第3話 タルコシア戦争

 数日後、名無しは第9領土に入った。隣にはストレイジング領ヘンドーラがあるものの、国境沿いは新アンドロマキア第8領土としてオムニスが治めている。また、聖徒隊も近くにひかえているため、そこまで心配はない。 

 第9領土の特徴は、ガイウス海に面している。加えて北部には大国ミスリルが勢力を伸ばしている。

 第9領土と第十領土に面するミスリルは、大陸最北端の国である。アンドロマキアの北部をほとんど制圧し、南下の準備を始めているという情報もある。凍らない港を欲している。

 しかし、北部には擬人兵が配備されているためミスリルも簡単には決断できない。

 あれからは全くと言っていいほどに、擬人兵には支障が無い。名無しの命令通りに行動している。おそらく、ストレイジング側が何かしたのだろう。それよりも、

「この書類はどうしましょう、名無し様」

「第9領土の国王軍隊長が面会したいと申しています」

「アルタイル殿からの指示がございます」

 就任したばかりだからかもしれないが、やることが多すぎて困る。こういう政治的なものは全てスガリに任せておきたいが、そのスガリもやることに追われている。リノも同じだ。

「名無し様、レイドローが面会を希望しております」

「面会は全部まとめて受けるわ。とりあえず、一番優先すべき人から通して」

「では、明日でよろしいですか?」

「ええ、明日は一日中空いているわ」

 翌日は、様々な有力者との会合を終えて、残すはレイドローのみとなった。

「それよりもレイドローって誰?」

 会合の際に隣に座つているスガリに問いかける。第9領の有力者はアルタイルからリスト貰ったが、その中にはレイドローという名前が無かったはずだ。

「はあ、そんなことも知らなかったのかよ。もう少しは新聞を読め」

「なによそれ、新聞にも出てくるような人なの?」

「当然だ。英雄と呼ばれた男だぞ」

「誰が呼んでるのよ。アンドロマキアの英雄はエンデヴァー殿かサンサンバドル殿でしょう」

「だから、アンドロマキアの人間じゃないんだよ。ミスリルの英雄レイドローだ」

「ミスリル?そんな人がどうして敵地に来るのよ」

「挨拶だろ。立場上は何も関係が無いが、ミスリルの発展はアンドロマキアのおかげだ」

 ミスリルは数年ほど前までは弱小国だった。北方にはミスリル、キーストン、ヘプタ王国の三国が勢力を拡大しつつ、それよりも弱い勢力が縄張り争いをしていた。その中でもミスリルは目立った存在ではなかった。

 しかし、アンドロマキアが政治に注力するために周囲の国と期間限定の不可侵条約を結ぶにあたって、ミスリルもその対象に含まれた。その契約の際に、ミスリルに技術者を派遣してやった。その時には、いつでも踏みつぶせる相手だったが、いつの間にか強大化して、ついにはキーストンを飲み込んでしまった。第9領土の支配者としては最も警戒するべき相手だ。

「失礼します、名無し様はいらっしゃいますか」

 ドアを叩く音が無機質に響く。

「どうぞ、お入りください」

「失礼いたします」

 一糸乱れることも無い綺麗な動きで、名無しの手前に向かい合う。

「つまらないものですが、手土産でございます。ミスリルの名物でございます。お納めください。それとこちらは名無し様への、個人的なプレゼントにございます」

 レイドローが差し出したのは、雪の結晶をかたどった造花だった。

「綺麗、ありがとうございます。どうぞお座りください」

「では、失礼」

 部屋の中には、レイドローとその側近のベンサムと呼ばれる男。名無しとスガリとリノ、さらにはシュルツもいる。レイドローは武術に関してはそこまでのようだが、念のためだ。

「それで、本日はどういったご用件で?」

「ご挨拶と、条約についてのお話です」

 条約とは不可侵条約の事だろう。その期日は数日前に過ぎている。

「もちろん、その節はどうもありがとうございました。我らが国王もアンドロマキアの皆様のご英断に感謝しております。つきましては、その期間の延長をお願いしたいとのことです」

「期間の延長?それはなぜでしょう?」

「もちろん、アンドロマキアと戦うつもりはございません。我々といたしましては、今後も両国の発展のために友好関係をより深く築いていきたいと考えております」

「もうすぐへプタとの戦争があるのかな?」

「発言は慎みなさい、シュルツ。これは私たちの話し合いです」

「すみませんね」

「いえいえ、シュルツ殿のおっしゃる通りでございます。我々はヘプタを倒し、北方を統一したい。しかし、アンドロマキアにも警戒しなければならない場合は、そちらにもある程度軍隊を割かなければならない。そうなれば戦争は泥沼です。我々は持てる戦力全てを投入し、犠牲者の少ないうちに勝利を収めたい。国王は平和を願っておられます」

「なるほど、我々もミスリルと戦争をする理由がありません。しかし、仮にですがヘプタを倒した後はどうするおつもりですか?必然的に我々と戦うことになるのでは?」

「いえいえ、国王は平和であれば、誰が治めようと気にしません。アンドロマキアの大陸平定に協力させていただきます。ヘプタを倒せばトロンに隣接しますが、その頃の我々とアンドロマキアの軍隊が組めば、トロンなど敵ではありません」

 おそらく、ミスリルの目的としては冬でも凍らない、港が欲しい。それを手に入れる方法は二つ。アンドロマキアかトロンから奪い取る。直接的にはアンドロマキアに戦争を仕掛けるのが早いが、アンドロマキアには勝てない事がわかっているのだろう。ならば、アンドロマキアを味方につけてヘプタとトロンを倒していけばいい。時間はかかるが、最も成功確率の高いやり方だ。ミスリルの判断は間違っていない。

「わかりました、外交担当のクマノミに申し立てます。おそらく、近日中に使いの者を行かせますので、お待ちください」

「ありがとうござます。では、夜も遅いので失礼しましょう」

 そう言ってレイドローとベンサムは帰っていった。


 一日の終わりは、屋敷の庭でゆっくり過ごすに限る。文化人のオムニスの屋敷だったため、内装や庭の作りもおしゃれで、とても落ち着く。

「名無し様、お茶をお入れしました」

「ありがとう、リノ」

「いえ、スガリ様も働いておられます。私が休むわけにはいきません」

「まだ働いているの?真面目ね。呼んできてくれない?」

「かしこまりました」

 数分後、リノとスガリがともに屋敷から出てきた。

「座って、三人で久しぶりにゆっくりしましょ」

 思えば、フールを出て以来、三人でゆっくりできる時間など無かった。就任式の最中に戦争が始まり、その後始末に追われて、危うく評議会議員の立場を失うところだった。

「あのなあ、俺はまだ仕事が残っているんだ」

「それは明日に回していいわ。せっかくの庭なんだから、景色を見ながらゆっくりしましょ」

「仕方がないな」

 文句を言いながらもいつも名無しの願いを聞いてくれる。それはルルフェンズの下にいた時から変わらない。

 こんな穏やかな日々が、いつまでも続けばいい。軍人の仕事なんて、無くなればいい。

 軍の上に立場の者として、願ってはいけないのかもしれない。しかし、平和になればいい。そのために、ナンバーナインは戦う。

三日後、評議会の招集がかかった。日付は二日後。

通常は、評議会の会合は毎月の一日に行われる。今は十三日。おそらく、何かあったのだろう。

ナンバーナインが就任してから、二度目の招集。まあ、評議会のメンバー交代は国を揺るがす一大事なので、なにか事が起こりやすいのも事実だ。他国に情報が漏れないようにはしているが、さすがに限界がある。おそらく、議題もそれに関連することだろう。

「リノ、すぐに出発の準備を」

「かしこまりました。シュルツは連れていきますか?」

「う~ん。どうしようかしら」

 評議会に連れて行けるメンバーには制限がある。王都に入ることが許されるのは五人までだが、会議室に入ることができるのはわずか三人。他の諸侯は、ボディーガード役を一人と、会議のサポートをする人物を一人、連れて行くのが普通だ。

 もちろん、会議があるときは最大限の警備を施しているが、何があるかわからない。シュルツをボディーガード役として連れていく必要がある。では、会議のサポート役はどちらが良いだろうか。

 ナンバーナインは、話し合いが得意ではない。弁論技術には疎く、会議の内容を把握するのに精いっぱいだ。リノとスガリ、どちらかがついていてくれないと会議に参加する意味がない。

 しかし、もう一つの問題が発生する。それが、残る一人が政治を行う必要がある。

 他の諸侯は、代役をおける準備をしている。新しく就任したカントはどうするのかわからないが、バロンであればカンデルタという人物が就いていた。カンデルタは今頃どうしているのだろうか。ナンバーナインとしては、一人でも多く人材が欲しいところなので、できれば迎え入れたい。バロン殿の配下にいたときも、優しくしてもらった覚えがある。

「決めたわ、スガリ。ここに残って頂戴。シュルツとリノは出発の準備」

「かしこまりました」

「そうか、わかったよ」

 スガリは少し残念そうに了承する。リノよりも、政治には詳しいし、スガリは少し感情的になってしまうところがある。前のアルタイルとの会話でも、冷静だったのはリノだ。

「ついでに、バロン殿にも挨拶に行きましょ。就任祝いでも準備しておいて」

 国王護衛隊隊長に就任したバロンに会いたい気持ちもあるし、カンデルタの居場所を聞いておきたい。そうすれば、スガリを会議に連れて行ってあげることもできる。

 アンドロマキアは、大きく分けて二種類の臣下がいる。まずは、国王直属の臣下。国王護衛隊のバロンや、軍に所属しているタリカやハクライ。分類上では、ナンバーナインやサンサンバドルも国王直属の臣下である。もう一つは、諸侯に仕える臣下だ。スガリやリノ、シュルツがそれにあたる。評議会議員以外には、直属の臣下を抱えることは許可されていない。優秀な部下を取り合っている状態だ。カンデルタが国王直属の臣下になったとの情報はない。

「まあ、スガリ。お土産を持って帰ってくるわね」

「ああ、」

 

「では、会議を始めましょうか」

「今日の議題は何ですか?クマノミ殿」

 そう話すのはゲツレイ。どうやらゲツレイも情報を手に入れていないようだ。

「今日は、外交の話をしましょう。我々の国としては、少し危機感を持っておいたほうが良い」

 そう話すのはクゲ。やはり、クマノミは喋らない。

「ほう、危機感とは?また戦争が始まるのですか?」

「ええ」

 よどみなく答えるクゲ。どういうことだろう。

「どういうことだ、クマノミ。我々に戦争を仕掛ける愚か者が、ストレイジングの他にもいるという事か」

 サンサンバドルも素直な疑問を口にする。その言葉には感情が無く、純粋な疑問だ。ストレイジングに敗戦した事実は伏せられた。攻める理由が無い。なぜなら、アンドロマキアは今なお大陸最強の国であるから。

「まだ、決まったわけではありません。しかし、そうなる可能性が高い」

「そうか、ならば相手の国は?」

「トロンです」

「なに、我々とトロンの戦争が始まるというのか」

「ええ」

 トロンは第6領の東に位置する大国で、アンドロマキアとの関係性は良くはない。しかし、戦争する理由、もしくは勝てる見込みがない限り戦う必要はない。

「では、理由は?トロンが我々に勝てると踏む理由か、戦いを仕掛けなければならない理由」

「それは、ミスリルとヘプタが関係してきます」

「北方の二国か、それとトロンに何の関係がある」

「我々は内政に注力するため、ミスリルと同盟関係を結んだ過去があります。それはサンサンバドル殿もご存じでしょう。その同盟が期日を迎えました。しかし、ミスリル側から期間の延長を申し込まれたため、了承いたしました。その事はすでに皆さまに報告致しました」

「ああ、報告は受けている」

「その情報を察知したヘプタ王国は、トロンと同盟を結びました。」

「なるほど、我々とトロンの間に戦う理由は無い。しかし、我々の同盟相手が争う可能性があるのだな」

「ええ、そういう事です。我々としましては、ミスリルには恩義もありませんし、特に利用価値もありません。同盟の条件に援軍の派遣などの項目は含まれておらず、基本的には我々の軍が戦うことはありません。しかし、仮にミスリルが負けた場合。ヘプタとトロンが我々の国に攻め入る可能性がございます。そうなれば苦戦は必至。できれば、ミスリルがヘプタに勝ってもらい、いずれ我々が吸収するというのが、最善策でございます」

「そうだな、それには異論がない。いわば、代理戦争のようなものか」

「ええ、我々は極力干渉せずに、ミスリルを勝たせたい」

「では、具体的にはどうするのだ」

「それを話し合いたいと思っております」

「なるほど」

 数秒の沈黙の後、カントが話を始める。

「では、ここは我々に任せていただけますか?必ずや良い報告ができるように尽力します」

「おい、冗談はよせよ。お前に任せるのはこりごりだ」

 反論したのはサイモン。

「しかし、我々とナンバーナイン殿の領土がミスリルに面しており、エンデヴァー殿も少しではあるが、ヘプタ王国と面している地域を領土内に抱えていらっしゃる」

「ならば、エンデヴァー殿に対応してもらえばいい」

「なるほど、私とナンバーナイン殿には信頼が無いと」

「そうではない、お前とナンバーナインに対する不信感は全く別物だ」

 ナンバーナインは、擬人兵を動かさなかった事。カントはフェンドリックを失脚させられなかった事。しかし、その二つは根本的に違う。ナンバーナインは擬人兵が動かなかったというアクシデントだが、カントはおそらくフェンドリックを騙すことなどできたはずなのに、それをしなかった。それどころか、自身の臣下に加えて評議会に参加させるという行動をとった。

 評議会としては、腹立たしいが、カントがフェンドリックを騙せなかった可能性も残っており、勝手な免職はできない。カントにうまくしてやられた格好だ。それは、フェンドリックの隣に立っているダグラスにも同じことが言える。

 ダグラスは、元々第2領土の人間だった。つまりは、アルタイルに仕えていたのだ。

 しかし、任された領土内での恐怖政治が民衆の反感を買い、ついには暴動がおこった。事態を重く見たアルタイルは、ダグラスを第2領土から永久追放した。それ以来、ダグラスは王都にいたはずだが、今回はカントの付き人として評議会に参加している。カントの周りの人間は危ない人ばかりだ。隣に座っていて少し怖い。

「そうですか、まあ仕方がありません。エンデヴァー殿がヘプタ王国への対応、ナンバーナイン殿がミスリルの対応をお願いしましょう」

「勝手に話を進めるな」

「失礼いたしました」

 不敵な笑みを浮かべるカント。やはり、わからない。ここの人たちはわからない人ばかりだ。

「まあ、私もその案が良いと思う。皆、どうだろう。採決を取るかい?」

 採決 全員賛成 反対無し

「では、取りあえずはナンバーナインとエンデヴァー殿に任せる。トロンとの戦争があるならば準備をしておく必要があるな」

「その通りですね、トロンに面しているのはエンデヴァー殿の第6領土だがどうしようか」

 トロンは第6領土の東にあり、マイアナ山を挟んですぐそこだ。ナンバーナインやスガリの育ったフール村もある。防衛戦となれば、戦火が押し寄せるだろう。

「私はトロンと戦争をすることは避けたいです。そのために・・・」

「おや、ナンバーナイン殿が発言をするのは珍しい、してそのためにとは?」

「えっと、その~」

 考えがまとまらない間に話し始めてしまう。ナンバーナインの悪い癖だ。ただ、一つだけアイデアはある、しかし、それはアンドロマキアの十年を無駄にしてしまうのではないだろうか。

「大丈夫ですよ、ナンバーナイン殿。ゆっくりと落ち着いて」

 そう言ってゲツレイは微笑む。ゲツレイが微笑むと目が細くなって、温かさを覚える。

「我々の軍を秘密裏に派遣し、トロンが気づく前にヘプタ王国を陥落させる」

 全員が感嘆の声をあげる。

「ははは、面白い意見だ。さすがはナンバーナイン殿。肝が据わってらっしゃる」

「ええ、そうですね。私もこの意見は採決をとるべき価値があると思います」

「では、どのようにしてトロンに気づかれないようにするのかな?」

 クゲから、いやおそらくはクマノミの疑問にはリノが答える。

「もっと大きなニュースを用意すれば良いのですよ」

「ほう、もっと大きなニュースとは」

「アンドロマキアの敗北」

 ・・・

「ははは、やはり面白い。君たちが評議会に参加してくれて嬉しいよ。おかげで退屈せずに済む。しかし、アンドロマキアの敗北を公表するにはトロンとの戦争の回避だけでは物足りない気もするのだが」

「ヘプタ王国は金山を抱えております。ミスリルに協力する代わりに金山の利権を譲渡させる。これでどうでしょう。もしも、ミスリル軍の消耗が激しければ、我々第9領土の軍隊が後ろから襲い掛かれば良い。そうすれば北方を一斉に制圧できます」

「ちょっと、リノ。さすがにそれはやりすぎよ」

「いやいや、それも面白い。北方さえ制圧できれば大陸制覇も見えてくる」

「では、採決に移ろうか」

 採決 賛成7 反対3

「では、それでいこう。役割はナンバーナイン殿の話した通りで良いかな」

 誰も何も言わない。異論はないという事だ。

「ミスリルの援軍はカントが派遣してくれ。今回はヘマを犯すなよ」

「かしこまりました」


―――第6領土

「聞いた?また、戦争が始まるそうよ」

「聞いたわ、今度はうちの隣とじゃなかった?なんて名前だったかしら」

「そうよ、怖いわよね」

「すいません、この辺りに宿はありますか?」

「ちょっと、お兄さん。旅人なの?」

「ええ、諸国を巡って詩を詠んでおります」

「ここはやめた方が良いわよ。もうすぐ戦争が始まるかもしれないから」

「なるほど、ご忠告ありがとうございます。テグス、トーポリー、このまま第2領土に向かおう。ここは危険だそうだ」

「かしこまりました」―――


 翌日、午後

「お久しぶりです、バロン殿。お元気そうで何よりです」

「おお、ナンバーナイン殿。ご苦労様です」

「そんなにかしこまらないでください」

「いえいえ、わざわざご足労いただいて申し訳ない。それで、私への要件は何でしょう?」

「実は、我々の領土は役人不足にあえいでおりまして、是非バロン殿の元臣下の皆様を雇いたいと考えております」

「そうか、だがタリカは正式に国王直属の軍人に戻ったし、エレボスはゲツレイ殿が召し抱えたそうだ」

「では、カンデルタ殿は?」

「カンデルタは確か、王都にいるはずだぞ。別に仕官する意思は無いらしい」

「我々の領土に来ていただけますでしょうか?」

「さあ、どうだろう。ナンバーナイン殿の臣下になるか、隠居するかのどちらかだろう」

「なるほど、ありがとうございます。つまらない物ですが、お納めください」

「すまないな。他の元臣下たちにも仕官するつもりがあるか聞いておくよ」

「ありがとうございます。助かります。では、これで」

「ああ、元気でな。次に会うときもここで会えれば良いのだが」

「ええ、楽しみにしております」

 ナンバーナイン一行は、街に消えていった。

「もしかしたら、今生の別れになるかもな」

 そう言ったバロンの声が、雑踏に飲まれていった。


「これは、ナンバーナイン殿。お久しぶりでございます」

「久しぶり、カンデルタ殿。変わったところに住んでいるのね」

 カンデルタを探して半日、ついにカンデルタの家を見つけた。そこは王都の外れで、狭い路地を何本も通り抜けてようやくたどり着いた。馬に乗っていれば路地が通れないほどの細い道だ。土地は安いだろうが、カンデルタほどの実力者ならお金は沢山あるはず。もっと便利なところに住んだ方が良いだろうに。

「いえいえ、老兵は去るのみでございます。お天道様は、若者に微笑んで居れば良い」

「老兵だなんて、ご冗談を。まだまだお元気でいらっしゃいます」

「それで、何のご用で?会いに来ただけではないでしょう?」

「ええ、そうよ。簡単に言えば私の家臣になってほしい」

 カンデルタは険しい表情を浮かべる。

「なるほど、しかし私などもう使い物にはなりませんよ。スガリ君の方がよほど優秀だ」

「ええ、スガリは優秀よ。ただ、カンデルタ殿の経験が必要な時もあるわ。スガリは経験が無いから、重要な判断を間違えるかもしれない」

「なるほど、一理ありますね。ナンバーナイン殿の評議会での活躍は耳にしております。まさか、最年少で軍の部隊隊長に就任した娘に、政の才能もあったとは。私など入る余地もございません。」

「そうじゃないの、カンデルタの才能が必要なの」

 どうやらカンデルタは働きたくないというより、自分の価値が見いだせないようだ。

「では、こういう風なご提案はどうでしょう」

「そういえば、あなたはどなたですか?」

「申し遅れました。私はシュルツ。ナンバーナイン様の護衛を務めております」

「お会いできて光栄です。して、提案とは」

「カンデルタ殿にはスガリ様の教育係として来ていただく。政治に関して分からないことがあれば相談に乗り、基本的には政治の行く末を見守っていただく」

「なるほどね」

「スガリ君に教えられることがあるだろうか」

「ええ、もちろんよ。スガリもカンデルタ殿のアドバイスなら真摯にむきあうんじゃないかしら」

 意地っ張りなスガリでも、昔からいろいろな事を教えてもらったカンデルタの言葉を無碍にはしないだろう。カンデルタも年齢を重ねているため、長くは生きられない。それはカンデルタ自身が一番わかっている。そこを考慮した部分もあったのだろう。

「わかりました。このカンデルタ、ナンバーナイン様に仕えさせていただきます」

「ありがとう、これで百人力だわ」

「すぐに支度をいたします。少し時間を下され」

 カンデルタは五分もしないうちに身支度を整えてきた。

「そんな荷物で大丈夫なの」

「ええ、もう年を取ると物に執着が無くなるので、捨てるつもりで置いてきました。もう、この家に戻ることも、王都の景色を見るのも最後でしょうから」

「別にいつでも休暇は与えるから、好きな時に戻ってきていいのよ?」

「ははは、老人の他愛ない独り言でございます。お気になさらず」

「まあ、いいわ。スガリの待つ屋敷に帰るわよ」

「かしこまりました」


 後日、クマノミからの連絡により、トロンとへプタ王国が正式に同盟を結び、ミスリルとの国境に戦争の準備を始めたとの情報が入った。アンドロマキアとしては、トロンは本格参戦ではなく、あくまで支援のみと思っていたため、慌ててカントに出撃の準備を整えさせた。

 ナンバーナインは、もしもミスリルが負けそうになったときに派遣される。アンドロマキアとしては、ナンバーナインと動くかもわからない擬人兵を出さずに勝ち切りたい。カントのサポートには、タリカがついている。

「サンサンバドル様からの指令によると、ミスリルが攻撃を仕掛けた場合は国境線を割られたら、防衛側の場合はミスリルのヘプタ領に最も近いグーデンタール城にヘプタ軍が迫った時には出撃をするように書かれているわ」

「まあ、それぐらいが妥当でしょう。おそらくですが、レイドロー率いるミスリル本隊がヘプタ王国の中心地の一つであるメルキス砦。カント様の部隊とベンサムがトロン側のいる南部戦線での戦闘に参加すると思われます」

「戦力差は?」

「ミスリル全体は約十二万の兵を抱えており、レイドローが三万、ベンサムが二万。カント様は自身の軍隊を六万。国王軍から貸し与えられたタリカが三万の軍を率いています。対するヘプタ王国は、全体で約十万、北部に備えている部隊が約四万、南部には二万。トロンからの援軍が約三千となっております」

「なるほど、単純な戦力では北部ではヘプタが優勢、南部ではミスリルが優勢なのね」

「もちろん、ヘプタが北部に人員を割いたのは、レイドローを警戒しての事でしょう」

「レイドロー、か」

 ミスリルの大将軍にして、ミスリル王家の血を引く名門バスカル家の嫡男。キーストンを滅ぼした天才将軍として名前を馳せる。特殊部隊の「銀狼」はアンドロマキアでさえも要警戒するほどの強さがある。ヘプタ側の内訳はわからないが、「銀狼」を使われたら北部戦線はミスリルが勝利を収めるだろう。

「南部はどうなの?あまりにトロンの援軍が少ないと思うけど」

 南部はミスリルが十一万、ヘプタはわずか二万三千。カントが援軍を出しすぎだとは思うが、トロンが出さなすぎる。もしかするとトロンはヘプタを見捨てるつもりなのだろうか、それとも隠れた軍隊がまだ準備されているのか。

「それが、トロンは魔法使い部隊かもしれません」

 トロンの歴史は魔法の歴史。そういった言葉が作られたのは、つい最近だったように思う。トロンの建国者であるフルッヘンドは偉大なる魔法使いであった。そして、戦争や政治の裏で魔法の研究が行われ、その力を武器に近年大きく領土を拡大している。アンドロマキアに現存する魔法使いで、正式に確認されているものはアルタイルの補佐官を務めるレプリカしかいない。ナンバーナインも魔法使いと勘違いされる場合はよくあるのだが、正確にはルルフェンズの残した魔法でナンバーナインは擬人兵を操れているだけだ。ナンバーナイン自身には魔法の素質や教養は無い。

 アンドロマキア以外の国でも、魔法使いは一桁程しか確認されていない。しかし、噂によればトロンだけで百名ほどの魔法使いが在籍しているそうだ。もちろん、他国の情報なので正確ではないが、他の国と比べて何倍もの魔法使いがいる事は間違いない。

「それなら、私たちの出番もあるかもしれないわね。今回もスガリとカンデルタに留守を任せるわ。もし、私たちが出陣すれば、初陣って事になるわね」


―――ミスリル領北部の街セントルチア

「明日の朝五時、第一隊がヘプタ本隊の西側から山を下って攻める」

「レイドロー様、既に第一隊の戦闘準備は完了しております」

「次いで、第二隊、第三隊が正面から攻撃を仕掛ける」

「第二隊と第三隊の準備、整っております」

「最後に私が率いる本隊が東側から攻める。敵の情報は?」

「敵はヒノメ渓谷にあり。その数は約四万。敵方の総大将はグラマン」

「グラマンか、嫌な相手だが勝てるはずだ。皆の者、少しの間ではあるが休息をとれ」

「かしこまりました」


―――ミスリル領南部の街トルパード

「して、カント殿、我々はどのようにいたしましょう。レイドローは明日の朝に行動を開始するため、それに合わせて我々もヘプタに侵攻するのがよろしいかと思われます」

「いや、ここは待機でしょう」

「は?」

「ですから、ここで我々は待機させていただきます」

「いえいえ、我々の目標はヘプタ王国の制圧。そのためにここまで大掛かりな準備をしてきた」

「ええ、わかっています。ですが、この状況で敵地に踏み込めば全滅します」

「どういう事でしょうか、我々の軍は敵の約五倍。普通に戦えば負けるはずがありません」

「でしょうね。ただ、それは相手がヘプタのみの場合だ」

「トロンを警戒しておられるのでしょうが、奴らはわずか三千。ヘプタはトロンに見捨てられたのですよ。攻城戦ならばともかく、平地での戦で五倍の軍が負けるなど聞いたことが無い」

「では、二倍でも大丈夫ですか?」

「ええ、もちろんだ」

「ならば、こちらのタリカを部隊ごとベンサム殿に貸します。二倍以上の戦力でしょう?そちらはどうぞご自由にお使いください」

「わかりました、あなたはここにいてくださいね」

「ええ、我々は手を出しません。ダグラス、酒の準備だ」

「かしこまりました」


―――翌日 ミスリル陣内

「我々はこれより、敵国ヘプタ王国を倒し、北方を平定する。この戦いは平和のための戦いだ」

「うぉぉぉぉぉぉ」

「安心しろ、我々には王の加護がついている」

 そう言ってレイドローは両手を胸の前で合わせる。

「全軍、突撃」

「うぉぉぉぉぉ」

 午前四時三十六分、北部戦線のミスリル軍がヘプタ軍に突撃。タルコシア戦争が始まる。

「敵の大将、グラマンの首を目掛けて走れ」

 レイドローから第一隊の指揮を任せられたキリック。第一隊の役目は敵軍の殲滅ではない。敵国の敷いている陣形を崩す、そのためには本陣への直接攻撃が最も有効だ。


「グラマン将軍、敵が動き出しました」

「そうか。レイドローは?」

「おそらく、敵の部隊にはいません」

「ならば、この一隊は囮だ。陣形を崩すな、あくまで我々の仕事は防衛だ」

「かしこまりました」

 ヒノメ渓谷にいるグラマン部隊を攻めるには、一本道しかない。しかも、そこにはすでに一万の部隊が先鋒として配置されており、さながら自然の城を築いている。山の中には木が生い茂っており、地の利はヘプタ王国側にある。レイドローとしては先鋒の部隊を無視して、本隊から叩こうという目論見だ。

 おそらく、グラマン側もそれに気づいたのか先鋒部隊を少し後ろに下げた。まあ、ここまではレイドロー様の想定通りだ。グラマンほどの経験豊富な武将ならば、先鋒を無視して本隊を攻撃した方が効率良い事は知っており、時間稼ぎが目的のグラマンにとってはそれをさせたくはない。攻撃側のディスアドバンテージで最たるものは、時間を稼がれたら敵わないという事だ。ヘプタが重要視しているのは南部戦線で、首都に近い北部戦線は南部の部隊がミスリル内に侵攻するまでの時間を稼げばよい。そうすれば、仮に北部で敗れたとしてもレイドローは撤退せざるを得ないだろう。アンドロマキアの援軍が九万もいると聞くが、そんなものよりもレイドローの率いるわずか千人の銀狼部隊の方がよほど怖い。

「レイドロー様、敵側は本陣の守りを固めました」

「そうか、キリックには撤退させる。無駄な戦死者を出したくはない」

「かしこまりました」

「これから我々は第一隊と合流し、第三隊と第一隊で正面突破を図る。第二部隊は、敵が後ろに下がったことで山の入り口が開けたはずだ。そこから山の中に侵入し、我々とグラマンの部隊が戦闘を始めたら、状況をみて加勢するか、敵の後ろに回って退路を塞いでくれ」

「かしこまりました」

「それではっ、解散」


「グラマン様、敵軍が撤退していきます」

「おそらく、こちらの狙いはわかっているのだろう。レイドローともなればな」

「本隊がこちらへ向かっています。どのようにいたしましょう」

「先鋒隊を残し、我々は一旦下がる。伏兵部隊はどうなっている」

「準備万端でございます。弓兵約七千が山の中に潜んでおります」

「おそらく、我々に直接攻撃を仕掛けてくる。そこを狙い撃つように指示をしておけ」

「かしこまりました」

「さあ、レイドロー。知恵比べといこうじゃないか」


―――南部 タルコシア河川上流

「タリカ殿、援護射撃お願いします」

「ええ、」

「どうしました?もしやカント殿と同じく、戦うべきではないとおっしゃるのですか?」

「いえ、そういうわけでは」

「でしたら、大丈夫ですね」

 南部でも戦争が始まる。


「わずかこの程度の軍しか与えずに、ミスリルのグーデンタール城を攻撃するなんて、ふざけている」

 そう言い放って、タバコを捨てる将軍ケンプト。

「まあまあ、兄上。こちらにはトロンからの援軍がおりますし」

 それをいさめるのは、弟のライフェル。二人ともヘプタ王国では有名な武将だ。

「そのトロン側の援軍の責任者がいないではないか。誰が来るのかは知らんが」

「そうですね、ベルトロー名誉将軍や、スカルライダー様、ガイエルズ様でしょうか」

 ベルトローはトロンの侵略戦争を指揮した天才将軍。スカルライダー、ガイエルズはともにトロン最強の騎士団である、「ソメカ隊」の序列一と序列二だ。

「そんなに有名な将軍を派遣してくれるわけもないだろう。我々はトロンにとってはアンドロマキアの北方進出を食い止めるための駒でしかない」

「トロン側の指揮官が到着いたしました」

「通せ」

 陣に入ってきたのは、分厚い本を抱え、黒い服に身を包んだ男だった。ケンプトもライフェルも顔は知らない。少なくとも、「ソメカ隊」などの武将ではなさそうだ。

「はぁ、見くびられたものだな。俺たちが顔も知らないような武将を送ってくるとは」

「そんな、兄が無礼を働き申し訳ございません。お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」

 男は深々とお辞儀をし、

「申し遅れました、私はドクトリンと申します」

「へ?」

「今、なんと?」

「失礼、聞こえにくかったですかな。私はドクトリンと申します。以後、お見知りおきを」

 そう言ってドクトリンが差し出した手を、握ろうとするものはいない。この場にいる全員が固まっている。

「ドクトリンって、あの?」

「トロンの宰相にして、実の支配者であるドクトリン様ですか?」

「ええ、私はトロンの宰相を務めております。しかし、支配などはしていませんよ。トロンは魔法使いの国です。私のような無能力者は支配などできません」

 トロンの要職は、全てが魔法使いだ。王も血縁ではなく、魔法を使える才能があるかどうかが重要視される。魔法使いを尊重することで、その力を得たトロンは発展してきた。王も軍隊の最高司令官も、大臣も皆が魔法使いしかなれない役職である。当然、宰相も。

「ああ、ドクトリン様。よろしくお願いいたします」

「様などいりませんよ、ケンプト殿。我々は仲間では無いですか」

「そうですね、アハハハハ」

 ケンプトの人生で初めての愛想笑いが、ヘプタ軍の陣内に小さく響いた。


 グラマンがヒノメ渓谷に陣を構えて三日後。

「これ以上時間をかけると、南部戦線が危ないです」

 三日でミスリルとヘプタの戦闘は計五回、全体の戦死者は五百人に及ぶ。

「そうだな、南部は壊滅したらしい」

「ベンサムは生きているらしいが、アンドロマキアの援軍が壊滅したらしい」

「できれば早めにメルキス砦を落とすべきだろう」

 メルキス砦はヘプタ王国の首都に直接攻撃できる。そうなればケンプト隊は引きかえすしかない。ケンプト隊はミスリルの本隊が戦えば勝てるだろう。問題はドクトリン隊だ。

 トロンの援軍で、まさかドクトリンが出てくるとは誰も想像していなかった。わずか二日で五万のベンサム・タリカ連合軍が壊滅。カント隊はグーデンタールまで引き返した。ケンプトとドクトリンは依然としてミスリル領内に進攻中。すでに二万の防衛軍がグーデンタール城に向かっているが、ドクトリン率いるトロンの部隊には敵わないだろう。トロンを引き返させるためには、和平交渉を結ぶしかない。今の状態ではヘプタに有利な条件で和平条約を結ばされるため、少しでもこちらに有利な条件を出させるためにメルキス砦を落とす。

 こちらがメルキス砦を陥落させるのが先か、ドクトリンの部隊がグーデンタールに到着するのが先か。チキンレースだ。アンドロマキアからの援軍に期待する者もいるが、ドクトリン隊に対抗できる戦力である聖徒隊はアンドロマキアの南に駐在しており、擬人兵部隊はストレイジングとの戦争では出てこなかった。戦術面で出さなかったのであれば、期待できる。しかし、もし何かがあって擬人兵部隊が動けないのならば、ドクトリン隊に対抗できる手段は人海戦術のみだ。わずか千人の部隊を止めるために、ミスリル全土の兵を総動員して、十万人の軍で迎え撃つ。そんな事が現実でできるわけがない。アンドロマキアの援軍に期待しよう。

 一人の番兵が陣内に入ってくる。

「申し上げます。アンドロマキア軍が動き出しました。その数はおよそ二万。トロン・ヘプタ連合軍が向かっているグーデンタール城へと向かっています」

「誰の軍かわかるか?」

「おそらく、アンドロマキア国王の直属部隊だと思われます。指揮官は不明」

「そうか、わかった」

 番兵は自身の持ち場へ戻る。

 さて、アンドロマキア軍が動いた。指揮官が誰かはわからないが二万の軍勢で連合軍を止められるだろうか。ケンプト軍を止めることすら難しいように思う。

「よし、作戦を伝える。グラマンの位置は」

「ヒノメ渓谷にとどまっております。持久戦を想定している構えです」

「だろうな。仕方がない。銀狼を使うか」

 どよめきがおこる。ミスリル最強の特殊部隊が北部戦線を打開する。


「グラマン様、敵が攻めてまいりました。その数は約五千。指揮官はキリック」

「もう一度同じことを試すか。レイドロー」

「また、敵の一部部隊が山中に侵入を試みている模様」

「正面から来る部隊は叩き潰せ。山中の部隊は放置して囲い込む」

「かしこまりました」

「これから夜が深まるというのに、レイドローの狙いはなんだ」

 ヒノメ渓谷はヘプタ王国の領土である。ここらの地理はヘプタ側の方が詳しい。山賊達もヘプタ王国側の味方だ。どう考えてもヘプタが有利な夜の山間部での戦闘は違和感がある。もちろん、グラマンとしてはしびれを切らしたレイドロー軍が突っ込んできたところをたたきつぶす想定をしていた。しかし、それは昼の時間帯に起こるはずだ。どうする、敵を迎え撃つか?

 いや、

「念のために監視を増やしておけ、北と南を重点的に」

「かしこまりました。敵がいる西ではなくですか?」

「ああ、ここでの突撃はそれ以外の目的が考えられない」

「かしこまりました」

 おそらく、キリックの部隊が囮だ。山中に部隊を潜ませたのも注意を少しでも西に向けるため。本命はメルキス砦を狙うはずだ。しかし、メルキスにも五千人ほどの防衛軍を配備している。それはレイドローも手に入れている情報だろう。攻城戦は倍以上の戦力が無いと確実には勝てない。つまりは、レイドローの用意するメルキス砦急襲部隊は少なくとも一万人。多ければ一万五千人ほどを用意するだろう。そこまでの大軍が移動すれば、こちらもわかる。その部隊を先に追撃して潰す。残りの一万五千から二万人の軍であれば平地で戦っても簡単には負けない。メルキス砦さえ守っていれば、南部がミスリルを蹂躙する。完璧だ。


 アンドロマキア第9領土、ヒルマ砦

 ヒルマ砦はミスリル国境に最も近い第9領の砦である。そこには約二万人の軍が集結した。

「これから我々はミスリルを救うために出兵します。目標はグーデンタール」

「うぉぉぉぉぉぉ」

「敵はトロン・ヘプタ連合軍。その数は約二万三千」

 タリカとベンサムが攻めたはずだが、トロン軍に大敗した。死傷者の正確な数はわからないため、二万三千人が無傷である想定で話を進める。

「グーデンタール城には立ち寄りません。カント殿の軍とも合流しません」

 これはアルタイルの指示だ。カントは六万の軍隊を準備しているが、信用できない。最悪のシナリオはトロン・へプタ連合軍との戦闘中に、後ろからカント軍に攻められることだ。普通なら考えられない行動のはずが、カントであることを含めると現実味が増してくる。

「我々の軍だけでトロン・ヘプタ連合軍を倒します。殲滅が目的ではなく、あくまでミスリル領から撤退させることと、ドクトリンを捕らえることが目的です」

 ナンバーナインが二万人もの国王軍を預かったのはドクトリンを捕えるためだ。ドクトリンを捕えれば、トロンに対して全てが有利になる。当面の敵はストレイジングなので、その時に背後の脅威となるトロンを押さえつけるカードが欲しい。ドクトリンはその中でも最強のカードだ。トロンがどうしてこの男を戦場に立たせたのか、いやドクトリンは何故、自ら戦場に立つことを決めたのか。それも敵国の領土で同盟国の援軍として。

「アルタイルさまからの書状でございます。『ドクトリンには充分に気を付けるように。我々も何をしてくるかわからない。もし危なくなればすぐに逃げかえれ。聖徒隊を動かせるように準備しておく』とのことです」

「大丈夫よ。私達にはこの部隊がいるもの。まさかドクトリンもこの部隊の存在は想定していないはずだわ。トロンの特殊部隊と私の擬人兵部隊。どちらが勝つのかしら。楽しみだわ。では、出陣」

「うぉぉぉぉぉぉぉ」

 獰猛な雄叫びが響き渡る。ついに、アンドロマキアの最強部隊が動き出す。

 

 ミスリル領グーデンタール

「カント様、ついにナンバーナインの軍が動き出した模様です」

「そうか、ダグラス。お前は国に戻って政治を行え」

「アンドロマキア評議会の決定に逆らえと?」

 評議会からの命令は全力でミスリルを援護することだ。一万以上の部隊を任されているダグラスの帰国は造反にあたる。

「構わないさ。いずれ衰える権力に縋るよりも、今ある自分のものを大切にする方が大事だ」

「かしこまりました。して、カント様はどうなされるおつもりで」

「俺はここに残ってナンバーナインとドクトリンの戦闘を見物しよう。できれば貴様にも見せてやりたかったが、領土を守るためには致し方ない」

「我々が戦闘に一切関与しないのは問題になります。戦わずともナンバーナインに援軍を送るべきでは?」

「フェンドリックに任せている。あいつ一人で近接戦闘はまず負けない」

「なるほど」


 グーデンタールに城を建設したのには、大きく二つの理由がある。

 一つはヘプタ王国の領土に攻撃できる拠点としての役割を果たすため。北方は寒く、雪が降るので長期的な遠征はできない。そのため、できるだけ敵に近い位置に拠点が必要になる。

 もう一つはその立地だ。ヘプタ王国がある東にはクラエノ峠。アンドロマキアがある南にはバツカーン湖がある。北と東には敵がいない。そのため、城を攻撃する際にはアンドロマキアは東に湖を迂回する必要があり、ヘプタは北に回るか峠を越えるしか方法が無い。相手の行動を限定できれば、そこに戦力を割くだけだ。

 そして、クラエノ砦にはナンバーナイン軍が陣を構える。ミスリルの将軍であるベンサムの実力は知らないが、タリカが二万の軍を率いて負けたというのは十分警戒に値する。できれば開けた場所よりも、数人のミスリル兵を案内につけたうえでクラエノ峠内で戦いたい。

 ナンバーナインは軍を分ける決定をした。

「国王軍は山の下にいなさい。山の気温が大きく下がって風邪でもひかれたら大変だわ。国王軍の指揮官はリノに任せるわ。それ以外の者は私について山を登るのよ」

「もしかして、俺も山の上ですか?」

「もちろんよ、シュルツ。なんのためのボディーガードなの」

「はぁ~。寒いのは苦手なんだが」

「文句を言わない」

「はいはい」

「それとシュルツ、リノ。確認したいことがあるんだけど」

「なんでしょうか」

 二人が声を揃えて聞き直す。

「あなたたちはトロンかヘプタにミスリルとの同盟を密告していないわよね?」

 それは数日前の評議会で、ナンバーナインが発した最初の意見

『アンドロマキアの敗北というビッグニュースでアンドロマキア軍の動きから注目を反らす』

 そのニュースはたちまち各国に広まった。いや、意図して広めた。しかし、アンドロマキアがミスリルと同盟を結んだことはトップシークレットだ。北部の脅威を断つためにミスリルと協力してヘプタを討つ。そしてトロンの動きを封じる。できればミスリルも飲み込んでしまう。

 ミスリルの協力的な姿勢から察するにミスリル側はアンドロマキア評議会の描いた最高のシナリオを知らない。しかし、ヘプタかトロンには情報が漏れた。ヘプタの情報網では手に入れられるような簡単なものではない。おそらく、トロンから持ち掛けたはずだ。それならば、トロンはどうやってこの情報を手に入れたのか。可能性があるとすれば、裏切り者だ。

「いいえ、そんなことはしません」

 リノが言う。

「俺にそんな事ができるように思いますか?」

 シュルツが言う。

「それだけ聞いておけば安心だわ。残りの二十七人に問い詰めるわけにはいかないし」

 ナンバーナインはマントをなびかせて、ゆっくりと峠を上がっていった。

 

 トロン・ヘプタ連合軍陣内

「ついにアンドロマキア軍が動き出しました。その数はおよそ二万。先日見かけた部隊とはまた別の部隊のようです」

「ほう?まさかアンドロマキアがここまでミスリルに手を貸すとは。そこまで仲が良かったですかね?」

「狙いはあんただろう。ドクトリン。あんたを討ち取ればトロンは混乱が訪れる。そうなれば聖徒隊が攻め込んでくるだろうよ」

「私が死んだくらいでトロンが崩れますかねえ。それならば死んでみても良いかもしれません」

「冗談を言うなよ。あんたが死ぬのはここにいる全員が全滅してからだ」

「それは残念。私は部下よりも先には死にたくないのですが」

「その部隊を前線に配置させるかねえ」

「一番、私にとって良い方法を選びました」

「その通りだな」

 ケンプトが笑う。ライフェルが笑う。ドクトリンが笑う。この戦争が終わった後に笑っているのはこの三人の中にいるだろうか。

 

 翌日、早朝

「グラマン様、グラマン様。起きてください」

「どうしたんだ。やかましい」

「あちらを見てください」

 眠い目をこすり、手渡された双眼鏡を使い、目を凝らす。

「どうしてあんなところに敵兵がいるんだ?しかもあんな少ない数で」

 ミスリル軍の一部がグラマンから見て東側にいる。メルキス砦に近いところなので、すぐにでも追撃するべきだ。眠っている間にもミスリル側に動きがあれば追うように指示している。

 しかも、その兵士はこちら向きだ。どうなっている。訳が分からない。

「グラマン様、敵が攻めてまいりました。その数はおよそ三千」

「どこからだ」

「西側でございます。正面突破を図ろうとしています」

 正面突破?東に軍を割いて少ない人数で?いや、まさか。

「西から来る軍には前衛部隊で対処しろ。北と南の情勢はどうなっている」

「北西にもミスリル軍。遠いところではありますが、その数は約五千」

「北東にも三千」

「南東にも約八千」

「南西にも約五千」

 次々と報告が舞い込んでくる。どうすればいい。最悪だ。

「東にいる敵兵。その数はおよそ四千」

「西にも約二千残っています」

「西から来た敵兵が我々の前衛部隊と交戦開始」

 東に四千。西に五千。北に八千。南に一万三千。南からの援軍を警戒したのか南の部隊がもっとも数が多い。レイドローは軍を分けて俺たちを取り囲んだ。簡単な解釈では我々の勝ちだ。囲まれても籠城すれば、時間を稼げる。普通に戦えば一か月から二か月ほどは。それほどの時間があれば、目標は達成できる。しかし、最悪のシナリオかもしれない。

「レイドローの旗印を探せ。全軍、出撃準備」

「どうして出陣準備をするのですか?ここまでは完璧なはず。敵は三万の兵を全て使い、我々を包囲しています。そうなれば我々の粘り勝ちだ。

「違う。全ての軍を使って包囲するなどありえない」

 当然だ。せっかく囲むのならメルキス砦を攻撃すればいい。普通はそうする。むざむざ敵に分散撃破の機会を与えるだけだ。全軍を包囲に使うなど、攻城戦でない限りありえない。

「グラマン様、レイドローの旗印が見当たりません」

「くそっ。全軍出撃だ。メルキス砦を守るぞ」

「どうして?メルキスには五千の守備兵がおります」

「たった五千で足りるか。我々の軍が戻らなければ負ける」

 三万の兵を置いてレイドローが逃げ帰るとは思わない。ここまで大胆な策を講じてきたのだ。おそらくだが、我々の警備では負いきれない程に速く。見つからない程に少なく。それでいて五千の部隊が立てこもるメルキス砦を落とせる可能性。

「相手は敵の最強部隊。銀狼だ」

 グラマン率いる四万の軍隊が、銀狼に約半日遅れてヒノメ渓谷を後にした。s


 クラエノ峠中腹

「とりあえず、ここに陣をはりましょ。下には二万の国王軍が控えているし、ゆっくり休んでいいわよ」

「それは誰に言ってるんですか?」

「あなたしかいないじゃない。シュルツ」

「そうですね。まさかとは思いましたが、実物を見るのは初めてなので」

「ああ、この子たち?」

「それ以外ないでしょう。アンドロマキアの最強戦力『擬人兵』」

「前のストレイジング戦では動かなかったけれど、今回は大丈夫そう。前回うごけなかった理由もスガリに調べてもらっているわ。本当は国防のために組織された軍隊なのに、国外に派遣することを許可されるなんてね。ドクトリンをどれだけ警戒しているのかがわかるわ」

「擬人兵を使ってどのように戦うのですか?」

「普段はゲリラ戦ね。まあ、今回もゲリラ戦に持ち込めるようにここにいるわけだけど」

「それはどうして?」

「普通に戦えば擬人兵は弱いわよ。平地ならば相手に傷一つも与えられないんじゃない?本来は戦争用に作られたわけじゃないしね」

「では、どうして最強?」

「見てればわかるわ。護衛を頼むわよ」

 夕刻、ナンバーナインが布陣を完了。


 メルキス砦

「敵が進行してきます。その数はおよそ二千」

「グラマン様はどうした?」

「ヒノメ渓谷にとどまっているご様子。動きはありません」

「ならば籠城だ。相手も二千程度の兵力で砦を落とせるとは考えていないだろう。問題ない」

 メルキス砦は大きな砦ではない。軍隊は一万人ほどしか滞在できない。グラマン隊はメルキス砦を中継せずにミスリルに侵攻した。その程度の砦だ。


 メルキス砦前

「これより、我々は砦を落としにかかる。良いな」

「うぉぉぉぉぉ」

「国王のため、民衆のため、平和のために我々は戦う。正義は我々だ。進め」

「うぉぉぉぉぉぉ」

 メルキス砦で戦闘が始まる。

「先鋒が門を破れ、その後はすぐに退却」

 先鋒隊は本土から新たに連れてきた。門を破るためだけに。

「敵は門を狙ってくる。弓矢部隊、迎撃準備」

 矢が雨のように降り注ぐ。盾を持ったミスリルの部隊が何とか防ぐ。

「第二の弓矢部隊。準備。放て」

 再び、矢の雨が降る。門はまだ開かない。

「第三隊、準備。放て。それと同時に門を開けて突っ込め」

 矢の雨が降り注ぐ。それと同時に破られかけていた門を自ら開き、敵の正面を突く。

「敵側の大将を捕えろ。近くにいるはずだ」

「進め、進め。戦況は我々が有利だ。殲滅しろ」

 メルキス砦防衛軍がなだれ込む。ミスリルの部隊は半壊。

「撤退~すぐに本土まで逃げ帰れ」

「敵が退いていくぞ。追って手柄を立てろ。追撃だ」

 逃げるミスリルの部隊を、二千の騎馬兵が蹂躙する。逃げ惑うミスリル。流れる血。阿鼻叫喚の嵐。全てがヘプタ側の想定通りだった。門を開かなければ。

「ありがとう、我が戦友よ。貴様らの死を無駄にはしない。突撃準備」

 門が開き、むき出しになった標的目掛けて、狼が牙をむく。

「進め」

 その一言で、勝敗は決した。


「敵が砦内に侵入してきました。その数はおよそ千」

 開いたままの門に突然、千のミスリル兵が現れ、急襲する。第一門突破。

「それぐらいの数ならば弓兵で撃退しろ」

 二千の兵が出払っても、こちらには三千もの防衛兵がいる。まず、負けない。

「できません」

 しかし、それは普通の部隊だった場合である。

「何?どういうことだ」

 相手が違う。

「相手は銀狼でございます」

 敵は北方最強の部隊にして、最速の部隊。「銀狼」

「そうか、全軍。出撃準備。もはや迎え撃つしかない」 

「かしこまりました」

 その「銀狼」を食い止めるには、全軍集結して戦うしかない。各個撃破をされては時間が持たない。グラマンが気づいて引き返してくるはず。それまで耐えるしかない。

 城内では悲鳴が絶え間なく聞こえる。「銀狼」は北方の戦闘民族であるシャクナ族をレイドローが指揮したものである。シャクナ族は犬を使った狩りを得意としており、個々の戦闘能力も非常に高い。そのシャクナ族に参政権をあたえることで支配下に置いたのがレイドローだ。

 シャクナ族の戦闘能力に、レイドローの采配。その二つが交わって「銀狼」となる。


 三時間後、勝敗は決した。

 砦内の櫓はミスリル軍が完全に制圧。残るは砦の最奥、数は五千から大きく減らして八百人ほど。「銀狼」はその戦力をほとんど減らしていない。ミスリルは平和を望んでいる。そのため、降伏した相手に危害を加えることはしない。

「伝令部隊を送って降伏の意思が無いか確認してこい」

「かしこまりました」

 数分後

「返答は降伏して砦を明け渡すことの事です」

「よし」

 歓声が響き渡る。北部戦線の重要地点であるメルキス砦がミスリル軍によって陥落。これは北部戦線でのミスリル勝利を意味する。

「そうと決まればすぐにグラマンを迎え撃つ準備だ。あそこからは二日ほどかかるから準備を万全にして戦えば負けないはず。その間に残り三万の我々の味方が到着して挟み撃ちにできるだろう。惜しむらくは『銀狼』は防衛戦向きではないという事だな」

 砦にミスリルの旗があがる。

 タルコシア戦争 北部戦線 第一次戦闘

 勝者ミスリル 人員 約三百名が死亡 八百人が傷を負う 

  戦果    メルキス砦 

 敗者ヘプタ王国 人員 約三千名が死亡もしくは行方不明 

 



「ドクトリン、敵はナンバーナイン率いる本隊がクラエノ峠へ。別動隊隊が山の麓にいる。別動隊を率いる長が見当たらないが、二万ほどの軍だ。城には五万から六万ほどの軍がいる。どこから狙う」

「そうですね、ケンプト殿はどう思いますか?」

「そうだな。俺は麓の二万は無視してもいいと思う。数が多いとは言えど、率いる者がいなければ烏合の衆だ。ましてや二万もの大軍。一突きすれば勝てる」

 まあ、確かに二万の軍隊を率いることができる武将は相当優秀な部類だろう。ヘプタ王国では名を知らしめたケンプトも、ライフェルと分けて二万の軍を率いている。それほどの武将ならばヘプタも情報を持っている。しかし、それらしき人物が見当たらない。

「なるほど、あくまで本隊。ナンバーナインを倒すべきと」

「そうだな、アンドロマキアの狙いはあんただが、それと同じくらいの価値があると思うぞ」

 ナンバーナインがいない時はどうなるのかは知らないが、第9領土の覇者であり、擬人兵部隊の責任者である。アンドロマキアも価値を認めているからこそ評議会のイスを与えたのだろう。それほどの人間が二万の軍隊を残して別行動するとなれば、

「山には擬人兵が潜んでいる可能性がある」

「そうだな。どれほどの強さか知らんが、警戒しておくべきだろう」

 擬人兵がアンドロマキアの大魔導士ルルフェンズによってもたらされてから二十年ほどたつが、トロンもヘプタもその間にアンドロマキアと直接戦闘にはなっていない。

「わかりました。トロンの部隊で上を攻めます。ケンプト殿は下にいる二万の軍を湖の方に誘導して戦ってください」

「湖の方に?どうして」

「城の中にいる敵を引きずり出すためです。城にはカントと呼ばれる評議会の議員がいる。ナンバーナインほどの重要人物ではないものの、十分交渉材料になります。また、彼はナンバーナインのような軍人上がりの議員ではない。平地での戦ならば数以上に善戦できるのでは?」

「まあ、戦術をどれほど持っているのかは知らんが、経験が無い者には負けない」

「その通りです。わずか二万の軍隊で計八万もの大軍を相手にさせるのは申し訳ありませんが、敵にはまともな将はいない。ここが対アンドロマキアでのチャンスです」

 まあ、そうだな。八万という数はヘプタの総戦力とそう変わらない。しかし、アンドロマキアにはまだまだ余裕がある。北部戦線の状況にもよるが、聖徒隊が出てきてもおかしくない。逆に言えばナンバーナインかカントを交渉材料にアンドロマキアの援軍を止めればヘプタの勝利が現実的なものになる。

「わかった。擬人兵との戦いの話をつまみに一杯飲めるのを期待しているよ」

「ええ、面白い話をたくさん仕入れたいと思います」

 深夜、トロンの援軍とケンプト軍が離れた。

 クラエノ峠東部トロン陣内

「これより、山中にいるアンドロマキア軍を殲滅するために侵攻する。部隊長はダストに任せ、その指示に従うように。それと、敵の大将ナンバーナインはできる限りは無傷でとらえろ。水色の髪をした少女だと聞いている。フルッヘンド様に恥じないように戦え」

「かしこまりました」

「全軍、出撃」

 トロン魔法部隊が山に入る。


「敵が動きました。トロンの部隊でしょう。大丈夫ですか」

「大丈夫よ、シュルツ。擬人兵は負けない」

「敵ガ東部カラ侵入シテキマス」

「第1部隊を投入しなさい」

 

 クラエノ峠東部

「敵ヲ発見。殲滅」

「殲滅」

「ダスト様。こいつらはどうしますか」

「放っておけ、狙うはナンバーナイン一人だ」

「殲滅」

 擬人兵が弓を放つ。

「弓部隊か、厄介だ」

 山の中とあって、暗い。ダストを含めた部隊の魔法は砲撃で、暗視の能力は普通の人間ぐらいしかないので、擬人兵を相手にするのは不利だ。

「邪魔な木はなぎ倒せ。弓部隊は進行方向にいる奴のみを倒せ」

「ウープス」

 ウープス、トロン魔法部隊砲撃専門の呪文。手のひらから発せられた光が直線で進み、障害物に接触すると爆発する。平地での戦いでは距離をとれる分だけ有利だが、近接戦闘には向いていない。まさか峠に陣を構えるという想定をドクトリンはしていなかったのだろうか。ダストでも擬人兵が出てくるなら山中でのゲリラ戦だと想定できたのに。

 次々と気がなぎ倒され、視界が開ける。爆発の衝撃で、擬人兵の一部が倒れた。

「敵の陣形が崩れた、一点突破だ」

 山の東部から侵攻したトロン軍が、アンドロマキア擬人兵部隊第一隊の包囲を突破した。

 ・・・が。

「ピー。再起動シマス」

「再起動シマス」

「再起動シマス」

 擬人兵は勝てるのではない、負けないのだ。


「第一部隊ノ包囲ガ崩マシタ。どうしますか」

「第二部隊を出撃させなさい。その次は第三、第四と続けていけばいいわ」

「それで大丈夫ですか?すでに爆発の音が聞こえるほどには敵が近づいているのですが」

「あなたは耳が良いのね。私には聞こえないわ」

「そうですか。では、大丈夫でしょう」

「ええ、このままいけば私たちの勝ちよ。ただ、少し不可解な作戦だわ」


「敵の第二部隊も崩れた。続けて進むぞ」

 既に頂上まで半分ほど登ったトロン軍。被害はおよそ三十人。

「ここからは部隊を二つに分けた方が良いのでは?逆側からナンバーナインに逃げられたら面倒です」

「そうだな、既に我々の軍は山を囲めるところまでは来ている。よし、頂上を包囲する陣形を組め」

 ダストの言葉で、トロン軍が広がる。おそらく、ナンバーナインは頂上にいる。位置的には東側のエント山で間違いない。

 広がった瞬間、前から弓兵が現れた。

「こいつらが第三部隊か、突破するぞ」

 前から矢の雨が降る。

「ウープス」

 一部が矢をはじき、一部が木を狙う。またもや爆発音がして、木が倒れていく。その時

「ぐはっ」

 ダストの後衛部隊がやられた。誰だ、矢は全部魔法で飛ばしたはず。

「ダスト様、後ろから矢が飛んできます」

「後ろ?放っているのは人間か?」

「いえ、先ほどの擬人兵です」

「なるほど、これが擬人兵の特性か」

 ダストはつい最近魔法使い部隊に所属した。そのため、擬人兵との戦闘経験が無く、情報も知らされていなかった。第一部隊との戦闘でも、アンドロマキアどころか大陸最強と呼ばれる部隊の強さは少しも感じなかった。トロンの南に位置するアストラル帝国軍の方が、よほど強かった。しかし、そうではない。擬人兵は死なないのだ。強いとか弱いではない、負けないのだ。どれだけ矢を受けようが、切られようが、砲撃魔法を受けようが死なない。敵を殲滅するまで戦う。そして、この時の敵とはダストたちだ。

「これはまずいな。逃げるか」

「何をおっしゃいますダスト様。挟まれようとも、奴らは敵ではありません」

「いや、一つだけ不思議なことがあるんだ」

「どういったことでしょう」

 こうやってダストが話している間にも、戦闘は続いている。

「いや、言えない。私の勘違いだ。皆の者、進めナンバーナインは近くにいるはずだ」

 ダストが感じる違和感。それはナンバーナインと全く同じだった。しかし、その事を伝えれば、戦意喪失した我々の部隊は擬人兵に殺される。何とか戦い続けるしかない。ナンバーナインさえ捕えれば、擬人兵を止めさせることができるかもしれない。それしかダストに生きる道は無い。


「後ろの部隊は全てやったぞ。どうする、ダスト様の指示を待つか」

「いや、進もう。ナンバーナインの首をとれば大手柄だ」

 トロン軍がたった四人で踏み込んでくる。ちょうどいい。楽しめそうだ。

「おい、今さっき人影が見えたぞ」

「擬人兵じゃないのか?」

「いや、違う。あれは髪だ。擬人兵ではない」

「ならば、ナンバーナインだ。行くか」

「おし」

 四人は、速度を上げる。確かに人影だ。近づけばわかる。敵は擬人兵がほとんどで、人影なんて限られている。敵はナンバーナインと、そのボディーガード。どちらでもいい、できればナンバーナイン本人。だが、ボディーガードの近くにいるだろうから、ボディーガードから片付ければ良い。ドクトリンから聞いた情報では、ナンバーナインは水色の髪を持つ少女、ボディーガードは黒髪の男性。身長や体格は普通だが、武術を使うので注意しろとの事だ。

 しかし、近づけば近づくほど・・・でかい。普通の男性ではない。頭部が森の葉に隠れて見えない。ドクトリンの情報が間違っていた?いや、ドクトリンはトロンすべての情報を管理している。ただのボディーガードなどトロンが得られない情報ではない。ならば、こいつは誰だ?

 辺りが開けた。人影が木を切り倒した?顔が見える。その男は、赤髪の長身で、体格も大きい。いや、こいつは人間なのか。身長、体格、全てが人間離れしている。それよりもヤバいのは眼だ。人間の目ではない。例えるなら、草食動物の死体を見つけたハイエナのような獲物を狙う獰猛な目。直感でわかる。やばい、殺される。

 その男はゆっくりと話す。

「おお、四人か。まあ、肩慣らしには充分だな」

 その間に逃げ出そうとした。しかし、体が恐怖で動かない。

「ウープス」

 一人が、その男に魔法を放つ。その瞬間に緊張が解け、男から距離をとった。直撃。よし、この至近距離で砲撃を食らって生きていられるわけが・・・

「おいおい、まずは挨拶だろうよ」

 男がそう言った瞬間、一人の体が真っ二つに裂ける。悲鳴すらもあげる間が無かった。

「てめえらは抵抗しねえのか?じゃないとつまらん」

「最大火力、ウープス」

 三人ともが、こいつを倒さなければ殺されると判断した。前身の力を集めて放つウープス。それを三発分。しかし、そこにいたのは、肉を抉られた姿の男だった。

「なかなかやるじゃねえか。俺に傷をつけるとは」

 違う、傷をつけるのが目的じゃない。殺すために撃ったはずだ。

「もう、終わりか。じゃあ行くぞ」

 その男は体の半分をある大剣を振り回す。まるで子供がおもちゃで遊ぶかのように軽々しく、また、無邪気に。二人が一瞬でやられた。終わりだ。逃げられない。

「グヘヘへへエヘヘヘヘ、やっぱりたまらなねえなあ。肉を切る感触は」

「貴様、何を笑っている」

「ああ、そうか。四人だったな」

「最後に、名前を教えろ」

「ああ、そうだ。挨拶を忘れていたよ。俺はアンドロマキア最強の戦士フェンドリックだ」

 その言葉が終わるのが先か、無謀な突撃に繰り出した男が死ぬのが先か。言うまでも無い。


「ダスト様、敵は右側から攻めてきます」

「何?ナンバーナインが攻めてきたのか?」

「いえ、違います。フェンドリックと名乗っているようです」

「フェンドリックか・・・終わりだ。逃げるぞ」

「な?待ってください。ドクトリン様の命令に逆らうのですか?」

「そうだ、俺たちは捨てられた。ドクトリン様の考えがわからないのだ」

 トロンの中でも最強クラスの力を誇る魔法使い部隊を捨て駒にするなんて有り得ない。

「どうして、フェンドリックというやつは一人です。なんとかなりませんか」

「無理だ、アンドロマキア最強の戦士と最強部隊。我々ではどうにもならない。逃げられるかどうか・・・」

 逃げたところで意味は無い。敵を前に上官の命令に背いた逆賊。特に、ドクトリンの信頼と権力は絶大で、トロンの顔とも呼べる存在。その命令に背くことは、トロンに背くこと。

「わかった、降参だ。ナンバーナインに降参する意思を示せ。俺がフェンドリックと話す」

「かしこまりました」

 

「そろそろ、敵は限界ですかね」

「そうね、結局は何も無かったようで良かったわ」

「何か気になる点がございましたか」

「あなたほどの人間ならわかると思うけど、シュルツ」

「私は兵法に詳しくありません。お教えください」

 一拍おいて、ナンバーナインは口を開く。

「どうして、ドクトリンは山の中にいる私達を攻撃したのか。敵の隊長クラスなら知らなくてもおかしくはないけど、ドクトリンなら擬人兵が永久機関である事は知っているはず。私たちは、敵が山に登る途中で順番に擬人兵をぶつけていけば、いずれ挟み撃ちにできる。そんな采配は間違っているわ。まるでドクトリンが魔法使い部隊を失うための作戦を立てていたかのような」

「なるほど、トロンの宰相ほどの男がそんな初歩的なミスをするわけがない」

「そうよ、布陣する上での初歩である挟み撃ちをさけることを守らなかった、何か策があるのかと思っていたけど、何もなかったみたい」

「逆に怖いですね。何か策を持っているのであれば理解できますが、このままではドクトリンの狙いがわからない」

「そうね、ちょっと。誰か来るわ」

 草をかき分けて現れたのはトロン兵だった。


 フェンドリックの大剣が、次々と木々をなぎ倒す。何人殺したのだろうか、大剣は血まみれだ。

「おい、フェンドリック。俺はダスト。我々には戦う意思はない。攻撃するのはやめてくれ」

「あ?ふざけるなよ。今からが楽しいんじゃねえか。まだ五十人も狩っていない」

「狩る必要はない。我々はナンバーナインに降伏する」

「ナンバーナインだと?そいつは俺に関係ねえ」

 どういうことだ。ナンバーナインの部下ではないのか。アンドロマキアの鎧を着ているのに?

「おい、お前。いい度胸じゃねえか。次はお前を殺してやるよ」

「くそ、交渉決裂か。仕方ない。こいつは俺が食い止める。全軍、安全な場所に避難しろ」

「安全な場所なんてねえよ。こいつを殺せば次はお前らだ」

「ふははは、死ねえ」

 フェンドリックが大剣を振り回す。

「ウープス」

 ギリギリのところでダストは自身の足元に砲撃を放った。地面が爆発する。その衝撃で、ダストは大剣から逃れた。

「やるじゃねえか。それでこそ殺しがいがある」

 

「降伏?ドクトリンが?」

「いえ、我々の部隊長であるダスト様の判断でございます」

「私たちは良いけど、そっちは大丈夫なの?ドクトリンに背いて」

「当然、大丈夫ではありません。ですので、お願いがあります」

「何?」

「私たちをアンドロマキアで匿ってください」

「ほう、面白いですね。我々にどんなメリットが?」

「もちろん、我々の魔法を使って戦闘に参加します」

「それはすごいわね。魔法使い部隊が部下になるんでしょ」

「良くお考え下さい。これもドクトリンの罠かもしれません」

「そんな、我々は騙す気などございません。我々がドクトリンに騙されたのでございます」 

 そう言って使者は、ダストの考えを話す。それはナンバーナインと同じく、ドクトリンがどうしてナンバーナインを攻撃するような命令を出したのか。

「わかったわ、信じてあげる。すぐにアンドロマキア第9領に向かいなさい。擬人兵を一人連れて行けばいいわ」

「ありがとうございます。ナンバーナイン様は私共を救ってくださる命の恩人でございます」

「そんな、いいわよ。大袈裟ねえ」

「これで降伏成立という事で、軍を止めていただけますか」

「え?もう、擬人兵は停止させたけど」

 その言葉と同時に、大きな音が響く。木がまとめて三本ほど倒れたような。

「あの、フェンドリックという男を止めてください」

「フェンドリック?どうしてフェンドリックがこんなところにいるの」

「まさか、カント殿が何か考えているのでしょうか」

「とにかく、向かうわよ。フェンドリックなら魔法使い部隊を殲滅してしまうわ」


「ウープス、ガハッ」

 血が口から飛び出る。もう、魔法を使用する体力が残っていない。後は命を削るだけだ。敵に撃つわけでは無いので、威力は半減させている。体力も半分で済むが、フェンドリックに疲れが見えない。一秒に一度、大剣がダストを狙う。そのたびに魔法を使っていては持たない。

「もう終わりか?」

 フェンドリックの大剣が襲い掛かる。

「ウープス」

 爆発の勢いで後ろに距離をとる。しかし、血が止まらない。

「おいおい、俺が殺す前に死んでは敵わねえ。さっさとやるか」

 フェンドリックの大剣が光を浴びて、輝く。ダストは悟った。もう、これ以上魔法を唱えることはできない。そうなれば死んでしまう。それならば、アンドロマキア最強の戦士に首をとられた方が名誉だ。

「言い残すことは?」

「ない」

「そうか、潔いやつは嫌いじゃねえぜ」

 ダストは眼を閉じた。しかし、フェンドリックの大剣はダストに触れることは無かった。

「おいおい、邪魔するなよ。ガキのおもりでもしてろ」

「あいにくだが、少女の扱いには不慣れでね」

「そうか、おい魔法使い。少し待ってろ。こいつを倒してからにしてやる」

「シュルツ、大丈夫?フェンドリック、やめなさい」

「おうおう、これはナンバーナイン様じゃねえか。相変わらずムカつく顔だ」

「うるさい、それ以上言うなら容赦しないわよ」

「容赦?ははは、冗談のセンスがあるのか、言葉遣いを知らないのか。容赦というのは、強いものが弱い者にしてやることだ」

 そういったフェンドリックは、再び大剣を構える。シュルツの細い剣が、フェンドリックの首筋を襲う。

「おい、このまま頭と胴体を離されたくなければ、大人しく剣をおろせ」

「ははは、主人が主人なら部下も部下だ。やってみろよ」

シュルツの剣が、フェンドリックの首を掻っ切った。血があふれる。しかし、皮が切れただけ。フェンドリックにとってはその程度の攻撃は致命傷ではない。

「これで満足か?失血死まではあと三十分もある。ここにいる全員を殲滅してから知力してもらっても十分間に合うな。そういうわけだ、時間がねえ。どけ」

 大剣が、シュルツを襲う。シュルツは自身の剣を使い、うまく衝撃を流したが・・・

パキッ。剣が折れる音がした。

「なっ」

 真っ二つに折れた剣が、シュルツの足元に刺さる。おかしい、素直に大剣の威力を受けるのは危険だと判断したから、受け流すような技を使ったのに。

「おいおい、その程度で俺に勝とうなんて思ってねえだろうな」

 すぐさまフェンドリックの大剣が、再びシュルツを襲う。剣を持たないシュルツは、ギリギリのところで回避することしか出来ない。しかも、回避しきれているわけでは無い。大剣の先がところどころにかすっており、その部分から血があふれる。再び剣がシュルツを襲う。左に半歩動いて躱す、そう思ったがシュルツとフェンドリックの血で地面がぬかるんでいた。

「くそっ」

 なんとか回避できたが、転倒してしまった。次の動きがとれない。

「これで終わりか、楽しめたよ」

 フェンドリックが最上級の笑みを浮かべて、シュルツの体目掛けて剣を振り下ろす。もうだめだ。そう思った瞬間に、主人の声が聞こえてきた。

「カテナチオ」

 その言葉がシュルツの耳に届くのと同時に、フェンドリックの大剣が空中で止まる。盾のようなものが空中に現れて、フェンドリックの大剣が振り下ろされるコースを塞いだのだ。

 その言葉を発したのは、アンドロマキア史上最高の魔法使いの義理の娘であり、現アンドロマキア第9領の領主である、ナンバーナインだった。


 フェンドリックの動きが止まる。その一瞬で、シュルツは体勢を整えた。笑っているのか?

「フフフフフフ」

 シュルツはポケットに忍ばせておいたナイフを二本、フェンドリックの顔に向けて投げ込む。そのナイフは、眉間と頬に刺さったが、全く気にする様子は無い。化け物め。

「フハハハハハハハハハハハハ。そうか、やはり貴様も魔法が使えたか」

 その視線は、すでにナンバーナインを捕えている。あれは、肉食動物の目だ。

「これでいい報告ができる。ついでに首も持って帰ろうか」

 次の瞬間には、フェンドリックの姿は消えていた。シュルツはまだナンバーナインを発見できていない。どっちへ向かった。

「ナンバーナイン様。どこにいらっしゃいますか」

「カテナチオ」

 剣と盾がぶつかる音が、左の方から聞こえる。視線をそちらへ向けると、フェンドリックの巨体が見えた。またもや魔法を使ったようだ。急がないと。魔法を使える回数には限りがある。もしも、限界に達すれば、すぐにナンバーナインは殺されるだろう。あの人の剣術では、一刀すらも防げない。それほどまでに、フェンドリックの一撃は強力だ。

「カテナチオ」

 その呪文だけが、響く。持ちこたえてくれ、俺が何とかする。

「カテナチオ」

 ついに、その盾が砕かれた。シュルツは飛び込む。間に合え。

「骨絡み」

 シュルツの体に、大剣が突き刺さる。しかし、先ほどのようにはいかない。剣はシュルツの肩で止まっている。

「ふん、これでお前の剣は抜けない」

 骨絡みとは、自身の筋肉と骨を動かすことで剣をあえて受け、その剣を骨あや筋肉を絡ませて封じる技だ。戦いのときに使用するものではなく、しんがりの役割でよく使う技である。

「面白い技だ。なら、剣を捨てるまで」

 フェンドリックは早々に剣を取り戻すことを諦め、シュルツの顔を殴った。これほどの大剣を振り回せるほどの男だ。殴るのも一流で、一発で気を失いそうになる。しかし、剣を受けるよりもよっぽどましだ。ナンバーナインを逃がせればそれでいい。

「ちょっと、ねえ。シュルツ」

 ナンバーナインは、涙ながらに名前を叫ぶ。

「早く逃げてください。こいつはもうあなたの事が見えていません。今なら逃げられます」

 言葉の通り、フェンドリックはシュルツを殴り殺すことしか考えていない。今なら、

「だめ。二人で逃げるわよ。ねえ」

「無理です、早く逃げてください。リノの下へ」

 フェンドリックの拳が、みぞおちに入る。血が口からあふれた。

「ねえ、シュルツ。逃げよう。早く」

 もう、話せる体力は残っていない。かろうじて動く右手を使って、逃げろと指示するも動かない。また拳がみぞおちに。血があふれる。それを繰りかえすだけだ。もう、意識が持たない。

 このまま俺が死ねば、ナンバーナインまでも死んでしまう。誰か・・・


 突然、光が自分の体に降り注ぐ。フェンドリックの陰になっていたので、少し眩しい。フェンドリックはどこにいった?辺りを見回すと、そこには待ち望んだ人がいた。

「大丈夫か?シュルツ」

 右手でハンドサインを使って、

『大丈夫ですよ、アルタイルさま』

 それだけ告げて、眠りに落ちた。


「アルタイル様?」

 ナンバーナインは、目の前にいるのが幻影かと思った。目の前に、アルタイルとレプリカがいる。そして、先ほどまで戦っていたフェンドリックは、木をなぎ倒しながら吹っ飛んでいった。そんな事ができるのはアンドロマキア内でも限られてくる。そう、アルタイルのボディーガードのマフラーレンだ。

 フェンドリックが大剣を武器に戦うのに対して、マフラーレンは素手で戦う。拳には専用の鎧をつけることで、攻撃力を上げている。そして、フェンドリックは大剣を奪われている。これは、勝負ありだ。

「大丈夫か?ナンバーナイン」

 アルタイルの手が差し伸べられる。ナンバーナインはゆっくりと手をとり、立ち上がる。

「まさか魔法を使えたとはな」

「ええ、知らないうちに」

「ルルフェンズさまが教え込まれたのかな?まあいい、レプリカ。傷を癒してやってくれ」

「はい。レプリカント」

「レプリカント?」

 ナンバーナインが知る回復の呪文は、「アーギナル」か「カミトレ」しかない。「レプリカント」なんて知らない。アンドロマキア中の魔法書を読んだが、そんな呪文は知らない。

「ああ、大丈夫ですよ。これは私が開発した呪文。いや、正確には魔法ではないのですが」

「魔法ではない?」

「そうです。私にはナンバーナイン様のように魔法を使う素質がございません。しかし、魔道具を活用することで、似たような事が出来ます」

「なるほど」

 みるみるうちに、体力が回復していく。シュルツの怪我もどんどん治っていった。

「お~い、フェンドリック。そろそろ降伏しないか」

 フェンドリックは、ずっとマフラーレンと戦っている。若干マフラーレンが押しているように見えるが、大剣を失ってなお、マフラーレンに致命傷を与えさせない辺りはさすがだ。

「しない。こいつが死ぬか、俺が死ぬか」

「それはカントの指示かい?」

「カント?関係ねえ。俺のしたいようにやる」

「なるほどね。ここで君を捕えても、カントは痛くも痒くも無いわけだ。じゃあ。マフラーレン。殺しても良いよ」

「わかりました」

 マフラーレンが、フェンドリックのみぞおちを狙う。それを防ぐフェンドリック。だが、マフラーレンの拳が、フェンドリックの顔にクリーンヒットした。血が流れているせいか、反応がどんどん遅くなっているように見える。

「ぐふっ」

 フェンドリックが崩れ落ちる。もう、動けない。終わりだ。

「じゃあ、こうしよう。君が今から下にいる敵軍を殲滅してきてくれ。うちのマフラーレンも連れて行くし、ここの擬人兵を連れて僕達も向かうよ」

「それをしたらどうなるんだ」

「君がナンバーナインとシュルツを襲った事実は無かったことにしよう」

・・・

「わかった。行くぞ」

「死なない程度に傷は治してあげてよレプリカ」

「はい、レプリカント」

 回復したフェンドリックは、すぐに山を駆け下りていった。それよりも、

「下はどうなっているの?私が預かった国王軍は?」

「ほとんど壊滅だよ」

「え?」

 どうして?経験は無いとは言えど、兵法書を読み込んだリノと二万の国王軍。同じ数のケンプト軍に一日も経たずに敗れることは無いはずだ。

「君は優秀な指揮官だ。魔法部隊を迎え撃つために、国王軍と擬人兵部隊を分けて配置した。そこまでは問題が無い。魔法部隊と普通の人間が戦えばまともな戦闘にはならない」

・・・

「だが、君はわかっていない。なぜ、ストレイジングとの戦争に敗れたのかを」

「え?」

「これ以上のヒントはあげられないよ。さあ、擬人兵を連れて山を下りるよ」

 その答えが気になったが、ナンバーナインは黙って従うことにした。


 その後の展開は読めるだろう。魔法使い部隊の陣形を一人で崩したフェンドリックと、そのフェンドリックと渡り合えるマフラーレンが敵の陣形を崩した。そこへ擬人兵が投入され、ケンプトを捕えた。これにより、南部戦線でもアンドロマキアとミスリル連合軍の勝利となった。

 しかし、アルタイルはケンプトと同盟を結び、アンドロマキアの戦争からの離脱を表明した。それと同時にトロンとも和平交渉を行い、ドクトリンもトロンの戦争からの離脱を表明し、援軍を失ったミスリルとヘプタは戦争をやめることになった。

 これが、『タルコシア戦争』と呼ばれる北部最大の戦争である。


 当初は北部平定を狙うミスリルと、それに対抗するヘプタ王国の戦いだったが、アンドロマキアがミスリル側として参戦。それに危機を感じたヘプタ王国は、トロンに援軍を要請した。

 その戦いは北部と南部に別れ、それぞれをミスリル側が勝利した。しかし、ミスリルの援軍であるアンドロマキアのナンバーナインとトロンのドクトリンが和平交渉を行った。

 勝者 ミスリル&アンドロマキア連合軍

 戦果 賠償金

    

 敗者 ヘプタ&トロン連合軍

 被害はトロンが最も大きく、魔法使い部隊を失った。擬人兵との戦闘で大半が死亡し、一部はナンバーナインの傘下に入った。最も被害が少なかったのはミスリル。約二万の軍勢が壊滅したが、北部ではほぼ無傷で勝利した。ミスリル側としては、このままヘプタ王国を攻めたかったが、アンドロマキアが停戦の意思を表明しては、どうすることもできない。

 その講和条約での話。

 参加者はミスリル側がベンサム。ヘプタ側がケンプト。トロン側がドクトリン。アンドロマキア側がナンバーナインとアルタイル。

「おい、はやく俺を王の下に帰してくれ。条約など私が結べるわけがないだろう」

「俺もだ。王の指示を仰ぐ必要がある」

 前者がベンサム。後者がケンプト。彼らは国内では有名な武将であるが、条約を結ぶ権力を持っていない。ナンバーナインもそのような権力は無いが、アルタイルが何とかするだろう。

「うるさい。殺されてえのか」

 とはフェンドリック。いくら国内で有名な武将でも、フェンドリックには敵わない。二人ともこの後は、静かに話を聞いていた。 

「さて、ドクトリン。そしてフェンドリック。お前たちの目的はなんだ?」

「待てまてアルタイル。なぜ俺だ?俺はお前たちの味方じゃないか」

「所属だけならな。しかし、腑に落ちないんだよ」

「何が?」

「わかりますよ、アルタイル殿。私の采配ミスでしょう」

「ああ、」

 ナンバーナインも気づいていたが、ドクトリンは明らかなミスを犯した。一つは軍の配置。遠距離戦闘が得意な砲撃部隊を、北部に当てなかった事だ。そうすれば南部戦線は苦戦しただろうが、圧勝してしまったために擬人兵を呼び寄せたともいえる。もう一つは、ナンバーナインを狙ったことだ。擬人兵がいるが、平地での戦闘では砲撃部隊にまともなダメージが入らない。いずれ物資が尽きるであろうナンバーナインを追い詰めればいいだけだ。

「何、簡単な事ですよ。もうお分かりでしょうが、フェンドリック殿も私に味方していただきました」

 全員の注目が、フェンドリックに向く。彼は薄ら笑いを浮かべて

「ああ、そうだ。俺はアンドロマキア国民である前に、傭兵だ。お金をもらった側で働く」

「それは裏切りととってもいいのか?」

「勝手にすればいい。カントは俺のスタンスを理解している」

 ちょっとおかしい。ドクトリンがフェンドリックを味方につけていた?ならば、フェンドリックが砲撃部隊を倒して回ったのは何故だ?擬人兵は殺傷能力には長けていないので、相手の戦力を削るのには不向きだ。砲撃部隊の死者はほとんどがフェンドリックによるものである。

「そんなの単純だろう。こいつは砲撃部隊を俺に倒させたかった。そのための戦争だ」

「は?」

「俺も何が原因かは知らない。だが、こいつは間違いなくトロンの爆弾だ」

「ははは、そこまで言われてしまったか。ならば仕方がない。アルタイル殿、ナンバーナイン殿、私と手を結びませんか?トロンの宰相としての私ではなく、ドクトリンという一人の男として」

・・・

「面白いなあ。さすがはトロン随一の知恵者だ。それによる我々のメリットは?」

「トロンの動きは気にせずに済みますよ。私が進軍許可を出しておりますので」

「それだけで充分だよ。我々はどうすればいい」

「私とともにトロンを倒す準備をしていただきたい」

「トロンを倒すの?どうやって」

「落ち着けナンバーナイン。話を聞け」

「おそらく、明日に私がトロンに対して反乱を起こした場合、勝率は五割程度でしょう。ベルトローには勝てる気がしません」

「なるほど、だがベルトローはすでに高齢だろう。寿命を迎えたらチャンスではないか」

「いえ、彼が寿命を迎えることはありません。このままトロンという国が存在する限り」

「どういう事だ」

「我々は既に、不老不死になる力を持っています」

 トロンの宰相が発した一言。それはアンドロマキア史上最高のルルフェンズさえも到達できなかった神をも超える魔法。不老不死。

「この技術を奪還すれば、トロンは滅ぶでしょう」

 砲撃部隊を始末できたドクトリン。賠償金を手に入れたミスリル。アンドロマキアとミスリルの連合軍を退けたヘプタ。勝利の名声を手に入れたナンバーナイン。情報を得たアルタイル。

 果たして、この戦争で最も得をしたのは誰だ?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る