第16話 テ、テレビですと!?② 

 次の日の放課後、いつも通り私たちはきくの湯にいた。今日は香澄ちゃんもいる。

 私たちが休憩室のソファでダラダラしていると、入り口のあたりがザワザワし始めた。聞こえてくるのは男性と女性の声だ。


「こんちはー」


 戸がガラリと開いて入って来たのは長身でヒゲ面の男と、ピンク色に髪を染めた太めの若い女性だった。男の方が先に入ってきて、キョロキョロと銭湯の中を見回していた。


「これはこれは、風情があるな……」

「おおー、すごいっすねぇ」


 後から入って来た女も、年季の入った建物の内部に感嘆の声を上げていた。

 その一部始終を見ていた私たちは、あれがテレビ局の人かな、とヒソヒソ話していた。


「どうも、いらっしゃいませ」


 奥の部屋から出て来た桜のお母さんが、二人に声を掛けた。


「加賀さんですか。エーエヌテレビの舟橋ふなばしです。今日はどうぞよろしくお願いします」

立山たてやまっす。よろしくお願いします」


 男が慇懃に頭を下げて、それを見たピンク頭もペコリと頭を下げた。


「お話はこちらで聞きますね」


 桜のお母さんはそう言って二人を奥の部屋に案内した。

 桜は二人が奥の部屋に消えていったのを見届けて、番頭台にちょこんと腰掛けた。ここから番頭台まででも十分に会話できる距離だ。今日は雨でお客さんもいないし、久々に休憩室でのんびりできる。あのブログがネットに出回ってからリオンちゃんは、休憩室のようなお客さんと顔を合わせてしまうところには行けなくなっていた。なんせ来る客はリオンちゃんを求めて来る男性客ばっかりなのだから。ここに来る度にスマホを向けられていたらたまったもんじゃないだろう。そういう判断から、ずっと桜の部屋で雑誌を読んで、こっそりお風呂に行くという毎日だった。

 久しぶりの休憩室のソファは相変わらず柔らかくて、私の体重をしっかりと支えて包み込んでくれていた。香澄ちゃんはマッサージチェアに座ってだらしない声を上げ、リオンちゃんは私の隣でぐったりと溶けていた。


「立山、機材運んどけ」

「了解っす」


 番頭台の奥から、また二人の声が聞こえて来た。奥の部屋で話していた時間はものの数分で、もう終わってしまったらしい。

 奥から出て来たヒゲの男と目が合った。私はソッコーで目を逸らした。


「もしかして君たちが湯けむり部ってヤツかい?」


 ヒゲ面の男は桜ちゃん、香澄ちゃん、リオンちゃん、そして私を順番に見て、ニヤリと笑った。その男は無精髭もさることながら、目の下の真っ黒なクマが印象的だった。


「ちょいと、お嬢さんたち、カメラ回すんでどいてください」


 ガラリと戸を開けてピンク頭が戻ってきた。その肩には大きなカメラが乗っていて、そのレンズはキラリと私たちを狙っていた。


「立山、この子たちが湯けむり部だってさ」

「えっ、そうなんですか! アノ子はどれっす!?」


 ピンク頭がキョロキョロと動いてリオンちゃんをロックオンした。


「君っすね! 大ファンっす! 握手してください!」


 ピンク頭はカメラを担いだままリオンちゃんに駆け寄って、握手を求めていた。


「あ、ありがとうございます?」


 ピンク頭の奇行にリオンちゃんは困惑顔だった。


「立山ぁ。何やってんだ早く終わらせちまえ」

「はっ、失礼しましたっす」


 ヒゲ面に注意されて、ピンク頭は勢いよくリオンちゃんから手を離した。


「それじゃあ、カメラ回すんでどいて欲しいっす」


 ピンク頭は再び言う。私たちは訝しげな顔をピンク頭に向けながら、渋々ソファから降りた。

 ピンク頭とヒゲ面は黙々と作業を進めていって、三十分ほどあちこちを撮り回る。


「何してるの、あれ」


 私は何をしているのか気になって、リオンちゃんに尋ねてみる。


「テストじゃないですか? 明るさとか見てるんだと思うんですけど」


 リオンちゃんは自信なさげに言った。


「へぇー」


 こういうのも含めてロケハンなのか。色々と大変なんだな。

 ピンク頭はそれから十分ほど作業をして、機材を片付けた。邪魔にならないところで作業を眺めていた私たちは、終始何をしているのかよく分からなかった。


「それじゃあ、明日はよろしくお願いします」


 ヒゲ面とピンク頭は来た時と同じように慇懃に頭を下げて、きくの湯から去っていった。


 ◇


 次の日、土曜日学校が休みだった湯けむり部の四人は朝早くからきくの湯に集まっていた。もちろん、きくの湯でのテレビ番組の撮影のためだ。

 百年以上続く古い銭湯の前には灰色のバンが停り、中には場違いな機材が運び込まれていた。カメラやマイクや照明を担いだ人が何人もいて、あのヒゲ面の男やピンク頭もその中にはいた。

 あのヒゲ面は偉い立場の人間みたいだった。様々な業界用語らしき言葉があのヒゲ面から飛び出して、カメラやマイクを担いだ人に指示を出していた。


「なんか、すごい忙しそうだね」

「テレビってこんななんだ」


 私たち四人は邪魔にならないように端っこで固まっていた。


「リオンちゃんがモデルやったときもこんな感じなの?」


 桜がリオンちゃんに問いかける。


「いや、モデルの撮影の時は全然違いますよ。私はメイクして写真撮られるってだけだったので、あんな風に準備とかは見ませんでした」

「そうなんだねぇ」


 距離が近すぎて忘れがちだが、リオンちゃんはモデルをやってたんだった。何気ない桜との会話でそれを思い出す。


「むしろ、ああいうテレビカメラなら香澄さんの方が見てるんじゃないですか?」

「え、私?」


 リオンちゃんが香澄ちゃんの方を向いた。


「全国大会ってテレビ放送もあったと思うんですけど」

「あー、ああ。確かに何台か見かけたけど、放送されたのは決勝だけだし、私は全然関係なかったなぁ」


 テレビカメラなんて私は昨日初めて拝んだのに、この二人の経歴のせいで私がおかしいのかと錯覚してしまう。


「ね、見てあれ。尾矢部キャスターじゃない?」

「わっ、ホントだ」


 桜が指さした先には、スーツをキッチリと着こなした壮年の男性が立っていた。テレビでよく見る人だ。確かエーエヌテレビのアナウンサーで、朝の顔として有名だったはず。そんな人がわざわざ取材に来るなんて、やっぱテレビってすごいんだな。

 私たちがヒソヒソと話していると、スタッフの一人から呼ばれた。


「湯けむり部の四人、であってますよね」


 若い男のスタッフにそう聞かれて、私たちは一斉に頷いた。なんか緊張してきたぞ。

 あれよあれよという間に撮影は進み、桜のお母さんのインタビュー、おじいちゃんのインタビュー、そしてたまたま居合わせた常連さんへのインタビュー、そして私たちのインタビューが撮られて終了だった。

 私たちのインタビューは、事前の聞き取りを元に台本が作られていた。こういうのってアドリブじゃないのね。まぁ、素人がそんなスラスラと喋れるわけもないし、カンペを読むだけだったから楽だったのだけど。


「暁、リオンちゃん?」

「はい、そうですけど……」


 あらかたの撮影が終わり、次々と機材が撤収されていくのを眺めていると、リオンちゃんが総白髪の大男に話しかけられてるのを見つけた。

 リオンちゃんは大男と何言か交わして何かを受け取った。芸能事務所からのスカウトだったりして。

 リオンちゃんがスカウトされて晴れてアイドルデビュー、なんてくだらない妄想をしながら、大人たちがいそいそと帰り支度をするの眺める。初めてのテレビ撮影は呆気なかった。二、三言カメラに向かって喋ったら、はいおしまい。思っていた以上にあっさりとしていて、少しガッカリしてしまった。

 一方で桜はいつになく興奮していた。


「私、尾矢部キャスターのファンなんだよ!」


 そう言って嬉しそうに彼の元へ駆け寄っていた。

 きくの湯が特集されるというのも嬉しいようで、これできくの湯にお客さんが入る! と息巻いていた。お母さんに怒られてシュンとしてたのに、単純なヤツめ。しかし、彼女のその単純さが羨ましくもあった。


「本日はご協力ありがとうございました」


 そんな声が聞こえて入り口の方を見れば、昨日以上に深いお辞儀をしたヒゲ面男がいた。確か舟橋さんと言ったか。

 舟橋さんが最後にきくの湯を出ると、銭湯にはいつも以上の静けさが訪れた。


「すごい静かになったね」


 香澄ちゃんが言う。


「あぁ、私の尾矢部アナがぁ……」


 ポツリと呟いた香澄ちゃんの横で、桜は尾矢部アナウンサーがいなくなってしまったことに絶望していた。いや、お前のじゃないから。

 わざとらしく泣き真似をする桜の頭にチョップを入れて、私はどっかりと休憩室のソファに埋もれた。


「つっかれたぁ」


 ただでさえ人が苦手な私が、こんな狭い空間にあんな大人数。耐えられるわけがなかった。インタビューされてるときとか発狂しそうだったし。きっと放送できないレベルで顔が引き攣っていると思う。


「あれ、リオンちゃんどうしたの?」


 チョップに悶えた桜が、会話に参加して来なかったリオンちゃんに声をかけた。リオンちゃんはどこか上の空で心ここにあらず、といった感じだった。


「おーい、リオンちゃん?」

「はっ、あ、ごめん」


 もう一度桜が声をかけてようやく再起動した。


「どうしたの」


 私たち三人の頭の上には疑問符が浮かんでいる。様子のおかしいリオンちゃんに、違和感を感じざるをえなかった。


「実は……」

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