第2話:生まれた意味

 悠太は25年前に大手自動車メーカーの社長である父・友隆と大手商社をまとめるグループ会社で父親の下で働いていた母・南都子の次男として生まれた。


 悠太が生まれたとき、両親はある問題を抱えていた。それは、父親の会社の業績が傾き始めたことで毎日のように夜遅くまで損失補填などの業務対応に追われていたのだ。そして、身重の南都子に翌年に姉・那月が、3年後に兄・隆太の幼稚園受験を控えていたのだが、一緒に話し合う時間がなかったため、産前産後休暇を取得していた母親に受験に関することを全て任せていたのだ。


 そして、悠太の予定日が近づいてきたが、一向に陣痛も何も起きない。この時、母親はふと脳裏によぎった最悪の事態を想定していた。それは、“お腹の子が逆子では?”・お腹の赤ちゃんに何かあったのではないか?“など担当医の先生も焦ってしまうほど母親は取り乱していた。


 急いで産婦人科に向かうと、すぐにエコー室に通されて、機械で確認することになった。そして、先生からその映像を解析した結果を告げられた。そこには陣痛が来ないある理由があった。それは、“お腹の子が生まれる前に位置するべき位置まで下がっていない”という陣痛以前の問題だった。


 そして、予定日も1週間ほど遅れるという見通しを先生から告げられた。


 この話を聞いたとき母親は少しびっくりした。なぜなら、先月の定期検診では順調に育っていると言われていた。そのため、近日中に出産準備で入院できて、予定日に赤ちゃんに会えると思っていたのだ。しかし、お腹の赤ちゃんの発育こそ安定していたが、陣痛促進剤を使う事に対して抵抗のあったため、赤ちゃんが外に出たいと思うまで待つことにしたのだ。母親もここに来て予定日が延びるとは思っていなかった。


 その夜、いつ生まれるのかを楽しみにしていた姉と兄に“お腹の赤ちゃんもう少しお腹の中にいる”って言うから待っていてね!と話した。


 そして、2週間経ち、やっと陣痛が来て、父親は急いで産婦人科に向かった。そして、最初の陣痛から15時間後にやっと悠太が生まれたのだ。


 父親は彼と対面したときにある違和感を覚えた。それは、兄である隆太の顔と違い、顔が母親に似ていて、骨格や体格もすっとしていて、自分に似ていると感じるところがほとんど無かったのだ。そのため、本当に自分の子供なのか?半信半疑だった。


 そして、最近になって、両親から自分を身ごもったときの話しを改めてされた。母親が“実は悠太が生まれるか分からなかった”と告げられたのだ。


 その理由を聞いていくと初めて聞くことばかりだったのだ。


 まず、“私があなたを身ごもる前に体調不良で生死をさまよった”という話しをされた。


 この話しは母親が父親との同伴出張で日本と海外を飛び回っていたときに急遽トラブルが起きたという連絡を受けて、都内にあるグループ会社のオフィスに出向いたときのことだ。


 母親は社長である父親とそのオフィスの責任者と一緒にトラブルについての説明を受けていた。そして、実際に現場に出向いて説明を受けようとしたところ突然目の前が真っ暗になり、その場で倒れてしまったのだ。


 倒れたことに気がついた父親がびっくりして「南都子大丈夫か?」とかなり焦った様子で少しパニックになってしまっていた。意識が戻らないことで父親はかなり焦っていたが、近くにいたグループ会社の社長さんが急いで救急車を要請してくれて、救急車ですぐに病院に救急搬送された。


 そして、すぐに集中処置室に入り、全体の検査を受けることになった。父親は検査を受けている間もかなりパニック状態になっていて、父親自ら秘書の久留木に対して“南東総合病院にいるからちょっと来てくれ”と連絡を取って病院に来させた。


 そして、南都子の全ての検査が終わり、担当医の先生から診察室に入るように促された。そこで先生から告げられたのは“急性低血圧症”という前兆がなく突然血圧が下がってしまうという病気でこれまで低血圧ですら起こしたことが無かった南都子が突然低血圧を引き起こすというのは父親である賢史にとっては予想外の事態であり、これまでもめまいを起こす、頭がフラフラして気持ち悪くなるなど誰でも起きるような症状は出ていたが、今回のように意識を失ってしまうことはなかった。


 そして、この低血圧を起こして3ヶ月後に再び体調不良を訴えて産婦人科を受診したところお腹に小さな命が宿っていたのだ。

しかも2人。


 この時、彼女から報告を受けた夫である友隆は“子供を身ごもったのは嬉しいけど、3ヶ月前に倒れているのに、また何かあった場合にお腹の子は大丈夫なのだろうか?”という心配を抱き、賢史は“本当にこの子は生まれてくるのだろうか?”と南都子の身体を心配していた。


 実は那月も隆太も定期検診の度に“このままきちんとお腹の中で順調に成長し、この世に生まれたとしても何らかの病気を持って生まれてくる可能性があります。”と言われて家族総出で子宝の神様のまつられている神社にお参りに行った。


 その甲斐あってか、那月も隆太も無事に生まれてきたが、出生時の健康状態をチェックすると、やはり那月も隆太も血圧だけが結果で引っかかり、子供の正常値よりも低くなっていた。そのため、声を上げて泣くことも少なく、1度寝てしまうと息が止まってしまうのではないか?とやきもきしていたのだ。特に那月はかなり深刻な低血圧症状が出ていて、心拍が不安定になり、顔の血色も紫のようになるときや真っ白になるときとかなり深刻だったことを両親も親戚から今でも頻繁に言われることがある。


そして、悠太も例外なく、その症状を持って生まれてきた。しかし、悠太の場合は低血圧の症状だけで心臓や血流障害になる事はなかったが、今でもたまに朝になると起き上がるのに苦労することや起きたばかりでは頭がぼーっとしていて動けない事がしばしば起きていること、気持ち悪くなり、菜々華に支えてもらわないと歩くこともままならない状態になってしまっていた。


 そして、母親がこれまで語られなかった自分が生まれた意味を初めて重い口を開いて話し始めた。


 それは、悠太を身ごもったときに実は2人の身体がエコーで映っていた。その2人というのは柚月と悠太だった。その後も2人とも順調に育っていて、母親は2人と対面する日を待ち望んでいた。しかし、生まれる直前に担当の先生が一方の心拍数に異常が出ていることに気がついた。そこで、先生は友隆だけを診察室に呼び、今のお腹の胎児について説明した。すると、「これは奥さんに告げるべきなのか?」と彼の中で葛藤していた。そして、友隆は南都子には告げずに出産日を迎えた。2人は仲良く生まれてきたのだが、生まれた瞬間に2人は引き離されてしまったのだ。なぜなら、妹は健康状態があまり良くなく、呼吸や心音もかなり小さかったため、担当医からの指示でNICU(新生児集中治療室)に管をたくさん繋がれた状態で運ばれたのだ。そして、悠太はNICUではなく、新生児室に運ばれた。


 母親は娘に会えないことに違和感を覚えて友隆に何度も「なんで1人しかいないの?ふたりじゃないの?」と泣きじゃくりながら訴えた。


 そして、母親は入院している部屋に戻り、友隆と担当医から話を聞いた。それを聞いた母親は何とか2人とも生きていて欲しいと思ったのだ。


 1週間後に母親と悠太は退院したが、妹の柚月はまだNICUを出られる容態まで回復していないため、もう少し経過観察をすることになった。

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