き飛ばされる。「邪魔だァ!」壁にぶつかる。こいつらは突き飛ばす時もガラス窓には突き飛ばさない。窓が割れたら大ごとになることを知っているからだ。私に怪我させると言っても、打撲はいいが骨折や出血はいけない。備品を壊してもいけない。そういう加減を知っているからこそいじめが長続きする。打撲程度で動いていたら何人教師がいても足りない。そういう権力と共存する卑劣さを知っている。教師が動かないのだから生徒はなおのことだ。いじめっ子に関われば明日は我が身だ。だから誰かが私を助けるなんてあるわけがない。だから私は救われない。でも、誰かが蹴り飛ばされたノートを屈んで拾い上げる。あんな丁寧に私の持ち物を拾い上げる人がいるわけがない。いや、あれは。そんな、まさか。
「先生、なんで……?」
任期は終わったはずじゃ、という言葉を飲み込む。先生にとっても愉快じゃないだろうから。嫌われたくない。
「僕は確かにもうこの学校の教師じゃない。任期は切れたからね」
でも、と続ける。
「子供が苦しんでるのを知って、任期が切れたからと帰るのが教師なら、俺は教師なんてやめてやる!」
「先生……!」
「お前ら、こんな情けないことをどうしてするんだ!」
ぽかんとしているいじめっ子たちに、先生は強烈な平手打ちを食らわせた。
私の初めての人。私を始めて、人間として扱ってくれた人。
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