第29話:菜々華の夢
5月になり、アメリカに渡った菜々華からある1通のメールが届いた。その内容は
“悠太君元気ですか?私はニューヨークに来て1ヶ月が経ちましたが、まだこっちの生活に慣れなくて大変な毎日を過ごしています。今通っている学校は日本出身の子もいるので、毎日英語と日本語を使い分けられて、人間関係のストレスを感じないで快適に毎日過ごしています。悠太君もいつか遊びに来てください。待っています。 菜々華”
彼は久しぶりに彼女の文字を見て、心配していた気持ちが晴れた。そして、彼女からメールが来たことで自分の事を忘れられたのではないか?という不安も無くなった。
そのメールに返信すると、翌日彼女がある相談をしてきた。それは、“小さいときからの夢だったモデルになりたい”ということだった。正直、彼は友達にモデルの友達が居るわけでもないし、モデルのことに詳しいわけでもない。その時、彼は“菜々華の夢を応援したいけど、誰か居ないかな?”と思い、いつも遊んでいる仲間たちに“モデルに詳しい子知らないかな?”と聞くと、“隆之介が知っていると思うよ。たしか、彼は以前モデルのオーディションに応募して、グランプリになったはずだから”と情報をくれた。悠太は友人たちと別れて、隆之介の家に向かった。実は、隆之介の家は彼の家から自転車で20分くらいかかる場所にある大きな豪邸に住んでいる。そのため、彼は数回しか彼の家に遊びに行ったことがなく、彼の家は地元では有名な企業の社長さん家系で、セキュリティも他の家よりもかなり厳重だった。
そのため、彼は事前に電話をしてから行こうと思った。家に戻り、彼の家の電話番号を探したが、少し前から個人情報とプライバシー保護の観点から連絡網が廃止され、本人から直接聞かないと番号が分からない事に気付いた。
そして、彼と同じクラスの友達に連絡し、“隆之介君って今日家にいるか電話して欲しい。”と伝えた。連絡してから10分後、友人から折り返しの連絡が来て、“隆之介は今週、仕事でパリに行っているみたいだから会えないってさ”とあっけなくトップジュニアモデルのすごさをまじまじと見せられてしまった。
その他にもモデルの友達はいたが、彼らは所属事務所との契約の関係上、マネージャーなどが同席しない、許可をしていない外部の人間との接触が禁止されていた。そのため、いくら友人であっても個人的に会ってもらえるか微妙な状況だった。
その週の週末、彼がパリから帰国したと聞いて、彼の元に再び向かった。すると、彼はちょうど福岡のショーに行くための準備中で、その空き時間で話を聞いてもらう事にした。そして、空き時間になり、彼がリビングに来ると、「悠太君、今日はどんな用事?」と話しかけてきた。そして、「実は菜々華という自分の塾が同じだった子がいて、その子がモデルになりたいと言ってきたからちょっと相談に乗ってもらおうと思って・・・:」と話すと、彼は「まぁ、モデルの世界はジュニアモデル時代にどれだけ活躍出来るか、オファーが来るかで未来が決まってくるからさ。ところで菜々華ちゃんはモデル経験あるの?」と聞くと、彼は「モデルと言ってもジュニアカットモデルやキッズサロンモデルはやったことあるって聞いたけど・・・」と答えた。
そして、「おそらく、その実績では普通のモデル業界には入れないと思うよ。それに、僕の同期には“元チャチャのトップキッズモデル”・“元ブラン・ド・シルクのトップキッズモデル”・元モ・ナミのトップキッズモデル“を経て今はミニオン・フィーエのトップジュニアモデルなど国際的なブランドでトップモデルを務めるような子ばかりだからやるなら国内モデルしかないかもね。」と一刀両断した。
確かに、キッズモデルは身長などが採用基準にならないが、ジュニアモデルになると身長と足丈など容姿や立ち姿などを全て評価されるため、かなり活躍するには難しい条件が課されるのだ。
しかも、菜々華は身長が彼より低く、足は長いが、遠近法を使うとかなり身長が低く見えてしまうのだ。そのため、彼女は小学生の頃から“モデルになりたいけど、容姿とか語学が堪能ではないから無理だよね”と言っていたのだ。
そして、彼女は日本にいたときにモデルのオーディションに応募し、試験を受けたが、結果は不合格だった。そして、あの時を思い返すとオーディションを受けた子たちは平均で約155センチ程度の子ばかりで当時135センチだった彼女は受かることはなかった。
そして、彼女は“高校生までにモデルになれない場合はキャビンアテンダントになろう”と決めていた。ただ、彼女は英語があまり出来ないため、どこかで英語が堪能になるように勉強しなくてはいけないのだ。しかし、彼女の語学力では次第に学校でついていけなくなり、成績も落ち始めていた。そのため、彼女は完全に夢を挫折しかけていて、その夢が叶うかどうか不安で仕方がなかった。ただ、父親の妹は外資系エアラインのチーフキャビンアテンダントとして活躍している。そのため、小さいときから「菜々華ちゃん!背筋を伸ばして!」・「菜々華ちゃん!言葉が汚い」などといろいろ指摘されてきた。その影響もあるのか、彼女は汚い言葉遣いが知らぬ間に出来なくなっていた。そして、礼儀作法も他の子よりも出来ていた。しかし、彼女の中に“真面目な女の子”というレッテルが渦巻いていた。
彼女がアメリカに行ってから1年が経ち、今度は中学校受験に向かうことになる。アメリカの場合は基本的にその地域の学校に進むというのではなく、自分たちで学校を選べるのだ。しかし、担任の先生は“今の成績だとミドルスクールに行っても授業についていけないのではないか?”という先生からの提言があった。確かに、彼女が通っている学校では、ミドルスクールに行く子供たちの多くが大学受験までを見据えて学校を選んでいる。そのため、自分の学力に合わせた学校にまず行って、大学を卒業し、社会人をしながら再び大学に戻るという人も少なくない。
そんななか、彼女はまだアメリカに来て1年も経っていないのだが、学校に通うか、ホームスクールを選択するかで揺れていた。なぜなら、彼女の学力で学校に通うには家から20マイル(約32キロ)離れた学校か、家から80マイル(約150キロ)離れた学校しかないのだ。しかも、学費は掛からないが、交通費だけで月に前者が$180(約18000円)、後者が$300(約30000円)掛かるため、これだけのお金を出しても通いきれるかどうか分からないのだ。まして、母親は父の会社とは別の日系企業の社員として働き始めたばかりで、朝は6時半には家を出るため、仮にこの2校に絞った場合、公共交通機関を使ったとしても朝5時~6時頃に出ないと間に合わないのだ。
そのため、母親が出勤している平日は母親に駅まで送ってもらえるが、休日に授業がある場合には公共交通機関を利用して、自分で行かなくてはいけないのだ。
彼女は他の仲の良い女の子の友達に聞くと、“私はホームスクールにしようと思っている”という子が多かった。そして、アメリカではホームスクールも1つの教育手段として確立されているため、オンラインでみんなと集まって勉強するという子も多かった。特に、彼女が住んでいるエリアは学校との距離がかなり離れている事もあり、ホームスクールを選択する子供が多く、ホームスクール用のカリキュラムを提供する会社も子供たちの教育に積極的に投資することで、多様性を持った子供たちと交流する機会が増え、そこで素敵な人材が育ったときにその会社の実績になるからだ。
そして、彼女が住んでいるエリアでホームスクールを展開している“ブライアン・パーソナル・エデュケーション”から彼女宛にダイレクトメールが届いた。それは、彼女がこの会社の子会社が企画している“ブライアン・エンターテインメント・タレント”に出場してみませんか?というオファーだった。この会社は芸能事務所というよりはモデルさんをホームスクールで育てて、業界に売り込むというスタイルの会社で、卒業生には現在、ドラマに引っ張りだこのエミー、有名歌手でモデルのエミリー、プロバスケット選手のジョーダン、大手企業CEOで働き方改革をしたマッカートニーなど豪華な人たちが君臨している。
これはブライアン・エンターテインメントが毎年、モデルや俳優などの芸能活動をして欲しい子供たちをホームスクール希望者の中から選抜して、オーディションを行うというものだった。そのため、毎年1000人以上応募者と300人の推薦者の中から表舞台のデビューを掴めるのはわずかに10人ほどと、かなり狭い門である。
ただ、このオーディションの推薦枠で彼女が参加できるということは彼女の夢だったモデルに一歩近づけることになるかもしれないということだ。
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