「僕」と「孤独」の境界線 ―社会学カフェへようこそ―

紫月 冴星(しづき さら)

第1話 「ぼっち」と「クラスの人気者」

かんなぎ ゆう

 

 人の群れが、僕は苦手だ。

 一人じゃ何もできないのに、群れた途端、暴力的になって誰かを攻撃する。


「あんたってさぁ、ずっと友だちいなかったタイプでしょ?」


 頭上から無遠慮に降り注ぐ口撃。今、僕の座席は完全に包囲されている。


「孤高のひと気取りですかぁ? 自分はみんなとは違うって?」

「たしかに違いすぎるでしょ。こんなのと友だちになりたいやつなんている?」

「いませーん!」


 僕の周囲がどっと沸いた。大げさな笑い声が耳に障る。

 僕は鼻から大きくため息を吐いた。貴重な休み時間に代わり映えのしない台詞を毎回聞かされるこっちの身にもなって欲しい。この人たちも同じようなことを言い続けて飽きないのだろうか。ちなみに、僕も君たちのような人と友だちになりたくはないからご安心を。


 そうだ、せっかくだから「ある集団において継続的に行使される心理的暴力の実態調査」と題して、参与観察気分でデータをとってみようか。できるだけ詳細に記録するなら録音は必須だな。いや待て、調査対象者の了承を得ずに録音すれば社会調査協会の倫理規程第8条に違反するはずだ。だいたい、「個人的な関心に基づく調査のため、君たちの発言を録音させてほしい」と言ったところで了承が得られるはずもないだろうし……うーん……あ、データを直接利用するんじゃなく、あくまで心理的暴力の被害を被った僕自身がどのように感じたのかをなるだけ精確に記録するための補助データとしてなら録音はアリか? あるいは、いっそ振り切って「いじめの証拠」として録音するか――


 いや待て、いじめの定義づけについて考えておくべきだな。いじめと一言でいっても人によって抱くイメージにはなんらかの違いがある。僕が対象とする「いじめ」――具体的な人間関係の範囲や行為の内容だったりを、きっちり決めておかないと。僕自身は今この現状をまだ「いじめ」とは認識していないわけなんだが、いじめをテーマにした先行研究における定義がどうなっているか再確認しながら…………


 といった具合に、僕の頭の中は不服と疑問と主張と将来取り組むことになるかもしれない研究のアイデアで溢れかえる。

 悪意に満ちた言葉を真正面から受け止める必要なんてないし、話が通じないであろう相手と真剣に言葉を交わそうとするほど僕もお人好しではない。 


 僕は澄まし顔のまま、読みかけの本のページをめくった。返却期限が迫っているので、早く読み終えたいのだ。ボイスレコーダーを携帯するのもいいけれど、静かに読書をするために明日から耳栓を持ってこよう。


 僕の素っ気ない反応がお気に召さないのか、口撃が再開される。

「本だけがお友だちってやつ? かわいそー」

「ああ、人には相手にしてもらえないから本に逃げてるのね」

「そんな可哀想なお前とおしゃべりしてあげてるんだから感謝しろよ」

「あ、レンレン戻ってきた! 行こ!」


 雑音が遠ざかっていく。やっと終わったか、と顔を上げると、「レンレン」と呼ばれた人物――学級委員長が、次の授業で使うらしいプリントの束を教卓に置いていた。


(ふつうにしているだけで、視線が引き寄せられるような存在感だな)


 学級委員長を務める彼の名は志之元しのもとれん。涼やかな目元に薄い唇の整った顔立ちは、整いすぎて圧すら感じさせるけれど


(……今日も笑ってる)


 クラスメイトに囲まれて破顔するその顔はあどけなく、普段は近寄りがたい印象を与える秀麗さが程よく緩和されている。彼に正面から笑いかけられて、心を動かされない人なんていないのではないか。志之元蓮の笑顔は、ただ綺麗なだけではない不思議な魅力がある。人の容姿の魅力云々にあまり関心をもたない鈍感な僕ですら、彼の笑った顔を初めて目にした時は胸を打たれてしまった。


 そんな魔法のような笑顔を持つ学級委員長は、学業優秀スポーツ万能。何でも簡単そうにやってのけてしまう才人ぶりで、同級生からは常に羨望のまなざしを向けられているような、スクールカーストの頂点に君臨する人気者なのである。


 もっとも、カーストの頂点に君臨しているといっても、志之元蓮に偉ぶったようなところは一切なく、先生やクラスメイトから賞賛の言葉をかけられても、いつも控えめで謙虚な返答を繰り返している。


 要は人柄もすぐれているので、志之元蓮とお近づきになりたいという人が後を断たず、彼の周りには常に人集りができるのだ。同じ人集りでも、僕のそれとは雲泥の差だよなぁなんて達観しながら読書を続行していると


(ん?)


 はたと視線を感じて、教卓の方に目をやる。が、誰もこちらを見ている様子はない。それもそうか、今はみんな帰ってきた学級委員長――クラスの人気者に夢中なのだ。


 ここのところ、誰かに見られているような気がするのだけれど、自意識過剰か、少し神経質になっているのかもしれない。……っと、そんなことより、本の続きだ。本を友だちと思ったことはないけれど、筆者や物語の登場人物と友だちになりたいと思うことは間々ままある。そして、今手にしている本は北方謙三先生の『三国志』。この物語に登場する人たちのなかで、僕が友だちになりたいのは、諸葛孔明だ。

 

 *

 

 ある日の放課後。

「よかった! まだ帰ってなかった。ね、一緒に帰らない?」


 クラスメイトら全員が帰宅した空の教室で、ひとり読書に耽っていた僕に話しかけてきたのは、あの、志之元蓮だった。どういう風の吹き回しだろう。


「……君、さっき――というか、けっこう前に帰らなかった?」

 意表を突かれた僕は、思わず素朴な疑問を口にする。

 彼が教室を後にしたのはたしか随分前だったような。


「あー、うん。わざわざ戻ってきて、キモいよね? いや、自分でもちょっとどうかなって思ったんだけど……あ! 全然変な意図はないよ! ただ、同じクラスでまだ一回も話したことがないから、ちょっと話してみたいって思ってさ。なに考えてるのかな、とか」


 その話し振りには余裕がなく、クラスの人集りにいるときの印象とは随分違うように感じられた。僕は何となく、こちらが彼の「素」なのかもしれないなとぼんやり思った。


「――わかった。じゃあ一緒に帰ろう」

「えっ、いいの⁈」


 不安そうな様子から一変して、志之元蓮はぱっと顔を輝かせる。陽の光を集めたようにキラキラした笑顔は、僕がこれまで教室で見た彼のどの笑顔よりも魅力的に見えた。

 

「僕、君と帰る方向同じなんだ」

 

 知ってる。帰りに何度か見かけたことがあるからな。というのは、頭の中だけに留めて「そうか」とだけ返しておく。


 集団と個人のあいだで翻弄されつづけ、葛藤を重ねてきた「クラスの人気者」。そのことを僕が知るのはまだもう少し先の話。


 喜色満面の彼を前に、僕は帰る準備を始めた。




志之元しのもと れん


 四方から次々と声がかかる。僕の休み時間はいつも賑やかだ――


「レーンレン♪ さっきの授業のやつ、ここ教えてくれよ!」

「ちょっとレンレン、どこみてんのー?」

「またあいつでしょ。ぼっちの」

「ああー、レンレンはさぁ優しいから」


 僕の目が「その子」を頻繁に追いかけているらしいことに気づかされたのは新学期が始まり四月も終わろうとしていた頃だっただろうか。

 誰が言い始めたのかはわからないけれど、僕は気がつけばみんなから「レンレン」というあだ名で呼ばれていて、クラスのみんなにも何かしらのあだ名がついていた。

 僕は、「その子」がみんなから「ぼっち」と呼ばれていることをこのとき初めて知った。


「ぼっち?」

「そう、いつもあいつひとりぼっちじゃん?」

「うちらが話しかけてやってんのに愛想ないし」

「だよねー、話しかけたらさぁ、『……僕?』だって! マジキモいんですけど」

「俺もああいうタイプ苦手だわー。何話していいかわからんし」

「いや俺もマジ無理!」

「わかるわかる、なんていうかさ、近寄りたくない感じだよねー」

「あれ? あいつの名前なんだっけ?」

「えええーさすがにそれは可哀想でしょ! あ、私も忘れてたわ!」

「ハハハ! ひでぇ! って、俺も覚えてないわ」


 嘲笑の色を隠そうともせず、僕を除いた皆がどっと笑う。

 たった一言訊ねただけだったのだけれど、思った以上に矢継ぎ早の悪意が跳ね返ってきて僕はかなり面食らった。そして、人の悪口で盛り上がるクラスメイトたちのとても楽しそうな様子に苛立ちを覚えながらも、制止することはできなかった。――いや、「しなかった」んだ。ほんとうの僕は全然優しくなんかない。


 狭い教室だ。大きな声で盛り上がれば当然、「その子」にもこれらの会話はすべて届いている。

 心の中で「ごめん」と何度もつぶやいて、僕はちらと横目に話題の人を確認する。

 頬杖をついて、何か思索に耽っているらしかった。

 こちらにはまるで興味がないと言わんばかりに動揺もなく落ち着き払った様子。

 どうやらまったく意に介していないことが判り、僕は内心ホッとする一方、「その子」に対しどういうわけか今までに抱いたことのない強烈な何かが芽生えるのを感じた。


 ――話してみたい。知りたい、何を考えているのか。

 僕が知る限り、移動教室を含む授業中、休み時間……おそらく学校にいる間中ずっと、「その子」はいつもひとりでいる。

 学校のような集団生活の中でひとりでいるという状態は、どうしたって悲哀がつきまとう。ひとりでいるというだけで馬鹿にされたり、嫌われたり、遠ざけられたり、散々だ。

 でも「その子」からは悲哀はおろか、悲壮感も不安そうな気配も、全く感じられない。卑屈でもない。鉄……いや、鋼のハートの持ち主なのだろうか?

 

 いつもクラスのみんなから「誘われる側」だった僕が、初めて「誘う側」に回る。誰かに声をかけるのは正直苦手だ。相手にしてもらえるだろうか。今まで何も接点がなかったのに急に話しかけたら驚かせてしまうだろうか。いや、そんなことを気にしたって状況は何も変わらない。


 話をするなら、外野がうるさくない場面……そうだ、帰り道に誘うのがいいかもしれない。できれば、ひとりでいるときに声をかけたいところだけど、そんな都合の好いチャンスあるのか?

 ――ないならこっちでつくるまでだ。深く考えるまでもなく、僕の結論は出ていた。


 それから数日後――

 僕は、いつも通りクラスの友人らと帰路につき、いつも通りの帰り道で別れた。彼らの姿が完全に見えなくなったことを確認して、猛ダッシュで学校を目指す。


(まだ帰っていませんように) 


 心の中で小さく祈る。

 もし居なかったとしても、また次の機会をうかがえばいいだけのこと。

 こんな確実性に欠ける行動を取る自分がまだいたなんて――思考するより先に、身体は動く。普段の僕からは考えられない行いの連続だ。


 だけど、この時の向こうみずな自分に僕は心から感謝することになる。

 かんなぎゆうとの出会い。それは間違いなく、僕にとって最大の転機だった。


――――――――――

参考サイト

 https://jasr.or.jp/chairman/ethics/(一般社団法人社会調査協会倫理規程)



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