第4話
【
自分語りはしたくない。
まるで、「かわいそうな自分」に気づいてほしいみたいで。
その反面、強烈に聴いてもらいたいという願望が
心の、いちばん奥でずっと
しかも、厄介なことに、だれでもいいわけじゃない。
僕にとっての「受け入れてほしいひと」に、聴いてほしい。
そして、わかってほしい。
ごめんね、がっかりした? 本当の「僕」はこういう、ずるい人間なんだ。
――君は……「君」なら、それでも、聴いてくれる?
*****
中間試験も終わり、衣替えの時期を迎えようとしていた。
試験の結果は、上位二十名までを成績優秀者としてその名前と点数が廊下に張り出される。
蓮は今回の試験で全科目満点の成績を収め、一位の座についた。出題範囲が比較的狭い中間試験とはいえ、進学校として名を馳せる学校である。試験の難易度は総じて高く、全ての科目で満点を取ることはかなり難しい。実際、一位の蓮と二位の生徒の間には五十点ほどの差があった。
何をさせても蓮がすぐれて秀でた人物であるということはクラス内では既によく知られていたが、この「全科目満点」の結果によって蓮は「どうやっても敵わない雲の上の人」として学年中に認識されることとなった。
「やっぱり蓮は俺たちとは違うよな!」
一人がそう言うと、皆口を揃えて蓮の優秀さについて称え、盛り上がった。
それは惜しみない敬意と賛辞に違いなかった。が、蓮にとっては自身に対する無理解の宣告に等しく、蓮は身体がすっと冷えていくような感覚に包まれた。同級生らの賞賛など、何の意味もない。
――自惚れるなよ、蓮。将来人の上に立つ者として、学業くらいはできて当然だからな――
母がいなくなり、父は変わってしまった。父にはもう自分しかいない。
絆は、
「ありがとう、そんなに言われると舞い上がっちゃうな」
いつものように両口角を上げ、目を細めると「お前ってほんといい顔で笑うよな」とクラスメイトの一人が言い、その言葉に続いて次々と賛同が並べられた。
よかった、今日もちゃんと笑えている。僕はまだまだ大丈夫だ。
*******
「一位、しかも全科目満点ときた。さすが蓮だ」
「カンナギが褒めてくれるなんて思わなかったな」
「点数、少し分けてくれてもいいんだぞ」
「ええ?!」
およそ冗談とは思えないカンナギの圧に、蓮は一瞬たじろいだ。
「ええと、カンナギは……その、試験結果どうだった?」
「概ね平均より上だ。数学だけギリギリ平均」
意外だ。なんとなく数字に強そうなイメージを抱いていた。あくまでイメージだが。
「数学、苦手ってわけじゃないんだよね?」
「憧れている」
「あ、憧れ……?!」
「もっとお近づきになりたいんだが、いかんせんあちら側が心を開いてくれなくてな。やはり数学の世界とは……」
「お待たせいたしました」
落ち着きのある初老の男性の声に続いて、ブレンドコーヒーとミルクティが供される。極力音を立てないよう丁寧にカップを置く所作は優雅でうつくしく、まるで男性の人柄が滲み出ているかのようだった。
「ありがとうマスター」
カンナギが親しげな笑みを向けながら礼を告げた。マスターと呼ばれたその男性は目尻を下げ「ごゆっくり」と一礼し、奥のキッチンへと戻っていった。
ここはカンナギお気に入りの場所、純喫茶「Ludique(ルディック)」。
ルディックは住宅街を抜けた駅近くの商店街の一角にある。商店街とは反対側の位置にショッピングモールができた数年前、商店街は一気に衰退するかと思われた。しかし一部の店舗を除いて、ずらりと並ぶ飲食店には根強いファンが固定客として通っており、さらには地元住民からの信頼を集める腕の良い診療所もあって、結局人通りは絶えなかった。
ただし、蓮やカンナギのような年代にとっては興味を引くような場所ではなく、同世代の子らは駅前やショッピングモールに足を運ぶ。
どういう経緯でカンナギがこの場所を発見したかはわからないが、「余計なことに煩わされず、ゆっくり寛げる」ということで、随分前から足繁く通っていたらしい。
ルディックの名物はサイフォンで淹れるマスター自慢のコーヒーだが、ミルクティも絶品であり、アッサムをベースにルフナやディンブラをブレンドしたこだわりの茶葉が使用されている。
ここに来る道中のカンナギが自作と思しきメロディにのせて「ミルクティといえばルディック、ルディックといえばミルクティ」と口ずさんでいたことに影響されて、蓮はなんとなくミルクティを注文する気でいたのだが、店内に入った瞬間魅惑的なコーヒーの香りに鼻腔をくすぐられ、気がつけば本日のおすすめブレンドをお願いしていた。
マスター淹れたてのコーヒーは、口に含むとホッとするような、ゆっくり味わって飲みたくなる優しい味がして、蓮は思わず深く息を吐いた。
「ここ、すごくいい店だね」
「だろ?」
耳障りのいい音色に促されるようにして、蓮はソファに背を預けた。店内に流れる心地良いBGMはジャズだろうか。
向かいに座るカンナギがティーカップにふうふうと息を吹きかけ、おそるおそるといったふうに口をつけている。もしかするとかなりの猫舌なのかもしれないと考えながら、蓮はコーヒーを啜った。
蓮の視線に気づいたのか、顔を上げたカンナギが口を開いた。
「とにかく全部満点はやっぱりすごいと思う。蓮は勉強が好きなのか?」
「いや、好き……というか……」
言葉に詰まる。勉強は好悪の対象ではなく、後継としての責務を果たすための「作業」の一環であり、蓮にとっては余計なことを考えずにいられる「逃避」の時間でもある。カンナギの問いに答えようにも虚無が邪魔をして、好きか嫌いかの判断がつかない。
まっすぐこちらを見つめるカンナギと目が合って、ふいに気が緩む。
「僕は、時々……」
声は掠れていた。カンナギから視線を外し、そのまま両手で顔を覆う。なんとか言葉を絞り出し、次に繋げる。
「すごく虚しくて……本当は、誰も、僕を……」
恐れ、不安、憂苦、不甲斐ない自らへの苛立ち。心臓を容赦なく掴まれたような息苦しさが込み上げてきて、その先がどうしても紡げない。
言ってしまいたい、聞いてほしい、でも言いたくない、言えない。
口をついて出かけた本音は、拒絶への恐怖心によって押し止められた。
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