第13話:緊急事態
子供たちも学校に慣れ、少しずつ新しい生活にも慣れ、まもなく夏休みが始まる時期になった。
その日はお腹にいる妹たちが生まれてくる予定日の10日前だったが、未だにお腹の中で動いているような素振りが最近ないのだ。今度の火曜日には最後の定期検診になり、その後は出産準備でてんてこ舞いだった。
母親のお腹を見た那月は「お母さんお腹可愛いね。」と相変わらずチャーミーな様子で、柚月も「かあいい!」と言ってお腹をスリスリしていた。
そして、火曜日になり、病院の定期検診にバスで向かい、その日に行う予定になっていた定期検診での検査項目を身重の身体でこなしていった。
全ての検査が終わり、先生からの所見と出産計画が話されると思うとワクワクしていた。
検査終了から15分後に名前が呼ばれて、担当医の先生のいる診察室に入った。すると、先生の顔がどこか曇っていて、母親は「先生どうしたのだろう?」と不安に思っていた。そして、先生から告げられたのは「お腹の赤ちゃんは順調に育っているのですが、上にいる子供の動きがあまり良くないため、仮に出産に耐えられたとしてもNICUへ入院する必要が出てくる可能性もあります。」と話してきたのだ。この話を聞いて母親は卒倒してしまいそうになった。なぜなら、実は全く同じ話を柚月と悠太が生まれてくるときの直前にも聞いた覚えがあるからだ。そして、2人とも無事に生まれた。しかし、悠太は大丈夫だったが、柚月はNICUでの治療が必要と判断され約3ヶ月間離ればなれになってしまったのだ。
診察が終わり、お金を精算して帰宅の途に就いたが、不安は尽きなかった。
なぜなら、以前に悠太と柚月を出産するときも予定日に遅れて、どちらか1人だけNICUに入らないと助からないと言われていたため、不安に思っていたところ柚月がNICUに連れて行かれたときに“子供を健康に産めなかった”と心の中で自責の念を持っていた。
帰宅してふと当時の日記を開いたときにある日記を見つけた。それは、悠太と柚月が成長不足の可能性があり、先生から健診で言われた夜に書いたものだった。内容は「今日は最後の健診の日だった。最初7/10が出産予定日だったけど、二人に会うのが7/23日前後になってしまった。しかも、男の子のほうは動きが鈍く、女の子のほうは動きがほとんどない状態になってしまったようで経過観察」と書いてあった。
今の状態として1人は動きが少なく、1人はすくすく育っているという状態だった。そして、2人とも規定の体重に達していないため、もう少し体重を増やさないと外に出るための体力が足りないという指摘があった。そのため、この時と同じように14日から20日程度予定日が後ろ倒しになる可能性がある事を考えると予定日が7月29日から8月6日になるため、母親にとっては辛い期間になってしまわないように家族で時間を作りながらその日を待っていきたいと思った。
その頃、那月は新人戦以来の遠征に向けて練習に励んでいた。
彼女は最近、やっと少しずつ試合に出られるようになって、部活にも以前よりも積極的に参加できるようになったが、やはり身長のコンプレックスは拭えなかった。
なぜなら、彼女の部活の部員は平均身長が158cmということで比較的背が高い子が多く、彼女は部員の中でも小柄なほうだった。そして、毎回部活の対外試合や遠征にいくと相手との体格差で圧倒されてしまうことが多く、スタメンでは使ってもらえない状態だった。
そのため、彼女はもっと大きくなりたいという気持ちが大きくなってきた。
確かに、父親も母親も背は高いし、隆太も悠太も小学生にしては大きい方だった。そのため、彼女は「なんで自分は身長が低いのだろう?」と疑問に思ったのだった。実は柚月も小学校2年生にしては身長が小柄で他のこと並ぶと頭半分くらい低いのだ。
隆太は桑野さんの家に夏休みは3日に1回は行く予定になっているようで今からワクワクしていた。確かに、彼は小さいときから悠太の事を面倒見るなど彼の中では子供が好きと言うよりも相手に寄り添う事が大好きだったのだろう。
それもそのはずで、桑野さんの家には来週の土曜日に新しい家族が増える。今回は男女1人ずつ計2人来ることになり、桑野さんの家は子供たちを迎えるために家の裏にある広い土地を買い、そこに子供たちの部屋を作ることにしたのだ。実は今の家では新しく子供を受け入れるにも部屋がなくなってしまうし、子供たち5人と奥さんのお腹にいる女の子、新しく来る2人の子供たちと一緒に暮らすためにはこっちの家だけでは狭くなってしまう。そこで、広い場所が必要だと思い、後ろの家の所有者である浦野さんから以前に“私が亡くなったときにはこの土地は桑野さんに差し上げますよ。若い人に使ってもらったほうが子供たちも安心すると思います。”と話していたのだ。
実は裏に住んでいる浦田さんは90歳になるお爺さんで奥さんを3年前に亡くし、5人の子供たちもそれぞれ独立し、家を継ぐ人は誰もいなかった。そして、浦田さんの家には定期的にデイサービスの車が来るようになり、半年後には1人での生活は難しいと判断され、これまでデイサービスで通っていた施設に入ることになった。
それに伴い、今建っている家の裏庭の木も売却し、家も築60年と老朽化が進んでいることからホームリサイクル型解体で更地になることが決まった。
浦田さんが入所して2ヶ月後浦田さんが住んでいた2階建ての家が壊され、浦田さんの家のあった場所は更地になった。その後、浦田さんが大事に育てていた果物や桜、梅などの木を造園屋さんが引き取りに来て、全ての木を大きなトラックに乗せて走り去っていった。少し前までにぎやかだった浦田さんの家と庭は今では向かいの住宅街の家が綺麗に見えるまで見通しが良くなっていた。
そして、土地の名義変更をして正式に浦田さんから土地の権利が桑野さんに移った。そして、造成工事をして家のすぐ後ろに家を建てる段取りをした。
しかし、家を建てるにあたっていくつかの問題があった。まず、家を建てるにあたって基礎工事をしないといけないのだが、今まで建っていた浦野さんの家よりも大きいため、基礎を広く取らないと家を建てられないというのだ。
それでも家を建てないと子供たちを受け入れられないと判断し、基礎の拡張工事をすることにした。そして、お金を全額現金で支払い、新しい家の完成をみんなで目の前で見ながら心待ちにしていた。
工事が始まり、2週間が経った時に後ろを見ると家が建つ予定になっている場所には大きな穴が掘られ、そこにたくさんのコンクリートが型枠の中に流し込まれていた。その光景を見て、自分の子供たちは“この家もこんな感じで建ったのか・・・”と感心していた。そして、施設から桑野さんの家に来た子供たちは“お家が出来るって楽しみ!”と心から楽しみながら工事の様子を見ていた。今、桑野さんの家にいる施設から来た子供で一番上の子は菜々子ちゃんで今年7歳になった。その下が4歳の小雪ちゃん、こその下が3歳になる竜樹君と個性豊かな子供たちが一つ屋根の下で暮らしているのだ。
2週間後、学校が夏休みになり、桑野さんの家に夏休みに入って初めて遊びに行く日の朝のことだった。その日は平日だったこともあり、父親はすでに仕事に行っていて、母親は経過観察の受診があるため通院、那月は部活動のため、朝早くから学校に行っていた。そのため、桑野さんが迎えに来てくれる約束の10時までは隆太と柚月、悠太の3人でお留守番をすることになったのだ。ただ、隆太は柚月の症状と悠太の症状が悪化した場合の2人の薬の場所や対処法などは以前に聞いた内容のみで、柚月は状態によっては車椅子を使うこともあるが、隆太はいつも一緒に登校していたため、車椅子の場所も全て分かっていた。
そして、10時になり、桑野さんが娘の愛梨沙ちゃんと息子の太一君と一緒の迎えに来てくれた。すると、悠太に桑野さんが「隆太君の弟君かな?はじめまして!」というと悠太は頭をペコリと下げて恥ずかしそうに家の中に入っていった。
家を出て20分後、桑野さんが予約していたお店に着き、桑野さんのご家族と一緒に食事をして家に帰ることになった。
まさか、この後家で大変なことが起こるとは誰も予想していなかった。
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