第10話:新年度の越えられない壁

 春休みが終わり、那月は中学1年生に、隆太は小学5年生に、悠太と柚月が小学2年生にそれぞれなった。そして、悠太と柚月は後ろに付けていた新入生用の蛍光カバーが外れ、それぞれのランドセルの素地が見えるようになり、悠太は学校に行けることを喜んでいた。


しかし、柚月は心中複雑だった。なぜなら、彼女の場合、入院で年間出席数が少ないため、2年生の勉強と並行して1年生の未出席分の学習を補講や解説プリントなどを使って学習していくことになった。そして、昨年までは歩けていたが、今は歩ける距離が少し短くなったことで教室にどのように向かうかを検討しなくてはいけないということになった。去年までは2階だったが、今年は3階になり、生徒玄関は1階にあるため、去年よりも階段をさらに登らないといけない。そして、2階までは改修工事が終わっているが、3階に上がる階段は改修工事が進んでいないため、彼女が使うには少し危険な状態になっている。


 そのため、介助員の先生と副担任の先生は引き続き専任でサポートしてくれることになっていた。しかし、去年のように年間の3分の1以上入院や通院でいないとなると副担任を非常勤の先生など人件費が掛からないように調整することも考えられたが、今年の場合は昨年よりもサポートが必要になる場面が増えているだけでなく、子供たちの理解はあるものの公平性の観点から難しい状況になっていることは言うまでもない。彼女は登下校は車椅子で行い、授業中は椅子に座り、みんなと同じように授業を受けてみるなど普段通りの学校生活を送っていたが、彼女にとって1番苦痛の時間は休み時間だった。なぜなら、クラスのみんなはグラウンドで動き回っているが、彼女は移動に時間が掛かるため、教室で読書をするか、教室で勉強しているお友達と一緒に勉強する事しか出来なかった。


 いつも教室にいるのは心臓に持病がある菜々ちゃんと足が少し不自由な弘毅君だった。3人とも今年から同じクラスになり、1年生の時はクラスが違っていて、全く接点がなかったため、どこか新鮮な気持ちだった。


 毎日3人で過ごしていると、お互いのことを深く知る事が出来て、どこか居心地の良い場所にいるような気分になった。


 そして、彼女も補助具を使いながらゆっくりと少しの距離を歩くことが出来るようにはなっていたが、他の子たちのようには走り回ること、長い距離の移動が出来ず、いつも3人で副担任の先生と一緒に別カリキュラムの授業を受けることになった。


 一方の悠太は今まで変わらずに学校生活を送っていたが、彼は友達も多く、周囲からも一目置かれる存在であった。ただ、子供たちの多くは彼に妹がいるということは知らず、柚月と一緒に帰る姿を見て“2人は仲が良いな”くらいにしか思っていなかった。


 そして、2年生になって初めての授業参観と保護者懇談会をしたときに学年懇談会の席である意見が飛び出した。それは、特別配慮が必要な子供たちについてだった。実は2年生には柚月、菜々、弘毅以外にも配慮が必要な子供が数人在籍していた。


 そのことについて、ある親からは「そういう子供と一緒に生活をしていると子供たちの負担が大きくなってしまうのではないか?」という意見が出た。他にも別の親からも「そういう子供は特別支援学級に在籍させるべきでは?」という声も上がった。


 この質問が出た時にこのような子供を持つ親たちはうつむいて涙を拭った。なぜなら、昨年もこの問題は議題として取り上げられたが、まだ小学校に入学したばかりだったこともあり、先生たちの努力で何とか乗り切った。しかし、今年は昨年のようにはいかず、多くの子供たちの親が“子供の勉強の妨げになる”や“子供たちはこの子たちを見るために学校に登下校しているわけではない”など心ない言葉が飛び交っていた。そのような発言を聞いて、一緒に遊んでくれていた子供たちの顔が思い浮かんで申し訳なかった。


そして、2年生になった今も自分の子供たちがそのような問題に頭を抱えさせられるとは思ってもみなかった。


 この質問を受けた担任の三村先生、学年主任の戸川先生はそういう質問に対してこう答えた。


「お母さん・お父さんのお気持ちはお察ししますが、社会にはみなさんのお子さんのように日常生活を普通に送れる子供たちだけではありませんし、同じ学力の子供もいません。学校にはこの子たちのように誰かの助けを必要としている人はたくさんいます。そして、彼ら・彼女たちには生きる権利があります。今のご質問をされたみなさんはそのような子たちの気持ちを知る機会がないかもしれません。本校としては本人が通級を希望しない場合には特別支援学級などに在籍させるということはしません。それは、本人たちが自分の力で頑張りたいと思っているならその意思を尊重させるべきだと思っています。」


 この答えを聞いた親たちは先生たちに不信感を持った。というのは、この学校に通っている子供たちの家庭は教育熱心な家が多く、早い子になると中学生から受験する子が出てくる。そのため、親が学校の授業に口を出してくることは日常茶飯事なのだ。


 実は担任の三村先生と隣の多々良先生は新任の先生だったため、この学校について深くは理解していない。そのため、こういう事態に発展することも想定できていなかった。そこで、学年主任の戸川先生がバックアップする形でこれまで学級経営や授業計画を作ってきたが、たびたび保護者からクレームが入るなど手の打ちようがなかった。


 今回クレームを入れてきたのは中学校受験をさせるという美姫さんの両親を始めとした一部の保護者で、1年生の時も異動した竹山先生に対して美姫さんと同じクラスで塾に通わせている子供を持つ親が「授業の進度が遅すぎて子供が暇をしているから塾の問題をやらせて欲しい」や「学校の問題は受験に役立たないから別の先生で受験対策が出来る先生に子供たちを見てもらいたい」という無理難題を学校に対して突きつけてきたこともあった。


 これは美姫さんのお兄さんとお姉さんの学年でも同じ事を言って困らせていたことをお兄さんがいる6年生、お姉さんの4年生の学年主任と各担任それぞれから報告があった。


 この時の内容は子供たちには伝わっていないが、その日の夜に柚月が「もう学校には行きたくない。」と両親に話した。理由は何も言ってこなかったが、彼女の心が悲鳴を上げる寸前であることはかすかに伝わってきた。


 そして、翌日になり、柚月は学校を初めて休んだ。この事を担任の三村先生に連絡すると「分かりました・・・」と言葉を噛みしめるように電話を終えた。


 この時、戸川先生が危惧していた事の始まりがすぐそこまで迫っていた。


 それは、“学年崩壊”だった。これまで“学級崩壊”は幾度のなく起きていたが、学年崩壊に発展する事は自身の経験上では初めてだった。ただ、学年崩壊を未然に防ぐことは可能だが、容易ではない。


 しかも、現時点で各クラスから2人・3人と日に日に欠席が出て、1人が出てきたとしても別の子が欠席するという状態になったことから先生としては“長期欠席者を出さないようにしなくてはいけない”・“原因を早急に調査して子供たちに戻ってこられる場所を作りたい”という信念を持って動いていたが、最悪の事態を想定して動くことも念頭に置かなくてはいけないとも同時に思った。


 理由として“学年内における親同士の抗争に子供が巻き込まれていたことで学校に居場所を失った児童たちがいる”や“特定の児童に対する陰湿ないじめの発生”など状況が深刻になっており、このままでは円滑な学級運営が難しく、子供たちの学ぶ機会を奪ってしまいかねないと思った。


 ただ、相手はモンスターペアレントとして有名な家庭が多く、今回の騒動や抗争に伴う学校の今後の対応によっては騒動に対して火に油を注ぎかねない。


 学年主任にとって頭の痛い事が連鎖的に起きていることに対して担任の先生や関係外の保護者からは心配の声がたくさん上がっていた。


 その頃、柚月の家では彼女の学校に行かない理由を聞こうと試みていた。しかし、彼女はすでにかなり精神的に弱っていて、誰とも会話をする事が出来ない状態だった。

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