第2話 フルタバ政変
その兵士の言葉によって、議会中に混乱が走る。
「第8領に侵攻?ストレイジングが?」
「つい先日に同盟を結んだばかりではないか。裏切ったのか?」
「即刻、会議を中止。すぐに情報を集めろ」
それぞれの諸侯が、自身の部下に指示を出す。宣戦布告をされるのは、このメンバーになってからは初めての事なので、統率が取れていない。
サンサンバドルが、
「皆の者、落ち着け。これより、聖徒隊と擬人兵部隊でストレイジング軍の鎮圧に向かう。第3領担当のクマノミ、第8領担当のバロンはすぐに領土へ戻り、我々を支援する準備を整えろ」
「ハッ」
全員の間に沈黙が走り、すぐにバロンとクマノミが動いた。領土には国王軍とは別に、それぞれが制限のかけられた中での軍隊を保有している。第8領の軍隊は、そこまで強くは無いものの、ストレイジングの侵攻を食い止めるだけの力はあるはずだ。
「すぐに聖徒隊を呼び寄せろ。正午までには第8領土に到着するように」
「かしこまりました」
一瞬で国が動く。サンサンバドルの指揮に、全ての人間が迅速に従う。名無しはその流れに取り残されていた。
「おい、名無し。すぐに俺たちも擬人兵を指揮しないと」
スガリに教えられて、初めて自分が擬人兵の最高責任者だと思い出した。すぐにリノに指示を出す。
「擬人兵を三部隊に分けます。最も近くにいる西の守備兵は第8領の領民の救出と保護を優先。私の元にいる擬人兵は、聖徒隊に付き従いなさい。サンサンバドル殿の言葉を私の指示と思って行動するように。東にいる部隊は一部を王都の護衛に、他は引き続いて周辺諸国の牽制をしなさい。東にいる部隊の指揮は私がとります。西の守備兵はスガリが責任者。では起動」
長いが、簡潔にまとめられた指示が擬人兵に届く。すぐにサンサンバドルの元に擬人兵が集結する・・・はずだった。
名無しは指示を終えた後は、リノと王都に残ることにした。城の中には諸侯にそれぞれ一つずつ部屋が与えられており、三人ほどが宿泊できるようになっている。どうして王都に残ることにしたかというと、サンサンバドル殿のいう事を信じるならば、ストレイジングの軍隊を制圧するのには半日もかからない。そのため、ほとんどの諸侯は王都に残留して、防衛戦が終わるのを待つことにした。
名無しの部屋に伝令が飛び込んでくる。鎧の柄から判別するに、聖徒隊の伝令部隊だろう。ここまでは予想通りだ。二時間おきに伝令を走らせることがアンドロマキア軍の約束事だから。
しかし
「先ほど、聖徒隊とストレイジング軍が戦闘を開始しました。敵は増援を受け、軍隊は計二万。こちらも増援をお願いします」
おかしい、こちらの聖徒隊と擬人兵を合わせれば、簡単に勝てるはず。増援なんて必要ないし、軽々しく増援を出すことはできない。現在、王都にいる中で増援の許可を出せるのはエンデヴァー殿だから、そっちに掛け合う必要がある。名無しが動かせる戦力は、擬人兵だけだ。
「どうして、擬人兵を向かわせたはずよ。数は少ないとは充分勝てる相手でしょ?」
伝令は息を切らしながら話す。
「擬人兵は現時点で一人も到着しておりません。現在は聖徒隊のみで戦っています」
どういうことだ。サンサンバドルに付き従うように命令したはずなのに、すると、もう一人の伝令が飛び込んできた。
「スガリ様からの連絡でございます。防衛と牽制に残したはずの擬人兵が動かない。元々、王都を守っていた部隊が城の周りにずっといる。と」
ますますわからない。王都を守っていた部隊は第8領に向かっているはずだ。城の周りにいるはずがない。城の周りにいるべきは、名無しの指揮する部隊だ。
さらにもう一人、伝令が飛び込んでくる。
「伝令。第8領の街クアトロがストレイジング軍によって制圧されました。早急に擬人兵の派遣をお願いします。ストレイジング軍はそのまま第8領を完全に制圧するようです」
だから、擬人兵は動かしたはず。リノと顔を見合わせて、城の外に向かう。本当に城の周りに護衛部隊が待機しているのか。今までに擬人兵が名無しの命令に背いたことは無い。そんなことあってはならない。なぜなら、名無しが評議会にいられる理由がなくなってしまう。
一縷の望みに賭けた名無しとリノをあざ笑うかのように、擬人兵は昨日の指示通りに城の周囲を守っていた。聖徒隊に付き添うどころか、昨日から一歩も動いた形跡がない。完全に指示が通っていなかったのだ。名無しはもう一度、
「私の元にいる擬人兵は、聖徒隊に付き従いなさい。サンサンバドル殿の言葉を私の指示と思って行動するように。以上、すぐに第8領に向かいなさい」
その言葉にも、擬人兵は、全く反応しなかった。命令を無視しているというよりかは、聞こえていないような。もしかして、ルルフェンズの魔法の効果が切れてしまったのだろうか。いや、そんなことは無い。彼はアンドロマキア史上で最も優れた魔導士だ。こんなに早く、魔法が解除されるはずがない。
何もわからない混乱の中で、城の中はさらにあわただしくなっていった。スガリが城に戻ってきたが、三人がそろったところで何もできない。所詮は擬人兵がいないと何もできない無能なのだ。おとなしく、アルタイルの指示に従う。
評議会の行われるはずだった部屋に戻ると、そこには出陣したサンサンバドル、バロン、クマノミ以外の、全ての諸侯が揃っていた。国中が久しぶりの宣戦布告に戸惑う中で、この部屋の中だけが、異様に落ち着いていた。全員が席に座り、連絡事項を待つ。
名無しはエンデヴァーに事情を確認する。
「エンデヴァー殿。軍の増援は手配されましたか?」
「ああ、もちろん。だが、うちの軍隊はほとんど解散状態だったからな、ハクライに軍を集めさせているが、おそらく間に合わないだろう。擬人兵はどうしたんだ?」
「それが、私の命令が聞こえないようで、一つも動きません。もしかすると、このままずっと起動しない可能性すらあります」
「まさかこのタイミングでそんなことが起きるとはな。まあ、お前のせいではない。気にするな」
「ありがとうございます」
エンデヴァーが言ったとおり、アンドロマキア軍の本隊はほとんど解散状態にあった。ほとんどの戦争を聖徒隊と擬人兵が行い。次第に、軍の重要性が失われていった。財政の負担を軽減するために、軍のほとんどが解散させられ、最盛期の半分ほどの戦力も残っていない。
すると、またもや伝令が飛び込んでくる。もう、名無しは伝令の報告を聞きたくなかった。擬人兵が動かないのは自分のせいではないかもしれない。しかし、そのせいでたくさんの領民たちが危険にさらされている。
「サンサンバドル様より伝令。ストレイジング軍は第8領を完全に制圧。バロン殿は戦争の中で敵軍に捕まりました。現在はクマノミ殿の軍隊と聖徒隊が第3領への侵攻は食い止めています」
「わかった。伝令の務め、ご苦労だった」
そう言って手を挙げたのはアルタイル。内政部門のトップだ。サンサンバドル殿がいない現状、評議会は彼を中心に動いていく。
「なるほど・・・皆さんに意見を伺いたいのだが。ストレイジングと和平交渉をするのはどうでしょう?」
まるで、子供に絵本を読み聞かせるような口調で話すアルタイル。
「ふざけるな。我が軍がストレイジングごときに敗れたとなれば、王の権威は失墜する」
そう発言するのは、スネークと呼ばれる老人だ。彼はゲツレイの補佐官の一人である。ゲツレイの一派は昔から王家に仕えており。スネークは実際に王が政治を行っていた時代を知る、数少ない一人だ。
その強い口調にひるまず、アルタイルは穏やかな口調で返答する。
「しかし、他の国もこの混乱に乗じてアンドロマキアに侵攻してくるかもしれません。そうなれば、現状の軍隊では戦えない」
今度はエンデヴァーが反論する。
「いや、現在部隊を再編中だ。明日には終わる。編成が終われば、ストレイジングどころか攻めてきた国も蹴散らせる。その心配はいらない」
アルタイルは少し苛立ちながら。
「そうですか。私の意見では第8領を引き渡す代わりに、領民の安全の保障とアンドロマキア領への移住の許可。さらにはバロン殿の返還を求めようと思ったのですが」
それに対して、方々から批判の声が上がる。こういったときに評議会で行われるのが多数決だ。
評議会の決議では、基本的に多数決が用いられる。会議への参加者が偶数の場合には、決定事項に対する決定権が最も大きい部署の代表が、一人で二票を投じる権利を持つ。今のように緊急事態で人が足りない場合でも、すぐに問題解決に向けて動き出すためだ。
会議への参加者は、ストレイジングにとらわれたバロン、そのストレイジングと戦っているクマノミ、サンサンバドルを除いた7人である。
議題は、「ストレイジングと和平交渉を行うべきか、否か」
この議題には全員が賛成した。軍隊の第一責任者であるエンデヴァーが
「今の軍隊ではストレイジング戦う状態にするには、第8領以外にも、戦火が広がる可能性がある」という発言を重く見た判断である。
しかし、その和平交渉の内容にもよる。アルタイルの提案した条件は難しい判断を要求した。アンドロマキアという国単位で考えれば、第8領を失う事はそこまでの損害ではない。しかし、地図上では大きな痕跡として残る。ストレイジングがアンドロマキアに勝利した事実が。
名無しの考えは、アルタイルの意見に大筋の賛成だ。一旦ではあるが、第8領を譲渡して軍隊が整い次第、侵略すればいい。しかし、ストレイジングが我々から第8領を奪ったことを武器に、
「我々の軍でも第8領の譲渡を認めさせました。我々の軍と組んで、アンドロマキアを攻めませんか?」
と他の強大国に話を持ち掛けられたら厄介だ。特に、ストレイジングの後ろにはプログレムが領土を拡大している。ストレイジングとの同盟も、プログレムとの壁になってくれるのを期待して、結ぶ必要のない同盟を結んで守ってやっていた。
議題は
「ストレイジングとの和平交渉にあたって、第8領の譲渡を認めるか否か」
もちろん、ストレイジング側の要求はわからない。こちらの出せる最大限の用意が第8領の譲渡であり、こちらの要求が全て受け入れられる保証もない。ただ、自国の倍以上もの戦力を誇る国に喧嘩を売って、敵国にトラブルがあったとはいえども勝利を収めた。おそらく、ストレイジング軍の調子は最高潮で、和平交渉をしない限り侵略の限りを尽くすことが予想される。国のプライドか、民衆の安全か。判決、
賛成がアルタイル本人、サイモン、エース、名無しの四人。反対はゲツレイ、エンデヴァー、オムニスの三人。よって、交渉材料となるのは第8領となることが決まった。
交渉に出向くメンバーはアルタイルとサイモン。サンサンバドルも合流するそうだ。これで、この戦争における名無しのするべき仕事は終わった。大きな失敗を残して。
この戦争に敗れたのは、名無しの責任だろう。原因はわからないが、擬人兵が凍結。軍隊は擬人兵をベースに考えて行動するため、まともな作戦も立てられない。まさに、蟻の開けた穴から堤防が崩壊するのを、ギリギリで食い止めようとしている。評議会議員としての初仕事は、大失敗だ。おそらくだが、議会からの除名を言い渡されるだろう。
アルタイルとサイモンが部屋から出ていった後、部屋の中にはしばしの沈黙が流れた・・・
―――夕刻、ストレイジング陣営
「ようこそ、お越しくださいました。さあ、こちらへ」
ストレイジング軍の指揮官であるサカエに案内され、奥からサンサンバドル、アルタイル、サイモンが席に着く。三人の補佐官は、陣営の外で待機するように言われているため、ここにはアンドロマキアの人間は三人しかいない。テーブルには戦場には似つかわしくない、豪華な料理が並んでいる。
「皆様をお迎えするので、我々の国でも五本の指に入る料理人に作らせたストレイジングの伝統料理でございます。どうぞお召し上がりください」
「ふむ、とてもうまそうだ。いただくとしよう」
「ええ、どうぞ」
サカエがさっきからニタニタ笑っているのが、気に障る。
「ところで、まさかとは思うが毒、などは入っていないだろうね」
「ええ、サイモン殿。そのような小手先の戦術で敵わないことは知っていますよ。それに、サイモン殿には毒の効果がないという事も」。
「なっ」
サイモンは法律に関する専門家で、基本的には危ない目に遭うことは無い。そのため、毒を無効化できることなど、ストレイジング側の人間どころか、アンドロマキアの内部でも一部の人間しか知らないはずだ。ストレイジングの情報戦術はここまでだったとは。
「そうか、では遠慮なく」
「そうです、アルタイル殿。では、そちらの要件を聞きましょうか」
「貴様も分かっているだろう。和平交渉をしに来た」
そう答えたのはサンサンバドル。少し怒りのこもった口調は、サカエの薄ら笑いを止めるには充分な威圧感があった。
「そうですね。失礼いたしました。では、そちらの条件をご提示願いましょうか」
アルタイルが答える。
「こちらの要求は、戦火に置かれている領民たちの安全の確保とバロンの返還だ。そちらは?」
「う~ん。なかなか難しいですね」
わざとらしく考え込むふりをするサカエ。あちらの答えはおそらく決まっているのだろう。ただの弁論技術としての、考えるふりだ。
「わかりました。領民の安全に関しては保証いたします。我々も無意味な殺戮は避けたい。問題はバロン殿の返還ですな」
「それに関しては、問題ない。今、我々のいるアンドロマキア第8領の実効支配の容認。これでどうだ」
・・・
「なるほど、実効支配ですか。面白い。そうすれば、アンドロマキアは地図上では我々に勝利し、追い返したことを意味する。それがどのような意味を持つのかくらいは、私でもわかります。・・・しかし、それがばれた時には、ハルドーラが黙っていませんが」
ハルドーラはストレイジングの南にある国で、ストレイジングはハルドーラの属国に当たる。地図上ではアンドロマキア領なのに、ストレイジングの民衆が暮らし、商人が商売にいそしめば、ストレイジングはアンドロマキアの属国になったと思われるだろう。そうなれば、ストレイジングに軍を派遣してもおかしくない。
「わかった。ストレイジングの安全は我々の聖徒隊で保証しよう。それでどうだ?」
「いいでしょう。では使いの者に条件をまとめさせますので、しばしお待ちを」
ストレイジング側の要求
1 第8領の支配権の譲渡すること
2 聖徒隊によって、向こう一年間はストレイジングの安全を保障すること
アンドロマキア側の要求
1 第8領の領民に対して危害を加えず、転居、商売などのアンドロマキア内で認められている国民の権利を保障すること
2 バロンにこれ以上、危害を加えることなく、返還すること
「よし、こんなものですかね。では、ここにサインを」
三人ともがくまなく文書を確認し、サインした。なぜだかわからないが、この男は信用できない、いや信用してはいけないような気がする。
この戦争では敗れたが、実際の戦力ではストレイジングはアンドロマキアの半分にも満たない。ハルドーラと合わせても、少し劣る。防衛側が有利だという事実を考えると、アンドロマキアの方が会議を有利に進められるはずなのに、余裕の笑みを浮かべている。虚勢か、はたまたアンドロマキアを制圧する手はずが整っているのか。
まあ、今からそんなことを気にしても仕方がない。文書の内容に問題はなかった。これによって、アンドロマキアは敗戦の事実を伏せることに成功し、ストレイジングは国力の増加と安全を手にした。両者ともに良い交渉になっただろう。
「それと、もう一つ。私からの個人的な提案なのですが」
「なんだ、言ってみろ。話を聞くぐらいの事はしてやる」
今度はサンサンバドルの威圧にも負けず、サカエは信じられないような提案をしてきた。
「おそらくですが、バロン殿は評議会から除名されるでしょう?」
まあ、そうだろう。どのような状況であろうと、領土の指揮官で、しかも軍部の大物が敵国の軍に捕まって、領土を失うなどはあってはならない事だ。評議会の威信にかかわる。
「そして、第8領の支配権は我々が手にする」
これにより、評議会のメンバーを減らすか、各領土を分け合って別の場所に第8領を作り、次の実力者であるカントに支配させるかの二択だ。
アルタイルは正直な話、評議会は十人も要らないと思っている。国の領土を分けて統治させるのは賛成だが、果たして十人もの諸侯に領土と軍隊を統率する権利を与えて造反するものが現れないとも限らない。今までが幸運だっただけで、この敗北でアンドロマキアの強さを疑うものがいてもおかしくない。それによって敵国であるトロンやプログレムに通じるものがいる可能性もある。そうなれば厄介だ。
「ならば、こうしませんか?私を第8領の評議会議員として迎え入れる」
「なんだと、ふざけるのもいい加減にしろ」
サンサンバドルが自慢の名刀キュリエスをサカエに向かって突きつける。かなり激高している。こんな姿は、プログレムとの戦争以来だ。
「そうすれば、私はストレイジングを裏切ってアンドロマキアに領土を差し出しましょう。今、アンドロマキア領に侵攻している部隊は、全て私の部下です。その気になれば、どうだってできる。どうしますか?お二人」
なるほど、面白い。過去に、評議会議員の役職を与えられた者には異国人はいない。それどころか、政府のいかなる役職にも、異国人が就いた事はない。別にこれが良いとか悪いとかではなく、アルタイルはどうでもいいと思う。能力があれば、異国の出身であろうと登用すればいいし、そこにこだわることでどんな意味があるのかはわからない。
評議会のメンバーの次点はカントで間違いない。主に西方を中心に商売で力をつけた有力株主だ。一昨年から政府にも出入りするようになり、その能力はアルタイルも買っている。しかし、その次点であるフェンドリックははっきり言って無能だ。戦争しか知らない。しかも、采配ができるとか、戦術に詳しいなどではなく、己の武力で軍部内の争いに勝利してきたような人間だ。腕っぷしが強いだけの人間なんて、ボディーガードぐらいにしか、役に立たない。
そして、この戦争で立場を追われるのがバロンだけとは限らない。名無しこそが戦犯だと考える人の方が多いだろう。国の戦力の中心である擬人兵を動かさずに、ストレイジングに大敗した。戦力を比べても、擬人兵の半分も動けば勝てた。果たして、何人のメンバーがあの円卓に戻れるのだろうか。フェンドリックを席につけるくらいなら、信用ならないがサカエを登用するのもありだと思う。
「どう思う、サイモン」
このサイモンという男は、自己中心的な思考をする。それが良いとは思わないが、アンドロマキアの要職である法務大臣の職に就いている以上は、アンドロマキアの利益を優先に考えるはずだ。反乱でも企んでいない限りだが。
そして、彼の思考能力は他の追随を許さない程に圧倒的だ。おそらくだが、彼にはアンドロマキアの終焉までのシナリオが描かれているのだろう。アルタイルはそんな気がする。自身も頭脳には自信があるが、アンドロマキアの国民的ボードゲームであるトゲッチャで、彼に勝ったことはない。軍師にでもなれば、大陸中を支配できるだろう。
しかし、天才と呼ばれる人々は大抵、過大評価か過小評価をされている。なぜならば、近いレベルの人間でないと、正当な評価すらもつけられないからだ。所詮、我々の事を「凄い」と言っている民衆は、「凄い」としか言えないから平民なのだ。本当に賢いものは、どこが賢いか、どういう点が他と比べて優れているかを表現できる。
「俺は、こいつの提案に乗るべきではないと思う。起こりうるメリットとデメリットを計算すると、わずかにメリットが上回った。しかし、この男を信用するほどのメリットではない」
「おやおや、そこまで信用されていないとは、悲しいなあ。まあ、仲良くしましょうよ」
「ああ、すぐにこの場から離れる。部下に馬の準備をしておくように伝えてくれ」
「はっ。ではお元気で。私の提案を飲んでいただけることが決まればご連絡ください」
深々と頭を下げる。しかし、その顔はどうせ笑っているのだろう。実に不愉快だ。
アルタイルは振り返って
「ああ、それと一つ、お前に伝言だ」
「ほう?それはいったいどなたからでしょう」
「なに、評議会議員の一人の補佐官からだ。そこまで気に止とどめなくてもいい」
「では、頂戴しましょう」
「なめるなよ。この程度の魔法が、英雄ルルフェンズの残したものに通用すると思うな」
「ほう?それはどういう意味でしょうか?」
「俺もわからんさ。あいにくだが、魔法だけは不得意でね」
「私もです。今夜、熟考してみるとしましょう。では、またお会いできるのを楽しみにしています」
「こっちは二度と、貴様の面を拝むことが無いことを祈っておくよ」
そう言って、アルタイルは陣営を飛び出した。
それから、三日後に再び評議会が開かれることになった。通常であれば、名無しの就任式も合わせて行われるはずだったが、予想はしていたが反対意見が多く、それどころではない。
ストレイジングとの戦争の敗因は、擬人兵の凍結であり、その責任は名無しが背負う。当然だが、民衆や他の政府役員からの反発を招いた。特に、フェンドリックは名無しが失脚すれば、議会に参加できる可能性が高いため、内政部の役人と手を組んで名無しを除名する要求を出した。
一度、評議会を脱退したものは基本的には再就任することはできない。サンサンバドルが戻ってきたのは、異例中の異例だ。ここで除名されれば、名無しは官職を失う。名無し本人としては、評議会からの除名はともかく、役職を与えてもらって政府に残りたいと思っている。
サンサンバドル殿は援護してくれるだろうが、果たしてどうなるのか。
今回、話し合われることは
「ストレイジングへの対応策」
「バロンの処遇」
「名無しの処罰」
である。円卓にはバロン以外の9人の評議会議員が座り、部屋にはカントもいる。
「さて、皆さんもおそろいのようです。では、会議を始めましょうか」
アルタイルが宣誓すると、空気が途端に張り詰めた。
「まずは、戦況報告と条約の内容について説明させていただきます。頼むよ、レプリカ」
アルタイルの隣にいる女性が小さく頷き、話し始めた。
「まずは、戦況報告です。アンドロマキア第8領は完全に制圧され、民間人の死者が五名、軍隊の死者が十三名亡くなりました。コルタ砦は半壊し、ヘンドーラも荒らされました。しかし、この補修はストレイジングが対応してくれるそうです」
おかしい、そんなはずがない。戦場には出向かず、初めて報告を聞いた名無しにでもわかる奇妙さだ。
この戦争はストレイジングの侵攻により始まった。その数、約七千。最終的には増援を受けて、二万にまで膨れ上がったと聞いている。一方、アンドロマキアは第8領の軍隊が約一万で聖徒隊が五千、第8領の部隊は二万で計三万五千もの人間が戦地へ向かった。
二万人対三万五千人、正確な数字ではないが、少なくともそれなりに大きな戦争の部類に入る。ストレイジングの軍隊は国家全体で五万人ほどと聞いているから、国の戦力の半分近くを動員して挑んでいるため、負ければ滅ぶとも考えたのだろう。必死だったはずだ。
そんな戦争で軍人の死者が十三人なんて有り得ない。序盤は突然の侵攻だったため、大きな交戦は無かったかもしれないが、それを考慮しても少なすぎる。
レプリカが嘘をついているのか?アルタイルの指示によるものか?それとも本当の数字なのか?名無しにはそれを見分ける能力はない。しかし、これ以上の被害を防ぐためにも、何かあれば即座に対応しないと、相手がストレイジングだったから良かったものの、トロンやプログレムであれば国を揺るがす事態に発展しただろう。
「そして、我が当主、アルタイルが結んだ条約の内容は、以下の通りです」
条約の内容を記した紙が全員に配られ、しばし沈黙が訪れる。第8領の譲渡は既に決定したことであったため、この条約の内容に不満を表すものはいなかった。
「よし、これで戦況報告は終わりだ。ご苦労、レプリカ」
レプリカは小さく頷き、半歩ほど後ろに下がった。
「次はストレイジングへの対応についてだな、現状では再度同盟を結びなおし、聖徒隊がストレイジングに何かあった時の護衛としてつく」
・・・
「なるほど、つまり聖徒隊は基本的に王都より西に駐在するという事だな」
「まあ、そうなる」
「トロンとストレイジングが通じていない事を望むばかりだな」
現状、擬人兵が動かないことはストレイジング側も分かっているだろう。負けている状況で、擬人兵を使わずにとどめるほどの余裕はない。さらには、聖徒隊も第3領にとどまる。東にあるトロンにとっては、これ以上とない好機だ。
「それに関しては何とも言えない。相手のサカエという男は信用できない。が、これ以上の策も無かった。よりよい方法があるなら発言してくれ」
「まあ、そうするしかなかったから仕方がない。すぐに軍隊を編成し、対トロンの防衛戦線を敷くとともに、対ストレイジングとその先にあるハルドーラとの戦争に向けた軍隊を準備するべきだ」
「待て、エンデヴァー。対トロンの軍隊はわかるが、ストレイジングとハルドーラに対しては放っておいた方がいいんじゃないか?」
「何を言う。ここまで屈辱的に敗れて、黙っていられるか。国王軍と聖徒隊の力を合わせればハルドーラとストレイジングが力を合わせても蹴散らせるだろう」
「しかし、そうなればプログレムとの戦争が始まるかもしれぬ。疲弊しきったところを攻められれば、最悪の場合、前回のように大きな戦力を失うことになる。擬人兵が使えない今、聖徒隊まで失うのは避けたい」
白熱する議論の中で、サイモンは冷静に分析していた。おそらく、多数決になれば、ストレイジングに第8領を譲渡することに反対した者たちは、侵略側につくだろう。本来ならそれで済むはずだ。しかし、これは軍人や戦争の分野ではなく、外交問題にあたる。
現評議会で、外交問題の最高責任者はナンバースリーのクマノミだ。彼の思考は読めない。
一言で表すなら、つかみどころのない男だ。表情がない。人の顔は、考えれば顔をしかめるし、怒れば眉間にしわを寄せる。それは、どんな些細なことでも起こりうる話で、いくら表情に出さないようにしても多少の変化は生じる。しかし、彼にはそれが無い。部下の二人も仮面をつけており、そちらも表情が読めない。
それこそが、彼の信頼が薄い要因である。能力的にはナンバーワンの座に最もふさわしい人間だと思う、戦争が得意だが政治を知らないサンサンバドル、政治は得意だが武功を残していないアルタイル。クマノミなら両方ある。今はともかく、以前までは戦争の意味が薄れたいたので、サンサンバドルがナンバーワンである必要もなかった。
突然、クマノミの左側に立っていた男が言葉を発する。確か、クゲと言った。
「クマノミ様の意見としては、準備はするもののストレイジングに戦争は仕掛けるべきではない。おそらくだが、今の軍隊ではストレイジングとハルドーラには勝てない。擬人兵を再生するのが最優先するべきだ。そして、軍の内訳だが対ストレイジングに十万、対トロンに三十万」
部屋の中がざわめく。
「クマノミ殿、流石にそれはやりすぎです。対トロンの三十万もそうだが、ストレイジングは領土が広がった影響で、侵略してきた場合の軍勢は今回よりも更に減少すると思われます。あくまで、予測ですが三万も動員できるかどうかだと思います。十万も集める必要がありません」
「そうだ、ハルドーラ軍を合わせても八万。今回の戦争だって擬人兵や聖徒隊に頼らずとも、迎え撃つ準備をしておけば半分の五万もあれば充分です。むしろ、トロン側の防衛に人員を割くべきだ」
トロンは第6領に隣接する大国で、軍隊は三十万から五十万ほどの人数だそうだ。名無しもそちらに備える方が大事だと思う。トロンが最近は戦争をしていないとはいえ、この状況だと情報が漏れたならば攻めてくるだろう。同じ数では少し心もとない。そして、戦力を考えて、ストレイジングに負けるという理由がわからない。向こうのサカエという人間も優秀らしいが、サンサンバドル殿やエンデヴァー殿よりは経験、軍略、采配においては劣っているだろう。少なくとも、倍以上の戦力を相手にひっくり返せるとは思わない。クマノミ殿は何を考えているのか。
「わかりました、クマノミ殿の意見に従うことにしよう。幸い、国の財政は好調なため、それくらいの軍隊の編成は可能だ」
サンサンバドルの発言により、会議が針を進める。しかし、この部分こそが評議会の懸念点ではないか。クマノミやサイモンのような内政部の人間にはわからないが、軍部ではサンサンバドルが圧倒的な権力を握っている。それにより、軍に関する決定事項にはエンデヴァーやバロンが、サンサンバドルに意見したことは無い。
これでは、何のために各部署から人間を採用しているのかわからない。普通の軍人に政治が行えるわけがないだろう。サンサンバドルが異常なだけだ。例えば、政治部からはアルタイルとエースが評議会に在籍しており、彼らの意見は食い違うことも多い。もちろん、スムーズに、物事が決まるのは悪い事ではないが、権力の集中を避けるために作られた機関の意味がない。
「では、続いてはバロンの処遇を決定いたしましょう」
その言葉に合わせたかのように、王の世話係であるフドウが部屋に入ってくる。
「こちらは王のお言葉でございます。バロンが捕らえられた状況を詳しく説明し、それをもとに評議会の名誉にかけて処罰するべきだ。貴様らが実験を握っているが、名誉や権威は我々の家のおかげである。と」
それだけ言って、フドウは戻る。
「やれやれ、王は我々の事を良くお思いになられていないようだ。非常に遺憾だが、仕方がない。レプリカ、手土産の用意はあるかい?」
「ええ、もちろんでございます」
ちっとも残念じゃなさそうだ。名無しの処罰次第で、直属の上司になるこの男、アルタイルは蛇のような男と呼ばれる。サンサンバドルに聞いた話によると、彼はルルフェンズの後を引き継いで政治を行い、財政の立て直しに成功した。役人でもなければ、名家の出身でもない彼が、どうして政治の中心に上り詰めたのか、なぜ反発勢力の目立った動きが無かったのか、彼の腕を、まだサンサンバドルすらも計りきれていないそうだ。
「では、バロン殿。詳細を説明していただけますかな」
「ああ、」
バロンはゆっくりと、三日前の出来事を説明し始めた。
・・・三日前、第8領中心地ヘンドーラ
「おい、カンデルタ。戦況を報告しろ」
「すでにコルタ砦は陥落。敵軍はこちらへ向かっております。その数は五千」
「そうか、我々は?国王から二千の軍をお借りしてきたぞ」
「現在は五千人の兵が待機中でございます」
「そうか、では皆の者、よく聞け。我々はこれより敵軍ストレイジングを目掛けて突撃する。民衆を守るために兵隊よ立ち上がれ。では、突撃」
「ウォォオォオォオォォオ」
第8領の兵隊は基本的には騎馬兵が中心だ。機動力を武器に戦う編成で、「砂嵐」と呼ばれて敵国には恐れられている。ストレイジング軍は歩兵が中心で、これといった特徴は無い。騎馬兵が懸念すべき槍兵も、部隊を編成できるほどの数はいないらしい。
勝てる。その意識が指揮官だけでなく、兵隊全員に浸透していた。それこそが、我々の敗戦の原因なのかもしれない。数も質も兼ね備えた我が部隊と交戦したのは、日が昇りきった正午頃だった。
我々の部隊が、移動してきた勢いのまま、ストレイジング軍の中央に突撃する。陣営の中心に位置するサカエをとらえれば勝ちだ。
しかし・・・突撃部隊が前に進まない。騎馬兵が馬から落ちていく景色が見えているが、敵方の兵士の姿が見えない。大抵の場合は、蹂躙するという言葉の通りに、騎馬兵が通り抜けた後には敵方の死体が転がっているのが普通だ。
アンドロマキア伝統の軍歌の音が小さくなっていく。第一部隊の声が途絶えた・・・
砂嵐の去った後、すべての者は土に帰る。しかし、そこには、ほぼ無傷のストレイジング軍の姿があった。その手前には、アンドロマキア最強の騎馬部隊が、見るも無残に散っていた。
第二部隊、第三部隊が突撃する。しかし、結果は同じだった。敵わない、そう悟った俺は一旦引いて、クマノミ殿に援軍を頼もうとしたが、捉えられてしまった。
幸いと言っては何だが、我が軍の犠牲者は数人であった。負傷者は大量だが、ストレイジング軍の治療によって、回復した。
・・・「話すことはそれくらいか」
長い説明が終わり、アルタイルが話し始める。
「ありがとう、バロン殿。この説明を記したものを、王に提出すればよいのかな?」
「そうでしょう。しかし、バロン殿の処遇を決定するのは、我々です」
彼女の名前はゲツレイ。第5領土の支配者で、古くから王に仕える名家バンダム一族の一人息子アールダイの妻だ。順当にいけば、アールダイが第5領土の支配者だが、ここ五年以上も公の場には姿を現してはいない。
アールダイが姿をくらました理由は、誰もが気にすることであり、誰も踏み込めない出来事である。噂では、権力を握るためにゲツレイが殺害した、ゲツレイは代理として評議会に参加しており、ただの傀儡である。という二つの説が有力だ。しかし、真実はゲツレイしか知らない。彼女の実力が本物なのか、アールダイの力によるものかさえも、わからない。
つまりは、ナンバーファイブまでの諸侯には、それぞれの秘密がある。それに踏み込めば、どうなるかもわかっている。ただ確かなのは、実力だけだ。
「俺は評議会からの除名は必要だと思うが、軍部からの除名は必要ないと思う」
「なるほど、エンデヴァー殿。では少し厳しい言い方になりますが、バロン殿の軍人としての能力を疑うものが一定数おります。この戦争において、大陸最強と呼ばれる騎馬部隊を率いて、兵力が半分以下の軍隊に敗れた。しかも、攻城戦などではなく平地で。この事はどうお考えですか?」
「なるほど」
「おそらく、王が言いたいのもそこなのだろう。天下のアンドロマキア軍を率いて、ストレイジング軍に大敗したことも、王はお気に召さないようだ」
名無しがバロンの身を案じている場合ではないが、軍部の先輩として優しくしてもらっていたバロンの軍部からの除名には反対だ。砂嵐部隊は確かに強力だ。敗れるなどありえない。しかし、ストレイジング軍が奇妙な罠でも仕掛けたのだろう。もしかすると、擬人兵にも何か細工をされたのかもしれない。
「では、採決に入るのはどうだろう。このままでは埒が明かない」
議題「バロンを評議会から除名するべきか。否か」
賛成に九票。反対に一票。反対に入れたのはカント。バロンが失墜すれば、評議会の椅子に座るはずの人間。
「ほう、カント。貴様は何を考えている。誰が反対しようと疑わないが、貴様の反対だけは別だ。何か思惑でもあるのか?」
「いえいえ、私には評議会の会員など身に余る光栄でございます。それ故に、私などでよろしいのかと。バロン様の方が経験も人望もございますので、祖国のためにはこうするべきかなと」
「見え透いた嘘はよせ、もういい」
カントの一票は、一票以上の効果を持つが、多数決の結果には左右しない。
続いて
議題「バロンを軍部から除名するべきか」
賛成に三票。反対に七票。賛成はサンサンバドル、サイモン、エース。
「では、バロン殿の処遇を整理し、王に報告してまいります」
「頼んだよ、レプリカ」
全員がふっと息を吐き、バロンが退室する。この部屋は評議員関係者と王族のみが入れる部屋だ。
「では、次にいこう」
「次は名無し殿の処遇について、でございます」
「そうか、彼女はナンバーナインに昇格したんだね。おめでとう」
心のこもっていない拍手をするアルタイル。
「そうであれば、僕は評議会には残したいのだが。もちろん、僕の部下という側面も考慮して」
第2領土の支配者であるアルタイルは、第9領土の支配者の直属の上司に当たる。これまではオムニスが第9領土の支配者であったが、バロンの失墜で交代。アルタイルはオムニスよりも、名無しの方が扱いやすいと考えたのだろう。
「もちろん、俺も名無しを残したい。しかし、反発を招いてしまう」
現状、内政部では名無しに対する反対勢力が現れ、軍部にもその影響が及んでいるそうだ。元々、女性である名無しが軍の上層部に居座ることを良く思わない人間は一定数存在した。フェンドリックや国王護衛隊のギリューである。
「まあ、確かにそうだ。この敗戦の責任者は名無しであろう。それを恨む人間は出てくる」
「フェンドリックは行動を起こすだろう。彼の中ではカントよりも先に評議会に入ると思っていただろうから、この会議の内容は彼にとって喜ばしくはない」
「フェンドリックが行動を起こせば、聖徒隊で制圧すればいい」
フェンドリックは諸侯でもなければ、軍部でも指揮官の立場にはない。傭兵としては優秀だが、彼の言葉に素直に従うかは軍人でも意見が分かれるだろう。最悪の場合、ギリューとともに挙兵されるかもしれないが、それでも聖徒隊には敵わない。
「ギリューを牽制しつつ、フェンドリックを失脚させたい。僕はそれが一番だと思う」
「ならば、ギリューにはエンデヴァー殿が監視につき、フェンドリックに反乱を起こさせれば良いのか。では、僕から話を持ち掛けるのは疑われるかもしれないから、誰かお願いできる?」
一見、評議会にとってゃ不利な状況が続いているが、それを逆手に取り立場を固めようとしている。しかし、これでいいのか?評議会の十人が揃って、フェンドリック一人を蹴落とすような行為を行うのは、名無しにとってはフェアじゃない。
「早めに制圧しなければならないから、聖徒隊は常に準備してもらえるかな?ストレイジングの防衛に加えて、このような雑務まで任せてすまない」
「心得た、それでフェンドリックに反乱を促すものは?」
「では、私が」
そう言って右手を挙げたのはカント。彼は評議会に入ったばかりなのに、会議を動かす発言を行っている。さすがは商売上手な人間で、話し方に説得力がある。
「よし、これでどうにかなるだろう。皆、名無しの除名には反対でいいね?」
「ああ、」
「よし、これで堅苦しい会議は終わりだ。国王のお抱えシェフに何か美味しい物でも作ってもらおうじゃないか」
「私は遠慮します、ご苦労様でした」
「俺も国の防衛に当たる。俺はどこを収めればよいのだ?」
オムニスの疑問はもっともで、第8領土を失ったばかりなのに、第8領主に就任しては混乱するだけだろう。
「ストレイジングとの交渉で、民衆は怪我無く帰してくれるそうだ。まずはその民衆を王都で保護してくれ」
「わかった。では、これで」
数人の諸侯が続いて自分の領土に戻る支度を始める。名無しも第9領に入ろうと準備を始めたが、アルタイルに呼び止められた。
「おいおい、つれないなあ。上司には挨拶ぐらいはしていきなよ」
「申し訳ありません、自分の事でいっぱいで」
うまく話せているのだろうか。
「俺はアルタイル。こっちの美人がレプリカで、こっちがマフラーレン。仲良くしてやってくれ、良いやつだ」
「よろしくお願いします。私は名無し。こちらはスガリで、こちらがリノ。挨拶なさい」
「どうも、リノと申します。以後お見知りおきを」
「スガリです。よろしく」
アルタイルは、名無しではなくスガリを見ている。品定めをするような視線で。
「スガリ君、君は武術の心得はあるかい?」
「いえ、知識としては持っていますが。実戦経験がありません」
そんな事を勉強していたなんて、名無しは知らなかった。スガリは少し不満そうだ。
「そうか、名無しは命を狙われる危険がある。君は守れるかい?」
「命を?誰に」
「誰かはわからないよ。そうだな、フェンドリックの手の者かな」
評議会のメンバーは常に付き人をつけている。軍人でもない限りは、片方がボディーガードだ。アルタイルの場合は、マフラーレンがその役目を担う。
「その者たちから、名無しを守ることができるかい?」
スガリはうつむいている。名無しから見たスガリは、お兄ちゃんのような存在だった。いつも新しい事を教えてくれる、なんでも知ってるかっこいいお兄ちゃん。しかし、体は大きくなく、名無しと身長もそこまで変わらない。武術向きではないのだろう。
「もしよければ、こちらからボディーガードを用意しよう。信用はできないが、良いやつさ」
「そのボディーガードが名無しを狙う可能性もありますよね?」
アルタイルは口元を抑えて笑う。スガリの反論が面白かったようだ。
「なるほど、確かに。僕が名無しの命を狙う可能性も無いことは無い。君、おもしろいな」
アルタイルの余裕ぶった態度に、スガリはフラストレーションが溜まっていく。
「口約束で申し訳ないが、僕が名無しの命を狙う必要がない。だから、守る。そうだろう?」
スガリは我慢の限界のようだった。
「いいよ、スガリ。アルタイルさんのいう事を聞こう?私の事なら大丈夫だから」
「だめだ、こういう事ははっきりさせておかないと」
「せっかく名無しが理解してくれたんだから、もういいだろう?」
「良くない」
スガリの怒号が、部屋中にこだまする。ステンドグラスを揺らす勢いで。
「ナナの命がかかわる問題だ、適当にしていいわけがない」
一瞬の静けさの後、アルタイルが話す。
「ナナ?いい名前だ。僕もそう呼ぶことにしよう」
「ふざけるな。その名前で呼ぶのは、僕だけだ」
名無しはスガリがここまで怒っているのを初めて見た。普段は温厚なのに。
「わかった。胸倉をつかむのはやめてくれよ。名無しというのは不便だから、呼び名を考えていたところに、良い名前が聞こえてきたから使っただけだよ。やめるよ」
「わかればいいんだ」
・・・
「では、名無しというのも不便だ。ナンバーナインと呼ぼう。そうすれば、スガリ君も今まで通りに呼ぶことができる」
「申し訳ありませんが、アルタイル殿。我が当主の名無しの安全の保障の話ではなかったですか?私はボディーガードを雇っていただきたいと思います」
「だけど、リノ。この男は信用できない」
「どうやらスガリ君には嫌われてしまったみたいだ。どうしよう、レプリカ」
「信用に値する証拠を提示します」
レプリカが髪を留めていたゴムを外し、左手に握る。再び開かれた手の内には、首輪が握られていた。その首輪をアルタイルにつける。
「この首輪には爆薬が仕込まれています。ナンバーナイン殿の生命エネルギーに反応し、途切れると起爆します。これで納得できますか?スガリ殿」
スガリは、少しばつが悪そうに頷く。
「よし、これで契約成立だね。では、さっそくボディーガードに会いに行こう。第2領土の中心街、マルファスに招待しようじゃないか」
「お誘いいただき嬉しいのですが、私は第9領土に向かう準備をしなければなりません」
「ああ、それなら大丈夫だよ。もうすでに形式ばった手続きは、レプリカが終えている。ボディーガードの男も呼んで、僕の屋敷でパーティーでも開こうじゃないか。マフラーレン、シュルツに連絡しておいてくれるかい?」
「わかりました、お誘いいただきありがとうございます、謹んでお受けいたします」
「そうか、そうと決まれば出発だ」
先頭を行くマフラーレンに、名無しはついていく。スガリもしぶしぶついていかざるを得ない。ここで反抗し、アルタイルを怒らせるようなことがあれば、ナナの身が危ない。スガリの力では、マフラーレンと呼ばれる男を止めることはできない。
既に日が沈み、街灯の明かりに照らされるマルファスに到着した。マルファスはアンドロマキアで王都に次ぐ2番目に商業が盛んな街で、王都に入れない平民たちは、年始はここで物を買いそろえることが多い。名無しも、村の買い出しで一度だけ来たことがある。その時よりも更に活気が増している印象を受けた。確か、その時はアルタイルが領主ではなかったはずだ。
「すでにボディーガードは到着しているみたいだ、少し急ごう」
そう言いながら馬に乗り、中心街の道路を闊歩するアルタイルは、まるで戦争に勝利して帰ってきた軍隊のように、拍手や歓声に包まれている。とてつもない人気だ。
アルタイルは荒れていた第2領土を初めて統治した領主だ。元々はギャングがはびこるような街だったが、自身の軍隊を警察として整備し、民衆の安全を保障した。
また、商業にも力を入れ、商売を始める者には助成金を出し、一定期間が過ぎると税率を上げるなど、他の政治家の先を行く政策で、マルファスを発展させてきた。
「ただいま、料理の用意はできているかい」
アルタイルの屋敷は、アンドロマキアのナンバーツーとは思えないほど質素だった。当然、名無しのいたフールにあるどの建物よりも豪華だが、マルファスにあるそこらの店の方が、よっぽど豪華だった。お金も権力もあるはずなのに、どうして屋敷を豪華にしないのだろう。
「お帰りなさいませ、シュルツ殿が広間でお待ちでございます」
「ありがとう、こちらは第9領土の支配者、ナンバーナイン殿一行だ。失礼のないように」
「かしこまりました」
広間には、おそらく名無しのボディーガードとなるシュルツ、と呼ばれる男がいる。どのような人間だろう。マフラーレンのような大柄の男か、サンサンバドルのようなオーラのある人か、しかし、シュルツはそのどちらでも無かった。
「お帰りなさい、アルタイル殿」
「おお、お待たせ。ナンバーナイン殿、紹介しよう。この男が、あなたのボディーガードを務めるシュルツだ」
「どうも、」
「よろしくお願いします。私は名無し。ナンバーナインと呼んでいただいてもかまいません。こちらはリノとスガリ」
「どうも」
「よろしくお願いします、シュルツ殿」
「ああ、よろしく」
「こんな奴にボディーガードが務まるのか?」
スガリがぼそっと呟く。確かに、シュルツの見た目はどう見ても護衛する側ではない。むしろ、護衛される側だ。ひょろひょろの体に、覇気もない。見た目だけならスガリの方が強そうだ。アルタイルの茶番だろうか?
「いやいや、確かにシュルツの見た目はこんなだが、ここにいるマフラーレンよりも強いよ」
「そんなわけないだろう。どう見てもマフラーレンの方が強い」
アルタイルとスガリの話し合いに、シュルツが混じってくる。
「アルタイル殿、私の力はマフラーレンには到底及ばない。冗談はやめていただけると」
「そうだろう、できればボディーガードを変えていただきたい」
・・・
「確かに、力はマフラーレンの方が上だろう。しかし、戦闘ならばシュルツの方が上だよ」
「どういう事?技術が優れているという事?」
「いやいや、ナンバーナイン殿。マフラーレンに敵う戦闘能力の持ち主は、第2領にはおりません。それは皆さまもそう思うでしょう。ですが、マフラーレンの強さはわかりやすすぎる」
「わかりやすい?それがどう問題なの?」
「例えば、ナンバーナイン殿はマフラーレンとシュルツがいれば、どちらを警戒しますか?」
「それはマフラーレン殿でしょう。どう見ても強そうだもの」
「それが不要なのです。要は、マフラーレンでは警戒させてしまうのですよ。よくいるゴロツキも、すぐに殴ることや蹴ることを暗示、もしくは行います。しかし、本物は何も言わずに撃ちます。それが一番強いから」
「・・・」
「今から殴るぞ、と言って胸倉をつかまれるよりも、突然に拳が飛んできた方が嫌でしょう?」
「なるほど、そういう事ですか」
「もちろん、戦闘技術も一流でございます。どのみち、この第2領を離れると、すぐに命を狙われるでしょうから、実力を披露する機会はあると思いますよ」
「なるほど、よろしくお願いします。シュルツ殿」
「シュルツで構いませんよ」
「では、シュルツ。よろしくお願いしたします」
ふわりとした握手。シュルツは握手の時さえも、力を見せない。
その後は雑談をしながら、おもてなしを受けた。王都で食べたものよりも、アルタイルのふるまってくれた料理の方が、庶民的で名無しの口には、よくなじんでいた。
「名無し、今から出発しても第9領までは時間がかかります。ここは一旦、アルタイル殿の屋敷に泊めていただくべきかと」
「申し訳ないがリノ君。うちの屋敷は見ての通り狭い。とてもじゃないが客間など用意していないよ。泊る所なら宿屋がたくさんある。お金は僕の名前で建て替えておいてくれ」
「しかし、それでは安全性が乏しい」
「いやいや、大丈夫だよ。シュルツをつけているんだから」
「俺にそんな重荷を背負わせないでくださいよ」
数日後、名無しは王都にいた。カントがフェンドリックに対して反乱を持ちかけたことに関する相談と、国王の護衛のためだ。
名無しの他にも、張本人のカント、エンデヴァー、ハクライ、タリカが準備している。最悪の場合は、王都付近での戦闘になるため、被害を最小限に抑えるために素早く鎮圧しないといけない。
サンサンバドルは第8領の防衛にあたるために不在。代わりに、名無しが三千もの軍隊を与えられた。名無しは生身の兵士に対して采配を振るったことが無い。擬人兵はいまだに動かず、本当ならば戦力にならないはずだが、少しでも手柄を取り戻すために参戦することにした。
フェンドリック側は、集まっても一万人ほどの軍隊だと予想される。ギリューの部隊を合わせても、二万にも満たない。こちらは、四人の軍人がそれぞれ群を率いて迎え撃つ。名無しはフェンドリック軍が王都に侵入するのを防ぐために、王都の南にそびえるフルタバ門を守る。
「おい、ナナ。浮足立つなよ。こいつらは一人の人間だ、擬人兵とは違って命がある」
「わかってるわよ、全軍、聞きなさい」
大きく息を吸って、自身の口から伝える。
「私たちは、王都に戦火が及ばないように、このフルタバを守ります。敵は王の決定に逆らう逆賊、フェンドリック。フェンドリックの首をとった者には、王から直々に官位を与えられます」
「おおおおおおおお」
「そろそろ始まる頃だわ。準備なさい」
名無しは三千人の軍を、さらに四等分した。名無し本隊が千五百人の兵を率いて、スガリ、リノ、シュルツにそれぞれ五百の兵を預けている。相手の軍隊が王都を集中砲火してくれば、さすがに分が悪い。その時は逃げるように言われている。
フルタバ門につながるエルキアノ街道に名無しは陣を構え、その他の三人は脇道に待機しており、挟み撃ちを狙う。フェンドリックには一万もの軍隊を指揮する能力は無いはずだ。名無しでは勝利できないかもしれないが、最終的に首をとればいいそうだ。
花火があがる。中心街だ。フェンドリックのアジトあたりか。名無しはとりあえずは、門の前で待機する。
エンデヴァー軍の伝令部隊が到着した。
「申し上げます。つい先ほど、護衛隊隊長のギリューと、一部の護衛隊が挙兵。ゆっくりと北進しています」
まずはギリューが反乱を起こしたか。フェンドリックは評議会に入るのが目的で、ある意味くみしやすい相手だ。もし、危なくなれば、官職を与えれば落ち着いてくれるかもしれない。しかし、ギリューは名無しに対しての個人的な怨恨で動いている。それも大したことではなく、軍部の権力争いで名無しに敗れただけだ。
単純な話、軍隊の中枢を担う擬人兵部隊を指揮する名無しと権力争いをしても、結果は見えている。中にはそれを面白く思わない人間もいたが、態度には出さなかった。まして、国王の護衛という任務を与えられるほどの人間ならば、もっと良いやり方を思いつかなかったのだろうか。フェンドリックよりは采配能力があるとはいえども、百戦錬磨の猛将エンデヴァー殿が指揮する部隊には敵わない。
護衛隊の足音が近づいてくる。アンドロマキアにとっての久しぶりの戦争が終わってから一週間ほど、再び戦いが始まる。
この反乱を『ギリューの乱』と呼び、アンドロマキア国軍の圧勝に終わった。
しかし、誤算だったのが、反乱の詳細である。
『ギリューの乱』
敗戦者 国王護衛隊隊長ギリュー
勝者 第十領土支配者カント
この内乱後、フェンドリックがカントの傘下に入り、評議会への出入りを許される。同じくカントの側近についたものは、ダグラス。
ギリューは市中引き回しのうえ、打ち首。新たな国王護衛隊の隊長には、バロンが就任した。
このストレイジングとアンドロマキアの戦争から、「ギリューの乱」までの流れを、
「フルタバ政変」と呼び、ストレイジングとアンドロマキアの戦争は
『第一次タルコス戦争』と呼ぶ。これは、ストレイジングの言葉で、第8領土とストレイジングの国境にある川の名前である。
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